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2007年9月16日

【blog考8】 リンクをめぐる論争(番外編)

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 今回は番外編で、前回の訂正と補足を行う。前回「リンクをめぐる論争(1)」をアップしたところ、いくつかの反響をいただいた。私が「あ、そうか」と思った意見のひとつが後藤寿庵氏のコメントで、

「インターネットの最初期はむしろ“リンクフリー”であるのがネットユーザーの常識だった。WWWというメディアの最大の特徴はリンクにあり、それを否定するのはWWWの否定に他ならなかった。竹熊が書いたような“リンクに許可を求める”という風習が出てきたのは、むしろインターネットが発展期に入ってから以降のこと」(要約竹熊)

というもの。同様の意見は、PC技術畑出身の氷川竜介氏からもいただいた。

 これは私の書き方がまずかったかもしれない。インターネットそのものは95年のウィンドウズ95発売以前からもちろん存在していた。我々が現在に続くインターネットと見なせるものが出現したのは、1991年にWWW(ワールド・ワイド・ウェブ)というハイパーテキストシステムが登場して以降のことである。

 WWWは「世界中を覆う蜘蛛の巣」という意味で、まさにリンクを相互に張ることでネット上に公開されるさまざまなテキスト(この場合はウェブサイト)を縦横無尽につなぎ合わせ、誰かのページから即座に別の人のページにリンクを介して飛んで、さまざまな意見や知識を共有するというものである。この思想はそのまま現在も生きている。2003年頃から普及しはじめたブログのサービスも、まさにこうした考えに基づいて設計され、提供されているといえる。詳しくはウィキペディアを参照していただきたい。と、このように素早くリンクを張れるのがWWWのいいところである。

http://ja.wikipedia.org/wiki/World_Wide_Web
↑WWWについて
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88&oldid=14718594
↑インターネットについて

 話を戻すが、歴史的に見るならインターネットの黎明期と呼べるのは95年以前であろう。したがって、前回私が書いた「インターネット初期」「最初期」「黎明期」などの言葉は、すべて「ブログ登場以前」に変更させていただきたい。私がインターネットを始めたのが97年からなので、ついうっかりその時期を「黎明期」などと書いてしまったのだ。ここでは便宜的に、ウィンドウズ95登場以前を「インターネット黎明期」、95年から03年のブログ登場以前までを「普及期」、03年から現在までを「ブログ以降」と呼ぶことにする。あくまで私の立場からのとりあえずの区分である。

 さて「黎明期」、すなわちウィンドウズ95登場以前にインターネットに触れることができたのは、専用線に接続できる立場の専門家や、一部のマニアに限られていた。いわば「玄人筋」がユーザーの大多数を占めていたのだから、WWWの思想や原理を理解したうえで、自由にリンクを張り合っていたのは当然のことである。

 インターネットに最初の大変動が訪れたのは、すでに書いたマイクロソフトによるウィンドウズ95の発売である。ここに至ってようやくインターネット接続に適したOSと高度なスペックを持つパソコンが一般に普及することになった(ここにネットスケープなどのWWWを読むためのブラウザソフトの普及も合わさった)。普通の学生やサラリーマンが日常的にネットと接し始めたのはこれ以降といって差し支えはないだろう。

 この時期を境に、「玄人の世界」であったインターネットが、素人ユーザーによって「占拠」される事態になった。言葉がまずければ「一般化して普及した」。そして同時に、それまでの主流だった「玄人の常識」が、圧倒的多数である「素人」に対して、だんだん通用しなくなってきたのではないか。さまざまな立場の人間が参入するようになって、それぞれの立場から、さまざまなアナロジーでインターネットが捉えられるようになった。そこから「混乱」が始まったのではないか、というのが私の書きたかったことである。

 そもそも私がインターネットを始めたのは1997年からであり、それまでは似て非なるパソコン通信のユーザーだった。前回の原稿で私が失敗したのは、97年から2000年代初頭のブログ登場以前までを漠然と「インターネット初期」「黎明期」と書いてしまったことだと思う。歴史的には、確かにここは「発展期」「普及期」と呼ぶべきである

 いわゆる「リンク論争」が顕在化したのは、この時期(普及期)のことだと私は認識している。「リンクは無断で張って当たり前」だった玄人の常識が、「ネットといえども人間関係なのだから、無断で張るのはまずい。礼儀はわきまえるべきだ」という素人(一般人)の常識と、激しくぶつかるようになったのではないか。それが90年代末頃のことだったのではないだろうか(前回リンクを張った著作権情報センターのリンクについての記述も、99年に書かれたもののようだ)。

 そして、ブログの出現と普及によってその状況に再び変化が訪れた、というのが私の主旨である。ブログというシステムは、あきらかにネット本来の「勝手にリンクを張り合う思想」が前提になって設計されている。トラックバックなどは、「こちらへのリンクをこちらの意志で向こうに張る」機能であり、リンクフリー的な思想に基づいている。それで、ブログが爆発的に普及したことで、「リンク論争」が陰を潜めたのではないかと私は考えているのだ。さらにはその背景として、自動的にリンクが生成されてしまう検索エンジンの爆発的普及や、2ちゃんねるなどで皆が匿名で自由にリンクを張る風習が後押ししているのではないかと思う。

 番外編はおしまい。次回は「リンク論争」の完結編になる予定である。

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| コメント(30)

“【blog考8】 リンクをめぐる論争(番外編)” への30件のフィードバック

  1. wax より:

    トラックバックに関しても
    なにかと論争があるようですね。
    興味深いです。
    ・トラックバックをめぐる4つの文化圏の文化衝突
    http://www.kotono8.com/2006/01/06trackback.html
    ・言及リンクのないTrackBackの何がいけないのか
    http://sho.tdiary.net/20050628.html
    ・言及なしトラックバックについてのまとめ
    http://www.kotono8.com/2005/07/09trackback-google.html

  2. たけくま より:

    ↑なるほど。これはなかなか面白い問題提起ですね。

  3. 佐助魂 より:

    ブログの大半は日記や身の回りで起きたことなど、非常に気軽な雰囲気のものだと思います。雑談的なものですね。であれば自然とコメントやトラックバックという発想が出てくるでしょう。つまり、初めに思想ありきではなく自然とそうなったというだけだと思います。
    少なくとも「WWWの思想や原理」なんてものを基に設計したとはとても思えませんが…。

  4. nonbug より:

    さらに黎明期の話でいくなら、ほとんど一般利用者がおらず大学とか研究者が接続していただけのときは、そもそもインターネット上の文章ってのは閲覧も編集も自由だった、っつー時代があったとききますね。
    これは今のwikiと似たような発想なわけで、なにやらインターネットが先祖がえりしているような感があります。

  5. もれじゃー より:

    はじめまして。私は1994年頃から、ニフティのTELNETでインターネットを使い始めました。
    そもそも、この「無断リンク」という考え自体が、とても日本的なものだと思います。海外でフレーム内への表示が問題になったことはあっても、リンクそのものについて何か論じられた例を見たことがありません。
    もちろん私が知らないだけかもしれませんが、無断リンク禁止なんて考え方は、いかにも日本の村社会的だと感じています。
    日本以外でもあるのかな?

  6. 永田電磁郎 より:

    私も97年からHPを始めました。
    最初は亭主のページに間借りする形でした。
    同人関係の話を読んでいると、画像に無断リンクされて相手側に自分の絵として扱われてた、というトラブルが結構見受けられますね。
    特に海外からの無断リンクは、相手側にも悪気はないケースがほとんどだとか。
    そういえば、亭主の作った曲も知らないうちに海外のページで使われてました。
    亭主の名前が作者としてクレジットされていましたが、こちらへの了承は得ていませんでした。
    無断リンクという発想は日本だけ、というのは何となく納得できます。

  7. あ~ より:

    以前HPを運営していたとき(やめちゃった)、すごく面白い四コマまんがのページを見つけたのでリンクを張ったところ、先方からメールで「外せ!」と強行に言われたことがあります。
    もともと数日限りのつもりでのリンクだったからそれでもよかったのですが、腑に落ちませんでしたね。

  8. 俺は教えて君主 より:

    >素人ユーザーによって「占拠」される事態になった。
    これについてはOS95-98の発売よりも
    定額制回線の普及のほうが要因として大きいのではないかと思います。

  9. nomad より:

    コンテンツのコピーとリンクをごっちゃにしてる人が多すぎる…
    裁判でも変な判決出たことがあったし。

  10. じた より:

    パソコン通信時代からの移り変わりを見ていますが、「常識」っていろいろ変わりましたよねー。
    「サーバーの負担を考え、年末年始の挨拶メールは出さない」とか、「相手の回線・環境を考え、サイトのTOPには大きな画像を置かない」とか。
    リンク先が大きな画像の時は、注意とファイルサイズを書いたりしたな。
    電話代がものすごいことになってたっけ。

  11. 益荒男 より:

    インターネットが爆発的に増えた年が97年だったと思います。
    テレホーダイが95年で、Win95 OSR2~win98が97年~98年ですから、この時期が爆発的に延びたと思います。MSも最初無視していたインターネットを取り込んだ最終形がwin98です(IE4)。
    民間開放後の玄人期は論文が主ですから、リンク自体に問題はなく著作権も関係ない世界でした。学者の世界では著作権を侵害=盗作論文ですからね。引用で終わりです。
    問題になったのはその次の層=マニアが入ってきたときにリンクの作法が決められたような気がします。2ちゃんねるの各板で独自のルールが出来ていく感じです(新参者は独ルールを読まないで教えて君になり古参は徹底的に排除する)。この時代がモザイク・ネットスケープ時代で、この後MSのIEの反撃が始まって行く。そしてより多くの素人(新マニア層)が入ってマニアが少数派に転落していったと思います。ベッコアメの宣伝が凄かったのとインプレスのインターネットマガジンだったかを読んでいたのを思い出します。
    それから初期の話は書籍(電子立国だったかな?)で読んだ気がします。
    ここまでが西暦2000年。
    あとはADSLと定額制。さらに進んでPCレス時代のブログになりました。
    ブログで言えばトラックバックありがとうございますの文章を入れる文化が現れやがて消えていきましたね。みんなmixiに行っちゃたから消えたのからなのか~と。

  12. nzg より:

    「常識」変わりますねぇ。
    最近とまどったのは、ほとんどの人のメールが携帯メールだということ。どうも来たメールにはすぐ返信するのが礼儀、常識と考えている人が多いようで、その輪の中に私のような自宅PCで夜中に返信する人間が加わると、日中のメールへの反応が遅い、と怒られ、夜中に返信メールすれば、着信が延々鳴ってうるさいから止めてくれ、と怒られ(すぐに返信できるようそう設定されているらしい)…。
    不本意ですが。最近は私も仕事以外のメールは携帯メールで受け取るようにしてます。
    あと「常識」かどうか知りませんが、「Sorry, This page is Japanese only」というのも流行ってましたが、あれこそは日本だけでしょう。

  13. つん より:

    無断リンクを巡る理解の対立って、インターネット利用をはじめた時期によって世代的に分かれたのではなくて、その人がNIFTY-Serveのようなパソコン通信文化との比較の上で、インターネットをどう解釈したかで分かれたんじゃないですかね。
    実際当時は具体的な比較対象ってそれしかなかったわけですし。
    インターネットの精神性とかWWWの機能性を巡る議論というのは当時からけっこう建て前論的で、私には、パソコン通信文化をインターネットに持ち込むのはどうなのか、っていう親パソ通文化派と脱パソ通文化派の争いを見ている気がしていました。
    だから、普及期を境に消えたのはインターネットの玄人ではなくって、パソコン通信の玄人だったんじゃないかと私には思えます。
    具体的というと「キャノンじゃなくてキヤノンだろ!」とか「HPってヒューレット・パッカードのことですか〜?」なんてことを言っていた人たち、かな。

  14. 鐵腕小鳥 より:

    そういえば「リンクフリー(link free)」という言葉は
    (今でいえばChina-Freeと同様に)否定的な意味であり
    リンク禁止という意味だ、という議論も(局所的でしょうが)あったりしたものです。

  15. blog50-1 より:

    子供たちさん「家」 観賞記

    メメント風で。
    電車の中で携帯が鳴った。着信に電話してみるとポリスだった。たらしまわしにされた後ある交番につながった。

  16. まみ より:

    エントリーとかけ離れたコメントになってすみません。
    ブログ以前、もユーザーの立場で見ると、「パソ通(ワープロ通信)」→「マイホームページ・ブーム」(リンク集を作ることがステイタス)→「掲示板オーナー」→「日記サイト」運営→「ブログ&SNS」という流れがあるように思えます。
    97年頃からパソ通からみんなが離れ始めた時、「ホームページ(サイトとは言いませんでした)を作りました♪」とメールが飛び交い、そこにはリンク集と掲示板が必ずあり、誰もがマイホームページを持とうとしたものです。
    一つのところから個々の掲示板を巡回してまわるようになり、大変さが増していき、個人の掲示板は廃れたところに登場したのがSNSだったように感じています。

  17. mya-i より:

    石川賢・ゲッターロボ・グレンラガンについてのたけくまさん考察みたいなのが読みたいです。

  18. Taro より:

    団体のサイトから団体のサイトへのリンクがあると、それらが繋がってるんじゃないかと誤解されてしまう問題もあったんじゃないかと思います。たとえばテロリストのサイトからたけくまメモにリンクが貼ってあっただけで、テロリストと竹熊さんが繋がってるんじゃないかと世間に誤解されたらたまったもんじゃありません。だから禁止せざるをえない。当時はそれくらい「リンク」ってものが何なのかが世間にちゃんと知られてなかったような気がします。

  19. 無断リンク禁止派と自由リンク派のメンタリティーのモデル分析とか

    割かしいろいろ見て回ったのですが、この二つの論は両方感情論ですな。
    かんじょう‐ろん〔カンジヤウ‐〕【感情論】
    理性によってではなく、感情によってなされる議論。「―に走る」
    [ 大辞泉 提供:JapanKnowledg…

  20. うほはほ より:

    バナーで常駐的にリンクが張られているのと、
    文章の中などで単発で紹介URLを示されているのとでは、
    リンクと言っても印象がずいぶん違いますよね。
    バナーは深い関係性を感じてしまいます。

  21. めたろう より:

    2000年を越えてからネットに触れはじめた若輩者としては、
    ただひたすらに口を開けたまま「へぇボタン」を連打するばかりであります。

  22. 渡辺裕 より:

     一般ユーザーの意識が仲間内の出し物レベルで止まってるから、フリーにして不特定多数に開陳することは逆に「恥」なんじゃないでしょうか? ”仲間内だから”他所では言わないようなことも明け透けに言うんだけど、それは仲間じゃない者に見られたり利用されると”困る情報”でもあるわけで。悩みや怒りなどのネガティブな個人情報であれば、尚のこと「言わないもの」でしょ。そういう情報や意見をまず晒して王様の耳はロバの耳的に自己満足して、その後リンク規制で世間に対して防壁を張る、と。そういう解釈の元に「リンク規制」が成り立っているように思います。
     wwwとかリンクフリーとか、そういう思想とは最初から対立するような精神構造なんですよ。日本の「一般の人の心理」ってのは。多分。

  23. 渡辺裕 より:

     ある特定の精神構造@ネット向き、を皆が共有しているんじゃなくて、一部の開明的な人以外の精神構造は至って保守的で閉鎖的。それでも「本人やその仲間内は困らないからいいじゃん別に」で完結してますから、そういう層からすればwwwやリンクフリー派の言動は「私たちの恥を撒き散らそうとする人々」でしかないわけで。
     んだから多分、「議論」なんてものは最初から成立しようが無いんですよね。「私たちは良識があるけどあなた方は恥知らず」みたいな論法で見下しに掛かってくる。で、双方イラッと来て感情的な対立になって、そこから膠着して動かないまま意見だけがダラダラ出て、どうにもならんから散会して何年後か何十年後にまた再戦、と。
     その繰り返しだと思います。

  24. 渡辺裕 より:

     単純に、関係者にチクられて怒られるの怖がってる(最悪、白眼視・退学・停学・解雇なんかも想定してる)からリンクに否定的って層も、あると思いますよ。学校裏サイトなんか、まさにそういう空気ですしね。

  25. guldeen より:

    >うほはほ さん
    こちらのサイトとリンク先との関係度の問題、ってのはあるかもしれませんね。
    また、リンク集として常設してあっても、そのリンク先が自分のところのシンパなのか、あるいはウォッチ対象(つまり批判的な相手)なのか、という違いもありますし。
    >渡辺裕 さん
    >そういう層からすればwwwやリンクフリー派の言動は「私たちの恥を撒き散らそうとする人々」でしかないわけで。
    たとえば「はてなダイアリー」では、数名の身内だけで、ダイアリー(ブログ)やその他スケジューラなどを共有できる「ダイアリーグループ」という機能があります。
    これは、はてなダイアリーにアカウント(有料無料問わず)を持っているユーザなら、誰でも無料で使えるのが特長です。
    この仕組みなら、部外者に見られるおそれも無く、特定ユーザの間だけで見られるブログや掲示板が使えますね。
    http://g.hatena.ne.jp/

  26. 渡辺裕 より:

    >>guldeen さん
    >たとえば「はてなダイアリー」
     すいません。面 倒 く さ い か ら 使 わ な い で す 。
     私の場合はモロにそうなんですけど、多分否定派の人ってのは肯定派に比べて怠惰な傾向が強いので、入手・開陳できる情報が自分らの身の回り話に限定されやすいんですよね。
     何かの話に興味を持って自分らで資料を調べる、なんて行為をしない系統の人だと思います。ググれ、ウィキれ、でも面倒くさがってやらない。その程度に怠惰が標準装備でしょうね。
     私ですか? 怠惰です。

  27. はてなのハイパーテキストほどくそったれなものはそうはないでしょうな

  28. ふうあむない。
    二重投稿トラップが発動しましたある。

  29. guldeen より:

    >すいません。面 倒 く さ い か ら 使 わ な い で す 。
    ありゃま。自分には『はてな』のスタイルが性が合ってるのか、割と使っておりますです。
    なんといっても、ブログ運営側の広告・アフィリエイト・RSS・ニュースリーダーなどが、『指定しない限りは勝手についてこない』というのが、精神衛生上かなりよろしいので。
    >はてなのハイパーテキストほどくそったれなものは
    あー、いわゆるというか、「はてなキーワード」ですな。
    自分としてはかなり『面白がって』楽しんだりする機能のひとつなんですけど(そもそも、はてなダイアリーの基本コンセプトは「キーワードでつながるダイアリー」)、たしかに中には、それを快く思わないユーザもいるでしょうしね。

  30. ラーオ より:

    ハイパーテキストって、ある時期のMac使いにとっては「夢の機能」だったのですが、それが厭われる日が来るなんて考えたこともなかった‥‥。
    このエントリー読んでいて思い出しましたが、WWWの最初期にはリンクを張っていなくても、URLの記述もイカン!みたいな空気がありましたな。 (確かniftyだったかな)
    「あなた、それは先方に了解を得てここに書いてるの?失礼かもよ」なんて、やんわりと注意されるのをよく見かけました。
    面白いところを教えてくれてるんだからいいのにって思ってましたね。

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