たけくまメモMANIAX

« | トップページ | »

2005年1月2日

夢オチはなぜ悪いのか?(3)

このエントリーをはてなブックマークに追加
Share on Facebook

Amazon.co.jp: 本: 楳図かずお楳図かずお文藝別冊 KAWADE夢ムック

夢オチが許されるケースの二番目としまして「二段オチ」をあげたいと思います。文字通りオチが二重にあるというやつ。最初のオチがフェイントとなることが多く、その次に来るオチが真のオチになるわけですね。それで、このフェイント部分に夢オチをあえて持ってくるケースが非常に多いんですよ。

ある恐怖的な事態が起きるとしますよね。なんか脱出口のない密室で、全身ドロドロのバケモノがヒロインに迫ってくると。かなり怖い状況ですよ。それでドロドロが身体に触れるか触れないかのところで、ギャーと叫んで目が覚める。
「アラ夢だったのネ……」
で、ヒロインも読者もほっとするわけです。ベッドから窓辺を見やるとお日様が燦々と輝いている。階下のキッチンからはお母さんが「ご飯ですよ」と声をかけてきます。「ふあああい…」なんて、ヒロインが眠い目をこすって起きあがりますね。それで自室のドアを開けたとたん、実はまだ真夜中で、廊下は真っ暗。目の前には母親の割烹着をつけたドロドロが立っていて…。

なんてのが典型的な「二段オチ」だといえます。要するに夢と見せかけて実は夢ではなかった(あるいは、夢から醒めたと思わせて実は醒めてなかった)というパターン。お客を一度ほっとさせて、次の瞬間ドーンと落とせば恐怖効果が二倍、三倍になるわけです。

厳密には夢オチではないのだが『牡丹灯籠』とか、ラフカディオ・ハーンの『怪談』に出てくる『むじな』のエピソードなんてのも典型的な二段オチですね。後者は、夜道でノッペラボウに出会った男が、逃げて逃げて逃げまくる。ようやく遠くにソバの屋台の明かりが見えて、ほっとした男が屋台の親父に一部始終を話すと、それまで後ろを向いて黙々とソバを作っていた親父が、「そのお化けは…こんな顔だったかい?」って振り返るとノッペラボウ…というやつ。

こうして見ると、二段オチは、必ずしも夢オチとは限らないですよね。基本的に夢オチと二段オチは別個に発達した作劇法なのかもしれません。

俺が想像するには、こういう歴史的な経緯かもしれない。つまりある時期まで夢オチは普通に使われていたのだが、あまりに使われすぎて陳腐化し、いい加減にしろということになった。そこで誰かが、二段オチと組み合わせれば夢オチはまだ使える、ということを発見したのではないか。

お客の目が肥えてくると、作者の先を読むようになるわけです。「ほほうこう来ましたか。でも風呂敷を広げるのも結構ですが、どうやって話を収束させるおつもりか。まさか、夢オチではないでしょうなあ」というような、イヤ~なオタクみたいな客が増えてくると、作者としてはおいそれと夢オチもできません。世知辛い世の中です。

そこで二段夢オチの出番ですよ。最初にこれをやった人が誰かは存じませんが、目の肥えたオタクでも「ほ~らやっぱり夢……わ? わわわわわ? ひー」とビックリするような効果があったに違いありません。

Amazon.co.jp: 本: ビアス短篇集ビアス短篇集岩波文庫

アンブロウズ・ビアスという19世紀の作家がいるんですが、この人の代表作に『アウル・クリーク鉄橋での出来事』という短編小説があります。これがですね、あまり詳しく解説するとネタバレになるのでもどかしいんですが、二段夢オチの名作なんです。これからまさに銃殺されようという死刑囚がですね、奇跡的に助かるのだけれど、じつは……という話。こう書くともうバレてますがね。でもこの作品はオチの意外性もさることながら、小説としても名作ですんでぜひ読んでみてください。岩波文庫の『ビアス短編集』で読むことができます。ビアスは芥川龍之介にも影響を与えた短編の名手として有名ですね。

なおビアスのこの小説を原作にして、フランスのロベール・アンリコが監督した『ふくろうの河』という短編映画もあります。これも大傑作で、どういうわけでか知りませんがアメリカのテレビ映画『トワイライト・ゾーン』の1エピソードとして放映されたこともあります。これが日本では未放映で、どうもDVDにもなってないみたいなんですよ。関係者はなんとかしていただきたいですね。

08楳図かずお文藝別冊 KAWADE夢ムック

マンガだと、古いところでは楳図かずお先生が貸本時代に描いた『歯』という作品がそうですね(この作品は現在「楳図かずお 文藝別冊」で読むことができます)。安アパートに住む青年が、ある朝ふと目が覚めると、自分の歯が全部鋭いキバになっている。それで骨がかじりたくなり、最初は魚の骨をかじっていたが、しだいに人間の骨を……というホラー。で、最後にかじろうとした相手も、実は歯がキバになっていて主人公は返り討ちにあうところで目が醒める。なんだ夢か、と思って鏡を見ると……。

この『歯』ですが、よく読むと二段オチではなくて三段オチになってます。さすがは楳図先生、凝ってます。この作品が描かれたのは60年代初頭くらいなんですけど、この時期にはもう夢オチは陳腐化していたのでしょう。しかし夢オチでもこのようにひねると、一挙に不条理文学の様相を呈してくるわけですね。

夢と思っていた事態が夢ではなかった、あるいは夢から覚めてもまだ夢だった、という物語構造は、たいへんに恐ろしい。なぜ恐ろしいかというと、われわれの現実感覚を激しく揺さぶるからですね。現実感覚はわれわれが「正気」と思っているもののよりどころでありますから、これが崩壊すると残るは狂気ということになる。

Amazon.co.jp: 本: 変身変身新潮文庫

『変身』などに代表されるカフカの不条理文学は、こうした夢オチからオチを取り除いたようなものでしょう。本当に不条理な状況しか描かれてないんですから。ある朝、巨大な昆虫に変身したとしてもそこには何の理由もないし、男は虫のまま死んでしまう。原因不明の奇怪な状況。これは読者をものすごく不安にさせるわけです。

カフカの場合、もともと他人に読ませるつもりもなく純粋な創作欲求だけで書いた小説なのでこれでいいんですが、一般のお客さんを相手にしたエンターテインメントではそうはいきません。不条理感覚は娯楽の原点には違いないが、娯楽である以上はどこかで現実感覚を呼び戻してお客を安心させなければならない。となると、お客を現実に戻すのに一番てっとり早いのが夢オチだということになるわけです。

この場合の夢オチは、ジェットコースターの出口みたいなもの、あるいはバンジージャンプのヒモの役割を果たしているといえる。命綱がないとお客さんは安心してマンガも読めないですからね。カフカの小説はヒモのないバンジージャンプですから、普通のお客さんにはお勧めしかねます。

しかしジェットコースターにしても、最近はずいぶんヤバイのが出てきましたよね。ちょっとこれ、死ぬんじゃないかみたいな。これは要するに、お客は刺激に慣れるということでしょうね。常に新しい刺激を与えるということも娯楽のもうひとつの目的ですから。となると、以前よりはチョッピリ刺激レベルを向上させねばならない。そのひとつの解答が二段夢オチということになるのではないでしょうか。

こうして進化してきた夢オチなんですが、最近は二段夢オチですら、お客に飽きられてきた感があります。もうすれっからしのドロドロのオタクが「へへ、どうせこれ、夢から醒めたらまた夢なんだぜ」としたり顔で解説始める時代ですよ。かくして夢オチはさらなる進化を遂げることになります。それが「異次元オチ」または「虚構オチ」なんですが、ここまで書いて疲れましたので、つづきはまた今度。

※(4)につづく→


たけくまメモMANIAX

| コメント(0)

コメントは停止中です。

« | トップページ | »