たけくまメモMANIAX

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2005年1月5日

本日は多摩美で『ほしのこえ』

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hoshinokoe「ほしのこえ」The voices of a…
今日は多摩美の新年最初の講義でしたので行って参りました。とりあえず正月ボケでレジュメも用意しなかったんですが、「マンガとアニメの未来形」ということでここ2年ほどで創られた学生アニメや新海誠の『ほしのこえ』などを上映。特に『ほしのこえ』ですが、俺はあれはアニメだけではなくマンガの文脈でも読み取るべき作品だと思います。
高度な物語を「止め絵」を多用して語る演出は、日本アニメの専売特許でありますが、これを支えたものはTVアニメに先行して発達してきたストーリー・マンガの手法に負う部分が大きい。それは『ほしのこえ』も同様なんですけど、特に新海さんの場合に話題になったことは、「ほぼ単独作業で」あれだけの作品を作り上げたことですね。


手塚治虫以降の戦後ストーリーマンガが、いかにして「一人で映画を作り上げるか」に腐心していたとするなら、『ほしのこえ』でそれは文字通りの意味で実現されたのではないか、あの作品を見て一番衝撃を受けるのは他ならぬ手塚治虫ではないか、とは前にも書いたことがあるんですけど(「マンガ原稿料はなぜ安いのか?」に所収の拙文)。
たとえば「モニターで読むマンガ」を想定した場合、それは終局的にはアニメやゲームノベルと大差がなくなるはずです。となれば、『ほしのこえ』や、俺個人はほとんどやらないんだけども『君が望む永遠』とか、そういったゲーム形式の物語は「マンガのひとつの進化型」となりうるのではないか。そう遠くない将来、マンガ家とゲーム作家、アニメーターの仕事は接近し、融合していく可能性がある。というのが、俺のおおざっぱな考えです。もちろん紙のマンガには、それでなければ実現できない良さがあるので、なくなることはないでしょうがね。
まあ、そんなことをつらつら語っているうちに講義は終わってしまいました。その後多摩美の秘密部屋で課題の残りを採点。今日はグラフィック学科の課題をやっつけましたがさすがグラフは人数がいるせいか、いくつか面白いのがあった。優秀作品はこの春休みにでも一般公開しますので学生は覚悟するように

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| コメント(18)

“本日は多摩美で『ほしのこえ』” への18件のフィードバック

  1. medicoの日記 より:

    漫画原稿料はなぜ安いのか の竹熊さんの日記

    ISBN:4872574206:image:small の竹熊さんのblog。上の本でも少し触れられていたが多摩美で客員教授として漫画やアニメをテーマにとった…

  2. escargot より:

    > マンガ家とゲーム作家、アニメーターの仕事は接近し、融合していく可能性がある。
    そこには、ぜひライトノベル作家も付け加えていただきたく。

  3. [N] より:

    ほしのこえ

    たけくまメモ: 本日は多摩美で『ほしのこえ』で紹介されていた「ほしのこえ」を見たくなりました。新海誠氏がほとんどを一人で作り上げたという逸話は知っていたのですが…

  4. 長谷邦夫 より:

    『ほしのこえ』、なかなか面白いですね。
    小生も、宇都宮の生徒2年生に番外で
    見せました。
    『雲のむこう、約束の場所』は
    毎日映画コンクール・アニメ部門で
    強力に推しました。この作品の「塔」の
    イメージ!SFしていて、それでいて
    青春時代の情感もたっぷり。
    <キャラ>ばかりが先行する状況の中で
    ここまでクールに創れる才能は並のもの
    ではありません。

  5. 忍天堂 より:

    最近のフォトショップ等を使ってる
    デジタル作画の漫画だと紙で見るよりモニターで見た方が
    綺麗に見えるかも知れませんね。
    >「モニターで読むマンガ」を想定した場合
    うーん従来の漫画以外の表現だと
    中途半端なアニメっぽいのしか想像出来ないのですが
    自分の発想が貧弱だからですかね?(苦笑)

  6. ほしのこえ◇めて雑感とか。

     そうかそういう見方もあったのか。  止め絵、と言っても何だかピンときませんが、なんとなく予想で。  止め絵っていうのは一人称的雰囲気を孕んでるというか、「止…

  7. 佐山 より:

    あけましておめでとうございます。
    >「モニターで読むマンガ」を想定した場合
    私も、これは、あまり想定する必然がないような気がします。
    感覚的には「もし散歩中、大鷲にさらわれた場合どうするべきか」というような、空論に感じます。
    日本人の特質として、ミクロコスモスの中にマクロコスモスを閉じ込める、という思想があり、造園、盆栽や、懐石、茶事、歌舞伎等の芸能、武術、俳句、短歌などに、『形式と約束の中での表現』というのが、根底にあると思います。
    マンガでいうと、吹き出しや枠腺、コマの読む順番などが決まっていて、作り手はその制約の中で表現をする事に意義を見い出しているのではないかと思います。漫画家が映画表現に近付こうとしている、ということ自体、特異な例ではないでしょうか。(俳人が、長篇小説の代替品として俳句を詠むことがないように。)
    アニメ、ゲームノベル、デジタルコミック的なものは漫画の歴史から言えば、むしろ退化と感じます。というのも、先鋭的な漫画表現は、読み手の能力に委ねられる部分が大きいと思うのです。
    映画なら、このコマを10秒見た後で、このコマを見て欲しい、というような作者の意図を伝え易いのは確かです。寿司はネタ側に醤油をつけろとか、天ぷらは揚げたてを間髪入れず食べろ、という風に、同じ完成度の作品を出されても受け手がトロにソースをかけるような真似をすれば台なしになります。優れたマンガも、満員電車で細切れに読まれたのでは感動も薄いでしょう。
    しかし、矛盾するようですが、マンガが、ゲームやアニメに対して優位を誇ってきたのは、読み手の成長による多様な読み方、解釈ではないでしょうか。
    たとえば、背景の書き込みから、作者の遊び的に入れられたモチーフを探したり、注釈や、前のページを行ったり戻ったりして読んだり、とにかく流し読みしてからもう一度ゆっくり読んだりと、作者が作ったものを意図を超えた楽しみ方をする成熟がマンガ読者には根付いていると思います。そうした人たちから見ると、モニターで読むマンガとは単なる作業ではないでしょうか?
    より、自由度の高いゲーム文化においても、全てのゲームが「作業感の呪縛」から脱出しようとしているのに、マンガがゲームノベルの方向に向かうのは、あまり進化とは思えません。
    長々と失礼しました。

  8. のん より:

    そんなに想像しにくいことかな? モニタで見る漫画って。
    すでに、日常で紙を見る時間よりも画面を見る時間の方が長くなっている人は確実にいるはず。
    テレビよりも情報デバイスの方が手軽なものとなり、
    同様に送り手の方もデジタル化が進み、高解像で印刷時の知識・想定を要求する紙媒体の漫画よりも、デジタルで直で見せる方がお手軽な時代。
    それはそんなにおかしい想像ではないと思います。
    個人的には、デジタルで見る漫画的なるものはゲームではなく、フラッシュに集約されていくと思っておりますが。
    ↓こういうの まさしく中途半端なアニメかもしれないけれど、個人で作れてしまう表現媒体としては小説や漫画に近くなってると思います
    http://members.jcom.home.ne.jp/pap-yutaka/
    http://www7.ocn.ne.jp/~tenori3d/index.html
    http://mokusei.s19.xrea.com/

  9. 佐山 より:

    >のん様
    >デジタルで直で見せるほうがお手軽な時代
    うーん。「お手軽」なのは送り手が、ですよね?
    どんなに高スペックな高級車だろうと、近所のスーパーに行くのは自転車のほうが手軽なように、「マンガ」という分野では、受け手は、紙媒体のほうが読み易いのではないでしょうか?(たとえば、単行本三冊、500ページをモニタで読む手間を考えれば、)また、単純に黙読と音読では黙読のほうが速いわけですから、音声や動画が付けば、その分、読む時間がかかり、手軽ではなくなります。
    思想と文化の観点から見て、「マンガ家とゲーム作家とアニメーターの仕事は接近し、融合していく可能性がある。」という意見に対して異義を唱えたのですが、のん様の仰るような時代論で言うなら、現代は、消費を拡大、細分化する一面もあります。ゲーム機で、猫も杓子も同じハードを買わせて普及させようとした時代から、PS2、PSX、PSPのように、用途によってエキスパート化していったように。
    むしろ、上で挙げられたようなフラッシュアニメも、マンガや映画、アニメの代用品ではなく、「フラッシュアニメ」という1ジャンルとして、独自の進化があるのではないかと思います。
    マンガは挿絵の付いた小説でも、動かないアニメでもないし、アニメは動くマンガではない。当然、小説は絵の無いマンガでもないでしょう。「モニターで読むマンガ」はすでにマンガの定義を逸脱しているのではないでしょうか?

  10. たけくま より:

    >佐山さん
    僕の言っていることと、佐山さんのおっしゃってることは実はそんなに違わないと思います。
    マンガはもちろん、紙で読むのが一番です。
    ただなぜ僕がこういうことを書いたかというと、現実問題として、多くのマンガ家がPCでマンガを描き始めているという事実があるからです。
    もちろんそれは、最終的に紙媒体に落とし込むことを想定して描いているわけですが、描くのがすでに紙ではなくモニター上で、ペンではなくタブレットで描く人が増えていますよね。
    これはマンガ表現自体を変質させていくだろうと僕は思います。
    実際、藤原カムイなどはずいぶん昔からPCで描いてますけど、「自分の作品は、本当は紙ではなくモニターで読んでほしい」とまで言ってました。
    こうした「モニター感覚」がマンガの現場に入り込みつつあるのは事実でしょうし、であるならば、それはアニメにより近づいていくだろうというのが僕の予想です。これは、その方がいいとか、そうなるべきだということではないんです。
    たぶん、否応なしにその方向に向かうだろうと思うわけです。
    佐山さんの言うとおり、マンガの発展史からすればそれは退化というか、もはや別物になっていくわけですが、当然、紙のマンガには紙媒体のメリットがあり、その意味で残っていくと思いますよ。

  11. 佐山 より:

    御返事有難うございます。
    私も竹熊先生の言わんとする大意は理解しています。
    ただ、「モニター感覚」が漫画の現場に入ってきたからといって、それがメインストリームになって、紙媒体「も」、「残る」のではなく、やはり紙媒体が主で、タブレットで描く人もいるよ、くらいかな、と。
    俳句における自由律俳句くらいの位置で止まるかな、と思います。
    というのも、PCを通しての表現が、必然ではなく、単なるスタイルの破壊の域を出ない気がするからです。『恋の門』のように、石に漫画を描いたり、自動書記で描いたり、ボディペインティングで描いたり、というのは人目を引くし、新しい試みとして記録される価値があると思います。しかし、手法ではなく、作品として見た場合、それが普遍性を持つかは別問題だろうと思います。
    例えば、寺田克也、藤原カムイ、萩原一至、士郎正宗などは電脳的手法で独自の境地を拓きましたが、純粋に「漫画」としては、『ガラスの仮面』の方が面白いと思ってしまうのです。
    まあ、マンガの矜持として、「絶対に映像化できない」と言われるようなものを私は評価するきらいがあるので、こんなに突っ張ってるのかもしれません。
    (男性作家なら松本大洋、二階堂正宏。女性なら吉野朔美、鳩山郁子、という具合に。)

  12. ZO より:

    マンガ史の流れで読むべきというのは少々
    アトムを皮切りに、和製アニメは商業的にも表現技法的にもまんがに飲み込まれた傀儡政権、USA傘下にくだった戦後日本のようなものだと考えているので、氏のみたては正直甘いと思う
    あれはむしろ美少女ゲーの延長にある作品だと思うのですが、どうでしょ

  13. madox01 より:

    はじめましてmadox01と申します。
    あれは島根のSF大会の時だったかなぁ。
    新海さんをお呼びして「ほしのこえ」の上映会をやってたんですけどね。
    そのとき確か東浩紀さんだったが「これはアニメの文法じゃなくて、美少女ゲーのOPムービの文法で作られてるよ」みたいな話をしてみえました。
    アニメの文法じゃないっていうのは、動画→原画って流れでアニメ作家になった人は動かすことを念頭におくんだけど、「ほしのこえ」はそうじゃなくて止め絵でOKというか、止め絵中心で考えているってことですね。

  14. 長谷邦夫 より:

    自由律俳句という位というのはどうでしょうか。
    『ほしのこえ』の作りが、モニター漫画と
    アニメの中間をいくジャンル~と考えてみる
    のも面白いかも。
    新開さんが、そう意識して制作されたかは別に
    して。こうした一人製作アニメをアート・アニメ
    という位置付けではない視点で、別のマンガ家が
    モニターマンガとして、このレベルで描くとした
    らどうでしょう。
    紙のマンガが過去の遺物的になるには
    まだまだ時間がかかるはず。
    アジアのマンガも日本レベル時代に
    なったりするまで、かなり年月が
    かかりそうだし。コミケも盛んな
    ようですし。

  15. 生さんま より:

    あけましておめでとうございます。
    『ほしのこえ』ですが、私も美少女ゲーの文脈で読むのが一番近いように思います。↓に『ほしのこえ』のパロディがあり、かなり悪意的にですが、美少女ゲー的な『ほしのこえ』の本質の一端を突いています。
    http://www.eonet.ne.jp/~geika/es8.htm

  16. 佐山 より:

    >長谷邦夫樣
    >別のマンガ家がモニターマンガとして、このレベルで描くとしたら
    それも一つの問題で、宮崎駿が賞を取ったら、日本アニメが凄いのか、イチローが大リーグに行ったら日本人が凄いのか、というと、それは単に宮崎駿、イチロー個人が偉いのであって、いくら新開誠が凄くても、後に続く者がいなくてはジャンルとして成立しないのではないでしょうか。
    マンガの発展も、手塚治虫の後に、トキワ荘出身者がいたからで、突出した個人だけで時代が変わるということはないと思います。
    また、マンガがアニメとの融合を指向しても、アニメーションは、またアニメーションとして別の地平を目指していると思います。
    それは、小中千昭のようなCGを殺したCGであったり、クエイ兄弟や、チェコのパペットアニメーションのような世界、演劇的表現、など。
    そして日本のアニメはマンガの延長ではなく、紙芝居、講談の延長であり、『ほしのこえ』も、その範囲の中のもの、と思います。

  17. ZO より:

    >マンガの発展も、手塚治虫の後に、トキワ荘出身者がいたからで
    これもどうだか。
    いいかげんトキワ荘伝説で戦後まんが史を語るスタイルはやめる時期ではないでしょうか。
    それからまんがのTV進出というのは月光仮面(いうまでもなく実写)あたりを皮切りに昭和30年代の初頭よりすでに行なわれていることで、虫プロアトムの出現も実はその延長なんですよ。
    日本アニメーション史をきちんと研究しているはずのひとでさえ見落としていることが多いのでちょっぴり苦言を。

  18. 忍天堂 より:

    ある漫画家がモニターで読む漫画を製作すると仮定しまして
    「吹き出しの部分を声優に喋らせて口の部分だけアニメーションにしよう」
    「主人公がライバルに勝った場合と負けた場合を読者に選択出来る様にしよう」
    「ここの戦闘シーンには激しい音楽を流してみよう」
    と色々してるうちに突き詰めてしまえば、結局は従来のアニメ(ゲーム)になってしまい
    その中間のものが現状の枠組みを越えるという事は難しいのではないでしょうか
    例えといっては何ですが(笑)
    美味しんぼの究極VS至高のメニューの鍋対決で
    究極のメニュー側が「なんでも鍋」を出したのに対し
    海原雄山が「スッポン鍋」「フグチリ」「アワビのシャブシャブ」「ハモとマツタケの鍋」「カニ鍋」
    を出し至高の五大鍋と定義した様に
    自分も「漫画」「アニメ」「ゲーム」「小説」を
    創作エンターテイメントの至高の四大鍋と定義し
    モニターで読むからといってこの四つを越え
    新たなメインストリームになるモノは、まず現れないだろうというのが自分の予想です。
    いや、まあ新しいモノが現れたらそれはそれで嬉しい事ですがね(笑)
    漫画もアニメもゲームも最近では全てパソコンで製作しているので
    仕事の部分で現在より融合するというのはあるかも知れませんね。

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