たけくまメモMANIAX

« | トップページ | »

2009年11月27日

「新宝島」問題続報。夏目さんと吉住さんからの返信

このエントリーをはてなブックマークに追加
Share on Facebook

先に俺は「夏目ブログ『手塚先生、締め切り過ぎてます!』へのトラックバック」というエントリを書き、そこで夏目さんが疑問を呈されたことへの私見を述べました。

http://memo.takekuma.jp/blog/2009/11/post-df83.html
↑夏目ブログ「手塚先生、締め切り過ぎてます!」へのトラックバック

上のエントリ内で、俺がかつて司会をした座談会での手塚プロ元アシスタント・吉住純(現在の筆名)氏の発言を引用し、1984年に講談社全集版の『新宝島』を刊行する際、手塚の指示で吉住氏らアシスタントが旧版の『新寶島』を全ページトレースし、それに手塚がペンを入れて描き直した事実を紹介しました。

これに対して夏目さんから次のような返答がありました。

《 ※竹熊さんが「たけくまメモ」で、このエントリについて書かれています。
http://memo.takekuma.jp/blog/

僕も、おそらくここで書かれた「単行本からのトレース」は事実あったろうと思います。
問題は、そのあとでいかにして現在の全集版に変化したかです。手塚本人が、アシスタントたちとは別に行った可能性もあるかな、と。だとしても、そのことははっきり知られたほうがいいでしょう。いまだに安易な報道やTVなどでは、初出の形であるかのようにして全集版の図版が流れ、海外の紹介などでも同様の間違いが起こるので。》

http://blogs.itmedia.co.jp/natsume/2009/11/post-dc99.html
↑夏目房之介の『で?』

ここでの夏目さんの疑問は、もっともだと思います。俺は、先のエントリで以下のような「推理」をしましたが、あくまで推理であって、手塚が全集版「新宝島」を全面的に描き直した真相は、結局わからないままです。

《 それでは、なぜ完成した「全集版・新宝島」は、コマ構成から絵柄まで「別物」といっていいほど違ってしまったかということですが、ここは想像になりますけど、オリジナルをトレースした下書きを見ているうちに手塚先生の気が変わって、そこからどんどんコマを増やして別作品に描き変えてしまったのではないでしょうか。

俺が上のエントリをアップした後、ブログを読んだ吉住純氏から連絡が来ました。本人の許可を頂いたので、一部を引用します。

《 そうですね。竹熊さんの推測の通りだと思います。
僕等のトレース下書きをベースにしてたのは間違いありません。
しかしまんま描き上げたページもありましたし、既存の作品を単行本化する際にいつも切ったり張ったり何らか描き直したりしてる先生でしたからその調子で「新宝島」もバッサリ手を加えてました。
印象的だったのは当時の自分の絵を必至で思い出そうとしてたのでしょうね。なかなかいつも以上に原稿が出てこなくてずいぶん苦悩されてたカンジでした。
で、出てきた原稿には綺麗にトレース線をなぞってあってしかも背景まで先生がびっしり描いていてビックリしたのを思い出します 。
先生の意気込みを感じましたね! 》

結局、この吉住さんの返答も、夏目さんは納得できないかもしれません。夏目さんが言いたいことは、旧版『新寶島』と比べると全集版『新宝島』はまったくの「別物」と言っていいほど違っており、普通に考えるなら、オリジナルのトレースをもとに描き直した程度の変化ではないと思えるからです。だからこれほどの「変化」は、アシスタントのトレース作業とは別に、手塚が新たに描き直したと考えないと説明できないと夏目さんは書かれるわけです。これについては作者が鬼籍に入っている以上、さらなる関係者の証言を集めて、描き直しの経緯を「推理」する以外に方法はないだろうと思います。

夏目さんの疑問は、研究者としてはもっともなものだし、全集版『新宝島』が注釈抜きの「オリジナル」として、海外の文献にまで引用されている現状は問題だろうと俺も思います。では俺が、なぜこのエントリを立てたのかと言いますと、夏目さんの立場と、福元一義氏・吉住純氏ら手塚関係者との「何をもってオリジナルと見なすのか」ということに対する温度差・見解の違いに興味があるからです。

つまり、夏目さんは「1947年版は手塚の出世作となった歴史的価値があるものだから、これをオリジナルと考えるべき」という立場から発言されています。ところがスタッフとして実際に全集版に関わった福元・吉住両氏は、「いずれにせよ手塚先生が描かれたものには違いないのだから、全集版こそがオリジナル」だとする立場から発言されているのです。

おそらく今の手塚プロダクションに公式見解を尋ねたとしても、「全集版をオリジナル」とする見解になるのではないかと思います。なにより作者である手塚本人が「定本」として完成させたものですから、作者サイドの関係者としてはそう答える以外にはないでしょう。

この問題は、「作者の意志」を中心に考えるか、「作品が成立・受容された時代」を中心に考えるかで、まったく見解が異なってくるわけです。俺としては、今後、研究書や歴史書で紹介する場合は旧育英出版版を底本とし、クレジットでもそう明記するしかないかと考えます。

手塚に関しては、代表作の『ジャングル大帝』ひとつとっても絵やストーリーが違う「同じ作者による異本」が何バージョンもあるなど、研究者泣かせの作家として有名ですが、これを機会に「作者サイドの公式見解と、歴史的評価でのオリジナルは異なる」ということを、広く啓蒙していくべきだと思いますね。特に『新寶島(新宝島)』のような歴史的重要作については、後世に伝える際の義務として、そうするべきでしょう。

考えてみれば、奈良の大仏も、建立当時のオリジナルは台座の一部しか残っていないそうです。我々が知っている大仏は、大部分が後世に作り直されたものですよね。顔はオリジナルとはかなり異なっているらしい。『新宝島』問題は、それに類して考えるべき問題かもしれません。少なくとも夏目さんが指摘されている「描き直しの真相」の疑問については、可能な限り、他の関係者の証言を取材して考えるべきでしょう。実は、今度個人的に手塚全集に関わった元講談社の編集者にお会いするので、お聞きしてみたいと思います。



たけくまメモMANIAX

| コメント(46)

“「新宝島」問題続報。夏目さんと吉住さんからの返信” への46件のフィードバック

  1. DV より:

    だからあoriginalではなくてauthenticかどうかの問題なんだってばたけくまさん。

  2. ハニー より:

    >「作者サイドの公式見解と、歴史的評価でのオリジナルは異なる」ということを、広く啓蒙していくべきだと思いますね。
     これ、文学では常識だと思いますよ。井伏鱒二の「山椒魚」なんて典型だし。
     作者が同じ作品を何度も書き直していて、井伏の最終版は今教科書に載っている文章とはそうとう違います。そして作品としての評価(そして歴史的評価?)は、最終版よりも途中の版の方が高いので、現在の教科書にある形が取られているのだと思います。
     どれをその作品の基本的な形とするか、という判断は作家の意志によらない、その合意はすでに社会的にできている、というのは、“教科書に載っている”「山椒魚」が井伏の最終版ではない、ということが端的に示しています。
     マンガ界が特殊というか、手塚崇拝・手塚の神格化が激しすぎるあまりに起こっていることなのではないでしょうか。

  3. ななしですみません より:

    この話を読んで、テセウスの船っていうパラドックスを思い出しました。ある物体の全ての構成要素が置き換えられたとき、基本的に同じであると言えるのか、という問題です。

  4. たけくま より:

    >DVさん
    おっしゃられる意図がいまひとつわかりませんので、できたら日本語で、俺にもわかるようにもう一度お願いします。

  5. のら より:

    言葉的には、
    オリジナル=初出に近い。
    オーセンテック=本物という感じ。
    どちらもオーセンテックではある。
    んで、オリジナルかどうかということであれば、当然最初の版だけになる。
    さて、通常のコミックは、加筆修正されたものが、販売されるのだから、これはオリジナルではないという意見がDVさんの意見か?
    意味ないね。ということで、DV氏の意見はスルーでいいでそ。

  6. のら より:

    日本語で言うと、
    だから、全集版は、公式本=authentic。
    それで、じゃあ通常出回っている本としては、なにか?
    いわゆる、日本語の「定本」。
    これが何かというのがだから問題というのが、たけくまさんの意識でしょ。
    初版(original)という言葉遣いに、クレームつけているのが、DVさん。
    問題は、だから「定本」。
    どの版について会話しているかわかっていれば問題は生じないと思うのですがねー。

  7. G より:

    「魔太郎がくる」は、時代の変化に伴い残酷描写をソフトな描写に書き直した。
    しかし初出版こそ傑作であり、後年描き改めたものは公式なものとは認めたくない。
    あっ こりゃ手塚センセの漫画じゃなかったわ・・・

  8. DV より:

    それ以前に「元」がないのがoriginal。
    玉石混交のなかから「正統」とされていったのがauthentic。
    ちなみに全集版のはofficialが一番しっくりきますです。

  9. たけくま より:

    >DVさん
    「元がない」のoriginalとはどういう意味でしょうか。
    よろしければ、ご説明いただけませんか。

  10. DV より:

    とある映画で、ある有名作曲家の奥さんが自分の亭主の作った曲の楽譜を無断で持ち出す話がありました。それに目を通した別の作曲家が「奥さん、しばらくこれ置いてってくれないかなあ」と頼むと奥さんが「それoriginalだから勘弁してください」と答えていました。(英語)「うちのひと、写しはとらないんです」
    どうでしょう感じはわかると思うんですが。
    あとauthenticですが、例えばベートーベンの「合唱」はauthenticとされる曲解釈があります(想像ですが)。指揮者や演奏家によって演奏解釈はまちまちだけど、ベートーベンの狙いはだいたいこんな風だったんじゃないかなーと定説はあって、それを意識して歌って弾くわけです。「正統」っていうのかな。(正当ではなく正統)
    中野晴行氏が以前テレビで『新宝島』(戦後まもなくのほう)にもいろいろ違いがあると力説されていました。絵師によって線が微妙に違うわけです。例えばピートくんの指につめがあるのとないのがあるとかなんとか。
    今年出た版はどの『新宝島』準拠なのか知りませんが、手塚プロはきっと中野さんのような権威者も招いて、ベートーベンが生きていたらこれを一番と考えるんじゃないかなーなものを選んだ(作った)はずです。「正統」すなわちauthenticですね。
    全集版は全面改稿だから藤子先生が感激したアレではないわけですが、手塚本人が「これでいいのだ」と断言した版だからofficial。
    こんな感じです。

  11. q より:

    素直に、
    「シンタカラジマ」の話をする時には、
    「初本」(初出版本:酒井七馬が絡んでる方)
    「定本」(全集版:手塚が書き直した方)
    などと、はっきり区別して語ればいいだけの事じゃないですか。
    変に横文字表記で表現しようとしても、
    本来の日本語の意味とのズレはどこまでも付いて来るしね。

  12. bbb より:

    DVさんのイイタイコトはなんとなく判りますが、誰にでも伝わる文章ではないかと…
    英単語の意味で伝えようとするのではなくて、日本語の単語・文章で噛み砕いて云わないとたけくまさんや他の人に伝わらないと思いますよ。
    モヤモヤ感がなんだか残ります。ハイ。

  13. DV より:

    >「初本」(初出版本:酒井七馬が絡んでる方)
    「初本」っていうけどどれを初本にするんですか。絵師によって絵が違うのに。最初に刊行されたのが「初本」?おおざっぱですね。

  14. のら より:

    >DV
    だからいい加減にしろって。
    初版でないオリジナルってじゃあなんだよ?
    そこをお前がきちんと説明できてないんだよ。
    それはお前さんの問題。

  15. 渡辺裕 より:

    >「うちのひと、写しはとらないんです」
     このへんに、欧風文化と漫画文化の差異の底流ってもんがあるんじゃないですかね?
     コピー保存の技術が無い時代に写しを取るのは、大作力作に成るほど困難でしょ。自分でやるのは面倒くさい・人にやって貰ったら「誤字脱字・改変・盗難盗用」といったヒューマンエラーを伴う。だから、オリジナルそのものの価値が高かった、とも言える訳で。オリジナルの価値が高いって前提が無いと、DVさんの言うような細かい?解釈の差って、出てこんですよね。
     ひとつのものを高く売るとか(雷句さん的な芳香性)、小部数を気心知れた仲間内で消費する(同人誌的な手法?)、みたいな。そういう世界観の中では、オリジナルの存在や認知って凄く重要だと思いますけど、いわゆる大衆漫画や商業漫画にすることを「何よりも先ず」大前提にしているような場合では、オリジナルって何だ? みたいな部分は、どうでもいいんですよね。正直なところ。
     そんなもん、ホームセンターでネジ釘買ってるのと一緒ですから。要るから買う、使えるから使う、の延長上なんですよ。板買って、ネジ釘買って、自分でトンテンカンテンやって、出来栄えが無駄?に芸術的だから大量に作って売っちゃった、みたいな。
     手塚さんにしても藤子F藤本さんにしても、そういう感覚のままプロになってそのまま巨大化したような人ですから、もう全然拘り無かったんじゃないか? って気がしますね。

  16. q より:

    >DVさん
    初出版本は初出版本ですよ。
    >絵師によって絵が違うのに。
    いや、なんかあなた勘違いしてないかい?
    赤本版の出版の仕方を。
    たけくまさんのエントリをよく読もう。
    手塚の原稿→職人がトレスして版を起こす→印刷して製本
    と言う工程なので「初出単行本」の絵のバージョンが色々あるわけじゃないよ。
    ちなみに絵師は手塚治虫

  17. q より:

    あ、ついでに言えば
    初出版本の絵には酒井七馬の手も入ってる訳ですが。
    (しかし発売した初本単体にABCなどといった細かいバージョン違いがあるわけじゃない。)

  18. DV より:

    >手塚の原稿→職人がトレスして版を起こす→印刷して製本
    >と言う工程なので「初出単行本」の絵のバージョンが色々あるわけじゃないよ。
    それがねえ、絵師(あなたのいう「職人」)が複数いたんですね。中野さんも力説されていたのでよく覚えてるけど本当に40万部売れた(つまり刷った)のであれば印刷の版ももっとしっかりしたのを作ってなくてはおかしい。だけど当時の本を細部比較するに、新たに刷るたびに違う職人さんが手塚原稿をなぞって版を作りなおしているんだそうです。
    じゃあ最初に刷ったのがORIGINALなのか?北斎の絵っていっぱいでまわっているけど、同じ版を使っていても本物と海賊版があります。北斎が監修したのがauthenticかつofficial、その後本人に関係なく刷ったのが海賊版。(これは現在のコレクター市場でも比較的安く手に入る)
    『新宝島』は当時の手塚が仕上がりを監修した形跡はありません。酒井七馬がその任にあたったのでしょうが、彼が細部までいちいち目を光らせた可能性はあまりなさそうです。丸投げしてあとはよろしくだったんじゃないでしょうか。
    余談ですがロストワールド上下巻は違う絵師(職人)による作業だったので絵が微妙に違っていて、それで松本零士氏は当時「手塚ってふたりで一組なのか?」と思ったそうですが。

  19. ぬス より:

    なんか分りにくいねDVの言い方は
    版画でいうなら
    それは絵師じゃなくて、彫師刷師じゃないか
    混同しているよ
    原画を描くのが絵師であるのでここでは手塚と酒井だろ
    あとね浮世絵の場合は、絵師の監修がなくとも(しない事も多かった)
    版元が再販したのならそれもオフィシャルなんで
    海賊版などじゃない
    ちょっと例えが悪すぎる

  20. DV より:

    >それは絵師じゃなくて、彫師刷師じゃないか
    >混同しているよ
    そう来ると思った。だけど描き版まんがの場合は版を彫ってるわけじゃないのね。だからあえて「絵師」にしました。それに著作権意識が今より薄かったとはいえ当時の酒井&手塚はすでに「作家」です。
    >あとね浮世絵の場合は、絵師の監修がなくとも(しない事も多かった)
    >版元が再販したのならそれもオフィシャルなんで
    ああ分かってない。同じ版でも二百枚くらいまでは絵もきれいで初摺(しょずり)として今では値が高いけど、それ以後のよれた絵は後摺(あとずり)としてかなり安くなってしまうのです。当時オフィシャルとされたかどうかの問題ではありません。明治以後そういう市場になったのです。
    版がよれれば新たにつくるしかありません。版元が新たに彫りなおすか、同じ絵師(イラストレイターと呼ぶべきかな)の同じ絵を違う版元で新たに版にするか、あと後世に勝手に版をつくっちゃうか。
    この二つ目は今でいう海賊版、三つめがニセモノ。一つ目もいれてこの三つは「異版」といいます。
    で『新宝島』のケースはさらに話がややこしくなります。続きは後日。

  21. tkr より:

    第三者から見ると、コメント欄のやりとりは喜劇のようですね。
    皆の言葉の定義からくるすれ違いというかw
    建設的に話を進めたいのであれば、まずは単語の定義をはっきりさせた方がよいですよ?

  22. 渡辺裕 より:

     オリジナルが無いなら無いで話は終わりでしょ。版ごとの刷り具合の差異が云々言い出したら、手塚作品がどうこうじゃなく、今の作品でも海賊版やニセモノばっかりですやん。
     それを以って「じゃあ何が言いたいのか」に繋がらなければ、DVさんの発言それ自体が建設的でも何でも無いから、繋いでも意味無いですよ。主張?の筋の先が見えてない状況だから、そこで止まって単語の定義云々を言うてもしゃーないですわ。
     古書店のおっちゃんが値付けをする際に「どういう筋から評価するのか」を垣間見る上では意味のある提言とも思うけど、それ以上の意味があるようには見えんよ。
     そこで止まったら「否定の論法」「値切りの論法」でしか無いから、先進んでも「どうやったら漫画(ネタ)をタダで入手できるか」とか「ネタ万引き(拝借)をやっても罪にならん論法」の醸成にしかならんね。
     泥棒乞食の理屈じゃなくて、学問(風?)に昇華させてから、じゃないですかね? 繋げるのは。

  23. たけくま より:

    赤本版の「新寶島」と全集版の「新宝島」では、書き版のトレス職人の違いによる些細なタッチの違いとは次元の異なるレベルで違いがあります。
    すなわち、コマ構成が違う、ページ数すら違うのです。
    さらに、全集版は手塚がすべて描き直した結果、赤本版には存在した原作者で部分的共作者である酒井七馬の痕跡が完全に消し去られています。
    以上は大きな違いで、両者を完全な別物と見なしてもいい理由になっています。そして、一斉を風靡したのは赤本版ですので、歴史的立場からは、赤本版すべてを「歴史的なオリジナル」と見なすということには、研究者的立場からは根拠があるものです。
    作者からしたら、かつての赤本版は自分の意に反したものだから描き直したのでしょうが、赤本版の価値は、作者の意志を離れたところに存在しているわけです。夏目房之介氏がいいたいことは、そういうことだと思います。

  24. DV より:

    わかんないなー、赤本版の『新寶島』はfirst-publishedではあってもoriginalではありますまい。
    結局master(マスターテープとかマスターフィルムというときのmaster)たる元原稿が失われていて、印刷された『新寶島』本をなぞるか手塚が新たに制作するしかないのにoriginal論争をするから堂々巡りになってるんですよ。
    ちなみに何をもってmaster原稿と考えるべきかについてですが、手塚の意向に反して酒井が手を加えたとか修正を命じてきたとかはこの際無関係ではないでしょうか。版を作るにあたって元にした原稿がmaster。それを手塚が気に入っていなくても印刷の元になったのならmasterです。
    分かりやすくいえば、masterがあって複製が生まれるのではなくて複製が作られたときはじめてmasterと認定されるのですよ。でmasterが複数存在しても何もおかしくはないのです。

  25. のら より:

    だから、なんでDVはoriginalにこだわるの?
    original-masterの価値は漫画、コミックの世界ではありえないものなんだけど。
    という前提がある。
    たけくまさん、夏目さんのオリジナルの言葉の意味は、そういう赤本特有の価値にあるってことでしょう。
    んで、赤本版の底本を固定できるかというと、これが実は、現状難しいし意味もなさげということですよね。
    もう一度聞くけど、言葉遊びやめて、いったい何をDVは問題にしてるの?
    一人だけ違う問題について騒いでいて、全員が問題を共有できないんだけど。

  26. たけくま より:

    >DVさん
    申し訳ありませんが、どうもあなたのおっしゃっていることは、論理の遊びのように感じます。「新寶島」は、確かにおっしゃる通り厳密な意味でのoriginalは存在しません(単独の作者による唯一無二の原画があるわけではない)。トレス職人が介在する問題もさることながら、そもそもは酒井七馬という「原作者」の存在があり、さらには手塚の原画に酒井があちこちに手を入れて描き直し、それを書き版職人がトレスをして成立した作品です。
    全集版は、手塚以外の手になる部分を一切排除したうえで、構成も大幅に変えて新たに描き直しているわけですから、これはリメーク作品というべきものです。
    「新寶島」の場合、「赤本版総体」を「オリジナル」と見なすことが研究者の間では普通であり、僕もそれにのっとって書いています。
    DVさんの場合、手塚を唯一の「作者」としているからそういう言い方になるのだと思いますが、そもそも夏目さんが疑問を提示したのは共同制作物としての「赤本版」を、「新寶島」のオリジナルだと「見なす」立場からのものです。僕も、その意見に賛成です。

  27. Fire_fry より:

    どうでもいいのかよくない話なのか、微妙な気もしますが…
    そもそも問題の言葉の違いが、私にはよく分からなかったので
    辞書で調べてみました。こんな感じのニュアンスでしょうか。
    ——————————————————
    [authentic]
    正規品。折り紙付き。正式とされているもの。正本。
    類似品がいっぱいある状況下で、本物として認識されたもの。
    ・偽札(fake bill)に対しての真札(authentic bill)とか。
    ・仏料理でのお作法(How to Eat Authentic French Cuisine)とか。
    [original]
    模倣や加工、派生に対しての源。元祖。原本。
    ルーツとかベース(クローンや派生に対する基底)に近いのかな。
    ・演劇でのoriginal castとか。
    ——————————————————
    ただ後者も、authentic skaのように源流に近いものという用法も
    あるっぽいので曖昧な部分ありそうですね。
    あと明確に合致する翻訳語がないとか、和製英語「オリジナル」
    は本来のoriginalとは微妙に意味が変化しているので、
    そこにもズレがあるので~となると訳分からなくなりそうだけど。

  28. Fire_fry より:

    さてそこから、肝心のたけくま氏のお話でいうと
    ——————————————————
    ・宍戸左行のスピード太郎や、手塚治虫が影響を与えた
     フォロワーや文化の模倣性等と繋がるような話。
     本来の源であるはずの原稿の唯一性について。
     つまり「新宝島のオリジナリティってどうよ?」
    ——————————————————
     みたいな比重でのお話というよりは
    ——————————————————
    ・歴史的にどのバージョンの新宝島が周辺(読者や
     出版社等)によって定本にされていったかの経緯の謎。
     つまり「何を持ってauthenticとされるの?」
    ——————————————————
    …みたいな感じのお話だから、authenticと言うべきだろう
    という話になったのでしょうか。
    これは日常の雑談だと、厳格なツッコミはKYでヒきますが
    大学とかで学問が絡む場となると言葉を厳密に使う必要が
    出てしまうのかもしれませんね。
    ただ一方でひろゆきの言った「横文字を多用する人は
    コミュニケーション能力が低い」も自戒の意味で納得だし
    言葉遊びにも陥りやすいので難しい問題ですけれど。
    結局、ネットではTPOの境界が曖昧になりやすいのでしょうね。
    居酒屋談義とメガネ君的議論空間(?)のボーダレス化というと
    変ですが、日常意識で軽く書いた事にガチ精査が入ったり
    荒れたりで、地雷の場所が分からないでござる…みたいな。
    異国人同士でのギャップだと目に見えやすいですが、同じ言語
    使ってても使用コードが違う場の住人が混ざる事で起こるのかも。
    ネット論や言語ゲームの話じゃねーし、
    手塚治虫の話はどこにいったんだ?…という感じで、なんか
    大幅に脱線してズレてますね。すみません。

  29. 6CA7 より:

     みなさんのおっしゃる難しいことは、私には理解できません。でも、石森章太郎や藤子不二雄が語っている「歴史上」の『新寶島』は育英出版のもので、講談社の全集版ではありえないということくらいはわかります。若き日の宮崎駿が感動し影響を受けたのは、グリモーがなんと言おうと、「やぶにらみの暴君」であって「王と鳥」ではありえないのと同じでしょ。
     つまり、マンガ史を語る上では、著作者が何と言おうと、リメイクした「新宝島」をオリジナルとして語ることはおかしい、と。夏目さんや竹熊さんの言いたいのはその点だと思いますが。違っていたらすいません。

  30. q より:

    たけくまさんのコメントで終了でOKなんですが、
    いちおう前の方での反論に答えると。
    >DVさん
    >新たに刷るたびに違う職人さんが手塚原稿をなぞって版を作りなおしているんだそうです。
    それは「初出版本」じゃないと思う。
    また問題を取り違えていますよ。
    >新たに刷るたび
    それは第2版~でしょ。
    まあしかし奥付にちゃんと表記されなかっただろうけどなあ・・赤本だし。
    だとすると“「初出版本」を特定するのが難しい”という問題である訳です。
    それも手塚治虫の遺品にきちんと残っているなら特定の可能性もありますが、
    無理っぽいですな。

  31. エイジロー より:

    私は映画でいう、
    「劇場公開版」(プロデューサーに編集されちゃった)が初出版本
    「ディレクターズカット」(後で監督が思い通りに編集シーン追加)が全集版
    という感じでずっと捉えていたのですが。
    これはあくまで作者の立場から考えた捉え方であるといえます。
    しかしそれとは別に、
    たけくまさんや他の方が言われているのは、
    漫画文化へ多大な影響を与えたのは、初出版赤本版であり、
    作家個人の視点からでなく、漫画文化の流れを俯瞰した時、
    間違いなく“オリジナル”であると言えるのではないか――
    ということだと了解しました。

  32. OX より:

    いやー今回のエントリでは主題よりも
    横文字に依存せずに日本語で意味をちゃんと表現しようとした方が
    誤解(?)を生まずに済むということが分ったw

  33. ぬス より:

    また戻って脱線だけど浮世絵版画での例えの件で
    >DV
    なんかヘリクツで返されたけど
    まず浮世絵の刷りなおしを‘海賊版’というのは日本語の意味として間違い
    摺っているうちに画質が落ちてくるのは自明の理で、版元が増刷するのは
    いくら絵師が不本意だろうが、オフィシャルってこと
    なぜなら浮世絵は版元の依頼で絵師が原画を起こすといった、
    基本的に初めから版権は版元の物だからだ
    ‘海賊版’というのは版権とは関係のない者が勝手に別に出版する場合をいう
    (画質による後世の値付け評価の話などはゼンゼン関係ない話)
    で、書き版職人を‘絵師’だって?無茶苦茶言うなってーのw
    浮世絵になぞらえるなら、
    絵師の原画をトレスして商品の絵のタッチ(描線)を担うのは彫師だよ!
    書き版作業というのはまさに木版画の彫師的な仕事
    (ガリ版印刷(絵入り)やった事ある人なら分るヨ)
    なのに勝手に「あえて絵師」て自分基準かよ
    あなたの中だけの決め付けじゃ誰も同意できないよ
    今回の話題を無理やり浮世絵に当てはめようとしてるが
    どうみても失敗しているDV氏は
    浮世絵版画が分っているような口ぶりだがゼンゼンそう思えない・・

  34. 渡辺裕 より:

    >著作者が何と言おうと、リメイクした「新宝島」をオリジナルとして語ることはおかしい、と。夏目さんや竹熊さんの言いたいのはその点だと思いますが。
     最初から意図的に企画した商材として成立させてる場合は、それでいいんじゃないかと思いますよ。双方合意なら、ね。でも、その場合に「手塚さんは要するにそれが嫌だった」から、リメイク版で自分のやりたいようにやった訳でしょ? 酒井さんに対して態度がアレだったとの逸話もあるようですし。37年も経ってからそうするってのも、尋常な嫌がり方じゃないですよ。どんだけ嫌だったんだと。
     だったら最初から絵:手塚さん・原作:酒井さん、とでもしておけば良かったんですよ。そういう部分からナァナァの曖昧なままにしておくと、後んなって「あの時俺が…」って、言われかねんのですよ。酒井さんがそういう人かどうかまでは知りませんけど、まぁ、言われても文句の言えない立場に成るって意味が重要なんで、「誰が」ってのは、どうでもいいんですけど。
     文化の差と言ってしまえばそれまでかもしれませんけど、関東圏に多い「一歩下がって立てる美学?」みたいなもんが酒井さんにあったとしても、関西圏文化の手塚さんの目には、そういうのはチンピラかヤクザのやることにしか見えんかった可能性も、ありますわ。
     浅草の雷門前でそのへんのお兄ちゃんが勝手ライブやったら後で地元のお兄ちゃんに地下鉄の構内で首根っこ掴まれて「ショバ代出せや」って言われちゃう、みたいな。そういうの嫌、みたいな。
     そこでショバ代取るのが当たり前って思っちゃう文化圏の人と「なんで取んねん?」思う文化圏の人では、おのずから違ってくるんじゃないかなぁ? と、思いますな。
     オリジナルって何だ話以前の、思うこと。

  35. 元江戸っ子 より:

    いや雷門前でそんなことは無理
    仮にそんなことしても
    ショバ代なんぞ取らないよボコられるかもしれんが
    「二度とすんな!」って蹴りだされるのみだよ
    ちょっと違う
    どんなイメージ描いてるんだよw
    まそれ以前にあの辺は人力兄ちゃんとかいっぱいいるから
    事前に取り押さえられちゃうけど
    しかも横にポリBOXあるしw
    渡辺仮想空間と現実とはこのように齟齬をきたしている

  36. 渡辺裕 より:

     つーか、実際に雷門前の交番でお巡りさんに聞いたんだよ。多分2006年の年末頃だったから今どうだか知らんけど。
     聞いた限りでは「浅草線の構内まで付け回されて」「物陰か便所あたりに連れ込まれて」「脅される」「ボコられる」「蹴り出される」「ショバ代取られる」あたりを実際にやられた人が居て、交番まで被害届けが来て、だから「危ないから気をつけろ」って言われたんだわ。
     他にも、やたら法律に詳しい近隣住民がアレ駄目コレ駄目ってクレーム付けてくるとか、そういうのもあるらしいとは聞いたけど。
     私の仮想空間で言ってんじゃなくて、実際に現場へ行って・目で見て・信頼できそうな人から話に聞いて、その旨ブログなり何なりに書き記して、その上で今こうして言ってんだけど。 
     それを「仮想空間」のひと言で片付けるなら、そらぁ国家権力は信用しません、から始めないと遺憾から、それじゃあ話に成りませんわ。

  37. より:

    かわいそうにだまされたんだね(涙

  38. 元江戸っ子 より:

    >実際に雷門前の交番でお巡りさんに聞いたんだよ
    それは
    「こーゆーヤツはちょっと威かしておくか[E:dog]」
    (警官)
    というのが実体だなw
    そもそも自分の職務怠慢といわれるような事を
    同僚以外に語ること自体「ウソ」の証拠じゃん
    トラブルの予防措置としての威かしだ
    なんか怪しかったんだろ聞いたヤツw
    というのに全く気付かず
    エラそうに語るシッタカは恥かしい
    「ホントなんだ」つっても結局聞いただけじゃん

  39. 渡辺裕 より:

     ふーん。そうかいな。
     じゃあ私が実際に「路上での暴力沙汰を見た」と言っても幻覚だって言われるし、仲見世~雷門前のお店数件を回って四方山話をしてた時に(お巡りさんに聞いた程酷くないにしても)似たような話を2,3聞いたのも「そこでも騙された」で、人力車に乗ってお兄ちゃんと話した時にも似たようなこと言われたのも「騙された」のか。
     今どきあんまり来ないけど、以前に架空請求詐欺のハガキが実家に来た時の差出人は「東京都江戸川区」だったけど、それは印刷された幻覚ですか。
     そういう輩が居るからって地域全体が悪いとは思わないけど、そういう輩に出くわす可能性が妙に高いのは、少々問題なんじゃないの?
     問題を起こしかねないような地盤が、あるんだろ。

  40. dev より:

    スレ違いもいい加減にせいや
    あんたの考えを聞きたいやつなんかいない

  41. より:

    いなかもんの都会恐怖症にしか見えんな・・・

  42. くもり より:

    そもそも皆さん「新寶島」と書いていますが、この作品のタイトルは「新寳島」ですよね。こういった間違いが研究の上でこれから事実となっていくのはそんなに気にならないのでしょうか。

  43. >ll< より:

    同じ事指摘するにしてもなんか言い方がウザイ

  44. くもり より:

    ごめんなさい(><)

  45. アニメファン より:

    何しろ、本当に最初に出たときの新寶島の本は
    著者として酒井氏の名前はあっても手塚の名前は
    無かったしろものです。例えそれが手塚が不当だ
    と憤っていても、裁判を起したわけでもなんでも
    ないので、法的には「新寶島」の著者は酒井一人
    のものだったのでは?著作権は譲渡できる
    のですから、酒井の名前で本が出ている以上、
    例え手塚が描いたのだとしても権利が譲渡された
    と見なされる。そういう解釈を酒井側、出版社側
    が持っていたとすれば、勝手に絵を酒井が書き直
    しをしていたのも理解できます。後の版では手塚の名前が入ったということもあったようですが。
    おそらく酒井氏や出版社とひともめあったと思わ
    れます。
     メトロポリスがちくま書房から70年代に
    これもまたトレースで出版されていたのに、
    新寶島がそうならなかったのは、このあたりの
    権利関係のもつれ合いとわだかまりがあったから
    でしょう。
    しかも、70年頃に関西漫画会で酒井氏が関係
    していた本で、手塚とも交流のあった某元漫画家
    氏によるトレースで赤本の新寶島が再現されて
    いて、長らく赤本を所有する人以外にとって
    新寶島の全体像を知る手段でした。
     酒井氏が極貧で死んだなどという事実とは
    異なる創作話を手塚は書いてそれが定説と
    されていたこともあります。
     虫プロ時代に多忙でアシスタントに代筆させた
    部分の雑誌の漫画は単行本化では削っていたり、
    アトムで他人の筆になる部分を書き直していたり
    することもあった手塚です。また多くの漫画作品
    はアシスタントとの共同作業ですが、さいとう
    プロとは違って、手塚は著作者表示は自分の名前
    のみを表記して著作権を自分にのみ帰属させています。

« | トップページ | »