たけくまメモMANIAX

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2009年11月23日

「表現」の値段

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昨日、西島大介氏の「ひらめき☆マンガ学校公開講義~消えたマンガ原稿67ページ」にゲストとして参加して参りました。会場のTOKYO CULTURE CULTUREという店には、俺は初めて行ったんですけど、お台場にあるオシャレなロフトプラスワンといった感じ。実際、ロフトの元スタッフが独立して経営しているお店だそうです。

第一部は西島さんとさやわかさんが主催している「ひらめき☆マンガ学校」の公開講義で、プロジェクターで生徒の課題作品を見せながら西島さんたちがツッコム、いや、指導していくといった感じで進行。生徒に出した課題も、たとえば「ワンピース」や「NARUTO」のコマ割りを使って自分の絵でまったく違う作品にしてみるなど、生徒の作品が画面に映るたびに場内爆笑に包まれ、「ライブ版・サルまん」といった趣の楽しい授業でした。

俺や伊藤剛氏・泉信行氏は第二部の「消えたマンガ原稿をめぐるパネルディスカッション」に参加。既に俺は楽屋で予告していたのですが、西島氏と大谷氏の『魔法なんて信じない。でも君は信じる』には、個人的に疑問があり、西島さんにはぜひ直接伺いたいことがあると伝えていました。

西島氏の『魔法なんて信じない…』は、版元の不注意で生原稿を紛失され、補償を巡る顛末を西島氏自身がドキュメント・マンガにしたものです。大谷能生氏の解説と併せて、「マンガ表現にとっての生原稿の意味」を問いかける非常におもしろい本だと思います。ただこれは、どこまで行ってもビジネスの問題だろうと俺は思うので、生臭い話をうまく回避して「表現」の問題に持って行ってしまう著者二人の方針には、正直肩すかしを食わされた感がありました。

歴史をさかのぼれば、マンガの生原稿に今のような金銭的価値が発生したのはおそらく1973年のオイルショック以降ですから、せいぜい過去37年くらいのことです。なぜオイルショックなのかと言うと、あのときに発生した紙不足騒動によってマンガ雑誌が大打撃を受け、マンガ雑誌の赤字をカバーするために大手版元がマンガ単行本(コミックス)に力を入れ始めたという経緯があるからです。驚くべきことに、それまでは大手出版社には雑誌連載マンガを単行本として出版するという意識がほとんどありませんでした。

このあたりの話は、中野晴行『マンガ産業論』『マンガ進化論』、拙著『マンガ原稿料はなぜ安いのか?』で触れていますのでお読みになってください。

では、オイルショック以前には、マンガ原稿に金銭的価値はあったかというと、ほとんど無かったのです。もちろん「版下」としての価値はありましたが、一度製版されて雑誌に載ってしまえばマンガ原稿は無用の長物で、せいぜい読者プレゼントに回されるか、年末に出版社の社長が自社のマンガ原稿を集めて焚き火をし、焼き芋を焼く程度の価値しかなかったのです(※註:出版社の社長が暮れにマンガ原稿を焼いていた話は、長谷邦夫先生からの証言をいただいてます)。

今では想像もできないと思いますが、40年以上前のマンガ原稿の価値とはそのくらいのものでした。オイルショック以降、各社が雑誌連載をそのまま単行本として自社から出版するようになるまでは、本当にこうだったわけです。

マンガ原稿を版元の不注意で紛失して、俗にいう「10倍返し」といわれるペナルティが発生したのも、70年代中盤以降ではないかと思われます。こうした歴史的経緯を一瞥するだけで、マンガ原稿の価値は状況に伴って短期間に変化したことは確かです。この見地から『魔法なんて信じない…』が書かれたなら、おそらく異なる内容の本になったことでしょう。

イベントで俺は、

「マンガ原稿に本当に価値はあるのか。あるとすれば、それはどのようなもので、どこまで金銭に換算することができるのか?」

という疑問を出したのですけれども、西島さんの答えは要領の得ないものでした。もちろん、俺は西島さんを責めるつもりなどありません。俺自身にも解答があるわけではないですから。おそらく現在の作家・編集者で、こうした疑問を持つ人はまず存在しないだろうと思います。

しかし、原稿が紛失され、はじめて補償を巡ってドタバタする騒ぎは、過去に幾度となく繰り返されて来ましたし、昨日の西島さんの反応を見ても、次に紛失されたら、また同じことを繰り返すのではないか……という危惧を抱いてしまいました。これは、もっとまじめに議論されるべき問題だと思います。

何度も書きますが、俺は原稿紛失に対する補償の問題は、表現の問題ではなくビジネスの問題だと思います。ビジネスであるからには、事前の契約をキチンとして、万一の場合の補償についてもあらかじめ取り決めておくべきだと思うのですが、これまでマンガ界では、いや、これは大きく出版界ではというべきだと思いますが、なぜか曖昧なままにやり過ごしてきました。もちろん曖昧なことのメリットも、あったとは思うんですが、そろそろいい加減、こういうことは改めるべきではないでしょうか。

と、西島さんを抜きにして持論を書くばかりでも仕方がありません。これについて、俺も明快な答えを持ち合わせているわけではありません。そもそも創作物という、値段のつけようがないものに値段をつけて商売をすること自体に、矛盾があるといえばあるわけで、これからも考え続けていきたいと思っています。




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| コメント(18)

“「表現」の値段” への18件のフィードバック

  1. 渡辺裕 より:

     まぁ…古漫画は基本焼きますわなぁ…(笑)。
     言っちゃ悪いけど、最近の漫画家さんのゲージュツ家的思い上がりってのがナンボのもんやら、こういう事例を前に今一度考え直した方がいいんですよ。
     今でこそ色んな方法論や発想が随分都会化して「そういうセンス」がある意味当たり前になっちゃってますけど、昔はそんなもんじゃないんだよ? っていうか。
     そんな感じですね。
     私など先般自家所有の古書を650冊ほど売ってきましたけど、その時の気持ちがどんなであるかってのを書いたら、多分昔を知る作家さんほど涙が出るですよ。
     モノは、大事にしなはれ。

  2. けおら より:

    いやいや、そこを「最近の漫画家さんのゲージュツ家的思い上がり」で片付けたら先は無かろうつー話ではあーりませんか。
    その辺の議論の提起として、雷句事件の歴史的な意味はでかいと思うのですが、今回のシンポでは話が出たんでしょうか?

  3. nonbug より:

    美術品だとするなら、どういうスキームで値段を決めるべきなのか? というところまで踏み込まなきゃいかんですよね。どんなアートだって、いくらすばらしくてもお金を払う人がいなければ値段は安いわけですし。
    別にヤフーオークションでもいいんだけど、それなら自分の原稿を定期的にヤフオクに出す、ということをしないとだめ。で、そんなことを売れてない作家がやってもたぶん大した値段はつかないというのも美術品の側面なわけで。

  4. ハニカム より:

    漫画雑誌=テレビの番組
    単行本=DVD化された番組
    生原稿=ライブラリ室につんである生テープ
    なのか
    漫画雑誌=画廊の広告誌
    単行本=画集
    生現行=オリジナルの絵画
    なのか
    漫画はどっちに近いんでしょう?

  5. 渡辺裕 より:

     いわゆるヤフオクで評価額決定方式を採用すると、プロ野球のドラフトに自由化路線を持ち込んで契約金を異様に高騰させて結果選手がそんなに働かなかったらどうするの?路線になるから。横浜の那須野さんなんか事前に5億も取っといてプロでどんだけやったよ?って話になるじゃん。会社は、そういうの嫌うですよ。普通に。
     そもそもから言うたら、焼き芋の焚き付けにしてもおかしくないような「ゴミ」に何十万部何百万部刷るってバクチ行為を付加して数千万数億円の儲けに変えたりメディアミックス戦略とか言って更にひと桁もふた桁も儲けの幅を変えるのは、出版社であり編集者なんだからさ。
     漫画家・原作者・ライターってのは、そのための金の卵(を産む鶏)に過ぎないところがあんのよ。んで、産んでる間はナンボでもチヤホヤするけど、産まなくなったらどんだけ著名でもポイ捨てなんだから。そうして「時代」の波に飲まれて消えてった有名人や元有名人なんか、ナンボでも居るでしょが。
     そうやって、良くも悪くも「食い物にする」のが商売だって思ってる連中が多いし、それもまた現実なんだからさ。それが嫌?なら同人でも何でも自力でやれって言っただろ。雷句事件みたいに無理やり価値付けて「どうだどうだ?」って捻じ込んでも、要らねって言われたらそれまでなんだよ。んで。じゃあいいよで捨てたら、それを拾いに来るんだ。
     だから、泥棒乞食の性根ですねって言ってんだ。
     商売なんつうのは本質的にそういうものなんだから、そうと割り切った上でどう処すかってのを考えるか、自力で考えるのが面倒くさければよく考えてる人に委ねるか(←それも危険だけど)、兎に角そうやって自分の身は自分で立てる風習を身に付けんと駄目なんよ。
     まぁ、芳香性としては『ゴルゴ13』(さいとうたかをプロ)が最強なんだけどね。そういうのを、自分らで、今の時代に適合するよう模索しなはれ? って感じ。
     過日のエントリーを読む限りではたけくまさんはあんまり評価してないみたいだけど、芳香性としては雷句さんより佐藤秀峰さんの方が吉ですねって、私言ったでしょ。たけくまさんのやろうとしてることと佐藤さんがやってることは、芳香性としては非常に近いんだけどね。
     ああいう質に伸びるような努力をせん限り、それをまた評価する職場やユーザーに恵まれん限り、いわゆる「搾取被搾取」の構図は変わらんのよ。変わらん中でどーにかしよう的に考えても、西島さん路線にしか成らんよ。アレで精一杯の努力だねって思われて、それで仕舞いよ。
     お前らまた何遍でも同じことやるだろ? って、たけくまさんにまで言われてんじゃん。その質じゃあ、駄目なんよ。明日が見えないんだ。
     じゃなかったら、まぁいっそのこと私みたいにネタ泥棒されても文句以上のことは何にも言わないでただひたすら自分流を貫いて、結果的に「鼻づら引っ張り回す」とか、ね。一切カネには成らんから万人にはお勧め出来ないんだけど、そういうのもアリっちゃアリ。
     先ずは、自分の道を極めなはれ。話はそれからですわ。「だからそのための議論で…」ってのは、意味無いんだよ。やってる傍からパクられて、人の肥やしになるだけさね。基礎研究班超頑張る!くらいに割り切らんと。
     …まぁ…それじゃあ遺憾のですけどね。ふふ。

  6. 6CA7 より:

    これは小山春夫さんに聞いた話ですが、少年画報社の<ぼうや>だった小山さんは、暮れに原稿を燃やすように言われて、「もったいないから好きな作家のものを何点か持って帰ろうか」と悩んだんだけど、「会社のものに手をつけるのはまずい」と思い直して、全部火にくべてしまったそうです。
    別冊付録用の原稿をまるまるなくされた堀江卓さんが、一晩で全部描き直した、という話も当の堀江さんから聞きました。そのとき缶詰になった旅館に手伝いに来たのは、桑田次郎さんや一峯大二さんたちだったそうです。
    宝塚造形の西上ハルオ先生は、不二書房でアルバイトをしていたときに、やはり社長に言われて原稿を燃やしたそうです。「たぶん、モリミノルなんかもあったと思うんや」と言っておられました。不二書房が廃業するときだったと思います。
    大阪の出版社は、原稿にお茶をこぼしても手で払って終わり、ですからね(『劇画漂流』参照)。
    「消えた原稿」というテーマで、どなたかがまとめてくださると面白いと思うのですが・・・・・・。

  7. Fire_Fry より:

    >ナマ原稿で焼き芋
    めちゃ贅沢な焼き芋ですね。
    教科書に載ってた成金がお札を燃やす漫画みたい…。
    ただ実質、美術的な価値って相対的なものというか
    誰かが「発見」して値札や解説付けて初めて価値が
    生じるため「在る」だけでは生じなさそうな気もします。
    その誰かがブルーノ・タウトやブラックモンだったり
    まんだらけだったりするだけで…。
    だから発見されない限りは、どんなお宝でもゴミ扱いい
    なってしまうのでしょうか。
    あと語弊のある表現かもしれないけど「誰でも漫画を
    を描ける・何でも漫画と見立てられる」ような漫画の
    持つ表現の幅もややこしくしている部分があるのかも。
    原稿や権利問題の扱いに関しては
    ・海苔と米で描かれた生原稿の扱い…とか。
    ・コラージュやパロディで全く新たな価値が生じれば
     それはもう別の作品の原稿なのか…とか(マッド天野
     のパロディ事件や、清水義範の文体模写作品みたいな)。
    ・連歌や朝目新聞みたいに不特定の人がネットでコラボ
     することで初めて作品となった場合の生原稿…とか(
     ノマネコ騒動に近い?)。
    少し考えただけでもややこしい話になりそうです。

  8. Fire_Fry より:

    >ビジネス
    お金目的じゃないし恨みない。でも文句は言いたい。
    目的が再発防止にあるかと言えば、具体的な改善策を
    示すわけではない。
    たしかにこれではタココラ問答(「噛み付きたいのか、
    噛み付きたくないのか、どっちなんだコラ」)のようで
    一見では不可解に思えます。
    でも殺人事件とかの裁判でも思いますが、けっきょく
    誠意とかは形に出来ないので現実的にはお金で解決する
    しかないけど、それだと自分の大切なもの(子供の命や
    作品)がただの金銭に換算されてしまうので嫌だ…という
    気持ちの問題もある気はします。
    簡単に「割り切っちゃえよ」で済む話でもないというか。
    この部分がたけくま氏が書かれている矛盾なのでしょうか。
    >曖昧なまま
    すがやみつる先生が以前書かれていたように、もし厳密に
    「自筆原稿=美術価値のある財産」となったら課税対象に
    なるとか面倒な部分もありそうですが、「なあなあ」で
    あることで、そういった色々な手間は避けて製作に集中
    できるようになっていた部分はあるのかもしれませんね。
    あと創作に携わる者は、銭や浮世の事に細かく拘るな…
    みたいなロマンチックな気風とか。

  9. えfg より:

    >先ずは、自分の道を極めなはれ。話はそれからですわ
    いやまったくあなたそのひとにあてはまる名言ですなあ。

  10. より:

    >気持ちの問題
    そこが話をややこしくしている面も有るでしょうね。
    私などは、そんなに思い入れがあるなら誰にも見せずに仕舞って置けばいいのにと考える方ですが。
    >矛盾
    こちらはどちらかというと、あまり評価が定まらない――日用品のようにだれが見てもこれくらいの値段、という基準が無い――という意味かと。

  11. 通公認 より:

    > 私などは、そんなに思い入れがあるなら誰にも見せずに仕舞って置けばいいのにと考える方ですが。
    「貸すのはかまわないが、無くされるのは困る」ってのは極普通の感覚だと思いますが。

  12. 渡辺裕 より:

     値段を付けて引き渡した以上「貸したもの」ではない。買ったものだ。だから買ったものを煮ようが焼こうが私の勝手、って言われても。まぁ仕方ないっちゃ仕方ないんですけどね。
     昔は(多分今でも)そういう感覚の方が主流だから、預かりものだと思ってわざわざ大事にするってのは、そっちの方が奇特と言えば奇特ですわな。
     お古の譲渡みたいな感覚があって育っている分には預かり物感覚は比較的作動しやすいですけど、お古なんか着たこと無い人や「おさがり」の意味が感覚的に理解できない人は、別に「そんなに思い入れがあるなら誰にも見せずに仕舞って置けばいいのにと考える」←コレで不思議じゃない。そんだけでしょ。
     著作物は「売り物」なのか「貸し物・預け物」なのか。バイアウトだけじゃなくリース・レンタルも併存する昨今では随分境界線も曖昧ですけど、一部突出するバイアウト路線以外は皆駄目路線にもなってるんですから、一辺倒に偏らず色んな在り方を模索するのも悪く無いんですけどね。
     バイアウト路線の究極は「タダ」ですから。それやられちゃったらちょっとでも製造原価が掛かる商材は絶対勝てん訳ですから。「貸す・預ける」の芳香性も、考えた方が宜しいかもね。
     そもそも言うたらたけくまさん等がやってらっさる学問なんてのは、公教育でなければ「貸し物・預け物」の類でしょ。だから礼儀作法だ何だに拘りが入るんですから。
     借りたものは大事に使って返す時に劣化させるなって、まぁ普通は教わると思うんですけど。そういう部分と「買った以上は俺のもの」の境界線をどこで引くかが問題なんでしょ。どっちか一方が総意になることそれ自体が、遺憾のですよ。
     私はどっち感覚も併存派ですから、極限まで所有権に近い預かり権を持ってる感覚で買いますよ。今だと亡父のお古を着てますしね。体格が近いから、丁度合うんですよ。

  13. . より:

    芳香性w

  14.   より:

    ミッキーマウス保護法の影響もあるでしょうね
    まあ時代が変わったの一言ですむわな
    >産まなくなったらどんだけ著名でもポイ捨てなんだから。
    例:吾妻ひでお
    反例:冨樫義博、萩原一至

  15. より:

    >「貸すのはかまわないが、無くされるのは困る」
    それはそうだと思います。
    私が言いたかったポイントはそこではなく、
    「『自分の大切なものがただの金銭に換算されてしまうので嫌だ』というくらい激しく執着するのならば、そもそも貸さなければいいのに」
    言い換えるならば、
    「そんなにまでも執着するなら、そもそも作品を表に出さないままにすればいいのに(もちろん、編集者に見せたりもせずに)」
    というのが私の感覚だということです。
    もちろん、少なくとも一つは作品を表に出さないと、プロの漫画家としては食べていけないことでしょう。逆に言えば作品を表に出すのならば
    「『金銭に換算される』こと自体は、割り切っちゃえよ」
    ということにもつながります。
    もちろん、皆が皆割り切れるとは思いません。

  16. 長谷邦夫 より:

    話しの流れから、ズレますが、今思い出したことを
    ちょっと、書いておきます。
    フジオプロ(横山孝雄マネジメント)は、
    『ひみつのアッコちゃん』の雑誌原画を
    コマごとにカットして、それを
    ファンレターを寄越した子供たちに
    お礼として郵送していました。
    単行本も出たんで、もうある意味不要と
    考えたんでしょう。
    赤塚もやめろとは言いませんでしたね。
    ですから、それを現在でもお持ちの
    女性は、わずかですが存在しているはずです。
    フジオプロで、原画が大切だ !
    と、気がついたのは、曙出版から
    『おそ松くん全集』を刊行し始めたころですね。
    かなり、紛失散逸していたんで
    リイドコミックの長田さんというかたから
    サンデーをお借りして、コピーしたんです。
    ★このとき、少年サンデー編集部にさえ
    雑誌がすべて揃っていなかった!!!
    創刊にあたって、小学館に入社要請された
    スポーツ記者の長田さんは、記念に全冊を
    保存されていたんでした。エライ!!
    彼はゴルゴ問題(リイドを出すときの)で
    小学館から移籍して編集長を務めた方です。

  17. hima より:

    >それまでは大手出版社には雑誌連載マンガを単行本として出版するという意識がほとんどありませんでした。
    昔は、雑誌だけで十分儲かっていたのかな?

  18. くるくる より:

    時代の変遷で大きく価値が変わったので昔と比べても仕方ないと思います。
    原稿紛失と一括りにしてますが
    西島氏の場合は金に変わる前(出版前)に失くされたので大きな機会損失として損害賠償請求は当然
    雷句氏の場合は人間関係のこじれこそが原因で
    漫画家の権利云々は大義名分として使われただけのような気がします。
    雷句氏担当には以下の一言を
    女衒は女の管理に気を配るのも仕事だろ
    訴えられるようなヘタ打ってんじゃない!!

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