たけくまメモMANIAX

カテゴリー「創作論」の記事

2008年9月29日

「僕もお金を燃やしてみました」(1)

080927_0056001_2 ダダカン「鬼放展」は先週の土曜日に東高円寺会場も終わりましたが、その晩になって、俺とは面識のないT・Mさんからメールが来まして、おそらく携帯カメラで撮影したのであろう左の写真が添付されていました。(正確には添付ファイルでなく、写真をアップしたURLが添えられていた) 本人の許可がありましたので、以下にメールを一部省略のうえ転載します。

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■T・Mさんからのメール

初めまして、自分は●●に住んでいる25の男でT・Mといいます。(中略)

所で、竹熊先生の敬愛されるダダカン氏の鬼放展も今日で終了ですね。自分は昨日行って参りました。途中で買った箆棒な人々をバラッと見つつ。

で、帰ってきてから自分も一万円札を燃やしてみました。竹熊先生の箆棒な人々やたけくまメモの中での「普通はできないことだ」というような記述が気になったからです。

結果としては、まあ火を点けたら普通に燃えました。
焦げ臭さを気にして外でやったせいか、すぐに火が消えてしまうのには難儀しましたが。
もしかすると燃えにくい紙なのか、とも思いましたが最後にはメラメラいってくれましたしおそらく、とくに燃えにくい紙でできている、ということもないのだと思います。
あと指が熱かったです。

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2008年8月11日

パンダとポニョ(3)

Ningyo ←鳥山石燕『画図百鬼夜行』より

(※前回から続く)
ところで、以前のエントリ(→★)でも書きましたが、ポニョは「さかなの子」と主題歌で歌われているにも関わらず、とても魚には見えないという問題があります。どちらかといえばそれは、江戸時代の画にある妖怪の人魚にしか見えないわけです。(左図)

1620200_2 ←人魚図 江戸時代の瓦版 笹間良彦『図説・日本未確認生物事典』より

しかし、主人公の宗介はポニョを見て開口一番「あ、金魚だ」と言いますし、お母さんのリサも、保育園の友達も「可愛い金魚」と言います。このことから、私たち観客は、これは人間のような目鼻がついており、髪まで生えていてどうも金魚には見えないけど、そこは「マンガのウソ」というやつで、こう見えても金魚なのだろう。金魚に違いない。と、うっかり考えてしまいます。

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2008年8月10日

パンダとポニョ(2)

(※前回からの続き)
なぜ宮崎駿に限って例外的な映画作り(極端な作家的独裁)が許されるのかといえば、もちろん大ヒットするからであって、それ以上でも以下でもありません。しかしなぜヒットするのか、その理由について、俺はこれまで納得のいく説明を読んだことがありません。絵が綺麗だとか、動きが素晴らしいとか、高いテーマ性があるからとか、音楽がいいとか、いくらでも説明はあるのだけれども、それだけが理由だとは、どうも思えないのです。

なぜなら宮崎アニメ以外にも、高いテーマ性をもっていたり、映像や音楽が素晴らしい作品はいくらでもあるからです。もちろん宮崎駿が天才であって、高い芸術性と娯楽性を併せ持った巨匠だということは分かっています。そんなこと、小学生でも知っている。しかし、具体的にどこがよくて、何がヒットの原因なのか説明しろと言われると、とたんによくわからなくなるのです。

宮崎アニメについては昔から言われていることがふたつあって、それは「プロット(物語の組み立て)が破綻している」ということと「プロットの破綻が気にならないほど映像が素晴らしい」ということです。ここでの「映像」には、キャラクターデザイン・背景美術・編集・そして「動き」が含まれます。

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2008年8月8日

パンダとポニョ(1)

本日はまず『カンフー・パンダ』について書きたいと思います。先日、俺はこの作品について「見る気が起きない」ということをうっかり書いてしまいましたが(→★)、その後いろいろな人から「結構面白いですよ」とのご指摘があり、思い切って見ることにしました。

結論から言えば、見てよかったです。映画として面白かったことはもちろんですけど、それ以上に、『ポニョ』という作品を考えるうえでも『カンフー・パンダ』は見ておいてよかったと思いました。どういうことかといいますと、あらゆる側面から考えて、『パンダ』と『ポニョ』は正反対の場所に位置する作品だと思うからであります。

かつてレオナルド・ディカプリオが記者会見の席上、自分が出演した映画の話そっちのけで『千と千尋の神隠し』を絶賛したことがあります(横にいたスピルバーグ監督まで『千尋』を絶賛)。このときのレオ様の言いぐさが

「まるで別の惑星で作られた映画を見ているかのようだ」

というものでした。(→★)。

レオ様は、ディズニーに象徴されるハリウッド製アニメーションと、宮崎アニメとでは、作り方も内容もまったく異なる方法論に基づいていることを賞賛しているのです。その「あまりにも独特な作風」が、他ならぬハリウッドの中心に位置する俳優や監督の心を動かしたのでしょう。向こうの人は、それが「オリジナルなものであるかどうか」が、なにかを評価するときの中心にありますからね。

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2008年3月14日

柴田錬三郎の芸術的「言い訳」

本日の夕方、ようやく原稿が終わりました。『サルまん』のほうは、おととい終わっていたんですけど、もうひとつ20枚ばかしの原稿が残ってしまったのです。ある単行本に掲載する文章なんですが、これから編集者の意見を聞いて修正作業に入る可能性もあります。

今回の『サルまん』は、俺の分担がいつもの倍くらいあったんですよ。今回は、ちょっとまた読者のみなさんのご意見を伺いたいと思ってますので、25日になったらここと公式ブログで発表したいと思います。いや、こちらが用意したブツ(複数)に対して、読者の人気投票をネットでやろうと思っているんですけどね。投票システムのCGIって結構あるでしょう。それ使ってブログでやろうかなと。それで今、フリーCGIでいいのがないか探しているところです。

それにしても今回ばかりは締め切りに苦しみました。いやまあ、いっつも苦しんでいるといえばそうなんですけど。締め切りに間に合いそうにないときには、原稿が書けない言い訳をこちらは考えるんですが、こういう言い訳はたぶん出版史の最初からあって、馬琴や北斎なんかもきっとやったんじゃないかと思われます。

Urotukiyatadscn0223 締め切りで行き詰まったときに、俺が必ず思い出すのが柴田錬三郎の『うろつき夜太(やた)』という小説です。これは小説=柴田錬三郎、挿絵=横尾忠則の名コンビで、「週刊プレイボーイ」の1973年から74年春にかけて連載された時代小説なんですけど。74年5月 (※コメント掲示板での石川誠一氏のご指摘によれば、74年6月にまず小説版が出て、75年に今回紹介した完全版が出たそうです) には集英社から横尾忠則の装丁で単行本(左写真)になりました。「週プレ」サイズの大判で全ページ4色の布装ハードカバーというものすごく贅沢な本で、横尾ブックデザインの最高傑作と言われております(俺が勝手に呼んでいる)。

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