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2007年11月7日

【blog考】2-2「竹熊新聞」のこと(2)

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●「国松新聞」と「竹熊新聞」

『ハリスの旋風』の中に、石田国松が学校新聞を作るエピソードがある。新聞部員でガールフレンドのオチャラが、野球部や剣道部での国松の活躍を記事にするため、彼にインタビュー試みるのだが、国松は記事に不満を抱き、勝手に自分一人で編集執筆した「ハリス学園新聞」を作ってしまう。

Shinbun1 ←『ハリスの旋風』ちばてつや ゴマブックス版第2巻より

そもそも石田国松に新聞の公平性とか中立性という概念があろうはずもない。徹底的に自分を美化する一方、教師やライバルを茶化しまくった。当然学園中の大顰蹙を買うわけだが、なおも国松はめげずに「石田国松かべ新聞」を作って学校の廊下に張り出す。このときの内容は、自分と対立するボクシング部の主将をボロクソに批判したものである。今見ると素朴なパロディであるが、低学年の私は腹をかかえて笑った記憶がある。

Shiinbun2 ←『ハリスの旋風』ちばてつや ゴマブックス版第2巻より

『ハリスの旋風』はとても好きな作品だったが、国松が新聞を作るこのエピソードは特にお気に入りで、実際私はこれの影響で個人新聞まで作ってしまったわけである。普通、マンガの影響でマンガを描き始める子供は多いと思うが、マンガの影響で新聞を作ろうと思った子供はそれほど多くないのではないだろうか。もっとも作品は大人気連載だったので、私以外にもこれで新聞を作った同世代はいるのかもしれない。

「竹熊新聞」は、しかし三号ほど発行した時点で親の命令で休刊になってしまった。隣近所の噂をはじめ、裏のドブ川に水死体があがっただの、事実無根の出鱈目を書きまくったからである。自分は面白いと思っても、他人にはそうではないということを私はここで学んだわけであった。まあ、7つの子供のやったことなので大問題になったわけではないが、親としてはさぞや肩身が狭かったと思う。

筆禍はさておき、「竹熊新聞」は、自分にとってふたつの重要な意味があった。ひとつはもちろん「メディア制作初体験」ということであり、もうひとつは「パロディ初体験」ということだ。その後、大人になっても私は「パロディとしてのメディア制作」を仕事として手がけることになるのだが、その原点が『ハリスの旋風』にあるのは間違いがない。

●パロディの狭義と広義

石田国松は、「公器」である学校新聞を私物化したことが大問題になったわけだが、図版や四コママンガまでそえてきちんと新聞の体裁に編集しているところが、良質なパロディの面白さを与えている。

パロディには狭義と広義があって、普通にパロディというときは『ガンダム』や『ドラえもん』など、特定の作品のキャラクターや物語、セリフなどをもじって笑えるものとして書き換えること(狭義のパロディ)をいう。その際、元ネタが有名であればあるほど笑える読者の「射程」が大きくなる。すなわち多くの読者に面白がられる可能性が出てくるのだが、反面、パロディ元に怒られる可能性も出てくる。特にサザエさんとミッキーマウスは、著作権者からすぐに訴訟を起こされるので止めておけと出版界では昔から言い伝えられている。

しかしマンガを、マンガ形式でパロディにするとは必ずしも限らない。たとえば寺山修司が1963年に発表した『サザエさんの性生活』(「現代の青春論」、のち「家出のすすめ」と改題・角川文庫所収)というエッセイも、キャラクターの名前や設定をそのまま使いながら、原作を性的に「裏読みした」表現になっており、マンガと文章の違いはあっても、立派なパロディだと考えられる。これはサザエさんの名前は使っているものの、絵は一切使っておらず、寺山オリジナルの文章で「評論」として書かれているので、原作者は不快だったかもしれないが何のクレームも付かずに終わった。

ところがその後、パロディ・ライターのテディ片岡とマンガ家・木崎しょう平が「東京25時」1970年9・10合併号に『サザエさま』という四コマ作品を発表した。これもサザエとマスオの性生活をマンガにしたものである。マスオさんが一箱3千円(70年当時。今なら2万円程度)もするコンドームをボーナスで買ってきて、さっそくその夜夫婦で試し、「アーアさすがにぜいたくなお味!」とサザエさんがあえぐという、ギャグとしてはかなり「ぬるい」出来ではあるのだが、木崎の絵が長谷川町子本人が描いたとしか思えぬくらいにソックリで、これは今見ても笑える。しかしこちらは絵までパロッていたためか長谷川に訴えられ、雑誌は廃刊、最終的に編集長(詩人の奧成達)が和解金50万円(現在の3百万円弱)を支払うことで解決した。和解なので判例としては残っていないはずである。テディ片岡はこの事件をきっかけにパロディ仕事を止めたが、以降は片岡義男の名前で小説家としてブレイクしている。

●パロディとフォーマット

閑話休題。さて、特定の原作の要素を書き換えることで「笑い」に転じるものを狭義のパロディだとすれば、広義のパロディとは、作品ではなく「ジャンルのフォーマット」そのものを、換骨奪胎して笑いに転じる表現だと言うことができよう。

たとえば「朝日新聞」を「朝目新聞」「朝田新聞」などとタイトルをもじれば狭義の「朝日新聞のパロディ」になる。ところがそうではなく、新聞の形式=フォーマットをもじって架空の新聞を作るならこれは「新聞一般のパロディ」ということで、広義のパロディになるのである。こちらは、訴訟リスクがゼロに近いので安心だ。石田国松の作った「新聞」は、この広義のパロディである。

新聞には、誰もがこれは新聞だと認める「形式」がある。タイトル、見出し、リード、活字の組み方、写真や図版、社説やマンガ、広告などである。これらは日本で新聞が発行され始めた幕末以来、連綿と築き上げられた新聞固有のフォーマットである。同時に新聞は、社会にとって重要な出来事や、考え方などを報道する公器としての「権威」があるとされている。この権威は「公平中立」「客観的事実の報道」という新聞社の社是と、これを信ずる大衆の通念によって支えられている。

もちろん人間が作るものであるから、●●新聞は左よりだとか、▲▲新聞は特定の団体に甘い報道をするとかは読者もなんとなく知っていて、昔から偏向報道の疑念は持たれていた。

ことにインターネットの時代になって、無数の読者がマスメディア報道を「批評」することが日常風景となってきたことで、伝統によりかかったマスコミの「権威」はだいぶ怪しくなってきたとはいえる。そうはいっても、「権威」が未だに健在であることは、多くのネット議論で「ソースを示せ」というときの「ソース」が、第一に活字の新聞を指していることからもわかるだろう。

我々は、新聞に否応なく「権威的な力」を感じている。そしてその権威は、かなりの程度新聞のフォーマット=ビジュアルイメージにも依っているのだと私は思う。多くの人にとって、新聞のフォーマットを見ただけで直感的に権威的なものを感じるのだとしたら、同じフォーマットで、ほとんどありえないような、世にもくだらない記事が書かれてあったら、そこに生じる異化効果(笑い)は強烈なものになるであろう。明治時代の宮武外骨による『滑稽新聞』から始まって、歴史の上でパロディストと呼ばれた人々がまず「新聞のパロディ」から始めたことはおそらく理由なきことではないのだ(宮武外骨については、稿を改めて紹介する予定である)。

私はパロディという言葉こそ知らなかったが、石田国松の「新聞」でパロディを肌で実感し、それを真似することでメディア作りの第一歩を始めることになった。この時期の私にとって、メディアとはまずフォーマットであり、まずはフォーマットを決め、しかるのちに内容をどうするかと考えることが常であった。その内容とは、たいていはパロディだった。

新聞にせよ雑誌にせよ、あるいは「マンガ」にしても「マンガのフォーマット」に私は惹かれていた。たぶんこのフォーマットに対する「偏愛」が私という人間の表現の特徴になっているかもしれない。たとえば『サルまん』は、「マンガの描き方」というフォーマットを使った広義のパロディである。三つ子の魂百までとはよく言ったものだ。私は7歳時の「竹熊新聞」から、えんえん同じことを繰り返しているのだと思う。






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