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2007年9月19日

【blog考9】 リンクをめぐる論争(2)

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「リンクをめぐる論争」ついて、先に私は、数年前までインターネットの世界では「無断リンク肯定派」と「無断リンク否定派」に別れて、激しく対立していたと書いた。前回・前々回のエントリはそれなりのアクセスを集めていたことから見ても、現在もこれは「本当は解決していない問題」としてくすぶっているのだと私には思われる。

 この論争が特に激しかったのは、90年代末から2003年頃までである。その後に普及したブログと、mixiに代表されるSNSサービスの登場、そしてgoogleなどのロボット型サーチエンジンの爆発的普及が、「リンク論争」を過去の問題として、事実上「うやむや化」しつつある。論争に決着がつかないままに、人々のリンクを張ることに対する抵抗感が、薄れて来ていると私は実感するのだ。

 なお、こうした「リンク論争」は、日本特有の議論だという意見がある。欧米圏ではリンクを無断で張るのが常識で、気にするのは日本人だけだというものだ。興味深い指摘だが、私は欧米のネット事情に詳しくないので、今は判断を保留しておく。

 再度まとめるなら、「無断リンク否定派」の言い分はこうなると思う。

「初期からインターネットに接している人は、他人が作ったホームページに無断でリンクを張ることを何とも思わないようだが、一般社会人には非常識なものに感じる。他人の部屋に入るときはまずノックして、住人の許可を得てから入るべきであるし、込んだレストランで相席するときだって先客に声をかけてお辞儀するのが礼儀だろう。リンクが張られると、リンクを介して無数の野次馬がそのページをのぞきに来ることになり、商用サイトならともかく、個人で運営する非営利のサイトにとっては、荒らされる原因になったり、回線負荷がかかってサーバーが落ちるなど、迷惑が生じる場合も多い。個人運営で、仲間うちに読ませて楽しんでいるサイトのほうが多いのだから、リンクを張る際には許可を得るべきである」

 しかし「無断リンク肯定派」は、こう言って譲らない。

「我々がインターネットと普通呼んでいるものは1991年に登場したWWW(ワールド・ワイド・ウェブ)というシステムのことである。これは世界中のあらゆるサイトをハイパーリンクで繋ぐ技術であり、アーキテクチャ(基本構造)からしてリンクする・されることが前提になっている。インターネット上にテキストや図像を公開することは、“どうぞ自由にリンクしてください”と宣言していることに他ならず、“リンクに許可を求める”行為は矛盾以外のなにものでもない。そもそもリンクされたくないものはインターネットに公開しなければいいのである。それなのにアップしておいて、リンク申請を他人に求めることは時間の浪費である。WWWのありかたから言っても、無断リンクを止めろという主張はナンセンスきわまりない」

 それぞれの主張としては、だいたい上記のようになる。読めばおわかりの通り、ふたつの立場はまったくかみ合っていない。これはおそらくどちらが悪いとか、間違っているということではない。インターネットをどういうイメージ(メタファー、アナロジー)で捉えているかの違いからくる、一種の思想的対立なのである。

 インターネットは、比較的近年になって出現した、新しいコミュニケーション・インフラ(メディア)である。普及があまりにも急激であったことから、インターネットを、さまざまなイメージやメタファーで捉える人が出現し、それぞれが別のイメージに基づいてインターネットを語り、異なる「常識」を主張しはじめた。さしずめ「リンク論争」は、そうしたネット内軋轢の典型的事例ではないだろうか。

 「無断リンク否定派」と「肯定派」は、それぞれどのようなイメージをインターネットやウェブサイトに対して抱いているのか。もちろん、これをいちがいには言うことはできない。私のような出版業界で生活する人間なら、インターネットを「新聞・雑誌・書籍」のアナロジーで捉えようとするだろうし、ラジオ・テレビ界の人間なら「放送」のアナロジーでイメージしようとすることだろう。人間は新しいものや現象を眼前にしたとき、とりあえず自分にとって既知のものの中から、もっとも近いものになぞらえてそれを理解しようとする。これはやむを得ないことである。

 しかし、専門家でもマスコミ関係者でもない普通の人は、インターネットをどう考えるのか。それは「電話」や「郵便」のイメージかもしれない。あるいは「駅の掲示板」であったり、喫茶店に置いてある「落書きノート」かもしれない。マスコミ人とは違い、普通の人はメディアからメッセージを受け取ることには慣れていても、自ら発信することには慣れていない。逆にプロの出版人や放送人は、送り手と受け手が同じ土俵に立って、受け手の反応がダイレクトに送り手に返ってくる事態には慣れていない(舞台芸人は別である)。

 インターネットは、ただ送り手がいて受け手がいるというものではない。誰もが送り手であり受け手である、完全対等のメディアだ。かつてホームページを作ることは多少の知識と技術が必要であったが、これがブログやSNS(mixiなど)の登場で、誰でもメディアを作って外部に表現を発信できるようになった。この結果インターネットにおいては、マスコミがかつて持っていた「情報発信の特権性」が崩れつつある。このことは、理屈ではわかっていても、実感として理解するのはなかなか難しい。これは一般人ばかりでなく、プロのマスコミ人にとっても同じである。

 インターネットは、皆がイメージするアナロジーのどれもが当てはまり、かつ、どれも当てはまらないという不思議なインフラであり、メディアである。インターネットの実像を正確にありのまま捉えることは、相当な専門家であっても困難であろう。PCやネットの専門家は、インターネットの歴史や仕組みを説明することができる。だが彼らは「コミュニケーション」の専門家ではない。

 コミュニケーションの専門家なるものが、もしいるとするならば、それは「人情の専門家」ということになるだろう。他人にこういう表現を投げかけたら、どういう反応(泣くのか怒るのか笑うのか)が来るのか、予測できるような人だ。熟達した舞台芸人や演出家、大衆作家の中にはこういう人がいる。ヒッチコックやスピルバーグ、スティーブン・キングなどのエンターティナーは、大衆の感情を操作する手段に長けているという意味で、私に言わせれば「人情の専門家」である。

 この「人情」ばかりは、時代や地域で多少の差はあれど、基本は万古不変なものであって、学校で教わるものでも、本で学ぶものでもない。すべて理屈ではなく、実地の経験で体得するしかないものだ。インターネットでサイトを運営するということは、他者との軋轢を身をもって経験するということである。発信者がマスコミ人だとしても、そこには読者から作者を守ってくれる編集者も出版社も最初からいない。自分の身は自分で守るしかないという意味で、プロであっても厳しい世界なのだと思う。

ネットの専門家的には、WWWは原理的にリンクフリーが当然だと理屈では思っていても、一方にはそう思わない人もいる。思わない人にとっては、理屈がどうあれ勝手にリンクされることが不愉快なのである。お互いまったく異なる土俵に立っているのだから、議論が噛み合うはずもなく、すぐに感情的な対立になることは、避けられない。 《つづく》

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| コメント(6)

“【blog考9】 リンクをめぐる論争(2)” への6件のフィードバック

  1. mmt より:

    >すぐに感情的な対立になることは、避けられない。
    まあ仰るとおりなんですが、技術的には無断リンク禁止はある程度対処可能なのにも関わらず、無断リンク禁止派はそのような対処をしないですよね。
    なぜでしょう?   

  2. 云々 より:

        オレは当初から郵便をたとえにつかってましたね。パソコンとむすびついたコンピューター通信網の個人における本質は「郵便機能の飛躍的拡充」であるなどと表現してた。出版とか新聞だと、表現者(筆者・記者・編集者)が独占的……というより、もはや寡占的超少数のごくごく一部だけにすぎないのが実情なので、ネットのたとえにはふさわしくないとおもったからです。ひとつのおおきな排他的特権寡占集団を形成してるといっていいんじゃないですかね。郵便はその点まったく事情がちがいますのでね。もうすこしふみこんでいうと、小冊子みたいなミニコミを個人がつくり、それを郵便でたくさん送付するという行為にたとえているわけです。
        なお現状でも、自分の表現をネットで自由に発信するために必要となる技術・知識・装置・費用などをかんがえあわせると、ネットよりも郵便のほうがシキイはひくく、間口もひろいといえる面があるんじゃないでしょうかね。また、出版や新聞という機能とはちがって、郵便では動画も音声もむかしからやりとりできます。

  3. いでぃお より:

    無断リンク禁止派の中にはこのような考えがあったのかも。。、
    リンクはそのサイトが役に立った証である
     →役に立ったのなら作成してくれた方に一言あるのは当然
      →だから無断リンクはいけない
    たとえるならプレゼントを受け取ってお礼も言わないのは失礼にも程がある、というような。
    逆の立場、リンク希望のメールを送る側が起こしたトラブルでこんなケースも。
    「俺がお前のサイトをリンクしてやったのに、
    お前が俺のサイトをリンクしないのは失礼じゃないか」

  4. 国の根幹、わかりやすうく書けばキンタマがいつも地続きに置いてある国と、なにやらかにやらのろいだのとらっぷだの霧の峡谷だのまあその他もろちんだのといった国々とでは
    それは流儀も異なりましょう。
    ではリンクを張らせていただきます!ありがとうございますたけくま先生。

  5. suwate_b より:

    無断リンク禁止ってのは、どういう風に言われだしたんだろうね

    「たけくまメモ」「【blog考9】 リンクをめぐる論争(2)」。等を読んで。よく

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