たけくまメモMANIAX

2005年9月30日

伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド』を読む(2)

Amazon.co.jp:本: テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ

さて、伊藤剛の「つまらなくなった言説批判」であるが、伊藤がどこまで意識したかは知らないが、かなりの部分私(竹熊)にも当てはまる耳の痛い批判にもなっている。というのは、そもそも私が相原コージと『サルでも描けるまんが教室』(復刊計画が進行中。続報は後日!)を始めた最大の動機が、まさに「最近のマンガはつまらなくなった」という実感にもとづいているからなのだ。

そこでマンガの「様式」をパロディ化することで、この際一度、徹底的にマンガを解体してしまおう、というのが私と相原の共通認識であった。当時進行しつつあった商業主義的マンガ状況に対し、相当の悪意を持って始めた連載だったのである(しかもそれをスピリッツという「100万部の商業雑誌」で描いたところがミソ。よくあんな不届きな連載をさせてくれたものだと、編集部には感謝している)。ちょうど手塚治虫が死した8ヶ月後に『サルまん』の連載を開始したという事実も、偶然とはいえ、今となっては感慨深いものがある。

断っておくが、べつに私は「手塚が死んだ」から「マンガはつまらなくなった」と考えていたわけではない。ただ「ストーリーマンガ」が、総体として、80年代に入ったあたりから急激に「つまらなくなった」と感じていたことはまぎれもない事実である。具体的にはある時期から『少年ジャンプ』が読めなくなったことが大きい。

『ドラゴンボール』が天下一武闘会をはじめたあたりで、世間の人気とは裏腹に、私は作品に対する興味を失っていった。こういう試合試合で引っ張っていく作劇は、遠くは『アストロ球団』に始まり『リングにかけろ!』で完成したジャンプ・スタイルである。『アストロ』は今でも好きな作品だし、『リンかけ』まではまだシャレとして楽しめたのだが、アンケート主義とあいまって、あらゆる連載が毎回試合を行うことで「強いやつのインフレ現象」を示すに及んで、私ははっきりついて行けないものを感じた。それはもはや、少なくとも私の考えるストーリーとは呼べないからである。

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2005年9月29日

伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド』を読む(1)

Amazon.co.jp:本: テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ

 以下の文章は先頃刊行された伊藤剛の著作『テヅカ・イズ・デッド』を読んでの感想であります。とはいえ書き始めたらとまらなくなり、内容紹介を含めて相当な分量になってしまいました(しかも、まだ書き終わっていない)。マンガ論としては久しぶりに出た本格的な理論的著作であり、2年半に及ぶ本書の「産みの苦しみ」のプロセスを友人として端から見ていただけに、個人的にも感慨深いものがあるのは確かであります。

マンガ表現やマンガ史における新見解をいくつも含んだ野心作で、かなり専門的な内容(価格も専門書的)ですが、難解な用語をことさらに駆使しているわけではなく(むしろそれは最小限に抑えている感じ)、マンガ表現に関心のある人なら、一度は目を通して損はない出来だと断言できます。この感想はまだ執筆途中ですが、なかなか終わらないので「短期連載」にしました。本書における伊藤くんの論旨には私自身のマンガ観にも反省を迫る部分があり、したがって単なる紹介を超えた「俺語り」の部分が出てしまったことを、最初にお断りしておきます

書き下ろしのマンガ論としては、近年まれに見る快著が出た。伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド~ひらかれたマンガ表現論へ』(NTT出版、2400円)がそれだ。実は版元の好意で発売前に著作を入手していて、本来ならすぐにでも紹介記事をアップするつもりだったのだが、今日まで延び延びにしてしまった。それというのも、本書は「マンガの見方」に関する新見解や、先行世代の評論家(もちろんそこには竹熊も含まれる)への本質的な批判が含まれているので、とても高見に立って気楽に感想を書ける種類の本ではなかったからだ。

本書の第一の目的は、戦後の「マンガ史」や「マンガ語り」を無意識的に支配していた「起源=神様としての手塚治虫」という呪縛を、主にマンガ表現論の手法を駆使して解くことにある。同時にこれは「(手塚中心史観を離れた)ありのままのマンガ観」がどこまで語れるか? という本でもある。このありのままのマンガ観、本書のサブタイトルに倣えば「ひらかれたマンガ表現論」には、当然手塚マンガそのものも含まれる。その意味で、手塚マンガや手塚本人を貶めるものでは決してない。

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2005年9月27日

谷岡ヤスジ展にて

taniokayasujiten-P1000703 こないだの土曜日、漫画史研究会の面々で「谷岡ヤスジ展」に行ってきました。その入り口にあった記念撮影用鼻血ブーの前で。ちなみに夏目房之介ヴァージョンはこちら↓。
http://www.ringolab.com/note/natsume2/archives/003829.html

あと展覧会の告知ページはここ↓。
http://mitaka.jpn.org/calender/gallery/065.shtml#g1

↑10月23日までやっているようです。展示では、原画もさることながら谷岡さんのスケジュール表が圧巻でした。毎日締め切り状態が何年も続いている。俺なら逃げます。

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2005年9月26日

【人生相談】頭の切り替えができません

【悩み】私は「切り換え」というのがどうも苦手なんですね。なにかひとつのことを考え出したり、どこかにでかけたり、お酒をのみはじめたりすると、別のことを考えたり、人より先に帰ったり、飲むのを途中でやめたりするのが苦手なんです。なんかタイミングをつかめないっていうか、寂しい様なソンしたような気持ちになってしまうんです。 その点たけくまさんは「切り換え」がけっこうじょうずな気がするのです。できれば「切り換え」のコツとか、こころがけてることとかがあれば、お教え下さい。よろしくお願いします。 (ヤマダトモコ)

【回答】マンガ評論家で主婦のヤマダトモコさんから相談が寄せられました。お答えします。まずひとつ、重大な誤解があると思われるのは、俺(たけくま)は頭の切り替えがものすごくド下手だということです。

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2005年9月24日

【人生相談】回答します

【悩み】早速相談させていただきます。現在33歳で、これまで楽しいこともあれば苦労もありましたが、この歳になっても未だに打たれ弱く、何かと落ち込みがちになる私。竹熊さんの元気回復法は何でしょうか? ささいなヒントでもいいので、いただけると嬉しく思います。(坊や哲さん)

お答えします。俺もよく落ち込むのですが、その落ち込みの原因をよく考えてみると、まず99%は「他人の目を気にした結果」であることに気がつきます。「こんな恥ずかしいことをやってしまって、他人はどう思うだろう」と考えるとどんどん鬱になっていっていくわけです。

しかしここで立場を変えてみたらどうでしょう。たとえば、自分が他人の失敗を見たとき、心の中で「あはは」と笑うことがあっても、すぐに忘れてしまうでしょう。その「他人の失敗」が、自分の生活に直接影響を及ぼすものでない限り、しょせん「他人事」ですので、どうでもいいわけです。

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