たけくまメモMANIAX

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2004年12月31日

夢オチはなぜ悪いのか?(2)

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では許される夢オチとは何でしょうか。いやどんな理屈をつけても夢オチは夢オチ、絶対に許されないと考える人もいるでしょうが、それはやや早計というものです。たとえば前回も触れた『不思議の国のアリス』ですが、オチが夢であることをもってことさらに非難するような声を、俺は聞いたことがありません。

もちろん『アリス』は百数十年も前の作品ですので、時代性を考えたら仕方がないという意見もあります。つまり当時は現代ほど「物語」が進歩していなかったが、アリスにはナンセンス・ファンタジーの古典としての価値があるからいいのだと。そもそも古典とはその時代の価値観に立脚しているがゆえに、現代の視点で見れば変なところがあるのが当然で、でも歴史的価値がこれを上回るからOKなのだと。

まあ、たしかにそれも一理はありますが、本当にそれだけなんでしょうか。俺が考えますに、アリスは夢オチではあっても、本編のパワーにそれを上回るものがあると思うわけですね。なんかこう、イメージの喚起力において時代を超えた何かがある。

これを違う角度から語るなら、アリスのおもしろさはストーリーにあるのではない。純粋なナンセンス(不条理・非合理・狂気)を追求した作品なのだから、個々のイメージの強度が問題なので、極端なことをいうなら、この種の作品にとって物語はどうでもいいとすらいえるわけです。

あえていうならば、一種の裏ビデオなわけですね。裏ビデオには裏ビデオの目的があるので、ストーリーの完成度を求める人なんてまず、いない。むしろ物語は邪魔。それと同じなのではないかと。

しかし永久にとりとめのないイメージだけを連ねるわけにもいかないので、どこかでとりあえずの「終わり」が必要になる。だからこの場合は終わりさえすれば夢オチでもいい、という考え方。あるいはドリフのコントみたいにチャンチャカチャンで舞台がバレるとかですね。あれだってそれまでの世界を壊して現実に回帰する儀式なのだから、夢オチみたいなものだ。

たぶん「夢オチ」が非難されるのは、ストーリー至上主義の見地からこれを見た場合でしょう。ストーリーの本質は論理性ですから。起承転結というくらいで、因果関係を積み重ねながら合理的に展開していくものがストーリーだとすると、夢オチは、それまでの合理的な段取りがすべて崩れてしまうわけですね。だから読者は怒るわけですよ。

ですから、夢オチが許されるケースのひとつとしては、イメージ最重視の、はなから論理的な展開を無視したナンセンスというのがあるのではないでしょうか。ただこの場合、本編のイメージがアリス級によほどすぐれていないとダメだと思いますが。

もうひとつ、いっそ最初から、これは夢の話なんですよと読者にカミングアウトする方法もあります。『アリス』がもし問題になるとすれば、それは最後になって「これは夢だったのね」と読者がわかる構造になっているからですね。この意味ではやはり反則なわけです。

そこでカミングアウト作戦ですよ。作品の冒頭で「これから俺の見た夢の話をします」と宣言するわけです。この場合は、読者もこれは夢と承知で読むのですから、詐欺にはなりません。オススメですよ。

ただ問題があるとすれば、他人の夢の話を長々と聞いて面白かった試しはめったにない、ということですかね。ということは、題材が夢であろうがなかろうか、もともとイメージ力と構成力が優れた作家が全力で描いて、ようやくどっこいどっこいといったところではないでしょうか。

そもそも我々がなぜ夢に惹かれるかといえば、論理や常識を超越した自由な空間がそこにあるからでしょう。さらにいうなら、夢は人間の無意識の現れで、われわれの本性みたいなものがそこにかいま見えるからでしょう。これはシュルレアリズムの本質であるわけだし、ナンセンスのみならず、ホラーやSF・ファンタジー等、オタク好きするものの原点だとも言えます。ただし非合理なもの(無意識)を合理(ストーリーテリング)に落とし込むという作業は、これ自体が矛盾をはらんでいる。うまくいけばスゴイものにもなるが、普通は失敗することが多い。つまり夢を描くことは、作家にとっては核に等しい最終兵器であって、使用が難しいものだと言えるわけです。

dream01dream02ドリーム仮面QJマンガ選書 (2000)

こうしたドリーム・カミングアウトものには漱石の『夢十夜』とかですね。これにインスパイアされた黒澤明の『夢』、あとマンガでは中本繁の『ドリーム仮面』なんてのもあります。この中本さん、ジャンプの手塚賞を最初に受賞したマンガ家なんですけど、そのあまりに特異な作風が災いして、ほぼこれ一作で消えたマンガ家になった人です。作品は単行本にすらなりませんでしたが、数年前に太田出版から奇跡の初出版がされました。このドリーム仮面というのが長崎弁丸出し(作者の出身地らしい)でしてね、よい子の夢の世界に侵入して悪夢と戦うというヒーローなんですけど、中本さんが描くと現実世界も夢みたいなんです。なにしろ作中に登場する金坊って男の子なんて頭が金魚鉢ですからね。絵柄はほのぼの調で可愛いけど中身はアウトサイダーアートですよ。

さて「夢オチカミングアウトもの」の最高峰といえば、やはりウィンザー・マッケイ(Winsor McCay 1871~1934)にとどめをさすのではないでしょうか。この人、およそ百年前のニューヨークで活躍したマンガ家で、世界最初期のアニメーターでもあります。それで、マッケイのすごいところは、生涯に残した膨大な作品の、ほぼ全部が夢オチだということです。

020409-2The Best of Little Nemo in Slumber Land

代表作『夢の国のリトル・ニモ』(Little Nemo in Slumber Land 1905~14)は、ニモという小さな男の子の見る夢を描いたものですが、最後に必ず、ニモがベッドから落っこちて目が覚めるシーンで終わります。必ずですよ。でもこの作品に関しては、夢オチだからけしからんという読者がいるとは思えません。理由はもちろん、中で描かれる夢世界のビジュアル・イメージがとほうもなく素晴らしすぎるからです。

幸い、マッケイが死んでからもう70年以上経ってますので、とうの昔に著作権が切れているというのも素晴らしいですね。バンバン図版を載せますのでどうぞご堪能ください。

夢オチもこのレベルに達すれば芸術なのだといういい例ですね。マッケイに関しては、また機会があれば詳しく書きたいと思います。大ファンなもので。

※(3)につづく→


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| コメント(9)

“夢オチはなぜ悪いのか?(2)” への9件のフィードバック

  1. catfrog より:

    >絵柄はほのぼの調で可愛いけど中身はアウトサイダーアート
    これ、褒め言葉としては微妙ですが笑いました(笑)
    うちの嫁がアウトサイダーアート好きで僕も少しだけ見たことあるんですが彼らも夢の中の住人みたいなものだし、なるほどなあと。

  2. フリーマン より:

    竹熊さん、こんにちわ。
    コメントありがとうございます。
    私はまだGoogle AdoSenseの登録でつまずいてまだ登録さえ出来ていません。
    竹熊さんの方が相当進んでますよ。
    更にアマゾン・アソシエイトも画像のダウンロードでつまづいています。(涙・・)
    しかし、950円だしてプロにプラン変更するのもくやしいですねえ。
    無料だというから始めたのにこれはないでしょう。
    やはり、HTMLの勉強が必要みたいです。
    記事に関係なくてごめんなさい。
    ということで記事に関するコメントを。
    正直なところ、「不思議の国のアリス」は恥ずかしながら、出だししか知りません。
    ウサギが「遅れる」というところです。
    今年の正月は最初から最後まで読んで見ます。
    最後に。
    良いお年をお迎え下さい。
    来年もよろしくお願いします。

  3. FoFo より:

    アリスは、はじめから文学作品として執筆されたのではなく、
    もとはルイス・キャロルが少女アリスに話して聞かせた創作おとぎ話である、
    という点も、あの話の結論が夢オチになった原因だと思います。
    スレた大人は適当なオチがつくと怒るけど、
    子供に対しては、「予想外の衝撃的なラスト」として通用しますから。

  4. 竹熊さま、いつも楽しく拝見させて頂いています。
    中学生の頃、『サルでも書ける漫画教室』が大好きでした。『野望の王国』が読みたくて読みたくて、古びた喫茶店を巡り歩いて、汚い本棚にあったのをようやく見つけたことを昨日のことのように思い出します。
    夢オチについて、ネタバレになるのがこわいですが、「ヴァ○ラ・スカイ」とか「ユー○ュアル・サスペクツ」なども、広い意味では、このカテゴリーに入るのかなと思いました。映画ですが、納得のいく夢オチの例かなと思います。

  5. 赤蜻蛉 より:

    米新聞での漫画を書いていたビル・ウオーターソンの名作「カルビン&ホッブス」もある意味夢オチの名手です。(Bill Waterson, Calvin and Hobbes)壮大なカルビンの夢、想像力は読者に「ああ、夢だったのか」との失望ではなく「子供は凄い想像力を通して世界を見ている」と感心をする。学校が宇宙人の牢獄になったり。段ボール箱がタイムマシンに早代わり。突然に体が小さくなったり、恐竜に変身したり。
    これは、夢を通して現実を描写しているから。だれでも一度はやった「宇宙船ごっこ」やヒーローごっこ。だからこそ大人には現実と夢が曖昧になっているカルビンの世界はとても魅力的に映るのでょうか。
    相方のホッブスでさえその立ち位置が明らかにされていません。本当に生きているのか、それとも単なるぬいぐるみなのか。作者は夢を読者に渡した結果です。夢オチで終わらせるのは作者ではなく、読者がそれを「夢」だと諦めた瞬間。
    自分の大好きな作家であり、もし既読でなかったら是非ともお勧めです。今では引退していますが、その作品はネットでいまでも公開はしています。英語なのはご了承くださいね。
    作家のプロファイルは
    http://www.lambiek.net/watterson.htm
    ネット公開
    http://www.ucomics.com/calvinandhobbes/

  6. たけくま より:

    ビル・ウォーターソンのことは知りませんでした(実はアメコミには疎いのです)。お教えいただきありがとうございました。

  7. コウロギ より:

    はじめまして。かーずSPを閲覧していて、当HPにたどり着いたコウロギです。「夢オチはなぜ悪いのか」について興味を持ちましたので、コメントさせていただきます。
    私も作品を書きますが、そういった立場から見ると、「説得力にかける」というのが夢オチをさける理由です。物語は起承転結から成り立ちますが、結末は一番大切であり、しめくくりでもあります。迫真迫る内容で、最後は夢だったという内容だと「裏切られた」と感じてしまい、「今までの内容は一体なんだったんだ」ということになります。「不思議の国のアリス」については、夢オチとは言い切れない部分があります。
    不思議な体験をして、それが実際に体験したのか、しなかったのか・・・つまり、「夢だったのか夢じゃなかったのか」という解釈ができます。
    「なんだ、夢だったのか・・・」で終わっていくのではなく、最後までそれを余韻に残して終わっていくのです。これは微妙な問題です。
    そういう余韻を残しながらも批判される作品もありますし、逆にさっぱりと「夢だったんだ」という結末でしめる作品が好評だったりするわけです。行き詰まるところ、「読み手が納得する結末」であれば夢オチも通用するものかと思います。

  8. かーずSPからきた通りすがり より:

    某州知事の近未来SFアドベンチャーも夢落ちでしたね。そいえば。
    あれには腹が立ったw

  9. Water-Run より:

    夢オチ

    村山渉先生の処女作、デザートコーラルは夢オチです。
    夢オチといっても、予め現実世…

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