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2010年4月6日

“馬の糞”でも表現の自由(2)

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遅れてきた「竹中ファン」のための覚書き
竹熊健太郎(編集家)

――みなさんはホラー(ビデオ)は有害だと一口に言うが、ホラー・ビデオこそ、二十一世紀の芸術になるかもしれないのですぞ!

――たとえ「馬の糞」でも表現の自由は擁護しなければならんのです! なぜなら(有益な表現と有害な表現は)区別のしようがないからです!

 私はいま、一本のビデオ・テープを繰り返し再生しながら、この一文を書いている。テープの背には「テレビ朝日・金曜プレステージ」という手書き文字。冒頭に引用した言葉は、同番組八九年一一月一〇日放映の、竹中発言からの抜粋である。

 ときあたかも「連続幼女誘拐殺人事件」の影響で、全国の地方自治体・警察・マスコミ三位一体となり、「有害ビデオ」規制に向けて騒いでいる真っ最中であった。この問題は、そもそもは当局の発表を鵜呑みにしたマスコミが、宮崎勤の犯行動機を「ホラー・ビデオの影響」と短絡して報道したことに端を発する。

 あまりにも有名になった、ブラウン管に映し出された宮崎の部屋……数千本のビデオ・テープに埋め尽くされたあの空間が、全国のお茶の間に流されたことから、マス・ヒステリアが始まった。現実には、宮崎のその部屋にホラー(スプラッタ)と呼べる内容のビデオは、ほとんど存在しなかったのだが。なかんずく、マスコミが当初から問題視していた『血肉の華』(日野日出志監督)に至っては、ついに発見されなかったのである。

 にもかかわらず……保守派は言うにおよばず、日頃リベラルを自認する論客までもが、ガセ記事に躍らされていた。全体が「(あまりにひどい表現は)規制もやむなし」という論調に傾くなか、ほとんど竹中ひとりが、断固として「表現の自由」を擁護していたのだった。

 このとき、竹中の抱えていた死病(癌)は周知の事実だった。それは出演者ばかりでなく、私を含めた視聴者も承知していたのだが、それだけに竹中の言葉の重みがいや増した、ということはあるかもしれない。……が、竹中にすれば、当たり前のことを言ったまでにすぎないのだ。本書をお読みになられた読者なら承知されるだろうが、竹中は、ルポ・ライターとして言論の世界に参画した当初から、「表現」に対する意見を少しも変えていないのである。

「馬の糞でも表現の自由」と言い切る竹中。付け加えるが、竹中は『血肉の華』を様式美の傑作として、非常に高く評価していた。そのうえで、それ以外の「馬の糞」をも、一切合切まとめて擁護したのである。その火を吐くがごとき舌鋒に、深夜、寝そべってテレビを見ていた私は、思わず姿勢を正してしまった。

 思えば……この瞬間、私は、初めて竹中労を「理会」できたのかもしれない。

 この言い方は、竹中の生きざま、言葉の重みの前に、あまりにも僭越と思われるかもしれない。私自身フリーの編集者として、またはライターとして飯を食いはじめて十七年になるが、いまだ腰の定まらぬ青二才である。

 私は、ファンを自認しながらも、長らく「竹中労」という存在をとらえあぐねてきた。理由は単純である。私と竹中は世代が違いすぎ、したがってその表現におけるモチベーションを最終的には共有しえない、と勝手に思い込んでいたのだ。

 モチベーションとは何かと言えば、戦う対象である。「なんのためにものを書くのか」ということの、強い動機づけである。

 私は竹中労が身をもって経験した、戦争や、戦後の焼け跡の悲惨を、書物上の知識でしか知らない。そればかりか、全共闘運動の騒乱をも、せいぜいテレビ・ニュースの映像としてしか認識してはいない。当時の私は小学生であり、竹中がマスコミ表面で活躍していた六〇年代から七〇年代の一時期を、私はひたすら、マンガやテレビの子供番組を見て過ごしていた。

 高校生になったころ、政治の季節はとうに終わっていた。オイル・ショックも喉元過ぎればなんとやら、「革命」はもとより「ノン・ポリ」という言葉すら、すでに死語だった。左右を問わず、あらゆる意味で政治的言動が「恥ずかしかった」時代……。私はあい変わらずマンガや、子供番組に熱中していた。子供時代の記憶を反芻し、同じ知識を共有する仲間内だけで満ち足りていた幸福な時代……。羊の平和。

 私が学園生活を送った七〇年代後半の、それはごくありふれた光景だったと思う。私の時代に「抑圧」がなかったわけではない。だがそれは、竹中が生きた時代のように「目に見える」ものではなかった。だからこそ、より隠微な、厳しい「抑圧」だったといえるのだが……反抗の突破口すら、それは容易に与えてくれないのだから。

 私の世代における「反抗」は、たとえば「おたく」という形をとる。いつまでたってもチャイルディッシュな対象に拘泥し、いわば「大人にならないこと」で、大人社会へのささやかな反撃を試みるのである。もちろんこれはこれで、うまくいくとは限らない。大部分は社会の圧力に負けて結局は「大人」になるのだし、あくまで初志を貫徹しようとすれば竹中言うところの「ルンペン志願」、フリーランスとなるしかない。そしてごく一部だが、その道にも失敗するものがいる。宮崎勤や、オウムの幹部たち……。

 私が竹中労の名前を最初に知ったのは、家出して学校も中退し、フリー編集者兼ライター(要するにルンペン)となってまもなくのことだった。古本屋の片隅に眠っていた『聞書きアラカン一代・鞍馬天狗のオジサンは』を何気なく購入し、一読、脳が痺れるような衝撃を受けたのだ。アラカンのしゃべりを活き活きと移し取った文章、その内容の面白さは言うに及ばず、膨大な資料をいとわず当たり、時にアラカンが呆れるほどに、取材対象の人生にみずからを重ねあわせる竹中労が、そこにいた。

 異常に思えるほどの、対象への感情移入……。と同時に、対象の姿・言葉を借りて己れ(作者)を語らしめる冷徹な計算、客観性。ある意味でこれは「おたく」の理想像かもしれない。古くからの竹中ファンのお叱りを承知であえて言う、私は、なによりも竹中を「理想のおたく」としてはじめに認識したのである。

 これを手始めに、少しずつ、少しずつ、私は竹中と自分との接点を見出していった。

〈……東京に出てこないかというかつての同志からのさそいに、一も二もなく応じたのは、そのころやり場のない虚無感をもてあましていたからだった。(中略)
 長い戦後の生活苦からやっとぬけ出して、身のまわりが小綺麗になっていき、〝家庭のぬくみ〟が増していくのに反比例して、私の魂はすさんだ。〉

 この「虚無感」には覚えがある。私が「家出」をした時の気分と瓜ふたつなのだ。私もまた「家庭のぬくみ」が、まるで真綿で首を絞められるような平和な束縛が嫌で、学業を中途で断絶して家を出たのだった。そして、竹中がまさにそうしたように、「エロ雑誌の編集者」となったのだ(竹中の場合はエロ新聞だったが)。

 竹中はまた、こうも言う。

〈三流夕刊新聞のストリップ記者から、フリーランスのトップ屋、そして芸能ルポ・ライターと、私は一貫して差別を受けてきた。そのことを非合理であるとか、不当だと抗議しようとは私は思わない。むしろ差別の奈落に居直って、お上品な連中に糞まみれの怨念を、スキャンダルを投げつけることを愉快としなくてはならない。〉

〈トップ屋のネタは【新聞の片隅にある】、〝銘柄のジャーナリズム〟が捨てたゴミを拾うのである。このような言いまわしや、〝トップ屋賎業論〟を、不愉快に思われる人々もあるだろう(中略)。だが私は、メシを食っていくためにはきれい事では通らない、という当然のことを述べているにすぎない。〉

 これにもまた、覚えがある。竹中の時代とは比べものにならないかもしれないが、たしかに、私が仕事を始めた八〇年代初頭のエロ雑誌界にも、同質の「居直り」があり、居直った者のみが持つアナーキーさがあった。

 だが、この種の「アナーキー風味」は、一歩間違うならば無意味の奈落……ニヒリズムへと容易に陥ってしまう。ニヒリズムは、たしかに一時的には、暗い愉悦を人間にもたらすかもしれない。が、恒常的にこれに耐え得る人間が何人いるというのだろうか? 宮崎勤を見よ。オウムを見よ……。

〈ルポ・ライターとは、何か? なぜ、この職業をえらび、この職業に固執するのか? (中略)職業とは生活の手段である、だがそれは同時に(それ以上に)人がおのれの望みをいかに生きるかという試練の場なのである。〉

 望み……そう、希望なのだ! どのような時代・環境にあろうとも、希望を抱く能力こそが、ニヒリズムを克服する鍵なのだ。結局のところこの書物は、竹中労の地獄巡りであると同時に、たとえ地獄の中にあっても人間は希望を失わないという奇跡の記録(ルポルタージュ)にほかならない。「人生を変える一冊」とは、こういう書物のことを言うのだろう。

 少なくとも私には、そうだ

(初出 竹中労『ルポライター事始め』ちくま文庫解説 1999年)




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| コメント(21)

““馬の糞”でも表現の自由(2)” への21件のフィードバック

  1. option より:

    「理解」ではなく「理会」ですか
    深い・・ですかね

  2. たけくま より:

    「理会」という表現は、竹中が好んで使っていた造語です。

  3. GCB より:

    「馬の糞でも表現の自由」ですか。
    私は竹内氏の仕事はほとんど知らない人間です。
    このフレーズ、意地の悪い読み変えをすれな
    「馬の糞だから問題なし」
    にもなりかねませんね。
    でも糞は普通臭い。
    図書館にいくとときどき異臭がします。
    近所の公園に寝泊まりする浮浪者が昼間は図書館で居眠りしていて
    それで匂うんですよ。
    ああいうのにも目をつぶれというのは日常の感覚では理解しかねます。

  4. オルカ より:

    ほとんどの表現は臭いと違って受け手側が見たくないのなら目をつぶる必要もないと思うんですけね。
    人のパンツを脱がして肛門の臭いをかいで臭いからなんとしろと言われても理解しかねます。

  5. HGO より:

    脱がす以前に臭い相手はどうしたらいいんですか。
    図書館にいくと半径3メートルでもう匂う方がいますね。

  6. troop より:

    >GCB>オルカ
    低レベル過ぎるよオマエ
    議論のフッカケにもなってねえ
    こーゆー人間の低劣さが露見しているコメ久しぶりに見た
    ちなみに馬糞というのはそんなに臭くない
    オマエのコメントほどにはw

  7. 七紙 より:

    早速関係無い事で揉めててワロタ

  8. 投稿 より:

    金曜プレステージ
    司会はラサール石井

  9. ヒサ より:

    私も竹熊さんのおっしゃる、その深夜番組のその場面を観ていました。
    竹中労は確か「この時下郎が」と柿沢を罵倒していたように思います。あの番組の中の竹中労は、その発言には「さすが」と思える筋が一本通っていましたが、世評とは異なり非常に穏やかな印象で、むしろ好々爺ともいえるような物腰だったように記憶してます。それだけに柿沢を相手に激していたあのシーンの印象は強く、竹熊さんの文章を読みつつ、二十数年ぶりとはおもえない鮮明さで映像が記憶に蘇ってきました。
    「馬の糞でも表現の自由」とはまさに当時25歳の自分には当たり前の理屈だった筈ですが、この年になって改めて彼の発言を竹熊さんのブログで見て、「当たり前」が当たり前だと言えなくなりに右顧左眄する己を思い知らされました。
    世間体で「当たり前の理屈」が言えないのではなく、そもそも今の私には「当たり前の事」がなんなのか分からなくなっているのかもしれんないな、などと思いました。
    竹中も20年も前に逝き、あのとき面罵された柿沢も何年か前に亡くなったと記憶しております。なんというか・・「茫々たる時」という感じがします。

  10. けおら より:

    表現の自由、などと言うモノは無い。
    自由な表現、が有るだけ、とも仰っていたような気が。

  11. 竹山徹朗 より:

    感銘深く読みました。ありがとうございます。
    一点だけ、「理会」の用法は、
    竹中労を「理会」できた
    よりも、
    竹中労に「理会」できた
    の方が、竹中の本意に沿うのではないかと思いました。
    細かいことで恐縮です。

  12. t-tanaka より:

    その通り。
    「馬の糞」を規制するために作った法律は,
    やがて他のものをも規制するようになる
    法律には有益な表現と有害な表現の区別はできないから。

  13. BVG より:

    開き直りにしか思えないっす。

  14. より:

    まさに目くそ、鼻くそを笑う
    出版規制はしちゃいかんよなぁ
    いわゆる”だれもが嫌でも見る所”
    への”販売、広告規制”といった
    ゾーニングはしてもいいんじゃね?
    とは思うがそういう方向にいかないのが
    残念

  15. ジャフ より:

    公機関による規制案→一時は世論が賛成に傾く→まんが業界から批判の声→結局うやむやになる
    このパターンが過去数十年間に一体何度あったのだろう。
    どっちが正論かを論ずるのではなく、どうして皆いつも同じことを繰り返してしまうのか、そのメカニズムを冷めた目線で問いなおすべきなり。

  16. pon より:

    NEW OPEN
    是非ご覧ください!!
    http://l9378s.x.fc2.com/

  17. woody-aware より:

    「竹中労」という名前につられて、思わず読んだっス。

  18. L より:

    エントリと関係ないコメントで申し訳ありませんが、
    興味深い記事を見つけたので紹介します。
    『iPadのマーベル社コミックは映画感覚(動画)』
    http://wiredvision.jp/news/201004/2010040719.html
    アメリカで先日発売されたiPadですが、
    すでにコミックが読めるそうです。
    操作してる様子を動画撮影しているのですが、
    全体を見たり、コマごとに拡大したり色々と
    できる模様。漫画の読み方も変わってきそうな
    予感がしますね。日本でも早く普及して欲しいです。

  19. 漫バカ日誌 より:

    >iPad上のマーベルコミック
    現状アメコミにはいいかと思いますが、
    日本の漫画で重視されている
    「コマ運びのリズム」が、阻害されないような
    操作法を早く確立して欲しいですね。
    2ページ見開き表示で!

  20. 「馬の糞」を笑うは心が「馬の糞」以下に無条件降伏しちゃってるって事

    “馬の糞”でも表現の自由(2) : たけくまメモ:
    サザエさんの古い話に波平さんが馬の糞を拾っていた話がある。これは別に道の掃除をしていたわけではなく、昔は馬の糞は燃料になっていたらしい。
    と、書くと「馬の糞でも表現の自由」とは、「馬の糞」って時代によって評価が変わるんだから未来の為にその「馬の糞」でも、そのレゾンテートルを守らなきゃならないって事。
    「規制」はいろんな形で存在する、文章を漫画にするのでも、表現上の規制にでっくわす。また、文章の「長さ」も規制だ。
    で、大切なのは「80…

  21. コレクター より:

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