たけくまメモMANIAX

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2004年12月18日

元祖ミニコミ小僧の夢

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なにしろ自分の情報発信ページを持つのはまだ慣れてないので、とまどうことばかりです。ネット歴は、パソ通から数えればもう10何年なんですけどね。前にも書いたけど、なんちゅうかこの、自分のメディアを運営することに「構えすぎ」ていたのかもしれません。
もともとミニコミ小僧だったんですよ。小学校時代から壁新聞とか、ガリ版で新聞作ってましてね。高校時代に本格的にオフセットで雑誌作りました。当時(70年代後半)はもうコミケとかありましたが、それ以上に大学生を中心にした一大同人誌ブームだったんです。この場合の同人誌とは、マンガやアニメ系ばかりではなく、文芸同人誌から身辺雑記・天下国家を論じたものまでいろいろでした。純粋に娯楽というか、パロディや悪ふざけを目的とした同人誌もありました。


要は、今のインターネットと基本は同じです。1980年前後には、早稲田大学なんてあなた、学生三人寄れば同人誌ができると言われていたくらいです。当然、当時はワープロなんてありませんから手書きです。オール手作業で版下作って、印刷屋に入稿するわけです。多少お金に余裕のあるサークルとかだと写植使ってましたが、それはとてつもなく贅沢でした。1字1円くらいとられたから、すぐに千円、一万円といってしまうからです。俺なんかもかなり丁寧に字を書いたつもりですが、中には人間写植機と呼ばれ、ほとんど活字みたいに綺麗なフォントを「手で」書くやつもいました。
ningensyasyoku
←これが人間写植機だ!(「漫画の手帖」1982年9月号より)※クリックで拡大
いやどうも、昔話が過ぎますが勘弁してください。俺は高校二年のときに『摩天樓』というタイトルのミニコミを出しまして、最初は仲間うちの同人誌だったんですがすぐに俺の独裁政権になって、後半は事実上の個人誌になってました。これにあまりにのめり込み過ぎたせいか、大学をすべて落ち、一浪して結局デザイン学校に入ったわけですが、浪人中もミニコミ作ってたから世話はないです。
ミニコミのおかげで大学は落ちましたが、いろんな人と知り合いました。予備校で知り合った桜玉吉に表紙を描いてもらったりしましたし、専門学校では藤原カムイなんていうとてつもなく絵のうまい男と知り合って、やはり作品を描いてもらったり。まあメインはマンガではなく、あくまで俺の文章だったんですけどね。
当時、中央大学のミニコミ三羽カラスと言われた杉森昌武、えのきどいちろう、イタバシマサヒロとかもミニコミつながりです。全員、のちにプロになってますね。杉森君は今は編プロ社長(あのベストセラー『磯野家の謎』を作ったところ)でブイブイ言わせているし、えのきど君はエッセイストに、イタバシ君はマガジンで童貞喪失マンガ『BOYS BE』の原作を十年以上も担当して周囲を大いに呆れさせた男です。
あと今、テレビのコメンテーターとしてよく出る神足裕司なんてのも、学生ミニコミ界では有名人でしたね。彼は慶応だったかな。当時、6大学のミニコミサークルが集まったキャンパス・マガジン・ユニオンてのがあって、神足氏はこれの営業部長みたいな感じだったです。当時から40歳過ぎにみられるほど貫禄があり、全日空とか資生堂とか一流企業の広告をバンバンとっていました。ユニオンの事務所を冷やかしに行くと、そういう連中がトグロを巻いていて圧巻でした。
わざとガクラン・学帽姿でアタッシェケース持って、名刺をピッと交換するような感覚。学生でビジネスごっこをやっているわけですが、作っているのはペラペラのミニコミなんですよ。キャンパス美人をつれてきて適当なグラビア(それもモノクロだったり)作ったりね。そういうものに一流企業が広告を出すという、信じられないような時代だったんです。ちょうどバブル景気前夜で、大学生は引く手あまたの金の卵。まあ、大学に行かなかった俺には基本的に関係ありませんでしたが。
なんか話が逸れたみたいです。ミニコミの話です。当時はそんな具合で、雨後のタケノコみたいに学生ミニコミが大量生産されていたわけですが、最大のネックがあって、それが流通だったわけです。当時はそういう時代だから同人誌を扱う印刷屋が増えてきて、製作そのものはたいして手間はかかりませんでしたが、いざ「売る」段階でつまづく連中が大部分でした。同人誌を扱ってくれる書店は非常に限られていたから、結局、学校で学生とか仲間うちに売るしかなかったわけです。これでは早晩行き詰まります。
結局、コミケが今でも残っているのは、はじめから「流通の場」だったからですね。そういう発想をいち早く立ち上げて、システムとして整備したのはコミケが最初で、最大のものでしょう。そんなわけでマンガとかアニメ系の同人サークルだけが残り、活字系のキャンパスマガジンは姿を消していきました。
ただ学生とか素人が自分の情報を発信したいという欲望はしぶとく残っていて、それがインターネットの普及で爆発したとも言えます。なにしろコンテンツの「製作」だけではなく「流通」までもが一気に実現されるのがネットですから。80年代ミニコミ小僧の自分からすれば、夢のような話です。
もちろんこれをビジネスにするのはまた別の話ですけどね。たぶんネットをお金にしようというのは、詐欺師的に頭がよくなければできないでしょう。まだコミケで同人誌を出すほうが儲かるかもしれないです。というのは、同人誌は「物」であり、ネットのそれはかたちのない「データ」だからです。人間というのは形のあるものにはお金を払うけれども、形のないものには払いたくないわけです。できればコピーですませたい。俺だってそうだ。
ただ、純粋に世間に向かってものが言いたい人とか、表現せずにはいられない人、あるいは売名をしたい人にとっては、インターネットはもっともてっとり早い方法かもしれないです。俺がここに来てブログを始めたのも、売名、もとい宣伝目的には便利であると認識したからですが、もちろん前者の要素も強いです。結局ミニコミ小僧ですからね。お金にならなくても雑誌作ってましたから。そこはまあ、自分でもごっちゃになっております。
これまでも何度かサイトを立ち上げようとしたことはありますが、面倒くさくて断念してきました。1年ほど前からネットではブログ、ブログと叫ばれて「はてホームページと何が違うのだろう」と思っていたわけですが、いざやってみるとなるほどこれは便利だ。その場で更新できるし反応もダイレクトに返ってくる。
そもそも俺が物書きの道に入った最大の理由というのが、俺が高校で作っていたミニコミをどこで入手したものか、北海道の人から感想の手紙が届いたことだったりするわけです。けっこうあれは感動がありましたから。
今後の俺の野望としては、こういうブログは続けながらできれば独自ドメインで趣味と売名のサイトを運営したいですね。日記だったらブログで十分ですが、いろいろやりたいことがあるんです。そのへんはおいおい明らかにしていくつもりです。それでは。

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| コメント(8)

“元祖ミニコミ小僧の夢” への8件のフィードバック

  1. catfrog より:

    非常に面白かったっす。&ブログを足がかりにして今後どういう展開をされるのか楽しみにしております。
    しかし人間写植機・・・。その特殊技能は21世紀の現在どうなっているのか気になるところです。。

  2. たろ より:

    「長男で独身!」って記事を何かの本で見かけて以来のファンです。
    ここのページがどのような進化をするのか、すっごく楽しみです。
    応援しています。

  3. たけくま本人 より:

    少し前まで一瞬「既婚で長男」でしたがまた「独身で長男に戻ってしまいました。

  4. たろ より:

    応援が裏目に(T-T
    うちの旦那も長男で独身に戻っちゃった人です。

  5. ぼの より:

    高校生の時に作ったミニコミを読んでみたい!
    いつかアップしてください。
    そういや、僕が中学生の頃出していた学校新聞(わら半紙で全校生徒配布)は、記事がゴシップばっかで、あとは3D○×ゲームの説明とか、4コマ漫画が一番人気でした。
    数ヶ月で新聞委員をクビになりましたけどね・・・

  6. より:

    おー竹熊さんだ。自分も隊長のblogで紹介されてて知ったんですが。
    とんち番長は学生の頃はまったなあ。学校に単行本もちこんで何人かファンに巻き込んだあの頃。
    ミニコミの話、「私とハルマゲドン」思い出しました。あの中の話もディープだったけどblogでも濃くなりそうですね。

  7. 2mo より:

    人間写植機さんすごい!
    これが手書きとは…驚愕。

  8. Lipz* より:

    生まれて初めて Trackbacks なるモノを使ってみる

    "ふつーのほーむぺーじ" から Blog なるモノに変えて 10日が経ったワケで…

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