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2008年5月18日

『マンガ編集者狂笑録』読了

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Mangahensyuusyakessyouroku←マンガ編集者狂笑録 (水声文庫)

長谷邦夫先生の『マンガ編集者狂笑録』、ようやく読了しました。大変面白い本です。『少年倶楽部』『漫画少年』の名編集者・加藤謙一氏から、浦沢直樹氏との名コンビで知られる長崎尚志氏まで、実在のマンガ編集者を主人公にした「小説集」なんですけど、編集者の視点からマンガ界について描かれた小説というのは珍しく、さすがは長谷先生というべきかもしれません。

「少年マガジン」の3代目編集長・内田勝氏と4代目編集長・宮原照夫氏には俺も会ったことがあるんですが、このお二人は盟友であったと同時に最大のライバル関係でもあり、そのお互いの内面にまで踏み込んだ描写には、「漫棚通信」さんも書かれていましたが「よく書いたな」と俺も思いました。

http://mandanatsusin.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_2297.html
↑漫棚通信ブログ版・マンガ編集者列伝より

ここで漫棚通信さんも触れてますが、もともと「編集者と作家は共犯関係」だと書いたのは俺です。

http://memo.takekuma.jp/blog/2005/03/post_2.html
↑「たけくまメモ・共犯者としての編集者」

http://memo.takekuma.jp/blog/2006/03/post_6ff0.html
↑「たけくまメモ・長崎尚志さんに会ってきた」

俺が長崎さんにインタビューしたときに「共犯関係ってのは言い得て妙だね」と褒められたんですが、このときのインタビューは長崎さんの章に材料として使われていて、本書のオビにも「共犯者」という言葉が使われております。

長谷先生のこの本は、実際に氏が会ってきた編集者たちの「マンガ(家)との共犯ぶり」がまさに描かれた本で、わが意を得たり、という感がありました。夏目房之介さんもかねがね書かれていましたが、日本のマンガは作品の内容にまで編集者が深く関わる例が多く、ほとんど「第二の作者」とまで呼べるケースもあり、マンガの歴史を考えるうえでも編集者の役割は見落とせないはずなのです。

ただこれまでそうした側面があまり声高に主張されてこなかったのは、「編集は黒子たるべし」という出版界特有の倫理があって、当事者がこれを語ることを潔しとしない風潮があるからです。なぜ、そうした風潮があるのかというと、編集者はまずサラリーマンであるからです。しかし、編集者としてベストな仕事をしようと思えば、当然、会社員としての本分を踏み外してでも作家の側に加担しなければならない局面があるわけでして、本書に登場する編集者は、ほぼ全員が心に辞表を準備しつつ作家と仕事をするタイプだったりします。

作家というのは敏感ですから、サラリーマン型の編集とはそれなりの仕事しかできませんが、「この人は、俺のために会社を辞めることも厭わない」と思えば、通常以上の仕事ができたりするものです。現実にそこまでの編集者は滅多にいませんし、だからこそこういう本が成立するわけなんですが(長崎尚志さんは、本当に会社を辞めてしまいました)。

俺は、創作の現場を知るにつけ、編集が前に出ないのはおかしいとかねがね考えていました。

この本に登場する編集者は、いずれおとらぬ名作に深く関わった名編集ばかりなんですけれども、逆に考えれば「失敗作」にも編集は関わっているわけでして、そうした「失敗」の責任も作者と同様に編集は負うべきだと思うからです。この本にはそうした失敗例は具体的には書かれていませんが、編集が表に名前を出すということは、当然そういうことなわけです。

たとえばこれが映画であれば、プロデューサーの名前は監督や主演俳優と同等の大きさでクレジットに出たりします。出版の編集者も本質はプロデューサーなわけですから、作品の責任を世間に対して明確に負うためにも編集は名前を出すべきではないか、と言ったら「その通りだ」と賛同してくださったのが長崎尚志さんでした。彼は『ゴルゴ13』の担当もしていたことがあったんですが、さいとう・たかを先生がまさにそういう持論を持っているという話でした。

確かに連載の『ゴルゴ13』を読むと、最後に必ずスタッフ名と担当編集の名前が入っています。長崎さんも、『プルートゥ』などではプロデューサーとして名前を出していますよね。その意味で本書が古き良き名編集者にはじまって、長崎さんの章で終わっているのは、マンガ界の変化と未来を示しているようで象徴的です。

俺は昔から「編集家」という肩書きを使っていますが、まさにこの「創造的プロデューサー」としての編集者になりたい、との思いからこう名乗っているわけです。これまでの俺の実態はフリーライターでして、いわゆる編集実務は若い頃の一時期を除いてやっておらず、ゆえになかなか理解されない肩書きなのですが。俺は「作家」にはなりきれなかった人間なので、せめて「編集家」になりたいと思ってこの言葉を考えたのです。

それでも俺は、この「たけくまメモ」がまさにそうなんですけども、ようやく「自分のメディア」と呼べるものを得ることができました。また大学で学生を教えるようになって、マンガ家志望の若い人と接するようになり、これからようやく「編集家」の仕事ができるのではないかと、期待にうちふるえているところです。

ところでこの『マンガ編集者狂笑録』ですが、小説とはいえ実名を出した実録物ですので、いくつかの間違いがあるように思えそこが気になりました。たとえば手塚先生が「少年マガジン」で『W3』の連載を降板した理由として同誌の『宇宙少年ソラン』が『W3』のネタをパクッたからだと書いてありましたが、パクられ元と手塚先生が考えたのは『W3』ではなく『ナンバー7』であったはずです。さすがに同じ雑誌の作品をパクったら真っ先に編集者が気づくはず。小説の趣旨とは関わりのない部分ですが、ちょっと気になりました。

閑話休題。俺はこの本を読んで、ぜひアニメプロデューサーの本も読んでみたいと思いました。たとえば宮崎駿監督と鈴木敏夫氏の関係とか、庵野秀明監督と大月俊倫氏の関係とかです。これこそ「作品のために作家とプロデューサーが結託した」共犯関係の最たるものだと思うんですよ。特に鈴木敏夫氏は、もともと雑誌編集者で、『風の谷のナウシカ』マンガ版の連載担当者だったわけですよね。その関係がそのまま横滑りしてアニメのプロデューサーになったわけで、珍しい例には違いないですが、「編集者はプロデューサーである」という趣旨からすれば、本書でも一章割いておかしくない人物だったと思います。まあそれは、いずれ別の人が書くことになるのでしょう。

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