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2005年3月15日

中森明夫「おたくの研究」をめぐって(2)

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中森明夫氏の才能というのは、ある漠然とした状況をひとつの言葉で切り取って提示する「フレーミング力」にあると俺は思うわけです。つまり一種の広告代理店的な能力で、そこは天才的なものがあると思いました。俺は「おたくの研究」をリアルタイムで読んでいるんですけど、「うまいこと言うなあ!」とヒザを打ちましたよ。自分を棚にあげて。

ちなみに、俺の周囲の「おたく」では、中森君が書いた内容に本気で怒った人は、ちょっといなかったですね(※)。キツイジョークだとは思ったけど。だいたい中森氏自身が、外見を含めて見るからに「おたく」だったわけですよ。彼はアニメではなくアイドルマニア出身で、だいたいペンネームからしてそっち方面丸出しじゃないですか。

それから、俺はちっとも覚えてないんだけど、古い友人である桜玉吉と初めて会ったとき(1979年)、俺が玉吉に「おたくさあ」って呼びかけたらしいんですよ。それが第一声だったらしい。それまで玉吉は、そういう呼ばれ方をしたことがないので、ビックリしたそうです。このあたりのことは『桜玉吉のかたち』に本人の証言で出てきます。

で、当時の俺のファッションというのが、母親がイトーヨーカドーで買った時代遅れのサファリジャケットにTシャツ、ズボンは70年代中期に流行ったパンタロン風のGパンで、ヨレヨレのスニーカーを履き、頭は1週間くらい風呂に入らずワカメのようになった7:3分けの長髪(肩まであった)、そして脂のついた銀プチ眼鏡に、漫画でパンパンになったミリタリー風のショルダーバッグを下げているという、まさに中森氏の描写そのままの、絵に描いたようなオタクでした。体重も48キロそこそこのガリガリ体型。

その後、宅八郎があの格好でマスコミに登場したとき、何人もの旧友から「竹熊がTVに出ているのかと思った」と連絡をもらったくらいです。

その俺が、「おたくの研究」を読んでもちっとも不快に思わなかったばかりか、ゲラゲラ笑っていたのですから、事態は複雑でしょう。少なくとも俺の周囲では、大塚さん以外では不快感を表明した人はいなかったですねえ。その大塚さんにしても、「これを読んで不快に思う読者がいる」という前提で、どちらかというと編集者としての倫理感とか義務感で中森氏と対立した感じがするんですよ。

「おたくの研究」の第一回は6月号ですから、5月売りかな。それで8月に晴海のコミケがあって、もうそのときには「おたく」という言葉はおたくの間で燎原の炎のごとく流行っていました。みんな口々に「●●はおたくだから」とか、「ああ、俺はオタクだ、悪かったな」とか、そんなことを言い合っている。本当に、あっという間でしたね。

で、そのうちに、「俺たち自覚しているオタクはいいけど、●●のように、社会性ゼロの困ったちゃんはどうしよう」みたいな話になって、「そういうどうしようもないのは以後、ピーと呼ぼう」なんてことも周囲ではありましたね。ピーというのは、インドネシア語で「精霊」の意味らしい(追記・コメント欄のインサックさんのご指摘で、ピーはタイ語だと判明しました)。

とにかく、当時を知る人間として、ここではっきり書いておきますけど、「おたく」という言葉は、最初から「おたく」の間だけで流通していた「自分たちを差別する言葉」だったということです。実に奇妙な事態だと思いませんか。中森氏の原文を読む限り、どう考えても「差別用語」に違いないのに、差別する主体と、差別される側が最初から一致していたのですよ。こんなヘンな差別用語って、俺は「おたく」くらいしか知らないんですけど。ああ「やおい」もそうでしたね。

こうした状況に最初の転機が訪れたのは、その6年後に突如として発生した宮崎勤による連続幼女誘拐殺人事件からでした。たぶんここで「真の差別語」としての「おたく」が、初めて使われたんだと思う。あの前代未聞の猟奇事件を前にして、事件の説明に窮したマスコミが、それ以前からあった「おたく」という言葉に注目して、これを積極的に使い始めたわけです。

そこでの「おたく」の使われ方は、ある意味「正しかった」のだけれど、自分たちが自嘲の道具として特権的に使っていたこの言葉が、はじめて「外部」から自分たちに向けて使われたことで、オタク界はパニックに陥ったのでした。それ以降おたく(オタク)は一般的な言葉として、あらゆる人が使うようになったわけです。それ以前に一般の人が差別的に「あいつらおたくだから」とか言っていたかどうか、俺は知りません。たぶんほとんどなかったはずですが。

それで宮崎事件は、大塚氏や中森氏の双方にとって多大なショックを与えたようで、緊急出版された『Mの世代』(89年、太田出版)で両者は6年ぶりに再会して、和解に至るわけです。それまで犬猿の仲だった二人が手を結んで本を作った背景の本当のところは、俺はよくわからないんですけど、本を読めば「おたくという状況に最初から深く関わってしまった責任感」が理由のようです。

ただ、彼らは「おたく」という言葉の発生には関わっていたけど、別に「おたく状況」そのものを一から作ったわけではないので、ちょっと自意識過剰かなと当時は思ったんだけど。ただ大塚さんは最期まで宮崎事件の公判に出席したようで、そこはスゴイと素直に思うけどもね。大塚さんは非常に情念的な人ですからね。感情に論理の衣を着せる天才。それで、彼が「ブリッコ」時代から一貫して語っていることは、「われわれが生きている、この時代は不毛だ」ということなんですね。実際「ブリッコ」の編集後記読むと、やたら「不毛」とか「祭りは終わった」とか出てきますからね。

それこそ自分が関わっていたロリコン漫画ブームからして「時代の不毛」の現れなんだれども、その「不毛」で自分はオマンマを食べていることに対して、ものすごい屈折と韜晦が彼にはあるわけですよ。だから彼にとっては「不毛」の帰結として宮崎事件はあったのだろうし、それに対して目をそらしてはならないと主張していることは、わかる。

同時に、失踪した吾妻ひでおや夭逝したかがみあきらなどに対する大塚氏の尋常ならざる思い入れもまた「不毛な状況の犠牲となった天才」という文学的な意味で、わからなくもない。

それで中森氏が「おたく」とひらがなを使っていたことを、大塚氏もそのまま踏襲して、90年代以降のたとえば岡田斗司夫氏などが商売的にカタカナの「オタク」を使うことに対して、異議を申したてる意味で「おたく」にこだわっているのではないかと思うわけです。要するに岡田氏は「不毛」に対する自覚がないか、あったとしてもそれを隠蔽しているのではないかと。まあ岡田さんからすれば余計なお世話だろうけど、大塚さんというのは潔癖性というか、そういう人ですからね。

俺自身は、宮崎事件は正直ピンとこなったというか、スルーしてしまったんだけども、『サルまん』やってたときは、確かに「不毛意識」はあったかもしれない。でもそこを適当にごまかしていたら、ようやくオウム事件でやられた感じがあります。

ちょっと、えらく長文になってしまったので、本日はこのくらいにしますけど、話題としては今後も考えていきたいと思います。

※追記。怒った人はいなかったというのは、どうやら俺の記憶違いだったみたいで、ブリッコの読者欄では読者からの抗議の手紙が掲載されていました。ただ、個人的には本当に会ったことがないんですよ。まあ、その時点で俺の周囲には特にひねくれた連中が多かったためかもしれません。


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| コメント(53)

“中森明夫「おたくの研究」をめぐって(2)” への53件のフィードバック

  1. 丸々 より:

    サルまんに「おたく」という言葉が出てきたのは相原が竹熊に「おまえって、ひょっとして今話題の…お・た・く?」というシーンでしたっけ。あのあと竹熊が黙り込んでその後おたくに関する言及はなかったんですよね。

  2. おく より:

    13分でこれだけの考えをまとめて打ち込む作業してるわけですか。それともあらかじめ長いのを2つに分けてるのですか。

  3. Wen より:

    ロリコンが不毛っていうのを見て
    ギャグかなあと思ってちょっと笑ってしまいました
    ブリッコの読者の手紙が倒錯的な自己嫌悪みたいのが見えて興味深いですね。

  4. より:

    長いので誰か三行以内にまとめて

  5. 100t より:

    「おたく」と言う呼び方が、自然発生的な呼称だったんですかね。

  6. ゆきち より:

    素晴らしい文章をありがとう。
    > 自分たちが自嘲の道具として特権的に使っていたこの言葉
    おそらく、現在これに相当するのが「萌え」でしょう。先のOTAKU展に対する感情的な反発は、その「萌え」の特権性を(既にかなり弱くなっていたとはいえ)奪われたからでしょうか。

  7. K-EN'Z WEB より:

    おたく:人格=空間=都市

     自分の中の一部を否定するなと言っておきながら,僕の中には,もうかれこれずっと長いこと否定され続け,それこそが今の自分の原動力ともなった,「負の遺産」がありま…

  8. インサック より:

    >「そういうどうしようもないのは以後、
    >ピーと呼ぼう」なんてことも周囲では
    >ありましたね。ピーというのは、インド
    >ネシア語で「精霊」の意味らしい。
    「ピー」はタイ語です。
    日本語で言うところの「精霊」と「お化け」の両方の意味があります。
    ああ初めて竹熊さんのエントリにコメントできるネタがあった。感激。

  9. たけくま より:

    ↑あ、これはどうもありがとうございます。今までずっとインドネシア語だと勘違いしていました。勉強になりました。

  10. 中村情苦 より:

    大塚さん→岡田さん 「ボクの前に立つな!」
    大塚さん→森川さん 「じゃあ、何をやったんだ!」
    Orz
    新現実読みました。
    長谷邦夫さんの言うとおりでした。
    あのインタビューは何だったんだ。

  11. たな より:

    不毛な時代って言葉には共感するんだけど、、
    マジメに勉強したり主張したりしても不毛だから
    どうせ不毛ならならパロディやったりして
    踊らにゃソンソン!
    ってのがブリッコ読者世代「おたく」の共通感覚ジャマイカ
    つーか不毛じゃない状況ってのが
    逆に想像つかなかったりして。

  12. 長谷邦夫 より:

    トシヨリなんで、つい昔話になってしまいますが、おたく的な存在が出現したのは、やはり
    SF界ですよね。
    そういう意味で大伴昌司さんを取材した竹熊
    さんは正しい。
    大伴さん以前では、やはり野田宏一郎さんで
    しょう。彼のコレクションはものすごい。
    クーラーをきかした専用マンション部屋を
    当時持っておられたというウワサを聞いて
    います。
    フジTVで「ちびっこのどじまん」を制作
    した人ですが、8ミリで『怪獣カメラ』とか
    を作ったとか、遊んでいたんですね。
    彼に目をつけてたのが、マガジンの内田勝
    さん。図解ページなどで、アメリカのSF
    イラストを紹介していました。
    「宇宙塵」同人会によくやってきていた
    超能力研究の斉藤守弘さんもおたく的人物
    でしたね。
    「いま、タイムマシンを製作中だ」、「金の
    卵を産んだアヒルが本当に存在する」などと
    ぼくらをケムに巻いていましたよ。
    日本版<信じようと・信じまいと>の
    ライターというわけです。

  13. adachi より:

    ありがとうございました
    以前大塚英志の話題を希望したものです
    最近の「ネットで学ぶおたく入門道場」wみたいな流れ楽しみに読ませてもらってます
    >大塚さんは非常に情念的な人
    政治的なことであったり文学についてであったり、とにかく廃れ行くもの或いはマイノリティ
    の側に立ってプロレスをするのが芸風みたいになっちゃてますが、氏の情念の核になる様なエピソード
    なりをできれば知りたいと思いました。
    それはおたくの血が流れてるからだよ、とか言われると身も蓋もないんですがw
    不勉強な為、つっこみ所満載かと思いますのでコメント欄でも指摘していただけると幸いです

  14. たけくま より:

    >長谷先生
    斉藤守弘! 昔の少年雑誌では「前衛科学評論家」の肩書きで、オカルト現象などを「科学的」に説明する記事をよく書いてましたね。僕の世代では、忘れがたい名前の一人です。

  15. より:

    はじめまして、おたく論楽しく読ませていただいてます。
    「おたく」という言葉は、最初から「おたく」の間だけで流通していた「自分たちを差別する言葉」だったということです
    というのは確かに当時そうでした。自分はその頃高校生でしたが、結構、あっけらかんと「オレ達アニメとかそういうの好きだし」みたいに
    自虐的というほどではないのですが、なんていうか、主流から外れている自分を認識するために「おたく」という言葉を使っていたような
    感覚がありました。周囲が異性とかセンスに目覚めてカッコよく身ぎれいになるのに反比例するかのようにファッションに気を使わない
    連中というポジショニングでしたね。
    でも「おたく」=「社会から逸脱している連中」という認識までは行かなくて、なんか変な連中として扱われていたような気がします。
    「おたく」だと?オマエの全てを否定してやるということはなかった。
    最近、若い層のおたくを見てるとおたくがおたくを激しく非難して、否定するという事態がよく起きている。
    うちらの世代はまあ、なんとまあ大らかだったのだなあと感慨深く感じたりして…。
    「おたく」という言い方が一気に蔓延したのって私の記憶だと「超時空要塞マクロス」の影響が多少なりともあると思います。
    輝とミンメイが互いを「おたくさあ?」とか呼び合ってんの見て、アニメ好きが互いを同じように「おたくさあ?」と呼び合うことが流行ったんですよ、確か…。
    「マクロス」は82年のアニメなので時期的には合うような気がします。
    その後、例の中森氏のコラム見てああ、「おたく」が来ていると感じてました。
    私らの周りでもあのコラム見て怒った人はいませんでしたね。なるほど道理でオレらモテないわけだと納得はしましたが。
    大塚英志氏といえば、白倉由美氏に入れ込んでいたような記憶があるのですが、この辺の話を詳しく聞きたいです。

  16. ずろ より:

    >>追記・コメント欄のインサックさんのご指摘で、ピーはタイ語だと判明しました)。
    >>日本語で言うところの「精霊」と「お化け」の両方の意味があります。
    僕はタイ語は知りませんが、仲の良いタイ人がいます。年上なので、彼のことをピー○○(例えばナンさんだったら、ピーナン)呼んでいます。日本語の「○○さん」というより、「○○兄弟」とか「親愛なる○○」という感じ。敬愛とか親愛の意味が入るようでうす。
    竹熊漫談、予約しました。

  17. 小形克宏 より:

    話題ふってくれてありがとう。でも当時のことって、ほとんど忘れているんですね、本当に。
    人物取材なんかで、こちらがすごく関心のあることなのに、インタビュイーにとってはそうでもなく、「昔のことだからなあ」なんて肩すかしされたことありませんか? はからずしも、今のぼくがそう。
    僕自身は「漫画ブリッコ」は大塚氏とチームを組んで白夜に持ち込み、受け容れられて編集したという記憶があり、だから巷間言われているように彼が編集長といわれると違和感があります。もちろん、僕が編集長というわけでもない、二人でやった。
    ただ、これはあくまで当時の実感で、思い出してみれば僕の担当ページ(たとえば「おたくの研究」)にも大塚氏は容喙していたわけで、そういう意味では彼が編集の実験を握っていたんだな、とこれは後になって思うこと。
    大塚氏とは僕が「ふゅーじょんぷろだくと」を手伝っていた1980〜81頃、初めて会いました。その頃彼は「リュウ」の編集バイトをやっており、二人で「他じゃ読めない自分達の漫画雑誌を作ろう」といって、それで出版社を回り始めました。
    役割は彼が企画書書き、そして僕が知り合いの出版社に電話をかけ、持ち込むというもの。たしか、竹書房と白夜書房(セルフ出版)の2つが話を聞いてくれ、後者が実際に仕事にしてくれた。
    「ブリッコ」の前に「美少女漫画全集」みたいないい加減なタイトルで(もう忘れた)、自分達なりの漫画雑誌を出したのが、我々のチームの初仕事だったと記憶します。結果的にこれがブリッコのパイロット版になりました。
    幸いそれがある程度実績を上げることができ、当時左前になっていた「ブリッコ」の編集を引き継ぐ形で、我々がやることになったと記憶します。
    ブリッコは二人で作家を出し合って作りましたが、半々というのは言い過ぎで、僕の方が担当作家は少なかったはずです。僕の担当はみやすのんき(ひろもりしのぶ)、白倉由美、桜沢エリカ、東京おとなクラブ、他にいたっけ?
    岡崎京子さんは我々とは面識はありませんでした。しかしおとなクラブの人脈で、当然僕が担当するつもりでしたが、大塚氏が先に電話してしまい、結果彼が担当になったはずです。何の理由か忘れましたが、ちょっとして白倉さんとバーターする形で担当を入れ替えました。
    白倉さんを大塚氏に引き合わせたのは僕です。彼女は「ふゅーじょんぷろだくと」の同人誌販売店「フリースペース」の常連で、そこで僕が声をかけました。漫画家になりたいというので、彼女に作品を描かせ(当時僕が好きだった大友風(笑))、それを大塚氏に見てもらったのが最初です。自分の好みを押し付けちゃダメだと諭された記憶がある(わっはっは)。
    なんか「忘れた」といった割りに、悪い癖で長くなりそうだからこのへんで。でも、こういうことって、なにか面白いんだろうか? たぶん面白いんだろうね。でも本当に漫画から遠ざかってしまったので、よくわからない。

  18. たけくま より:

    ↑感謝。
    そうか、岡崎さんとは直接面識なかったのか。でも「おとなクラブ」人脈だから、もとはといえば小形くん系列ではあるよね。
    当時小形くんが群雄社で作ってたエロ本の編集部に、よく岡崎さんが来てたのでてっきり小形くんが彼女をブリッコに連れてきたんだと思いこんでました。時系列が逆か。
    ブリッコの前身になった雑誌は『COMICキュロット・デラックス』(セルフ出版)では? 実は俺持ってるんだよ(笑)。今、書棚から探し出したんだけど、ラインナップが中島史雄、谷口敬、飯田耕一郎、火野妖子、藤原カムイ、中田雅喜、それから夏目房之介(笑)。編集後記を「おーつかえーじ」と「緒方源次郎」が仲良く書いてます。

  19. 小形克宏 より:

    白夜の斉藤さんの話が出ていますね。
    思い出しついでにもう一つ。ずっと後年になって何かの席で斉藤さんと一緒になった時のこと。「大塚くんがああなっちゃったのは、かがきあきら(あぽ)さんのことがあってからですよね?」と聞いたら、それは本当にそうなんだ、あの時からなんだと彼女も同意してくれました。
    「ああなっちゃった」というのは伝わりづらいニュアンスだけど、彼はある時点から非常に付き合いづらくなったんですね。冗談が言いづらいというか、すぐ口論になるというか。
    群雄社で徹夜仕事をして時のこと。彼が電話をかけてきて「かがみくんが死んだんだ」といった時の暗い暗い声は、よく覚えています。彼は遺された手帳をたよりに、片っ端から連絡をとっている最中でした。つらい作業だったと思います。
    僕自身はかがみさんとは全く面識はありませんでしたが、大塚氏がとても入れ込んでいたことから、彼が大きなショックを受けているのがよく分かりました。自分がしっかりしていれば、かがみさんの死を防げていたかもしれないという思いもあったのでしょう、とても悔しそうに話をしていた記憶があります。
    ブリッコが読者から支持をうけたのは、かがみさんの表紙のインパクトが大きいはずです。ああいう繊細な女性を描く人は当時あまりいませんでした。絵だけで人をはっとさせる力量がありました。
    そういう意味ではかがみさんが僕らにブリッコをもたらしてくれたと言えるのですが、同時に彼の死は、ブリッコのゆるやかな終わりの始まりとなったように思います。
    もうおしまい。仕事だ、仕事!

  20. ああ より:

    宮崎事件でいっきにおたくなる用語がブレイクしたとされていますが、これは正しくありません
    正確にはおたく族と呼んでいました
    つまり、得体の知れない民族としてあーだこーだとTVのワイドショー等で取り上げられていたのです
    中森氏は個体としてのおたくに着目したと思うのですが、例の事件を通して世間さまはむしろ総体として捉えた。そう考えます
    このズレについて論じていくと面白くなるのですが、どういうわけか誰もやらないようですね

  21. たけくま より:

    ↑いや、中森くんが問題にしていたのも「総体としてのおたく」でしたよ。彼の原コラムを読めば、文中にある「そんな奴ら」という表記からもそれはわかるでしょう。第一回のタイトルも「街にはおたくがいっぱい」だし。
    中森くんは自分のミニコミ「東京おとなクラブ」でも、「宝島少女」(今で言う不思議ちゃんのこと)とか、ある一定の傾向の若者層をネーミングてくくって揶揄するコラムをいっぱい書いていて、それが初期の芸風になっていました。
    コラムでは「族」という言葉こそ使ってませんが、宮崎事件のあとに出した『Mの世代』では、普通に自分で「おたく族」と使っているし、そこに「マスコミのいうおたく族と、自分のいうおたくは別」というニュアンスの話は出てきません。

  22. nanasi より:

    前エントリが一部意味不明だったのでこちらでも伺っておきます
    >で、そんな状況下で僕らはごく普通に「○○はオタクだからなぁ」
    >「それを言ったら俺も俺も」みたいな会話をしていたような記憶が
    >あるんですが
    ↑で竹熊さん御自身が引用した文の人たちは、単に「他人をおたくと呼ぶような人たち」ではなく、「○○はオタク」と「ある種の人たち」の定義として使用しておるわけですが。まだ弱いですかね。記憶が曖昧なのは弱いと思いますが。

  23. 匿名 より:

    >だいたい中森氏自身が、外見を含めて見るからに「おたく」だったわけですよ。
    80年代、竹熊さんはやせておられて、一時期ちょっとアレ(でここ数年でまともに)
    だった庵野秀明氏や樋口真嗣氏も写真を見る限りやせておられました。
    中森氏や大塚氏の80年代の外見はどうだったのでしょうか?

  24. たけくま より:

    >nanasiさん
    ああ、すみません。レス返してなかったですね。
    これは、僕の書き方が不十分でした。確かに、ゆうき氏の記憶の通りなら、nanasiさんのおっしゃる通りなんですが、ゆうき氏自身も、断定に至るほど確かな記憶ではないようです。
    僕自身も、中森コラム以前に、「そういう人たち」を「おたく」とくくって呼ぶという概念にふれたことはありませんでした。ただ他人を「おたく」と呼ぶ人は、自分を含めて何人か知っていたので、ああ、そういえば中森の言うとおりだなあ、とヒザを打ったというわけです。
    当時の僕はSF系やアニメ系の人脈に乏しく、たとえば「マクロス」もちゃんと見てなかったので、そちら方面で積極的に「おたく」と呼ぶことがそこまで流行っていたとは知らなかったんです。
    ですから、ゆうきさんの言うとおり、「そういう人をオタクと呼ぶ」という「上位概念としてのオタク」が、既に発生していたことはあったかもしれません。ただ、僕の知る限り、明確な証拠がないのが現状です。
    ただひとつだけ確かなことは、「上位概念としてのオタク」が決定的に流行ったのは明らかに中森コラムがきっかけだということです。その意味では、かりにゆうきさんの疑念が正しかったとしても、「おたく」という言葉の始祖は中森明夫と断定しても構わないのではないか、というのが僕の立場です。ゆうきさんにしても、流行語になった直接の原因が中森コラムであることまでは、否定できないんじゃないかな。
    ただ中森氏は、大塚氏との決別以降、「新人類」とか「トンガリ・キッズ」などの知的オシャレ系サブカルの人になってしまったので、残されたオタク連中からは「裏切り者」扱いされていたのは事実です。だから、今でも中森氏を「おたくという言葉の始祖」とするのに、オタク第一次世代の中には抵抗がある人がいるのでしょう。

  25. たけくま より:

    ↑↑大塚さんと中森さんって、体型が似てるんだよね。二人とも昔から丸顔で小太りで。それが歳とともに風船が膨らむようにパンパンに(笑)。
    あまり書くと怒られそうなのでこのくらいにしておきます。

  26. 中村情苦 より:

     濃い話、驚嘆して読み漁りました!
    自分の生まれる前にこんな歴史があったのか・・・

  27. nanasi より:

    たけくまさんご回答ありがとうございます。しっかりした記憶か記録か出たら面白いでしょうが、なにぶん昔のことですし、と。「留保つきで」名付け親というのはありですね。

  28. ああ より:

    >そこに「マスコミのいうおたく族と、自分のいうおたくは別」というニュアンスの話は出てきません
    んー残念ながらたけくまさんも正確には読めないでいるようですね。
    いいですか、中森氏の’83年のエッセイはやはりある特徴をそなえた若者というニュアンスなんです。ある種のお店にいくと必ずみかけるタイプの若者がいる云々、と。
    ですが、例の事件の際に一気にメジャーになったのはおたく「族」なのです。どうしてあの事件後におたく人間があわてたのかというと、それまでは自らのおたく性(明確な定義はまだなかったが)は自分の意思で選んだものだと自分では考えていたところに、「族」というグルーピングがなされることへの恐怖があったはずです。
    自分の自由意志で選んだと思っていたものが大局的には構造的なるものの部品のひとつでしかないことを悟らされる恐怖、という言い方はSFちっくでしょうか。

  29. 匿名 より:

    ↑自分で言うのは構わないけど人に言われるのは嫌だ、というのを難しげに言い換えただけじゃないのかな。

  30. ああ より:

    例えば日本国内にいると、さまざまな人間がいるなあと思うものですよね。でも海外で異人種・異文化のなかに放り出されると男も女も若者もじーさんばーさんも、ニホンジン臭さという共通項がなんとなく匂ってくるのだそうです。
    で、体はともかく目がガイジン化するある日、自分たちがまわりよりどうみられているのかを悟ってしまう瞬間というのがあります。初期大友まんがの衝撃と言っていいかな。あの感じ。
    例の中森エッセイは今読むと結構内部からの目線という感じがします。が、事件後にいわれたおたく「族」という論じ方になると、それこそガイジンさんの見たニッポンジンカッコ悪ーイなそれにとても近い。そして、それに反論してもそれこそ連中の考えるニッポンジーンな特徴にまんまとはまってしまう。
    個性とか人格(と自分では思い込んでいたもの)を剥ぎ取られる恐怖ですねこれ。いっしょうけんめいおしゃれしてお化粧したのに、相手からは自分が理科準備室の人体標本的にしか観察されていないと気がつくその瞬間!

  31. 匿名 より:


    つまり、自ら捨て犬になったのに「負け犬」って言われたみたいな?

  32. ああ より:

    >人に言われるのは嫌だ、というのを難しげに言い換え
    うーんこれも違うな。誰でもお気に入りの音楽ってあります。誰もがそれを自分の自由意志によって選んだものだと思っています。
    が、そういうまさに個性の一環と思ってきたものがマスとしての特徴としてあっさり標本化されてしまうのって怖くはないでしょうか。
    マーケティングとか、そういう表面的な市場調査を超えて自分自身のレゾン・デートルにまで踏み込まれるという究極のホラー体験。

  33. たけくま より:

    ↑ああさん、ちょっとそれは無理読みなのでは。
    中森氏の原文からして、特定の誰かに向けられたものではない、ある層をグルーピングする(レッテルを貼る)文章ですよ。だから大塚さんもこれを差別だと断じて、連載を打ち切ったわけで。
    SFやアニメを愛好すること自体は、自分の意志で選んだ行為だけれども、これを中森氏が問題にしたわけではない。ただそういうマニアックな人に容姿やファッションにこだわらず、社交性に欠ける人が多いということを問題にしたので、この部分は別に意志的な選択ではないでしょう。
    中森くんがレッテルを貼ったのはマニアにあちがちなこうした無意識的な属性の部分で、それをグルーピングして「おたく」と名付けたわけです。結局マスコミが使った「おたく族」とまったく同じ意味だと思うけどね。
    違いがあるとすれば、中森氏は辛辣な冗談として「おたく」と呼んだけど、マスコミの使い方はジョークではなかった、ということですかね。

  34. たけくま より:

    レスを書いているうちにやりとりが進んでいた(笑)

  35. ああ より:

    >自ら捨て犬になったのに「負け犬」って言われたみたいな
    あこれは面白い表現ですね
    そして肝心な点は、負け犬と言われたから怖いのではなく、客観的にみてまさにそれだと悟らされてしまうということにあるのではないでしょうか。

  36. ああ より:

    わ~いたけくまさんがお見えになった~
    >特定の誰かに向けられたものではない、ある層をグルーピングする(レッテルを貼る)
    ですから、彼は特定の誰かを想定して言ったものではないとは思うんですね。
    でも、うまくいえないのですがあのエッセイの視点もまた実際にはおたくエリアの内側にあったように今は読めるのです。
    89年の事件でようやくキャメラがその外側に出た。そんな風に思います。
    >それをグルーピングして「おたく」と名付けたわけです。結局マスコミが使った「おたく族」とまったく同じ意味だと
    どうでしょうか。中森氏が「おたく」と呼んだ際には彼自身のことは含まれていなかったのでしょうが、「おたく族」の場合ですと当の中森氏もその一人に括られていたようにも感じます。だからこそ宿敵の大塚氏と『Mの世代』であそこまで語り合ったわけです。

  37. 匿名 より:

    おたく(中森氏とか)に言われてもコップの中だけど世間相手は違うよねというのはこれまでさんざん言われてきたし竹熊さんも言ってたように思うよ。
    自分は自分の意思でこれ好きでいるんだもんねと言いつつそれを好きになるしかなかった、というのはあるけど「ハマる」ってなんでもそんなもんですし。

  38. ああ より:

    >「ハマる」ってなんでもそんなもんですし
    はまるというのとも違うな。いわゆるおたく男なファッションについては今なおネタの定番ですよね。でも、これは当人は別に考えて選んだというものではないわけです。
    が、それがマスとしてはまさにな特徴になっている。そして、そのことに気がつかされるのってその人(「私」でもいいかな)にとっては恐怖ですよ。
    自分では意識していないようなごくささいなしぐさでも、海外でだとまさにニッポンジーンな特徴として浮かび上がってくるものです(ぬかみそ臭さとも言いますけどね)。

  39. 匿名 より:

    おたくは原田知世のファンが多かったような。

  40. adachi より:

    沢山の興味深い書き込みをみることができてうれしいです
    これらの材料でまた、妄想しなおして楽しめそうです
    普段、文章書かないせいで外人みたいな、まぬけな文になってしまいましたがw
    ありがとうございました

  41. 匿名 より:

    >大塚さんと中森さんって、体型が似てるんだよね。
    このあたり、当時の活字媒体などをチェックしても
    わからないことなので、下の世代にとっては
    ありがたい情報です。レスありがとうございました。

  42. 忍天堂 より:

    >アニメーションは立派な芸術の一形
    >態と考え、私なりに真面目にこの趣
    >味を考えています。
    ブリッコの読者欄での読者からの抗議の手紙に
    オタクと芸術を絡ませる記述があるのをみて
    自己の行動を正当化させる為に芸術という言葉を使う人間は昔からいたんだなと思いました。
    自分が森川嘉一郎氏に胡散臭さを感じさせられたのも
    オタクを世間的に認知して欲しいという考えを自分が理解出来ないからかも知れません。

  43. 匿名 より:

    >オタクを世間的に認知して欲しいという考えを自分が理解出来ないからかも知れません。
    森川氏はこのようなタイプの屈折した感情は理解しているようです。
    『VOICE』誌で石田衣良氏と対談していますが、そこで世間から認知されることへの
    反発とそうなったら領域を移す(ゲーム→エロゲーなど)オタク特有の
    「ダメ志向」について語っています。
    (ここでいう「ダメ」とはいい悪いではなく、はまっているところを人に見せられるか、
    という基準での「ダメ」です)
    このあたり『私とハルマゲドン』における、非生産的なことだからこそ
    熱中するスタイル=おたく、という竹熊さんの論の延長線上でしょうか。

  44. ああ より:

    >オタクと芸術を絡ませる記述があるのをみて
    >自己の行動を正当化させる為に芸術という言葉を使う人間は昔からいたんだなと
    でもこんなにまじめな方もいますが
    http://www4.ocn.ne.jp/~tmf00a/11162004.html

  45. 匿名 より:

    ああさんが典型的な「オタク」だということはよくわかりました。

  46. ああ より:

    それが不思議なことに
    おたくくさいと言われたことは
    ここ10年ないんです

  47. 内藤朝雄が『図書新聞』2718号(3月19日付、今出てます)に寄稿「おまえもニートだ」

    宮台真司による内藤氏の紹介 稲葉振一郎の読書録、04年12月8日 稲葉氏のはてな 吉川浩満氏による記事の紹介 2ch社会学板 内藤朝雄★★領域独創  site:…

  48. 小形克宏 より:

    伊藤さん
    うるさいこと言ってすみません。
    僕の脛だって傷だらけですから、他意はありません。
    どうかこれからもよろしくお願いします。
    竹熊
    自分の発言でも引用してしまっていたことを思い出し、
    あわてて見に来たら、適切に処置してくれた後でした。
    どうもありがとう。

  49. たけくま より:

    ●竹熊ですが、16日の当コメント欄で、伊藤氏がブリッコの元スタッフだったSさんに関する記述の中で、Sさんの了解を得ないで記述した部分があり、小形克宏氏から疑義が提出されました。伊藤氏もこれについては配慮不足を認め、削除を申し出てきましたので、竹熊の判断で最低限の削除を加えたうえで再アップします。
    ※以下、再アップ
    ●伊藤コメント(1)
    大塚英志というひとは、たいへん複雑な人物ですよね。
    実際、いろんな意味でデカい存在だと思います。
    あだや疎かにできんというか。
    しかし、一方で80年代からこっちのマンガ史・オタク(別にひらがなでもカタカナでもぼくはどっちでもいいと思っていますが)史のある部分は、「大塚史観」に大きく規定されてしまっていると思います。
    実際に「ブリッコ」の誌面をみてみると分りますが、「美少女系」の嚆矢であると同時に、ニューウェーヴ・コミックの末尾という感触も強くあります。そこが先行していた「レモンピープル」と異なる点ではないかと思うのですね。また、大塚氏が降板して以降の「ブリッコ」から、後続誌の「ホットミルク」へとつながる流れや、並行する「ペンギンクラブ」の創刊と大部数化など、大塚氏はほとんど無視しています。「ホットミルク」の投稿はがきからマンガ家になっていったひととか、存在としては小さくないと思うのですが。
    いずれにせよ、大塚氏の「史観」は彼自身の来し方についての言及をほぼ出ないのですね。そうした内省性や「自分語り」は、彼の誠実さの表れかもしれないけれど、しかし、ここまで続くと「自分を確認すること」の強迫的な反復に思えてきます。そんなに自分のやってきたことや、自分の存在を認めることができないのかなあこのひと、と思いますね。まあぼくはそういう「エイジ君」の
    おセンチなところが好きだったんですが。
    (以下、Sさんに関する発言部分を削除)
    投稿者: 伊藤 剛 (3月 16, 2005 03:26 午前)
    ●たけくまコメント
    ↑僕の知る限り、大塚さんという人はロリ属性はほぼ皆無ですからね。じゃあ、なんでロリコン雑誌なんか作っているのかと聞いたら、「そのほうが売れるから」という答えが返ってきたのをよく覚えてますね。当時、本人は梶原一騎が大好きだと言ってた。
    「ブリッコ」をニューウェーヴ・コミックの末尾だという指摘は正しい。彼がブリッコを作っていた83~84年は、「マンガ奇想天外」のようなニューウェーヴ系がほぼ絶滅しかかっていた時期で、要するに大塚さんや藤原カムイ、あと俺を含めて「列車に乗り遅れた」わけですよ。
    そういう中で、雑誌を売りつつ好きなことをやろうとしたら、当時売れ筋だったロリコン物を前面に押し出すしかなかったわけで。大塚さんが当時さかんに編集後記で「不毛」と韜晦していたのは、そういう背景があったからだと思う。その意味では、正直な人ですよ。
    だから、ロリコンではなく「美少女誌」なんだと彼は強調していたわけだし、他のロリ系雑誌が扱わなかった岡崎京子や桜沢エリカを積極的に扱っていたわけ。あと彼の「趣味」の部分で、古い劇画系の絵である飯田耕一郎のオカルト物をしつこく連載していたり。たぶん人気は全然なかったと思うんだけど、これが後に原作者となるときのベースになっているんですね。
    それから「ブリッコ」に関しては、彼の「相棒」だった小形克宏の功績を無視することはできないんだけど、小形に関しても、大塚さんはまるで最初からいなかったかのように無視している。でも岡崎京子や桜沢エリカを見いだしたのは小形だし、中森明夫を連れてきたのも彼。なんだかんだでブリッコ作家の半分以上は小形人脈なんだけどね。
    投稿者: たけくま (3月 16, 2005 08:28 午前)
    ↑上の16日小形氏発言の前に、これが入ります。
    ●その後、上の伊藤氏発言のSさんに関する部分に小形君の疑問が入ります。以下、問題部分をぼかして再録します。
    ●小形氏コメント
    伊藤剛さん
    (※伊藤コメントの問題部分の発言がここに入る)
    ふと思ったのですが、これは信義上、口外してはいけないことではないでしょうか。
    もしもインタビュイーがこれを見たら、どう思うでしょう?
    投稿者: 小形克宏 (3月 17, 2005 09:41 午後)
    >小形さま
    伊藤です。
    たしかに、ご指摘のとおりインタビューイの方への配慮が足りなかったと思います。不測のご迷惑がかかる可能性も考えられますから。
    私も通常はインタビューイの許可なく内容は公開することはしないのですが、少々勇み足でした。面目ありません。
    >たけくまさん
    たいへん申し訳ありませんが、私の該当の投稿を削除していただけないでしょうか(投稿者本人では削除できないようです)。もしここでの議論の流れが分らなくなるなどの問題が生じるようでしたら、対応はお任せいたします。
    お騒がせいたしました。
    では、失礼いたします。
    投稿者: 伊藤 剛 (3月 17, 2005 11:29 午後)
    ●と、いう流れです。
    本来、僕はむやみな削除は極力、しない主義ですが、上のケースでは、この場にいない第三者に迷惑が及ぶ可能性を考え、竹熊の判断でこうしました。
    ただ問題発言といっても、法にふれるようなものではありませんし、現実に問題が生じたわけではありませんので、念のため書いておきます。

  50. たけくま より:

    ↑う。修正アップしなおしたら、すでに小形くんのレスが。なんか前後が反対ですが、上のコメントの次に、その上の小形コメントが来ます。ああややこしい。

  51. 伊藤 剛 より:

    >たけくまさん
    お手間をかけました。対応に感謝します。
    >小形さん
    こちらこそ、よろしくお願いします。
    ぼくも何かと粗忽なところがありますので……自重します。

  52. 小杉あや より:

    こんにちは。ご無沙汰しております。(って覚えていただけてるか不明・・・)おたくコラム、楽しませていただきました。
    今回のコラムの本文中に
    「で、そのうちに、「俺たち自覚しているオタクはいいけど、●●のように、社会性ゼロの困ったちゃんはどうしよう」みたいな話になって、「そういうどうしようもないのは以後、ピーと呼ぼう」なんてことも周囲ではありましたね。」
    とあり、外国語のはなしになっておられますが、漫画ブリッコから「おたく」コラム撤退後、しばらくしたあとのレモンピープルの蛭児神建氏のコラムに(手元にないもので適当な情報で申し訳ありません)「最近は放送禁止用語という意味で、ピーと呼ぼうということになった」という主旨の文章があったように思われます・・・。ピーのはなしを聞いた氏が書いた、のかもとも思われるのですが(憶測)一応こちらにかいておいてみます。当時「定着しそうな名前に逆らって名付け親になりたいのかなあ。」←非常に失礼だが、読者的感想。と思ったものです。
    書き逃げのようですみません。(しかも遅れて)失礼します。

  53. たけくま より:

    おお、あやさんお久しぶりです。
    ブリッコスクールメイツ時代から輝いてましたね。
    「ピー」放送禁止用語説ですが、それは実は知りませんでした。でも、ありそうな話ではあります。
    僕が聞いた相手は『漫画ゾンビ』という同人誌を出してた(同名の著書もある)宇田川岳夫氏からです。彼ともブリッコ時代からのつきあいでした(宇田川さんは同誌とは無関係でしたが)。宇田川さんが「ピーは東南アジアの言葉で精霊とか妖怪という意味で」と言ってたんですよ。
    しかし、蛭児神説のほうが、正しそうだな…。

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