たけくまメモMANIAX

2014年6月24日

ホップ・ロウ取締役退任および「電脳マヴォ」継続についてのお知らせ

私、竹熊(以下私)の株式会社ホップ・ロウ(以下、会社)退社とインターネット雑誌電脳マヴォ継続について、少し時間が経ってしまいましたが、この文章で関係者の皆様への全体説明に代えさせていただき、一連の経緯の私側からの終了を宣言したいと思います。

私は昨年(2013年4月)、フリー編集者ツルシカズヒコ(文中敬称略。ツルは「鶴」の異体字の為仮名書き)と創作・編集・出版・インターネット出版を目的とした株式会社ホップ・ロウを創設しました。代表取締役社長がツルシ、電脳マヴォ編集長と取締役は私です。

会社は約1年継続しましたが、この1年の間に私とツルシとの関係は悪化、今年に入ってからはツルシの内縁の妻で、彼の個人会社ハッピー・コーイングの社員であるイラストレーター、ワタナベ・コウを通じてでないと、互いに口も利かない関係になっていました。

これは「性格の不一致」としか言いようがありません。詳しい内容を書いたとしても「言った・言わない」の応酬は明らかで、第三者には、しょせんは売り言葉に買い言葉です。

ツルシに関して私が一言言うなら「こんな人間だとは思わなかった」に尽きるでしょう。おそらく向こうも同じことを私に対して言うと思います。彼とのトラブルは理性的な話し合いに収まることが殆どなく、最後の数ヶ月は、ほとんどワタナベを間に立てた罵声・批判の応酬になっていました。

これは話し合いですから、もちろんツルシのみならず私にも責任はあります。ここでの私の一番の問題は「なぜ互いに仕事をしたことがなく(私はツルシ編集の雑誌に数回寄稿しただけの、単なる寄稿者と編集の関係でした)、互いによく知らない人間と仕事をしてしまったのか」に尽きるのではないかと思います。これについて、私は返す言葉に窮するのですが、つまりそれだけ「私は追い詰められていた」ということです。想像するに、おそらくツルシもそうです。つまり、私は2012年1月に念願だったインターネット雑誌「電脳マヴォ」を創刊したのですが、同時に私は京都精華大学マンガ学部の専任教員であり、公的・社会的な立場が一度にふたつ重なることになります。後述の理由(軽度発達障害)で、これが私には著しく困難な状況でした。

一方のツルシの問題は、端的に言うなら資金がないことでした。そこで「いずれ互いの好きな本を編集する」ことを暗黙の合意事項として、「とりあえずツルシが雑誌編集者としての経験を電脳マヴォに提供する」ということで「野合」は成立したわけです。…この考えが、いかに甘いものであったかは、マヴォのこの1年の迷走(経営上の)が示していると思います。

私から見たツルシは「編集長」がやりたい人間であって、それ以上ではないということです。会社や、メディアを運営したことがあるならわかると思いますが、ひとつの会社はひとりの経営者が治めるべきで、雑誌にも、二人の編集長は必要ありません。

結論から言うなら、私とツルシが会社を共同経営し、かつメディアを共同編集することは、不可能です。私は経済観念が希薄で、経営をツルシに任せたのですが、これも間違っていました。私から見てツルシは「竹熊同様」会社経営者には向いていません。また経営の資質が時に必要とされるインディーズ・メディアの編集も難しいのではないでしょうか。彼は扶桑社退社後、ふたつの雑誌を発行していますが、一誌は創刊2号で休刊、もうひとつも、経営はうまく行っていません。

ツルシの場合、彼はかつて扶桑社でメジャー週刊誌の編集長を行っており、そのことで彼は編集者としての名をあげましたが、同時に「組織編集者」としての限界も露呈したと思います。つまり組織があってのツルシカズヒコで、その逆ではないと思う訳です。私は元来組織とは無縁でしたから、最初から変わってないと言えば変わっていないのですが。ツルシはかつて「スタッフの編集者教育」を要請した私に、こう言いました。

「電脳マヴォは、スタッフが素人すぎて、使えない。」

この言葉を聞いて、私は耳を疑ったのです。どんな大出版社の社員であっても、どんな大学を出ていようと、誰でも最初は素人の筈です。新入社員は、使えないのがデフォルトなのです。だから「社員教育」があるのではないでしょうか? 仕事にしても、電子漫画雑誌はまったく新しいメディアですから、そもそも仕事を「つくらなければならない」ですし、仕事のやり方も、ひとつひとつ作っていくものだと私は思っていました。「紙ではできない、電子雑誌ならではの仕事を考えて実現しましょう」という私の言葉を、この人はまったく理解していないのではないかと思いました。

今のツルシカズヒコと竹熊健太郎は、どう考えても互いにとって「向いてないこと」を無理矢理行おうとしていて、「迷走状態」に陥っていると思うわけです。私の場合は、自分で選んだ運命ですから、誰にも、なんの不満もありませんが。

要は、資質的な面で私が単独での仕事の困難に直面していたところ、経験豊富(そう)な人材が現れたわけです。私としては念願の自分メディアを手放すわけにはいかず、後から考えて愚かな選択でしたが、共同経営者を迎えるという過ちを犯してしまいました。

何故ツルシだったのか? 90年代のスター編集者の一人であり、知り合う前から互いのことを知っていましたし、漫画は専門でなくとも、ツルシは小林よしのり『ゴーマニズム宣言』の立ち上げ担当編集者でした。また扶桑社の前には若者向けサブカルチャー雑誌「月刊out」編集者として、ほりいゆうじ、さくまあきら氏らを担当していました。

つまり資質的に十分だと踏んだのでしたが、実は私、漫画雑誌の編集作業は小説や一般活字誌とは根本的に異なった部分がある特殊なもので、かりに漫画が載っているサブカル雑誌でもそれは同様だと知っていました。そこからくる不安を努めて押し殺していたことは事実です。

私の不安は的中しました。(以下は竹熊の個人的意見)果たしてツルシからは、電脳マヴォに関する「企画」を1年で1本も出してもらってないばかりか、作家探しや、紹介でも何の役にも立ってはくれませんでした。電脳マヴォの企画は、作者の持ち込み企画以外は、すべて竹熊とほかのスタッフの企画です。この人、もしかして漫画のことが全然分かってないのではないか? と私はだんだん彼のことを不安視するようになっていました。

ただし牛帝著『同人王』の太田出版版の編集は、校閲を含めて非常に優れた仕事だったと思います。この仕事を見て、彼には僕にはない「書籍編集者」の素質があると思いましたが、『同人王』が万一売れてくれていたら、もしかすると、我々の運命も、会社の将来も、まったく異なる事になったかもしれません。

 

■  私の持病と今後の仕事との関係について

 

昨年春から私とツルシカズヒコの関係は悪化していきましたが、これは私の「軽度発達障害」という、予期せぬ「伏兵」が原因です。軽度発達障害とは最近までアスペルガー、ADHDといった「診断名」で呼ばれていた器質性の精神障害のこと。非常に多い症例で、これ自体は「体質」であって病気ではないのですが、本人や周囲の自覚が不十分なまま接していると、二次障害として「適応障害」が起きるケースがあります。これは躁鬱病、統合失調症といった重篤な病に似た症例が出るケースがあるそうです。もちろん私の場合はそうした本格的な精神病とは違いますし、治療も受けております。この春にワタナベ・コウが私の精神状態に対して邪推に基づく非常識な文章をブログにアップしましたが、もちろん根拠のない話であり、読みようによっては人権侵害ですが、現在は「自主的に」削除されており、訂正や謝罪はありませんでしたが、これを「非を認めた」と好意的に解釈していますので、これについての訴追は、現段階では考えていません。

さて私の場合、大学、電脳マヴォ、ホップ・ロウとのここ数年の関係でもともと生まれつきであった軽度発達障害が重篤化し、ついに「適応障害」に至った事で、私はまず大学を休職しました。

株式会社ホップ・ロウの構成員は代表取締役ツルシカズヒコと取締役兼編集長竹熊健太郎の二名です。そして会社の定款で、ツルシと竹熊は「無給扱い」になっています。会社から「役員報酬」が出ないかわりに、毎月20万強の「貸付金」を会社に私が貸し付けていました。私が入れる毎月のお金で『電脳マヴォ』は最初からずっと維持されているのです(このことを見ても、ホップ・ロウは会社としてははなはだイレギュラー的な存在だと思います)。

私は毎月決まった額を会社の口座に入れ、そこからハッピー・コーイングのワタナベ・コウが経理処理して「貸付金」の一部は確かに電脳マヴォのスタッフに渡っていました。20万の詳しい内訳(使い道)は私はよく知りませんし、興味もありません。経営者はツルシであり、私はすべてを彼に任せていたわけです。つまり、ツルシカズヒコが「代表取締役としての仕事=要するに経営(マネタイズ含む)」をきちんと彼がやっていれば、そもそも社長を解任するとか、私が退任する理由が存在しません。

そこで、ここに来て竹熊のホップ・ロウ退社(「電脳マヴォ」もそのまま退社します)になり、ホップ・ロウと電脳マヴォは関係がなくなりました。現在太田出版から出ている牛帝さんの『同人王』を除く一切の契約関係は消滅しています。関係者の方で、お問い合わせあれば竹熊まで御願いしますが、『同人王』に関してはこれまで通り、ホップ・ロウ(ツルシカズヒコ)扱いですので、ケースによってはお答えしかねる場合もあります。

 

以下、電脳マヴォと竹熊健太郎の今後を箇条書きにします。

●竹熊健太郎は、2014年5月31日を持って株式会社ホップ・ロウを退任した。

●竹熊退社に伴い、『同人王』を除く「電脳マヴォ」と株式会社ホップ・ロウの関係も消滅。『同人王』に関しては、太田出版とホップ・ロウの間の契約関係は存続。この範囲で、竹熊は牛帝さんに対する誠心誠意の対応を保証する。

●「電脳マヴォ」は、かねてよりの方針に伴い、竹熊個人運営による『ネット・アーカイヴ・メディア』として再スタートする。いくつかのマネタイズ案が浮上しているが、マネタイズ成立の暁には、作家への還元を優先して運営していく。

●法人化は現時点で未定だが、NPO法人化するプランはある。

最後に

以上、恥の上塗りみたいな文章を書きましたが、何事も「けじめ」だと思いますので発表しました。

現在竹熊は京都精華大学を休職、現在は「電脳マヴォ」を軌道に載せるべく行動しております。出版界・漫画界・大学、いずれもかつてでは考えられないくらい状況が悪化しています。こうした中で、電脳マヴォのような、業界から完全に独立・自立したメディアを運営していくことには非常な意義があると思います。これからも「電脳マヴォ」をよろしくお願い申し上げます。

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2014年3月28日

特別連載 ダーティ・松本✕永山薫 エロ魂!と我が棲春の日々(3)

 第3回

永山 第3回目です。新星社の中林さんから実話誌『異色特集』の仕事がきたわけですが、原稿用紙作りから始まるってのがいいですね。

松本 当時はまだ漫画原稿用紙なんてなかったからね。みんな、こうやって作ったんですよ。

永山 俺もやりましたよ。模造紙かケント紙を重ねて錐で孔あけて枠線の位置を決める。

松本 そうそう、千枚通しとか、コンパスの針でね。

永山 慎重にやらないと、孔の位置がズレて、枠線が真四角にならない(笑)。それで、枠線はいいとして……。

松本 何描いていいのかわからない(笑)。エロマンガ誌がまだ存在しなかったから、描こうと思ったこともないし見たこともないわけで……。

竹熊 エロ漫画がまだなかった。

松本 だからお手本がない。もともと活劇志向だったので日活映画はよく見ていたのにロマンポルノになってしまい、どれどれと見に行ったけれど「エロ魂!」のない作品ばかりで全くつまらない! しかし次第に「日本のロジェ・ヴァディム」、小沼勝監督(※1)とか優秀な人が出てきて、まさか自分の作品がロマンポルノで映画化されることになろうとは…?「性狩人」なる作品で監督の池田敏春(※2)はのちに「人魚伝説」などを創るなかなか力のある人でしたが、残念なことに近年自殺しました。

永山 そうだったんですか。

松本 ……それはともかく、ビニ本買ったりして、いろいろとからみの絵の勉強したものの上手くいかずに1本描いただけでお呼びは無くなりました。トホホです……。

永山 ビニ本がお手本って、まどの一哉(※3)もエロ漫画描こうとしたんですよ。

 

 

▲図3-1 まどの一哉『洞窟ゲーム』青林工藝舎・2010

竹熊 まどのさんも!? ちょっと想像つかない。

永山 それで、やはり、お手本としてビニ本とか見て研究したんだけど、頭がおかしくなりそうになったんでやめたって。本人が言ってました(笑)。

竹熊 頭のおかしい漫画しか描いてないじゃない(笑)。

永山 ひどいなあ。高校一年の時は可愛かったんだよ。坊ちゃん坊ちゃんして。

竹熊 え、あの先生。まどのさんが?

永山 今でも童顔だけど、高校の時、鈴木翁二(※4)に会いに行って、「少年Aって感じだね」って言われたとか(笑)。

▲図3-2 鈴木翁二『東京グッドバイ』北冬書房・1998年

竹熊 『電脳Mavo』でも連載を。娯楽アクションを……って言ってましたよ。

永山 わけわかんないなあ(笑)。でも、固定ファンはいるから。部数絞って出せば確実に売れる。

竹熊 『電脳Mavo』の作家、それぞれにファンクラブ作ろうかと考えているんですよ。

永山 俺のファンクラブも是非(笑)。ファンクラブでファンド募って、俺を喰わせて、作品書かせる(笑)。

竹熊 ダーティ先生が現役のうちに作りたい。

永山 何言ってんですか、生涯現役ですよ(笑)。

竹熊 ではご存命のうちに(笑)

永山 中林さんの話に戻しますが、キャラがシブイですね、「モーツァルト好きか?」(p51)って、クラシック好きとして痺れまくりですよ。

 

▲図3-3 「モーツアルト好きか?」

松本 中林さんといっしょに歌舞伎町を歩いたら、肩で風を切る姿はどうみてもその筋の人です。後にエロマンガ家で草野球チーム「エイリアンズ」を結成し、7色の変化球を投げるエースとして活躍してくれました……はともかく、面白い話がいっぱいありそうで健在のうちに誰かインタビューしたほうがいいと思うけれど。
永山 お話できる状態かどうかも問題ですが。

松本 ほんと、みんなパタパタいなくなっちゃうから。

竹熊 この世代の人たちって、もう60〜70代でしょう。

竹熊 団塊の世代がこの頃の中心じゃないですか。60代後半。

松本 今頃はちょうど会社辞める頃ですね。 みんな上手く逃げ切ったなあって思うんですよ。

永山 少年画報社の添田さん(※5)も辞めちゃったしなあ。

松本 昨年個展のイベントとして、早見純とトークショーをやったときに来てくれて、かなり体調悪いとのことで心配です。画報社で上司だった筧さんは退社後も電子メディアの仕事をやったりマンガの講師やったりで元気バリバリですが。

竹熊 今、40〜50代の漫画家が大変ですよ。名のあるベテラン作家が警備員とかやってます。

松本 よく雇ってもらえるなあ。

竹熊 警備員は年齢関係ない。60代まで大丈夫。

永山 竹熊さんがいると余談に入りまくるなあ(笑)。ええと、中林さんにダメ出しされたあたりに戻しましょう。何回も描き直しさせられたんですか?

松本 実話誌はエロが厳しいんですね。警察官が出てくる4コママンガが某ガードマン氏に変えさせられたり……。

永山 抑えろという意味ですね。

松本 男女の直接的なからみが描けないから、透明人間のセックスになっちゃう。

竹熊 断面図はダメなんですか?

永山 断面図はもっと後ですね。

竹熊 でも昭和30年代の実話雑誌に、お医者さんがね、記事として。

永山 記事はあるでしょうね。ここだけの話だけど東北芸術工科大学の吉田先生は「浮世絵で断面図あるよ」って。

竹熊 あの時期にですか?

永山 浮世絵ですから江戸末期から明治でしょうね。で、この何回もリテイクくらったやつが最初の作品。デビュー作になるんですね? それで、先に出た吉岡(仮名)にピンハネされる(笑)。

松本 ページ2000円の内、1000円抜かれた(笑)。

永山 何ページ描いたんですか?

松本 8ページ。

竹熊 それ、何年くらいの話ですか?

松本 71か72年。基本はね、当時、漫画誌の新人で2500円の時代。実話誌だから2000円だけど。2500円の時代、長かったよね。

竹熊 今だって新人でページ6000円くらい。

永山 俺、初めて漫画描いて載っけてもらった時、7000円とか8000円もらったよ。82年か83年頃かな(※5)。

松本 なんだよ! それ大家(たいか)だよ(笑)。

竹熊 『漫画ブリッコ』(※6)にぼくが漫画描いて、84年。6000円でした。初めて原作仕事もやった。相手が藤原カムイで、やはり原作は初めて。

永山 7000円か8000円貰って、「こんなもんなの?」って訊いたら、「大手でも新人はそんなもんだよ」って言われました。

竹熊 今でもそんなもんですよ。

永山 そのへんは竹熊さんの『マンガ原稿料はなぜ安いのか?』(※7)に詳しい。原稿のコピーが残ってた。永山が大家だった頃の作品。黒歴史ともいう。これで8000円。

図3-4 まんぐーす☆『まじっくらんたん』(掲載誌不詳、アップル社・1984年)

 

図3-5 竹熊健太郎『「どうしてくん』(『漫画ブリッコ』1985年12月号)。これで6000円。   稿料1頁1000円のほろ苦いデビューだった」(p57)。デビュー作どこかに残ってるんですか?

松本 雑誌は残ってますけどね。見なくていいです(笑)。まだまだ「エロ魂!」の篭ってない作品で気合の入ってない駄目な作品です。

永山 その頃、名前は?

松本 実話雑誌は何も言わないもんで、適当に向こうで付けてくれて、池田竜彦とか。挿絵の方は笑いましたよ。上高地源太。

永山 上高地、すごいな。別荘番キャラにありそうな名前ですね。

松本 その後、青年誌で本名でやって、インパクト弱いんで。

永山 「名前を変えるぞ!」と。「今日から俺は! ダーティ・松本だぁ!」(p58)。クリント・イーストウッドが描いてある(笑)

松本 名前変えてから運が向いたのかな。本名時代はイマイチでしたね。

竹熊 『ダーティハリー』(※8)から名前取ったんですか?

▲図3-6 『ダーティハリー』のポスター

松本 本名だと、田舎の親戚が松本零士と勘違いしてねえ、マガジンに電話したとか……、なにを言ってるんだ(笑)。70年代初頭は日活ニュー・アクション、『ダーティハリー』『フレンチ・コネクション』『わらの犬』『時計じかけのオレンジ』等々、バイオレンス映画がぐいぐい伸してきた時代で、ペキンパー、ドン・シーゲル、S・レオーネ、深作欣二らが当時の活劇志向である僕の師匠です。その中の1本『ダーティハリー』は特に素晴らしかったのでついついペンネームにいただいてしまいました。のちに村松友視が『ダーティ・ヒロイズム宣言』という本を出したり、ダーティ工藤、ダーティ岡本なる人も現れて……。こらっ!「ダーティ」をぱくるんじゃないっ!と思ったけれど、こちらもいただきだから文句は言えない……。

永山 ダーティ岡本さんはオマージュ的なペンネームなのかも。エロ漫画家だし。作風は違いますけどね。あと『ダーティ・メリー クレイジー・ラリー』って映画もありましたね。おっと、また余談だ(笑)。

竹熊 これ、続けてやったらもう一つの劇画史になりますね。

永山 あまり表に出ていないこともありますから。

竹熊 でも雑誌残ってないでしょ。

永山 そうなんですよ。『漫画ホットミルク』(※9)でさえ編集部にない。『漫画ブリッコ』さえないでしょ。

▲図3-7 『漫画ブリッコ』(1985年12月号、白夜書房)

竹熊 『アクション』だって、会社に残っているのはけっこう抜けてますよ。

永山 ワニマガジンはしっかりしてる。綴じ本で残してある。昔からあるしっかりした会社だから前田俊夫さん(※10)の『うろつき童子』。あれ、復刻できたのも、倉庫に原稿が残ってたからなんですよ。前田俊夫さんはコミケで原稿売っちゃったり、背景コピーしないで使い回すから元原稿ないんです。

竹熊 今だったらデータで残せるんだけどね。

第3回脚註

※1:代表作『花と蛇』(1974年)。ちなみに『電脳MAVO』にも掲載されている夢野久作『少女地獄』を『夢野久作の少女地獄』(1977年)として映画化したのも小沼監督。

※2:代表作『人魚伝説』(1984年)は宮谷一彦原作。また石井隆脚本の『天使のはらわた 赤い淫画』(1981年)など劇画と縁の深い監督である。ダーティ・松本原作『セックスハンター 性狩人』(1980年)は、池田監督のデビュー第2作。

※3:『ガロ』、『アックス』などで活躍する不思議な漫画家。高校時代、永山たちが予算目当てで復活させた文芸部に入ってきた。代表作『西遊』、『洞窟ゲーム』、『世の終りのためのお伽噺』。

※4:1969年、『ガロ』デビュー。水木しげるのアシスタントをしつつ同誌に作品を発表。つげ義春、稲垣足穂の影響を感じることができる。代表作は映画化された『オートバイ少女』をはじめ、『東京グッドバイ』、『透明通信』など。

※5:少年画報社の数々の雑誌の編集者、『まんが笑ルーム』、『斬鬼』などの編集長を務めた。小林よしのりの『風雲わなげ野郎』には主人公のライバルとして画報小所属の「添田善雄」が登場する。小林の担当編集者だったが、後の「ゴーマニズム裁判」では小林を批判。定年間際には『少年画報大全』を編集。

※6:アップル社の自販機雑誌だった。「中学生時代、マンガの同人に入ってたって? じゃあカットくらい描けるでしょ」、「カット描けるなら4コマくらい描けるよね」、「4Pくらい描けるよね」という感じでなんとなくマングースの筆名でデビュー。その後は『Billy』や『熱烈投稿』でちょこちょこ描いていた。単行本の話もあったが、アップル社社長が「あんな下手なヤツの本出してどうすんだ!」と担当編集者を一喝。後にも先にもマングースの漫画を期待の新人として杉作J太郎と並べて褒めたのは高取英。

※7:82年創刊のエロ漫画誌。83年5月号から大塚英志と小形克宏によって美少女系エロ漫画誌にリニューアル。みやすのんき、藤原カムイ、かがみ♪あきら、岡崎京子など同誌からデビューまたはブレイクした漫画家は多い。また中森明夫のコラム「『おたく』の研究」が物議をかもし、結果的に「オタク」という用語を世間に広める結果となった。竹熊健太郎は漫画、連載コラムで活躍。当時、永山とは渋谷で一瞬すれ違う。その頃の竹熊は痩せた青年で、モード系の黒コートにサングラスというファッションだった。

※8:イースト・プレス・2004年。

※9:1971年制作のドン・シーゲル監督と主演のイーストウッドの出世作。S&W・M29、44マグナムも人気を集めシリーズ化される。

※10:1986年創刊の『漫画ブリッコ』の後継誌。2000年に休刊。永山の全エロ漫画単行本レビューを掲載していた。

※11:少年誌から青年誌で活躍した漫画家。代表作は『うろつき童子』、『ラブルーカール』、『血の罠』など。バイオレンス、ホラーを得意とし、海外でも人気が高い。触手の「神」。

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2014年2月26日

特別連載 ダーティ・松本✕永山薫 エロ魂!と我が棲春の日々(2)

■第2回(初版では「第1部」文中のページ数は初版ノンブルに準拠)

 松本 早くも誤植があって「文芸社」になってますが「芸文社」(※1)です。まだあるのかな?

永山 あります。主にクルマ関係の雑誌出してますが、漫画はやってないんじゃないかな。で芸文社の日浅さんが登場。こんなヤクザみたいな人だったんですか?(P33)

▲こんな編集者がいたら……

松本 そうでもないですけど、あんまり好感持ってないんで(笑)。こういうキャラで。

永山 本名なんですか?

松本 そうです。後に『漫画ローレンス』(※2)の編集長になる。今は社長くらいになってんじゃないですか?

永山 だいぶ前に社長になってます。今はどうなんですかね? おっと、ここで福原秀美(※3)とすれ違う(p36)。で、今度は新星社(※4)に行くんですね(p40)

松本 『三流劇画の世界』(※5)の「某三流出版社訪問記」に登場する会社。米澤嘉博さん(※6)が書いた文章です。名前を出してないですけどね、新星社。後で、その時の様子を編集者に訊いたら「その通りだ」と(笑)。実際、書かれた通りの人がいたんだって。

 

▲福原秀美(原作:梶原一騎)『友情山脈』(少年画報社)」

竹熊 米澤さんが書いたんですか?

松本 後で本人に確かめたから大丈夫。

永山 米澤さん、一杯書いてるなあ。

松本 一杯書いてる。

永山 違う名前で、これだ相田洋。「あいだ」じゃなくって「そうだ」って読む。「そうだよう」というシャレですね。弟子が想田四(そうだよん)(※7)(笑)。

松本 新星社はこんなところです(p41)。なんかとんでもないとこ来たなあ。電気代節約してんのか? 実際、こんな感じでしたよ。

▲新星社のドア。

竹熊 青林堂(※8)だってねえ、こんなでしたよ。階段の暗いところのぼっていったら。

松本 早見純氏(※9)が持ち込みに行ったら、ドアの前で帰ってきたって(笑)。

永山 怖くて?

松本 入り辛くて、結局、郵送したって。材木屋の二階の青林堂。

永山 新星社に行って、出てきたのが中林さん。

松本 この人、未だに時々付き合ってる。凄味のある人で。ここで2本描いたのか? その頃は、にっかつロマンポルノ(※10)とか、ビニ本(※11)とかが流行ってた。

永山 流れから言うと新星社で中林さんと会って、ちょうどその頃、大久保清事件(※12)

松本 その頃、エロ漫画誌があったら、大久保清事件もエロ漫画のせいにされていたんじゃないかって振りですね(笑)。

竹熊 大久保清ってベレー帽かぶってましたよね。

永山 自称・画家。それで、P43の「日本共産党労組による『にっかつロマンポルノ』」は?

松本 「系」が抜けてます。「日本共産党系労組」。

永山 日本共産党自体には労組ないですから(笑)。代々木系労組。このあたりまではまだ実話誌ですね。

松本 そうです。第1章ではエロ漫画の入口まで。まだ実話誌の時代です。

 

■第2章脚註

※1:1945年創業の公友社を母体として、1954年芸文社として設立。50年代には実話誌、読み物誌を出していた。1960年には『漫画天国』創刊。60年代末〜70年代初期には『漫画パック』、『コミックVAN』、『事件劇画』、『漫画ガッツ』を次々と創刊したが、現在はカー雑誌が中心で、他に競馬雑誌、ペット雑誌、スキー雑誌などを刊行している。

※2:綜合図書(辰巳出版グループ)。2014年1月現在も刊行中の老舗エロ劇画誌。

※3:別名・福原豪見。豪快かつナンセンスなエロチック・ギャグを得意とする。代表作『秀美の青春学園ポルノ スキスキ天使』、『学園ポルノ伝』シリーズ、『アイドル製菓のオマンじゅう』。『友情山脈』(原作・梶原一騎)は2006年に復刻された。

※4:平和出版の別レーベル。平和出版本体は1960年創業。4コマ誌『まんが笑がっこう』(後に成年誌『SHOW GAKKO』へとリニューアル)、『COMICぎゅっと』など漫画誌を発行していたが、2005年倒産。

※5:正確には『別冊新評 三流劇画の世界〈全特集〉』(1979年、新評社)。三流劇画の基本資料。

※6:1953〜2006年。漫画コレクター、評論家、コミックマーケット代表(二代目)。編集者としても活躍。業績、著作は書ききれないので、本稿に関連する事柄だけを挙げるとすれば『劇画アリス』の編集にも携わり、さらにロリコン漫画ブームの影の仕掛け人でもある。著書では当然『戦後エロマンガ史』である。生前「80年代以降のエロマンガ史は永山薫に任せた」と言っていたが、執筆が進むにつれて「90年代以降は任せた」と微妙に変化したのが懐かしい。当初は拙著『エロマンガ・スタディーズ』と『戦後エロマンガ史』は同時期に発売されるはずだったのだが、米澤嘉博の急逝で果たせなかったことが未だに悔しい。ヘビースモーカーでイベント等で喫煙所に行くとよく会った。別名として相田洋以外に阿島俊、久保なかば、さわひろしなどがある。

※7:相田四と表記する場合もある。漫画研究家。『戦後エロマンガ史』の解説を担当している。それによる米澤嘉博は『三流劇画の世界』の企画と「メインライターとして大量の原稿を書いている」(同書p314)そうだ。想田四はたけくまメモにも登場している。「想田四氏からの返信(依頼編集制同人誌について)」(http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-41d0.html)

※8:1962年設立。1964年、長井勝一社長が白土三平の『カムイ伝』を掲載するために『ガロ』を創刊。手塚治虫が同誌に対抗し、自作『火の鳥』を掲載するために立ち上げたのが『COM』である。『ガロ』は漫画家、イラストレーター、ライター、編集者など数多くの才能を世に送り出し、その一部はエロ漫画界を活躍の場とした。1996年に長井が死去した後、社内での求心力が失われ、分裂し、『ガロ』休刊へと至る。その後、経営者が何度か代わり、『ガロ』復刊もあったものの、それは別物であり、同誌の衣鉢を継ぐのは、1997年に退社した手塚能理子らが設立した青林工藝舎の『アックス』と見るのが妥当だろう。米澤嘉博の『戦後エロマンガ史』は『アックス』に連載されていた。

※9:1978年第2回小学館新人コミック大賞佳作を高橋留美子とともに受賞。1983年エロ劇画デビュー。猟奇的な作風でエロ劇画ファンのみならずガロ系、サブカル好き読者の一部から熱烈に愛されている。代表作『美しき屈折』、『血まみれ天使』、『ラブレターフロム彼方』、『卑しく下品に』。

※10:1971年、経営立て直しを図る日活が『団地妻 昼下りの情事』、『色暦大奥秘話』でスタートさせた低予算ソフトコア・シリーズ。田中真理、宮下順子、原悦子、東てる美、可愛かずみ、美保純など人気女優を輩出。

※11:70年代中期にブームとなったビニール本の略称。ビニール袋入りの安価な写真集で、モデル単体のヌード写真集的なものから男女のからみのあるエロチックなソフトコマ、さらにはスカトロやSM写真集もあった。合法的ながら修正はギリギリであり、通常の商業誌では見せられないところまで踏み込んでいたため、人気が沸騰。中小零細出版社が次々と参戦。ビニ本出版社だったグリーン企画はのちにセルフ出版→白夜書房と大きく成長。

※12:1971年3月〜5月の間、大久保清は画家を装い、群馬県内で次々と女性をナンパ。そのうち8人を暴行、殺害し、山中に埋めた。戦後最大の連続強姦殺人事件である。

 

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2014年2月1日

特別連載 ダーティ・松本✕永山薫 エロ魂!と我らが棲春の日々(1)

■第1回

※(第一巻 オークラ出版版)初版では「序章」。文中のページ数は初版ノンブルに準拠)

松本 最初に載っけたのは実話雑誌でした。

竹熊 『土曜漫画』(※1) ?

松本 いや、『異色特集』(※2)とか。『異色特集』は実話雑誌(※3)で漫画雑誌じゃないんですよ。当時は実話雑誌しかなかった。エロ漫画誌はなかった。

竹熊 『漫画エロトピア』(※4)は出てましたか?

松本 出てたけど、そんなエロくなかった。せいぜいジャワーシーンとかね。平野仁さん(※5)の描くお尻の線がいい。

永山 『エロトピア』はずーっと長い間、編集者が「ウチはエロ漫画誌じゃないから」って言ってた。

竹熊 だって『エロトピア』でしょ。

永山 タイトルだけ(笑)。途中からですよエロくなるのは。

竹熊 そうだったんですか!

松本 周りがエロくなってね。それから。

竹熊 『女犯坊』(※6)とかね。

松本 あと、榊まさるさん(※7)とか、あのへんだ。。

▲ふくしま政美(原作:滝沢解)『女犯坊』(Kindle版:太田出版)

▲榊まさる『淑女の淫夢』(Kindle版:グループゼロ)

永山 80年代くらいまで「エロ漫画じゃない」意識が続いてましたね。

竹熊 ダーティ先生は『エロトピア』には?

松本 一度もない。お呼びがない(笑)。

竹熊 もっとマイナーな方向ですか?

松本 『エロジェニカ』(※8)とか。

▲『漫画エロジェニカ』

永山 その話はもうちょっと後の話なので。『土曜漫画』とかは?

松本 描きましたが、会社がどこにあるのかも知らない(笑)。土漫も後の話ですよ(笑)。

竹熊 ぼくね、20歳頃、アリス出版(※9)にアルバイトで入ってて、81年頃です。同じビルの中に土漫が入ってました。池袋。サンシャインに行く途中です。

永山 当時、土漫が自販機雑誌の元締めみたいでしたね。ぼくがライター始めたアップル社(※10)、まぎらわしい社名ですが(笑)。やはり池袋にあって、そこの社長も土漫出身だったと思う。経理のおばちゃんも元土漫。

松本 大西祥平さん(※11)の証言によると、土漫は1957年にできたそうです(p67)。最初はそんなエロじゃなかった。大西祥平説だとエロ漫画誌第1号は『エロトピア』でいいんじゃないかと(笑)。前身が『漫画ベストセラー』(※12)

▲大西祥平の解説(P64)

竹熊 大西さん詳しいもんね。

永山 いよいよ話が『エロ魂!』に入ってきたって感じなんですが。

松本 最初はいろんな出版社行くんだけど、当時はねまだ、中小出版社。双葉社、秋田書店、少年画報社が一番大手で、そこ行って、あと小さいところ。七つくらい廻ったら行くとこないという状況でした。

永山 このへんですね。

松本 色々直さないといけないな。『漫画アクション』(※13)はその後、巨乳漫画誌にリニューアルして、2003年に休刊したって書いたけど(p22)、最近また復活してるじゃないですか(笑)。

永山 注釈入れないと。

竹熊 『電脳マヴォ』の読者びっくりしますよ、ダーティ・松本の『エロ魂!』が始まったら。

松本 そうですか?

永山 では、ぼちぼち。本に沿った話を(笑)。今までの話がプロローグ編で、漫画なしでもいいかな。ここから、注釈的に進めていきたいと思います。

松本 まだエロ漫画がないんで、青年誌を色々廻るんだけど目が出ないってあたりから(笑)。

永山 で、秋田書店の『漫画ホット』(※14)に行ったと。

松本 で、編集長を叩き斬ったと(笑)。

永山 叩き斬ってないってホントは(笑)。

松本 そうやって、ある時、芳文社(※15)に行ったあと、吉岡って人が実話雑誌を紹介してやると。ここでは仮名です。この後、この人悪いことするんで(笑)。新星社、平和出版……、そこで実話雑誌の人と出会って、エロの道に入っていく。昔は実話雑誌に漫画が8ページくらいちょこっと入っていた。せいぜいそれくらいしかまだなかった。エロ漫画って昔からあるみたいだけど、意外と大したあれじゃない。40年くらいか。

永山 『漫画ホット』に持って行った頃って、持ち込み原稿描いてたんですか?

松本 そうですね。描いちゃ持っていく。7社くらい。一通りまわった。

永山 飯田橋とか水道橋とか、あのあたりですね。そこで、『漫画ホット』の編集長が「漫画原稿を見る作法」を知らなかったので叩き斬られる(笑)。

竹熊 あれ面白かった。

松本 こうやるヤツはダメだ。こう横に置いて、重ねていくと汚れない。そういう人がいたんですよ。『漫画ボン』(※16)の麻生さんが言ってた。なかなかね、これは作法だなと思って感心した。

永山 この作法は継承されているんですか?

▲漫画原稿を見る作法

松本 さあ。今はデジタルですから(笑)。

永山 それを言っちゃおしまいでしょ(笑)。で、ぶーたんが出てくる。

松本 そのへんはいいとして(笑)。小多魔若史とかも出しといて。全体の状況が書いてある(p21)。最初の「70年代初頭……」ってコマ。青年漫画誌出してたのは大手では小学館の『ビッグコミック』だけですね。ヤンマガとかモーニングとかはもっと後。

竹熊 双葉社、秋田書店、少年画報社は中堅。土漫に比べれば大手ですけどね(笑)。

永山 細かいところでは、蒸気機関車に「LIKE A LOLLING STONE」(p19)と描いてある。

松本 宮谷一彦さんの引用(笑)(※17)。誤植です。ここは『けんかえれじぃ』(※18)のパロディ。一応これはパクっときました(笑)。

永山 中島史雄先生が上京を決意する時ですね。中島先生が劇画描いてたこと自体知らない人の方が多くなってる。ド劇画の時代の絵を見せると「え、えええ!」となっちゃう。中島先生は時代に沿って絵柄を変えていきましたからね。で、22Pから先生の好きな爆発シーンの連続。トキワ荘とさいとうプロがぶっ飛んでいる(笑)。

P26-27。ダーティ・松本の射精で爆裂する東京。

松本 さりげに(笑)。

永山 ひどいですね。

松本 これくらいやんないと。歴史ですから。赤軍、京浜安保共闘の時代(※19)。

 

■脚註

※1 土曜通信社発行。1957年11月創刊。実話誌系漫画誌。山下紀一郎、石川進介などが描いていた。

※2:新星社(後に平和出版)発行の実話誌。

※3:あやしげな記事、ルポ、企画ネタ、告白、ヌードグラビアなど下世話なネタで勝負するマイナー雑誌群。エロ雑誌そのものではないが、エロネタも多かった。

※4:1973年創刊。創刊時はKKベストセラーズ、後に同社から分社したワニマガジン社が発行。70年代は上村一夫、ふくしま政美、かわぐちかいじが描いており、エロ漫画誌というよりはエロも強い青年誌という印象。エロ化が進むのは80年代の後半以降。表紙イラストが遊人になり、中島史雄、MEE、ねぐら☆なお、佐藤丸美、天竺浪人などが登場。2000年に休刊。

※5:代表作『青春の尻尾』、『サハラ女外人部隊』(いずれも小池一夫原作)、『ハードオン』(矢作俊彦原作)など。『エロトピア』では『猟奇夫人』(鈴木則文原作)など。

※6:ふくしま政美画、滝沢解原作の幕末を舞台に破戒僧が大暴れする快作にして怪作。『エロトピア』が完全エロ化する以前(70年代)のエロチック要素担当だった。

※7:ふくしま政美と並ぶ70年代『エロトピア』のエロチック担当。同誌では主に短編を発表。代表作『生殖の花』、『愛と夢』、『淑女の淫夢』(後の2冊はKindle化されている)。

※8:高取英が三代目編集長を務め、三流劇画ブームを起こした伝説的雑誌。ダーティ・松本はレギュラー執筆陣の一人だった。他に中島史雄、清水おさむ、村祖俊一、いしかわじゅんなど。同誌からはいがらしみきおと、後に作家に転身する山田双葉(山田詠美)がデビューしている。

※9:自販機雑誌出版社。亀和田武編集の『劇画アリス』は、『漫画エロジェニカ』、『漫画大快楽』とともに三流劇画三羽烏と呼ばれた。

※10:自販機雑誌出版社。編集長がカメラマン、ライターを兼任し、しかも数誌かけもちで編集という凄まじい体制だったので、安くて早くて、それなりに書けるライターが必要だった。永山はライターとしてあやしい無署名記事を書き、マングース名義で漫画を描いていた。経理のおばちゃんは「滝田ゆうも売れない頃は薄汚いかっこうしてたんだ。あんたもがんばりな」と励ましてくれた。

※11:漫画評論家、漫画原作者。三流劇画の復刻、解説でも活躍。主著『小池一夫伝説』、『警視正大門寺さくら子』(高橋のぼる作画)。

※12:1973年創刊。月2回刊で上村一夫『パノラマ島奇譚』(江戸川乱歩原作)、村野守美『ちんちろりん』などを掲載。

※13:双葉社より『週刊漫画アクション』として1967年に創刊。初の青年漫画誌。モンキー・パンチ『ルパン三世』、小島剛夕作画・小池一夫原作『子連れ狼』、はるき悦巳『じゃりん子チエ』、臼井儀人『クレヨンしんちゃん』など数々のヒット作を生むが売れ行き不振に陥る。エロで梃子入れを図るがそれも失敗し、2003年に休刊。2004に月2回刊誌『漫画アクション』として復刊。武富健治『鈴木先生』、はやせ淳『駅弁ひとり旅』、さそうあきら『コドモのコドモ』など注目作を掲載。

※14:1971年創刊の青年誌。米澤嘉博の『戦後エロマンガ史』によれば、「一・五流から二流の青年娯楽誌が数誌創刊されている」(p111)の中の一誌という位置づけになる。

※15:1946年創業の尚文館が1950年に株式会社化に伴い、現社名へ変更。1956年、日本初の青年漫画週刊誌『週刊漫画TIMES』を創刊(2014年1月現在も刊行中)。1981年日本初の4コマ漫画専門誌『まんがタイム』を創刊。植田まさし『おとぼけ課長』が有名。さらに2002年には萌え4コマ誌『まんがタイムきらら』を創刊。かきふらい『けいおん!』がアニメ化されヒット作品に。

※16:少年画報社が1970年に創刊。2014年現在も大都社から刊行中の長寿雑誌。

※17:宮谷一彦は永島慎二のアシスタントを経て、1967年『COM』月例新人賞を受賞し、デビュー。圧倒的な画力と、政治と性に踏み込む大胆な作風は当時の青年層から絶大な支持を受けた。代表作『性蝕記』、『性紀末伏魔考』、『肉弾時代』。『ライク・ア・ローリング・ストーン』は『COM』連載の私小説劇画で、当時としては前衛的だったが、現在に至るまで単行本化されていない。ちなみに本文で松本がス誤植を指摘しいてるのは、初出で「LOLLING」となっていた点。

※18:1966年公開の鈴木清順監督作品。主演・高橋英樹。

※19:ともに60年代末から70年にかけて武装闘争、爆弾闘争を敢行した新左翼グループ。後に合体し、連合赤軍を結成。山岳ベース事件、あさま山荘事件を起こした。

 

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2014年1月31日

特別連載 ダーティ・松本✕永山薫 エロ魂!と我らが棲春の日々(0)

 

▲ダーティ・松本の著作の一部が詰まった書棚。

70年代、一世を風靡した三流劇画。

70年代中期には瞬間最大風速ながら月産100誌に達する大ブームとなり、無数の傑作、秀作、佳作、駄作、凡作が生み、天才、異才、鬼才を世に送り出した。

『エロ魂! 私説エロマンガ・エロ劇画激闘史』はその中でも突出した人気を誇り、現在もなお現役として熱筆を振るうダーティ・松本の自伝的スーパーノンフィクションである。

とはいえ、70年代の話であり、若い読者には不詳のことも多いはず。そこで今回の連載に際し、読者の参考のため各章ごとにインタビューを行い、解説に代えることにした。もちろん誌面では描いていないことまで踏み込むつもりだ。

では、知られざる三流劇画の世界へ案内しよう。(取材・構成:永山薫)

▲ダーティ・松本の仕事場。

 

■ビフォア・デイズ

 

永山 最初に『エロ魂!』以前のですね、さいとうプロに入る前の話からお訊きしたいんですが。

松本 さいとうプロが何年かな? 69年? いたのは、せいぜい半年ですよね。本当は2〜3年修行でやろうと思って入ったんだけれども、クーデタ騒動が起きたんで選択を迫られて、今のやりかたを認めるなら残る。認めないなら辞める。認められないんで辞めさしてもらいました(笑)。

永山 それは待遇面の不満なんですか?

松本 入ってまだ数ヶ月だったのでそれほどでもなかったけど、先輩たちがね、溜まり溜まったものがあって、マグマのようにドロドロドロと。俺自身は溜まる前だったので、流れで……。

永山 まあ、半年ですから、試用期間というか、見習いみたいな感じですかね?

松本 そうそうそう、そんな感じ。先輩たちは相当溜まっていた(資料を見る)。さいとうプロ入ったのは70年ですね。赤軍ハイジャック(※1)の年ですね。6月7月頃入って12月には辞めてると。半年ですね。その間、三島由紀夫が自決してると。

永山 遠藤賢司の『カレーライス』(71)に歌われていましたね(※2)。「パッとお腹を切っちゃったんだって」って。ひどいヤツだな、エンケン(笑)。

松本 そんな曲ありました? 消されてない?

永山 消されてないと思いますよ。

松本 今度聴いてみようかな。それで、68年に上京してますね。学園闘争が始まった頃。さいとうプロ入るまで2年半。

永山 どういうきっかけで上京したんですか?

松本 親父がこちらで暮らしてまして、管理人みたいなことやってて。それまでは、熊本の叔母の元で暮らしてて、在学中は東京に転校するのもなんだし、どうせ進学する時は上京するんだろうから……てことで、叔母のところで18まで、高校卒業するまでいて。

永山 高校は熊本だったんですね? (※3)

松本 そうです。それで、卒業して、上京して、親父のところで暮らし始める。これが68年。ちょうど学園闘争が始まって、大学はストライキ。おっ、これはちょうどいいや、ストライキだし、漫画でも描こう。元々、上京の目標がそれだから(笑)。『COM』(※4)に投稿したのが68年頃。

▲『COM』1970年9月号。

永山 入選したんですか?

松本 佳作だったか?その下だったか忘れましたが、ワンカット、ちょこっと掲載された。それが初。その前にも描いてたけど未完成。それはみんなあるでしょ。途中まで描いて。

永山 漫画は子供の頃から描いてたんですか?

松本 ストーリーちゃんと作っては高校くらいからですね。戦争ものですね。『コンバット!』(※4)みたいな。『戦場に掛ける橋』(※5)みたいな。

永山 『レマゲン鉄橋』(※6)みたいな。

松本 そんな感じで。でも結局、途中まで描いて未完成。けっこう、みんな、そんなのあるでしょ(笑)。

永山 その頃、戦争物って映画でも面白かったですよね。

松本 その頃は、貸本漫画でも南波健二さんの『アタック・アクション』シリーズとか読んでたし(※7)。あと、望月(三起也)さんの『最前線』(※8)

永山 あれは凄かったですね。二世部隊の活躍を描く。

▲南波健二『アタック・アクションシリーズNo.5 限りなき前進』(復刻版:マンガショップ)

▲望月三起也『最前線』第1巻(電子書籍版:ebook)

松本 望月さんが俺の最初のヒーローだったのかな。日系ブラジルの少年が主人公の『ムサシ』。カービン銃使いの黒人殺し屋とか不死身の男などが出るガン・アクション。アクションの殺陣が世界一上手い!

永山 僕らも子供の頃は戦記漫画がけっこうありましたね。『ゼロ戦レッド』(※9)とか。マガジンとかサンデーでも、戦艦大和の図解とか。

松本 最初の口絵のところとか。あの頃、よく問題にならなかったなあ(笑)。

永山 全然問題にならなかったですね。日教組強かったと思うんだけど。今の方が難しいでしょ。戦記もの。

松本 まだ戦争を引きずっていたんでしょうね。俺が昭和24年生まれだから、戦争終わって4年ですからね。24年組ですよ(笑)。エロ漫画24年組。あがた有為さん(※10)とか、25年が中島史雄さん。

永山 昭和30〜40年代に子供だった世代はけっこう知らないうちに、太平洋戦争をすり込まれていますね。

松本 熊本ですからね。政治意識低いですよ。東京出てから「新聞の一面に出るようなことが、すぐ近くで行われている」。これ随分違いますよね。新宿行くとその日やってたことが新聞に載っている。それが69年ですね。68年もそれなりに盛り上がったけど一番盛り上がったのが69年。

永山 それで『COM』には何回投稿したんですか?

松本 一回だけ。その後、さいとうプロに入ったから。

永山 さいとうプロ入るにしても、実績とかコネクションとかないと?

松本 ちょうど募集していたんですよ。家を飛び出したんで、何かやって喰わないといけない。まず漫画雑誌を色々見て、募集しているところを幾つか見つけて、さいとうプロと横山まさみちさんのところに応募して、上手い具合に両方通っちゃって。活劇志向だったのでさいとうプロのほうを選択。

永山 最初は絵を持ってこいとか?

松本 書類選考があって、送ったんじゃないかな。なんか送って、さいとうプロは3人取ったんだけど、まず絵を見て、面接までちゃんとあった(笑)。

永山 面接は御大(さいとう・たかを)がやるんですか?

松本 3人。社長と御大ともう一人いたなあ。話して、一応通ったと。筆記試験もありましたね。誰でも百点取れるような常識問題。

永山 なんか、ちゃんとした会社みたいですね。

松本 ちゃんとした会社。組織としてはそうなんだけど、当時の給与体系は丁稚奉公。そこがみんな怒っているところ(笑)。都合がいい時は会社。都合が悪い時は「教えてやってんだ」とかね。それは通りません(笑)。

永山 まあ、ありがちな話ですね(笑)。

松本 彼ら(経営側)は丁稚奉公的な感じでやってきてるわけだから、会社になったからって意識まで急には変わらないだろうけどね。マンガ界のシステムが変わる過渡期だったかも?

永山 同期で3人入ったと?

松本 一人は、『エロ魂』の終わりの方に出てきます。幻聴が聞こえて、去って行く。一人は音楽好きのいい加減なヤツで、漫画は秋田書店かどっかに載った。俺が知ってる限りでは一回載って、「その後は不明。」に。あの頃は先輩に凄いのがいました。

永山 先輩というと?

松本 小山ゆうさん(※11)、叶精作さん(※12)、やまさき拓味さん(※13)たち。いまだにやってんだよ。まだやってんだよ先輩たち。

永山 やまさき拓味さんは、『優駿の門』が代表作ですね。

松本 その前は小池一夫原作で『鬼輪番』などやっていたけれど

あんまり当たらなかった。あの人はやる気のない人なんですよ(笑)。そんなんでどうやって続くんだろうと思ってたら、『週刊少年チャンピオン』で描く時の編集長がたまたま競馬好きで、本人も大のギャンブル好きで意気投合(笑)。これも運ですね。

永山 昨年の秋からリイド社の時代劇画誌『コミック乱ツインズ』で『竜蹄の門』の連載始めましたね。

松本 競馬物?

永山 幕末、明治初期の近代競馬の夜明けを描くという。横浜では初めて開催された競馬とか。

松本 さいとうプロに復帰したんだー。

永山 復帰したわけじゃないですけど、リイド社ですから、ある意味里帰りだなあと(笑)。

松本 甲良幹二郎さん(※14)。あの人も一度は飛び出したけど戻った。

永山 そうなんですか!

松本 石川フミヤスさん(※15)もいまではペンは持たずに 仕上げなどで手伝っていると亡くなったみやわき心太郎さんから伺った覚えが…。終身雇用ですよ、そういう意味じゃ。俺が入った時、半年くらい先輩の千葉くんというのがいて、いまだにいて、時々、さいとうプロ特集とかやると出てくる。銃器関係のスペシャリスト。趣味で作った自作のモデルガンが仕事部屋にズラ~~リ!!

永山 モデルガンは作品の中に使われる? 小道具係ですか?

松本 もちろん絵も描いてるんだけど。あれだNHKの『探検バクモン』の「ゴルゴ13の秘密基地に潜入せよ!」にも出てた。彼だけ小部屋みたいなのもらってて、そこにガンがダーッと並んでいた。

永山 ガンマニアとしては幸せな。

松本 独立したら大変だし、あそこでああやって一生やっていけるというのはあれはあれでひとつの生き方ですね。千葉君以外にも30年以上働いている人数名いるらしい

永山 定年までですか?

松本 定年? そんなこと言ったら石川さんなんて70越えてますよ。終身雇用じゃないですか? そういう意味では一流企業以上かも?

永山 『コミック乱ツインズ』で一回、『仕掛人藤枝梅安』を休んでリバイバル掲載したことがあって、さいとう先生病気か? と思ったことがありました。

松本 あれは武本サブロー(※16)さんじゃないかな?

永山 武本さんが体調崩されたのかもしれませんね。

松本 さいとうさん自体はあの頃ねえ、夕方6時頃来て、主人公の顔と擬音と構成をやるだけだった。あの頃、体力温存してたんじゃないですか? 他の人は、武本さんにせよ、石川さんにせよ朝早くから来て、バリバリ描いていた。

永山 本人は時代劇が好きだとか?

松本 黒澤明さんが好きですね。ただ娯楽作品じゃないとだめ。

永山 以前、先生からうかがったんですが……。

松本 うん? ゴルゴの最終回? 金庫に納めてあるという。

永山 何言ってんですか(笑)。そんなこと訊いてないですよ。それじゃなくって……でも、金庫に?

松本 先生と石川さんが最終回について話しているのが横にいたんで聞こえてきたんですが……企業秘密だろうからそのラストは拷問されても言えません! ただし、実際それは描かることはないだろうけれど。

永山 そうじゃなくて、さいとう先生がマーカーで擬音を入れるという話ですよ。ドキューンとか。あれが入ると全然違うという。

松本 全然違う。入れる場所がいいのかなあ。風景描いてあるところにサインペンかマーカーで入れる。それだけで迫力が出てくる。

永山 擬音のアタリとかあるんですか?

松本 アタリはない。そのまま。それがさすがですよ。もう完成している原稿にマジックで入れるんですから。

永山 失敗したことは?

松本 一度もない。

永山 うわーーーっ!

松本 一発勝負。あれはこだわりがあるみたいで。

永山 擬音とゴルゴの顔と。

松本 一度、具合が悪くなって、他の誰か、キャップが擬音入れたらだいぶ違いましたね。「あれっ!?」って(笑)。素人目にもわかる。

永山 主人公の顔はともかく脇役の顔は他の人が描きますよね。一時、叶精作さんがいた頃は、女が急に色っぽくなった。

松本 その前は石川さんが描いてたんだけれど、ちとオバさんっぽい{笑)。サブチーフの叶さんが女を描き始めるとさすがにいいですね。

永山 ゴルゴの女の趣味が急に良くなった(笑)。それまではさいとう・たかを風のもっさりした女。若いんだかなんだかわかんないような(笑)。急にプロポーションもいいし、顔も白人みたいな女が出てくるし。……サブチーフ?

松本 サブチーフ。チーフは石川フミヤスさんと、武本サブローさんと、甲良幹二郎さんの3人。

永山 チーフ格になるとさいとうさんそっくりの絵が描ける。

松本 その後独立した甲良さんはさいとうプロの絵を、さいとうプロに頼まなくても使える、ということで各社から重宝されたような……。石川さんと武本さんは遠い昔は一度独立したらしいけれど、やはりひとりでやるのは厳しいようでまた帰ってきて一緒にやることになったらしい。

永山 先生が入った頃、小池一夫さん(※17)は?

松本 もう辞めてましたが伝説だけ残ってましたよ。あの人と神江里見(※18)、『弐十手物語』の。この二人は伝説が一杯残ってましたね。あと、神田さんね。神田たけ志(※19)、松文館興した貴志元則(※20)、このへんは伝説が色々残ってました(笑)。

永山 貴志さんも色々、噂話は聴いてます(笑)。

松本 さいとうプロ時代は……入る前か? 賞に応募して、そうしたらさいとう・たかをに呼ばれて「お前の出したあれ、多分受かる。しかし、独立せず、自分の作品を発表せずにさいとうプロ内で仕事をしているキャップたちがいる手前、そういう人を置いておくわけにはいかない」それで辞めて、真崎守(※21)のところへ行ったという顛末がある。それであるとき某先輩から「ここ{さいとうプロ内}で作品描いて応募したらクビになるよ」と言われた。

(竹熊健太郎到着)

永山 真崎さんのところのアシスタント筋は、ふくしま政美(※22)もそうだし、宮西計三(※23)、中島史雄……(※24)

竹熊 小池桂一(※25)も一時いましたね。

永山 あの、アート的な漫画を描く人。

竹熊 史上最年少で手塚賞獲った。16歳。天才少年って言われた。2本描いて一度マンガ家やめて、ヒッピーになった(笑)。

永山 その後、初単行本『SPINOZA』(86)が作品社から出るんだけど、俺の初単行本『殺人者の科学』(福本義裕名義)を担当した編集者が作ったんですよ。

竹熊 今はエンターブレインの『コミックビーム』で『ウルトラヘヴン』を時々描いています。

永山 時々って(笑)。

竹熊 彼の単行本は4年に一冊だけ(笑)。小池桂一にも『電脳Mavo』で描いて欲しいんだけど、一度「描いてくれ」って言ったら断られちゃった。「無料で作品を出したら単行本が売れなくなるから」だって。

永山 売れなくなるって、そもそも描かないじゃないか(笑)。

竹熊 ただね、一時期、VILLAGE VANGUARDで、コーナーが出来てて、売れたんですよ。エンターブレインの営業が辞めてVILLAGE VANGUARDに入ったんですよ。そこで小池桂一をプッシュした。小池くんに電話したらね、「ぼくはヴィレヴァンで喰ってる」と(笑)。

永山 貴志さん伝説の話にもどしましょうか?

松本 タコ部屋じゃないんだけど、さいとうプロで一緒に寝泊まりしたヤツから聞いたんだけど、毎晩、新宿に夜遊びに。マメだったーって(笑)。

永山 貴志さんが昔、描いてた青年劇画。主人公がちゃらんぽらんで女大好きでってパターンが多かったような気がするんだけど。

竹熊 マメじゃなきゃダメですね(笑)。

永山 それを言い出したら痴漢漫画家の……。

松本 小多摩若史(※26)。あれは凄いですよお(笑)。痴漢して、風俗行って、素人ナンパやって、女房ともやって、なおかつオナニーをする。

永山 オナニーやってる時間がよくあったな(笑)。アシスタント行ってたけどクビになったという。『エロ魂!』にも出てくるエピソードがおかしい。

松本 柳沢きみお(※27)のアシスタントに行って、ファンに手をつけた。それでクビ。

永山 それで、まあ、色々と伝説がありますねというところで、さいとうプロに話を戻しましょう。結局、半年いたと。

松本 クーデタ騒動があって、2年いるつもりだったんだけどしようがない。

永山 さいとうプロ時代、先生は何をやってたんですか?

松本 最初、みんながやるようなことですよ。ベタ塗りから、トーン貼りから、背景。

永山 背景も描いてた。

松本 手許にはないけど。

永山 ゴルゴの最初の方ですよね?

松本 第5巻と6巻あたりでした。第32話「帰ってきた標的(ターゲット)」あたりから第37話「AT PIN HOLE」あたりまで。

▲『ゴルゴ13』第5巻。

竹熊 ゴルゴの1巻頃って、脚本担当が小池一夫先生ですね。ダーティ先生が入った頃には?

松本 辞めていました。ゴルゴ作ったのはあの人ですけどね。キャラも全部できてたし。

竹熊 ゴルゴ始まったのは『無用ノ介』(※28)の頃ですよね。圧倒的に『無用ノ介』の絵のクオリティが高かった。

松本 そうかなあ(笑)。

竹熊 どう見ても『無用ノ介』がメインで、ゴルゴはその他の人で作ってたような気がするの。途中でゴルゴがメインになったんじゃないかな。

松本 時代劇好きだから。ゴルゴの話しても本人はあまり喜ばない……と人から聞きましたが……?

永山 むしろ今『コミック乱』でやってる『鬼平犯科帳』とかの方が好きなんじゃないかなあ。

松本 『影狩り』(※29)やってたからなあ。

永山 『影狩り』は今、リメイク載っけてますからね。

竹熊 描き直してんの?

永山 いや、岡村賢二(※30)が描いてる。「新」がついた『新・影狩り』。『コミック乱』と『コミック乱ツインズ』ではさいとう作品のリバイバルとかリメイクとかやりますね。それで話を戻すと、結局、さいとうプロには半年いて辞めた。

松本 辞めて、アルバイト生活に入った。『エロ魂!』第1回「序章」につながるわけです。

 

■脚註

※1 1970年3月31日に起きた、赤軍派による「よど号ハイジャック事件」。犯人グループが「最後に確認しよう。われわれは明日のジョーである」と声明を発表したことでも知られる。ちなみにアニメ版『あしたのジョー』第1話は事件さなかの4月1日に放送された。また、犯人の一人だった若林盛亮は伝説的なロックバンド「裸のラリーズ」の結成メンバー。

※2 1960年代後半から活動を開始したフォークシンガー(シンガーソングライター)。『カレーライス』は72年にシングルカットされ、10万枚のヒットとなる。他に『満足できるかな』など。2006年のアルバム『にゃあ!』の題字は劇画家・平田弘史の筆。

※3 ダーティ・松本は熊本県熊本市出身。同市出身の漫画家には他としては有吉京子、大石浩二、尾田栄一郎、古閑裕一郎、小手川ゆあ、酒井美羽、清水玲子、たがわ靖之、宮本梢子、吉崎観音がいる。漫画研究者、評論家では米澤嘉博、藤本由香里が同市出身。

※4 1962年から日本でも放送されたアメリカのテレビシリーズ。全152話。ノルマンディ上陸作戦後のヨーロッパ大陸での、サンダース軍曹率いる分隊の戦いを描く。筆者もそうだが、当時の子供たちには大人気だった。

※5  1957年公開のイギリス・アメリカ合作映画。第二次大戦中の1943年、タイ・ビルマ(現・ミャンマー)付近のクウェー(クワイ)河を舞台に、泰緬鉄道の鉄橋建設に乗り出した旧日本軍と強制労働に駆り出されたイギリス軍捕虜の対立を描くデヴィッド・リーン監督の名作。劇中曲「クワイ河マーチ」が有名。原作のピエール・ブール自身、捕虜の一人だった(異説あり)。黄色人種をこき使っていた白人のブールが逆に有色人種にこき使われたという体験は後に『猿の惑星』投影されることになる。

※6 1969(日本では1970)年に公開されたアメリカ映画。第二次大戦末期、ライン川にかかるレマゲン鉄橋をめぐるドイツ軍と連合軍の戦いを描くジョン・ギラーミン監督作品。

※7 南波健二は貸本劇画の人気作家で、後に青年誌で活躍。アシスタントから、ながやす巧、前田俊夫がデビューしている。『アタック・アクション』シリーズは貸本劇画作品。ノルマンディ上陸作戦以降の米軍の戦闘を描くという、先述の『コンバット!』と似た設定の戦争劇画だった。

※8 『ワイルド7』で知られる望月三起也は、1962年デビュー。60年代中期に『秘密探偵JA』、『ケネディ騎士団』などガンアクション、戦記アクションで活躍。『最前線』は第二次大戦中に日系二世兵士で編成された「二世部隊」が、ヨーロッパ戦線で活躍する戦記物。二世部隊は第442連隊戦闘団、第100歩兵大隊などが実在し、勇猛果敢で知られた。

※9 貝塚ひろし作品。60年代には後にアニメ化された『0戦はやと』(辻なおき)、『紫電改のタカ』(ちばてつや)、『大空のちかい』(久里一平)など空戦漫画が人気を集めた。

※10 劇画家。1971年デビュー。代表作『姉のレオタード』(フランス書院文庫)、『官能中毒家』(ソフトマジック)。

※11 代表作は『がんばれ元気』、『あずみ』。1968年にさいとう・プロダクション入社。山本又一朗、やまさき拓美とともに独立後、1971年にスタジオシップに移籍。

※12 代表作『実験人形ダミー・オスカー』、『上ってなンボ!! 太一よ泣くな』(いずれも小池一夫原作)。さいとうプロ退職後、スタジオシップへ。小池一夫と組むことが多い。超絶技巧のPhotoshop使いとしても有名。

※13 代表作『優駿の門』シリーズ、『青春動物園ズゥ』(小池一夫原作)。

※14 代表作『流され者』(羽山信樹原作)。

※15 1956年、貸本劇画デビュー。さいとう・たかを、桜井昌一、辰巳ヨシヒロとともに『劇画工房』の結成メンバー。さいとうプロ設立の1960年からスタッフ。『ゴルゴ13』、『鬼平犯科帳』(池波正太郎原作)の構図・作画を担当。2014年1月現在、75歳の超ベテラン。ちなみに、さいとう・たかをは1歳年上。

※16 1941-2008年。すでにお亡くなりになっていた。代表作『荒鬼』(工藤かずや原作)、『暴れ同心始末帳』(北鏡太原作)、『女忍隠密剣』、『大江戸闇飛脚』。

※17 1968年、さいとうプロ採用。『ゴルゴ13』、『無用之介』などの原作を担当。1970年に独立。代表作は多すぎるので省略。1972年にスタジオシップを設立。小山ゆう、叶精作、神田たけ志、神江里見、伊賀和洋などが参加。1977年には劇画村塾を開講し、狩撫麻礼、菊地秀行、工藤かずや、さくまあきら、高橋留美子、たなか亜希夫、山本貴嗣、中村真理子、火浦功、剣名舞、大野安之、とがしやすたか、原哲夫、堀井雄二、山本直樹、梶研吾、西村しのぶ、田中圭一、山口貴由、板垣恵介、こいでたく、たかしげ宙、長谷川哲也など、多数の漫画家、原作者、作家、編集者を育成。2000年、大阪芸術大学教授に就任し、椎橋寛、森橋ビンゴ、険持ちよなどを育てる。その後も小池一夫塾、小池一夫キャラクター塾、キャラクターマンWEB講座などを開講し、山崎紗也夏、おおひなたごう、本田透、春原ロビンソンなどの才能を生み出した。

※18 スタジオシップ設立メンバー。代表作『弐十手物語』、『青春チンポジュウム』、『下苅り半次郎』(いずれも小池一夫原作)

※19 スタジオシップ設立メンバー。代表作『御用牙』(小池一夫原作)、『ショーイチ』(柳史一郎原作)。

※20 季志もとのりなどの別名義あり。代表作『恋獄漂流』(宮田雪原作)、『徳田虎雄物語 →トラオがゆく』。漫画家としては青年劇画で活躍。1992年に松文館を買収。2002年、『蜜室』がワイセツ容疑で摘発。漫画家ビューティ・ヘアらとともに逮捕。

※21 『COM』の読者コーナー「ぐらこん(グランドコンパニオン)」で峠あかねとして活動。漫画ファン、漫画家志望者のネットワークを築いたのち、虫プロダクションを退社。漫画家として独立後は『ジロがゆく』、『はみだし野郎の子守唄』などの代表作がある。劇場アニメでは、竹宮惠子原作の『夏への扉』では演出、ジョージ秋山原作の『浮浪雲』では監督、『はだしのゲン』第一部の監督を担当した。テレビアニメ『ジャングル大帝』の制作にも携わる。著作多数。アシスタントには本文以外にはしもとてつじ、本田義高、塚本俊昭がいた。

※22 『週刊少年マガジン』1976年第32号を立ち読みしていた竹熊健太郎は『聖マッスル』(宮崎惇原作)連載第1回を見て、あまりの衝撃にマガジンを取り落としたという。『女犯坊』(滝沢解、坂本六有原作)、『超劇画 聖徳太子』(滝沢解原作)が代表作。一時期「消えた漫画家」だったが、後年、再評価の機運が高まり、1998年に復活。竹熊の原作による『暴乳拳』などを執筆。

※23 三流劇画が生んだ最も芸術的な漫画家。『ピッピュ』、『笑みぬ花』、『薔薇の小部屋に百合の寝台』、『金色の花嫁』などがある。ハンス・ベルメールの影響を受けた緻密な画風は海外での評価も高い。onnaのバンド活動はYouTubeでも見ることができる。現在は漫画家を引退。

※24 三流劇画では女子高生物で脚光を浴び「レモンセックス派」と呼ばれる。徐々に画風をシフトし、ロリコン漫画を経て、青年誌へと活動の場を広げ、『週刊ヤングジャンプ』、『ビジネスジャンプ』でも活躍。代表作『ちょっと試して』、『制服の方舟』、『時には薔薇の似合う少女のように』、『ホゲホゲ日記』、『Refrain』など。ちなみに初期劇画作品集『檻姫人形』は永山の編集。

※25 1976年第12回手塚賞に入選。後に渡米。帰国後、漫画家として活躍。代表作に『SPINOZA』、『かたじけない』、『ウルトラヘヴン』がある。

※26 別名・青森みんと。「プロの痴漢」と称される異色漫画家。代表作漫画『制服うりうり娘』、写真集『ザ・盗写―スカートの中のエロスたち』、山本さむ『痴漢日記』(同一人物らしい)。

※27 初期代表作は『女だらけ』、『月とスッポン』、『翔んだカップル』、『すくらんぶるエッグ』などのラブコメ路線。人気復活となった『特命係長・只野仁』はエロ度重視。

※28 『週刊少年マガジン』で1967年から連載を開始した時代劇画。1969年にはテレビドラマ化された。俳優・伊吹吾郎の出世作。監修が内田吐夢監督、主題歌が美空ひばり。脚本にはさいとう・たかを、小池一夫も参加しており、この豪華な布陣を見れば、竹熊の「『無用ノ介』がメイン」説も頷ける。

※29 江戸時代、諸藩の取り潰しに暗躍する公儀隠密を狩る「影狩り三人衆」の活躍を描くアクション時代劇。リメイク版『新・影狩り』は『コミック乱ツインズ』で連載中。

※30 1984年デビュー。バイオレンス描写に定評がある。代表作『闘魔伝』、『シャングリラ-Shangri・La』(梶研吾原作)、『私本太平記』(吉川英治原作)。

 

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