たけくまメモMANIAX

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2005年7月24日

ぼぼぶらじるさんへ

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以下のエントリーは、「俺の愛する平田劇画(1)」のコメント欄でのぼぼぶらじるさんの書き込みへのレスとして書かれたものですが、なんだか長文になってしまったのでコメントではもったいないと思い、改めてエントリー化したものです。以下のリンクでのぼぼさんのコメントをお読みのうえ、本文をお読みください。

http://memo.takekuma.jp/blog/2005/07/post_1913.html#c3233539

>ぼぼさん

「劇画」の起源はハッキリしていて、1957年、関西の貸本作家・辰巳ヨシヒロが自作『幽霊タクシー』に「劇画工房」の名前を冠したのが最初です。

広辞苑のその定義は少し違っています。紙芝居の正式名称は「画劇」です。ただ同じ意味で「劇画」と言われたこともあったのかもしれませんが、俺個人は確認していません。

なぜ辰巳が「劇画」と言い出したかと言うと、「大人向けで笑いの要素のない・リアルな内容のストーリーマンガ」を描こうとしたとき、従来の「漫画」だと「児童向け」のイメージが強すぎるので、これとの差別化を図ろうとしたことがきっかけだとされています。

ほぼ同様の意味で、関西貸本作家のさいとう・たかをは「説画」、松本正彦は「駒画」という名称を提案しました。さいとうが説画と唱えたのは、それこそ「画劇=紙芝居」と混同されると思ったからだそうです。しかし彼らは全員友人でもあったので、話し合いの結果、やはり語感がよいということで「劇画」の名称に統一、辰巳とさいとうを中心に「劇画工房」のチーム名を使用して「大人向けのシリアスなストーリーマンガ」を描こうとしました。

彼らがペンタッチに強弱をつけて骨格のあるプロポーションのキャクターを描いたり、陰影を細かく描きこんで写実的な雰囲気を出すようになったのは、作品の「シリアスさ」を強調するため必然的に出てきたテクニックです。それが後に「劇画タッチ」と呼ばれることになるわけですが、厳密に言えば劇画の本質は絵柄にあるのではなく、手塚作品も含めた「ストーリーマンガ」そのものが劇画なのだといえます。ただその読者対象が「大人向け」かどうかの違いがあるだけです。

ただし手塚は、関西貸本界で発生したこのムーブメントを自分への挑戦だと考え、露骨にこれをライバル視したことで有名です。手塚は死ぬまで自分の作品を「劇画ではなく、マンガ」と主張し続けたので、なんとなく世間では「劇画」と「手塚マンガ」を対立するものとしてとらえられていましたが、事実は手塚が勝手にそう思いこんでいただけのようです。

実際、以前俺がさいとう・たかを氏にお会いしたとき、「われわれは手塚さんを尊敬こそすれ、対抗する意図はなかった」ことを強調されていました。ただ児童向けとは違うマンガを描こうとしただけなので、手塚さんがこれを過剰に敵視したことは、劇画派にとってはどうやら想定外の出来事だったようです。

大人向けでシリアスな作劇というと、実は手塚が1953年に描いたドストエフスキー原作の『罪と罰』などがまさにそうです。これは絵柄が従来の手塚マンガであるだけで、その内容は完全に「劇画」であったと俺は考えています。57年に端を発する「劇画」は、初期においては手塚風の丸っこいタッチが主流で、いわゆる「劇画タッチ」が成立するのは1960年くらいからになります。

つまり劇画においてはなによりも理念が先にあり、その理念に基づくテーマやストーリーが先行したので、絵柄としての劇画タッチが最初にあったわけではないということです。さいとうや辰巳の初期作品を見ると、後の作風とは似ても似つかない手塚風だったりします。白土三平なども初期は手塚風の絵柄でした。

この問題がややこしいのは、後に少年マガジンなどの少年誌が白土三平や水木しげる、さいとう・たかをなどの「劇画派」作家を積極的に起用して「劇画ブーム」を支えたこと、また劇画を否定していたはずの手塚自身の作風が、明らかに作画面を含め狭義の劇画調を巧みに取り入れ始めたことなどで、60年代末頃には、「劇画」と「漫画」、「大人向け」「子供向け」は事実上融合してしまい、ただ業界政治的なスローガンとして対立構造(?)のみが残ってしまったことです。

問題を整理すると、「劇画」とは「(大人向け)ストーリーマンガ」の別の言い方なのであって、劇画調の絵柄は、結果として表れた副次的なものに過ぎない。ただその「絵柄」の特徴がそれまでの手塚タッチとはあまりに違うものだったので、手塚自身これを脅威に感じ、また世間もあのリアルな絵柄を劇画と認識した、ということではないでしょうか。

つまり「劇画」という言葉には広義と狭義がある。広義にとれば手塚作品も「劇画」に含まれるし、狭義には、さいとう・たかをなどのリアル風作画が「劇画」ということになるのだと俺は解釈しています。

俺が「劇画風アニメ絵」と呼んだのは、虫プロに集ったアニメーターや演出家には貸本劇画出身者が多く含まれていて(杉野昭夫や荒木伸吾、真崎・守など)、彼らがアニメ版『あしたのジョー』などで陰影と骨格のあるアニメ作画に取り組んだことを指しています。それが、虫プロでキャリアをはじめた安彦良和などに受け継がれていって、「ヤマト」や「ガンダム」などの「劇画風SFアニメ」を支えていったのはないかと。

ここでの僕の「劇画風」の使い方は、狭義のそれですね。

個人的には、マンガ史的に見ても、手塚治虫の死去以降「劇画」と「漫画」の区別はほぼ消滅したのではないかと思います。実際それは手塚が70年前後に『奇子』とか『きりひと讃歌』などの「大人向けストーリーマンガ」を描きはじめたあたりで事実上、消滅していたのですが。ただ政治的な意味合いで残っていただけであって、それが手塚さんとともになくなったのではないかと考えるわけです。

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| コメント(46)

“ぼぼぶらじるさんへ” への46件のフィードバック

  1. 漫棚通信 より:

    詳細な分析、すごいです。辰巳ヨシヒロ以前の劇画の呼称ですが、「冒険活劇文庫」「少年画報」編集長の平木忠夫が、「黄金バット」を含めた戦後すぐの絵物語を、劇画と呼んでいなかったでしょうか。

  2. ぼぼぶらじる より:

    >たけくまさん
    ありがとうございます。
    感激いたしました。
    辰巳ヨシヒロの用法には「劇」が「芝居」「西部劇」などと通じ大人向け本格的娯楽という意味があったのでしょうね。
    そうですね。劇画を「物語風に長編化した」本格的なストーリー漫画として捕らえるとそれを初めてやったのはおそらくは手塚さんだろうと思うのです。「来たるべき世界」とか。戦後解禁になった30年代40年代の海外映画の影響が強いように思います。
    でも、手塚さんの劇画家への敵対心と嫉妬はつとに有名なので、その定義にはどうも違和感があったのです。
    >「奇子」とか「きりひと賛歌」」などの「大人向
    >けストーリー漫画」を描いたあたりで事実上、>消滅していたのですが。
    言われて見ますと「ブッダ」「アドルフに告ぐ」「グリンゴ」「陽だまりの木」といくらでも出てきますね。
    広義の劇画と狭義の劇画という理解は非常にすっきりします。
    ただ、ストーリー性という点で劇画を広義に定義すると、どのような漫画にもストーリーというのは存在するわけです。
    これが長編化する事は、子供漫画でも可能であったし手塚以前でもされていたと思われます。また劇画でも読みきりは長大なストーリーを形成できません。
    それを考えますと、大人向けのシリアスさを強調してストーリーや描写などを凝らせて写実化し、従来の子供向け漫画との差別化を図った戦後の50年代後半からの新しい漫画の流れを劇画と呼んでよいのでしょうか。
    映画自体、大人向けの本格娯楽として写実性をもって作られていたので。映画などに影響されより高度化し「単なる子供だまし」から脱却した時点で戦後漫画の劇画化は始まっていたのかもしれませんね。

  3. G より:

    凄い説得力です!
    他のブログではコメントを読んだ事はありませんが、ここだけはコメント込みで興味深い話が目白押しですね。

  4. 長谷邦夫 より:

    虫プロが参加というか、あの
    『あしたのジョー』劇場アニメ、
    おっしゃる通りですね。
    今では考えられぬ原画の
    描き方です。
    ちばさんのペンタッチを
    彼等なりに再現しようと
    していました。
    そのことが、かえって「劇画
    タッチ」を感じさせることに
    なっていて、面白く興味深い。
    専門学校のマンガ・コースで
    見せています。

  5. たけくま より:

    >漫棚通信さん
    ほう。それは存じませんでした。すると「劇画」という名称そのものは、意味するところはともかく辰巳さん以前にもあったということになりますね。
    >ぼぼぶらじるさん
    >それを考えますと、大人向けのシリアスさを
    >強調してストーリーや描写などを凝らせて写
    >実化し、従来の子供向け漫画との差別化を
    >図った戦後の50年代後半からの新しい漫画
    >の流れを劇画と呼んでよいのでしょうか。
    まさに、そういう理解でよろしいかと思います。

  6. 匿名 より:

    たけくまメモは勉強になるなあ。
    日テレの「世界一受けたい授業」からのオファーはないんでしょうか?

  7. jwtoshi より:

    劇画という言葉がマンガ以上に広がりを見せた時期があって、その頃マスコミでは池田理代子の「ベルサイユのばら」を劇画と呼んでいたのに、凄く違和感を感じた物です。絵柄を抜きにしたストーリーマンガという意味ならその通りなんですが。

  8. 匿名 より:

    たけくまさんのこの説明はどうだろう
    Oh!漫画のなかで、僕は結局妥協して大阪の面々に合流したんですよ云々と語っていました。
    一輝まんだらのことを劇画であるから細かく背景をかきこめとスタッフに指示している場面が『手塚治虫物語』の下巻にもあったような記憶が。

  9. より:

    やはりアニメ版あしたのジョーは劇画だったんですね。でも演出の出崎さんは手塚風の漫画をかつてCOMに連載してたというのは何か面白いです。辰巳さんが80年代に描いたSFものすごく乾いていてシュールでした。自分が学生のとき神保町で古本屋を営んでいた辰巳さん、普段はサインはしないと言いつつサインを笑顔でしてくれました。いい思い出です。

  10. 流転 より:

    初めて書き込ませていただきます。
    そうですね、70年代に「劇画」という言葉がものすごくメジャーだった時期がありました(かく言う私も当時「劇画人」と言うアマチュア・グループにぞくしておりました)
    長井豪の「魔王ダンテ」のぼくらマガジン連載時のあおり文句が「奇想天外超劇画」!でした。

  11. 7月24日は「劇画の日」 より:

    本日、7月24日は「劇画の日」だそうですね。
    http://www.d-web.co.jp/log/kyo/0724.html
    既出ならごめんなさい。

  12. レポレッロ より:

    >「劇画」とは「ストーリーマンガ」の別の言い方なのであって、劇画調の絵柄は、結果として表れた副次的なものに過ぎない。
    たけくま先生の説はすごく面白いんですがどうも納得しがたいんですよね。
    劇画がストーリーマンガではあっても、ストーリーマンガ全てが劇画ではないと思うんですよ。元々明確にマンガとして描いていた手塚さんの初期の作品までも、後世から見て広義の劇画に含められる、というのはちょっと無理がありませんか?
    世間の一般的な定義では逆ですよね。
    広義のマンガの中に少年マンガも少女マンガも劇画も四コママンガも全て含まれる。したがって絵と吹き出しで読ませるスタイルは全てマンガ。フランスのバンドデシネもアメコミも全部マンガなんだ、と。
    そういう従来のカテゴリーの方がシックリくるのは自分だけでしょうか?
    劇画調の絵柄が結果として出てくるというのはよくわかるんですが・・・。

  13. たけくま より:

    >レボレッロさん
    初期の劇画工房の作風やマニフェスト等を見ても、「劇画=大人向けストーリーマンガ」以上の意味を見いだせないんですよね。僕が書いたことは、あくまでも「劇画」の本来の意味からすれば、青年読者層を意識して描かれたある種の手塚マンガも「劇画」の範囲に含まれるということです。これは手塚さん本人が「劇画」という言葉を感情的に否定したこととか、「世間的な意味」とは、とりあえず関係ありません。
    ただ70年代以降、「劇画」という言葉が保守化、ないしは風化していった印象があるのは事実で、たとえば大友克洋とか「北斗の拳」とか、浦沢直樹などの作品も、以前であれば明らかに劇画と呼ばれたでしょうが、作家も出版社もこれを劇画として売った事実はなかったと思います。
    80年代に入ると、「劇画」という言葉は「おじさん向けマンガ」とほぼ同義になり、若手作家で(仮に劇画風の絵柄をとっていても)これを積極的に使用する風潮はなくなりました。
    現在は、さいとう・たかを氏のように自覚的に「劇画」と名乗る場合を除いては、カタカナ、ないしは平仮名の「マンガ」が一般的になっています。基本的には、肩肘はって「これは大人向けなんだ」と主張しなくとも、大人もマンガを普通に読みますので、ある意味で「劇画」というカテゴライズは歴史的使命を果たし終えたのかもしれません。
    「劇画という言葉は、広義のマンガの中に全部含まれる」というレボレッロさんの主張は、結果としてはその通りになっていると思います。ただフランスのBDやアメコミまで「マンガ」に含めると、あちらのファンは嫌がるかも(笑)。あちらからすれば「マンガ」はあくまで「日本のコミック」のことですから。

  14. たけくま より:

    そういえば、「ストーリーマンガ」という言葉は、いつ、誰が言い出したんだろう。
    なんとなく僕の印象では、「劇画」という言葉が生まれた後、手塚さんかその周辺が劇画に対抗して言い始めたような気がするのですが…。
    どなたかご存じありませんか。

  15. ああ より:

    イガグリくんをあげつらったまんがを作者の福井氏にとがめられた際に、ストーリーまんがを打ち立てたのは手塚くんなのにぼくの技法を手抜きというのは筋が通らないではないかと詰め寄られたという記述が手塚自伝にありました
    イガグリくんが連載されていた頃の逸話ですので、昭和26~29年。つまりこの頃にはもう業界では定着していたのではないかと

  16. soorce より:

    さいとう・たかを先生の「劇・男」(2003年)の巻頭にはこんな言葉が引かれてますね。
    >たかをはスタッフ相手に、よく気炎を上げていた。
    >「わしは、"劇画"の捨て石になるんや!
    >劇画が辞書に載るまで五年でも十年でも使い続けるでぇ。
    >辞書に載るちゅうことは、一般社会がみとめるちゅうことやからなあ」
    >と—-。
    実際、何版からかは分かりませんが広辞苑に載っちゃってるわけですからたいしたもんですよね。

  17. かわせみ より:

    プラザとかエロトピアとか、
    劇画タッチのエロマンガが登場したのもそのころなんですかね?
    というかそもそも日本で最初のエロマンガはどのようなタッチだってんでしょうか?

  18. ああ より:

    60年代の後半にはもう青年漫画誌がいくつかありました
    でも、エロトピアのような露骨なH路線ではなかったと思うのですが

  19. ぼぼぶらじる より:

    >たけくまさん
    ありがとうございます。
    何か分かった気がします。
    >劇画を否定していたはずの手塚自身の作風>が、明らかに作画面を含め狭義の劇画調を
    >巧みに取り入れ始めたことなどで、60年代
    >末頃には、「劇画」と「漫画」、「大人向け」
    >「子供向け」の区別は事実上融合してしま
    >い、ただ業界政治的なスローガンとして対立
    >構造(?)のみが残ってしまったことです。
    この部分は本当に隔靴掻痒に手がとどいたような気がします。70年代に劇画が前に出てきたので、多くの一般人には闇歴史なのですよ。劇画を認識したときにはすでに内部で形骸化していた。
    どこかで聞いたような話が断片としてあったのですが、食い違いあってて、それらを総合してたけくまさんのような一つの矛盾しない全体像として把握出来なかったのだと思います。
    漫棚さんがおっしゃつたように「黄金バット」ですでに劇画漫画という言葉が使われていたとすれば(これ「紙芝居漫画」とごっちゃになってる危険性もあると思うのですが)バタ臭さからアメリカからの文化影響があったんじゃないかなと。
    また、大人向けを志向した結果、シリアスさが前面に出、劇画とギャグ漫画というのはある種相性の悪いことになったのかなと。
    「劇画 Q太郎」はいやにシリアスで、「そうか正ちゃんは大人になったんだなあ」といってQ太郎は帰っていきます。ここで劇画という言葉で表現されたのは「子供世界(手塚的世界)」の「大人世界」への以降と「夢」の終焉なのですね。
    良い風に考えれば、手塚は「子供世界の夢やファンタジア」を「ストーリー漫画」という言葉によって守りたかったのかもしれません。
    劇画的タッチを取り入れた後期の作品を見ても手塚は「空想性」を失っていない。
    「ファンタジア(空想性)」はまさに大人をターゲットにし、リアリズムを志向した劇画家達が「ストーリー(物語)」の中でずいぶん起き忘れていったものなんですね。「トキワ」の漫画家は全て持ってたきがするんですが。
    (さいとう・たかをの「ゴルゴ13」とかは今では立派なファンタジーに成長しましたが。「サバイバル」とかはそうじゃありませんよね)
    劇画のリアリズムは一方でグロに発展した気がします。
    現在においては、劇画調のギャグ漫画がある種のミスマッチとしてありますが。
    「北斗の拳」は広義にも狭義にも「劇画」の要件が当てはまると思うのですが、私的には「劇画」と呼びたくない、しっくりこない。なんでですかねえ?
    まあ基本的にファンタジーだからかもしれないし作者がいってるように実はギャグ漫画だからかもしれない。誰かご意見ありませんでしょうか?
    さて、アニメ絵、萌え絵ですが、もしかしたら萌えって感覚はアニメが漫画より先じゃないかなと思うのですが。アニメ絵というのはアニメから漫画という表現手段への逆のベクトルへの影響かもしれない。
    さっき、映画と漫画の話を出しましたが、違ったメディアの表現方法が相互に影響しあう場合があるとおもうのです。
    現在では萌えのメディアミックスというのが商業的に行われてますが。
    >劇画風アニメ絵(北野英明、村野守美、安彦良和などの系統)、そこに少女マンガの>要素が加わった80年代美樹本晴彦系統、そして90年代以降の「萌え」系に発展し
    >たと思う
    仰るとおり、決定的な要素は少女漫画の要素かともおもいます。目、髪。
    そこに劇画の写実と時代の洗練。
    美樹本晴彦=少し暑苦しい感じの劇画調アニメ絵+少女漫画の影響+時代の洗練なんでしょうか。
    ただ、じゃあ少女漫画はどこから来たのでしょう。
    外国人によく聞かれるのは顔の四分の一を占める奇形的に「大きい星の入った目」なんです。気になるみたいですね。
    確かに目を大きくするのは感情表現で有利なんですが、あんまり海外では一般的にない日本オタ絵独特の表現です。
    これは、少女漫画から来た気がするのですが、誰が最初なのでしょう?
    このあたり少女漫画と他の漫画の関係がはっきりしません。
    手塚さんは少女漫画も書いていましたよね「リボンの騎士」とか。
    また劇画の写実影響は少女漫画にもあったはずです。
    随分絵柄も変わってますよね、最近12頭身とか見なくなりました。
    また機会がありましたら御腐人がたとの親交の深いたけくまさんにご教示ねがえれば。
    また、90年には萌えって普通に使ってましたが、87年ぐらいにはもう同人的なシーンではあった気がします。
    たけくまさんがご存知の日本最古の「萌え」の使用例は何年あたりでしょう?
    日本最古の萌え絵は?

  20. たけくま より:

    ぼぼぶらじるさんが↑をアップされている最中に、本文を一部修正しました。ぼぼさんの引用文と合わない部分ができてしまいましたが、論旨に変更はありません。

  21. たけくま より:

    >ぼぼさん
    少女マンガの絵柄にも系譜があります。中原惇一などのファッション画や、戦前の叙情画の流れが手塚流ストーリーマンガと融合したものが戦後の少女マンガですが、系譜を細かく検証しだすとそれこそアール・ヌーヴォーまで遡ってしまうので、今はちょっとそこまで論じる余裕がありません。
    萌えの語源については、いくつかの説があるみたいですね。ネットを探せば解説サイトがありそうです。
    僕個人は、96年くらいにニフティの会議室で見たのが最初だったと思います。少なくとも90年代初頭くらいにはさかのぼれそうですね。

  22. かわせみ より:

    >>ああさん
    それより以前にも、新漫画集団の人などが、大人向け漫画を描いていますね?
    しかし、彼らの画風は(人によるかもしれませんが)劇画とは大きく異なっていたと思うんですよ。
    今の人は浮世絵の春画を見てもどうということがないように、その時代の人が、どのような画風ののマンガに性的な興奮を覚えたのか、というのは、なかなか興味深いと思うのですが。

  23. ぼぼ より:

    >たけくまさん
    いや話を広げてみただけで、無論、機会とエネルギーがあればということで。
    とまれ、劇画とは何かという疑問が氷解いたしました。良い日曜です。力作をありがとうございました。
    >アール・ヌーヴォーまで遡ってしまう
    いわれれば、ミュシャとか少女漫画的ですね。
    荒俣さんの絵柄にアール・ヌーヴォーを感じたこともありました。
    アール・ヌーヴォー自体ももともと、パリ万博の影響で起こったヤポニスムやシノワズリの生体的デザインが、デコや古典復興のネオクラシシズムの影響を与えたものですから「萌え絵」の「浮世絵」のデフォルメと巨大化に一部回帰してくるのかもしれない。
    「摩羅」がおおきいのも「目玉」が大きいのも同じことかもしれませんね。
    文化交流というのは面白いものですね。
    ぜひ、「系譜」というのは重要ですので徹底的に研究して将来何十年後かには、漫画の様式史を世界の美術様式史をつなげて学術書にしてください。
    文化論的なアプローチは、面白ければどうとでもいえますので、飽きてきたんですね。
    話は変わりますが、梅図かずおの「イアラ」と石森章太郎の「ジュン」「7P]QJでEbook化きぼん。
    「女犯坊」はGJです、「念彼観音力、リキ、リキ、リキ」といいながら仕事やらなにやらしております。

  24. ああ より:

    >それより以前にも、新漫画集団の人などが、大人向け漫画を描いていますね
    大人向けといっても劇画的エロスではないのでこれは外せるのではないかと

  25. へのへのもへじ より:

    面白いです、たけくまさんは、アクシデント的
    な出会いをプラス方向に持っていってる
    と言う意味では、最大限にインターネットの
    強みを生かしてると思います、今更言うまでも
    無いでしょうが、なんか新しい物が見えて来た
    気さえします。
    ぼぼさん、これからも面白い突っ込みを是非
    読んでますハイ

  26.  ぼくはリアルタイムに「貸本劇画」を読んでいた世代ですが、60年代後半に、石子順造氏が、いわゆる「ガロ」系のマンガ家の作品を「劇画」と呼び始めたことに、ひどく違和感がありました。「ガロ」系のマンガ家は、自分たちが劇画家だと自称していなかったからです。
     それでも、よくわかっていないマスコミが、石子論に乗っかってしまって、貸本系出身者なら誰でも劇画家にされる風潮ができてしまいました。
     それ以降、ぼくは、劇画工房直系のひとたちを「自称劇画家」、そうでない「劇画家」を「他称劇画家」と呼ぶようになりました。
     もっとも、ぼくが熱心に貸本屋に通い始めた1964年頃には、すでに「自称劇画家」も、さいとうプロ系の絵柄の人たちで席捲されていました。その代表が「ありかわ栄一→園田光慶」氏でした。
     その頃、もうすでに辰巳ヨシヒロ、松本正彦、K元美津、山森ススムといった方々の作品は、子ども心にも、古めかしく感じられて、とても読めたものではありませんでした。
     http://www.m-sugaya.com/blog/archives/2005_06.html
     ↑その頃の思い出を、このあたりで綴っておりますので、よろしければ、ご覧になってみてください。

  27. たけくま より:

    ↑なるほど、確かに「ガロ」の正式名称は「月刊漫画ガロ」でしたね。

  28. たけくま より:

    ↑すがやさんの「仮面ライダー青春譜 第二章」拝読しました。60年代当時のリアルタイム読者しての証言は貴重だと思います。
    僕の上のエントリでは、「劇画」という言葉が普及した経緯に、石子順造やマスコミが寄与した部分が大きい事実が欠落していたと思います。
    石子にとって「劇画」は、たぶん自分の世代感覚を代弁するイデオロギーのようなもので、劇画工房系の人に肩入れするあまり…といった感じでしょうか。当時のマスコミに関しては、「マンガ」よりも語感のいい営業上のキャッチフレーズとして使われたのだと思います。
    僕なども、リアルタイムで劇画の誕生につきあった世代ではないので、その頃のことは石子や「漫画主義」同人の文章(呉智英を含む)で知った部分が大きいです。知らず知らずに石子らがイデオロギー的に提示した枠組みでマンガ史を見ていた部分があると思います。そこは、反省点ですね。
    結局は最初から最後までイデオロギー的に利用されてしまったのが「劇画」という言葉で、それゆえに現在はあまり使われなくなっているわけですが、純粋に「ストーリーマンガ」を言い表す用語としては、そんなに悪い言葉でもなかったのに、と個人的には思います。

  29. >たけくまさん
     石子順造氏は、「ガロ」系の人たちを中心に文章を書き、「劇画工房」系の人たちに言及することは少なかったのではと思います。もっとも1960年代中盤から、さいとう・たかを氏を中心に、劇画の雑誌進出が加速したあたりから、劇画工房系の作家のうち、辰巳氏、松本氏などのメジャー雑誌への乗り換えができなかった方々は、どちらかというと「ガロ」の方向にシフトしていきました。
     劇画系からいち早く雑誌にシフトしていた川崎のぼる、園田光慶氏らは、最初に登場したのが少年雑誌だったこともあってか、劇画という扱いはされていません。メジャー雑誌への「劇画」登場でエポックだったのは、やはり、さいとう・たかを氏の『007シリーズ』(ボーイズライフ)だったと思います。
     また、貸本劇画の終焉期に、依然として「劇画」をキャッチフレーズにしていたのは、さいとうプロと、東京トップ社で描いていた、さいとうプロ系の絵柄の人たち(南波健二、旭丘光志、影丸譲也……)と、佐藤まさあき氏くらいでした。ぼくが最初にアシスタントをした江波じょうじ先生は、貸本出身ですが、東京で生まれ育ち、ひばり書房という出版社を主戦場とし、また、早くから「少年サンデー」などに進出していたせいか、「劇画」という呼称には、こだわっていませんでした。
     60年代後半の「雑誌での劇画ブーム」の頃も、積極的に「劇画」であり続けようとしたのは、さいとう・たかを氏くらいだったのではないでしょうか。
     60年代終盤、双葉社の「漫画ストーリー」で貸本出身の人たちが描きはじめ、その人たちが創刊された「漫画アクション」を主戦場にしていきますが、それまでとは絵柄もペンネームも変えて再デビューのようなかたちになります。それがモンキー・パンチ氏でありバロン吉元氏であって、ぼくは、ダディ・グース氏も含めて、「ニューウェーヴ・コミック」と読んでおりました。バタ臭いイメージがありましたので。バロン吉元氏が、横山まさみちプロで「鉄火場シリーズ」を描いていた吉元正氏と同一人物だったことを知ったときも、あまりの絵の違い、内容にショックを覚えたものです。ちなみに吉元氏も、もりまさき(真崎守)、みやわき心太郎、星川てっぷ氏らと同じセントラル出版の「街」で募集されていた新人賞の出身です。出崎統、荒木伸吾氏は、「街」のレギュラー組でした。

  30. ああ より:

    いっぱいレスがついていますが
    白土の名前はなぜかでてこないようですね

  31. たけくま より:

    >すがや先生
    ああ、そういえば確かに。石子さんらも、劇画の起源についての記述では必ず「劇画工房」を引き合いに出しましたが、実際に肩入れしていたのは東京組の貸本作家が多かったですね。
    でも白土三平・水木しげる・つげ義春さんたちの場合、確かに自ら「劇画」と名乗ることはなかったようですが、手塚さんのように、これを否定することもなかったのではないでしょうか。
    この人たちの場合、「マンガ」と呼ぼうが「劇画」と呼ばれようが、どちらでもいいみたいな感じだったように思われるのですが。そのへん、実際のところはどうだったのでしょう。
    あと関係ないですが、石子順造氏や権藤晋氏ら「劇画」に過剰な肩入れをしていた人たちが主催していた批評同人誌のタイトルが「漫画主義」だったというのは面白いですね。呉智英さんも、新崎智という本名で「白土三平論」とかを書いていました。
    それからすがや先生、ストーリーマンガという呼称がいつごろから始まったものか、なにかご存じでしょうか。「劇画」以前からあった言葉なのか、ちょっと気にかかっています。

  32. >たけくまさん
     とりあえず、こちらは「先生」じゃなくて構いませんので。あまりマンガ家という意識もありませんので。
    「漫画主義」は、当時、リアルタイムで読んでいましたが、マンガって、そんなに大層なものなのだろうか……と、首をひねっておりました。こちらが、頭を使わずに楽しめる娯楽をめざしていたせいもあると思いますが。
    「ストーリーマンガ」という呼称については、「マンガ家入門」あたりで遭遇したのが最初かなあ……。「マンガのかき方」に出ていたかどうか(この本、現物はあるのですが、押し入れの天袋の奥に入っているので、すぐに出てきません。秋田書店版です)。
     ストーリーマンガという用語があったとしたら、おわらいまんが、ユーモアまんが、こっけいまんがあたりに対応したものかもしれませんが……。
    「ギャグ」や「パロディ」という言葉は、トキワ荘グループの方々がマンガにも導入してきたような印象がありますが、たぶん、その元になっているのは、「ヒッチコック・マガジン」や「ミステリマガジン」といった当時のディレッタントなサブカルチャー雑誌だったのではないかと思います。

  33. レポレッロ より:

    >僕が書いたことは、あくまでも「劇画」の本来の意味からすれば、青年読者層を意識して描かれたある種の手塚マンガも「劇画」の範囲に含まれるということです。
    レスありがとうございました。
    ちょっと忙しくて見るのが遅れてすみません。
    たけくま先生のお考えはよくわかるのですが、ただ自分の固定観念かもしれませんが、初期の手塚マンガを劇画に含めるのにはやはり抵抗があるんです。
    決して劇画をマンガより下に見てるとかいうのではないんです。手塚マンガには根本的に何と言うか・・・上手くいえないのですが・・・誤解を恐れずにいえば劇画スピリット、劇画精神に欠けていると思うのですよ。その劇画精神の根幹は、(ある種の)リアリズムなんじゃないでしょうか。今の目から見ると当時の劇画は決してリアリスティックなものじゃないですが、劇画には少なくとも実物に近づけ様という、何がしかの意志が感じられるのですね。
    その意志によって劇画調の絵柄が出来たり、背景の書き込みが増えたり、ストーリー的には<リアルな(過剰な)>暴力描写が始まったのではないか、と。単純に実物のを真似るというのでなく、実写映画のレンズの効果や照明の感覚を取り入れてますよね。雑誌で読む映画という感覚が(全ての劇画がそうではないですが)あったんではないでしょうか?
    一方手塚さんの場合は、根本的には紙に描いたアニメーションに思えます。手塚さんにとってはデフォルメと抽象化(手塚さん本人は自分の絵は記号だと韜晦してますが)が理想というかマンガ家としての快感であって、実物や映画に近づく事が理想ではない。マンガ絵として、自立してるんでよね。
    劇画のように実物を模倣する意志はあまりない。だから絵柄などで劇画調のタッチを持ち込んでも、どうしても劇画にはなり得ない。
    実際アニメを作る事に生涯執着した手塚さんですが、実写の映画は撮ってないですよね(もしあったらすみません。
    「ブラックジャック」にしても、あの時代においてすら、<スポーツカー>という現実にはありもしない車に乗ったり、<ピストル>というマンガの世界だけの銃が登場しますよね。当時の劇画なら当然機種の特定出来るジャガーだったりコルトだったりすべき時代だったはずなんです。でも手塚さんにとってはそういう細部のリアリズムは、大した意味を持ってない。マンガという世界においては、リアルでなくても全然OKだと。
    手塚マンガで一番劇画に近づいたのは「ルドルフに告ぐ」や「陽だまりの樹」あたりだと思うんですが、その時ですらやはり手塚さんはマンガだった。どこか劇画になりきれていない。細部の描き込みは増えても、そこにリアルさの追求の意志が、あまり感じられないんですよね。
    結局何がいいたいかというとストーリーマンガだから劇画なのではなく、<作者の劇画たらんという意志が必然的に劇画をストーリーマンガしてしまう>んじゃないでしょうか?
    手塚さんの場合はストーリーマンガ=紙に書いたストーリーアニメ(ディズニーのような)なので、やはり劇画とは本質的に別物という気がしてならないんです。
    以上的確にまとめる頭がないので、ホントに長くなってすみません。あくまで個人的な劇画観なので間違ってたら申し訳ないです・・・。

  34. ああ より:

    >「ブラックジャック」にしても、あの時代においてすら、<スポーツカー>という現実にはありもしない車に乗ったり、<ピストル>というマンガの世界だけの銃が登場しますよね
    それは単に手塚氏がメカおんちだったからと思われ

  35. たけくま より:

    >レボレッロさん
    おっしゃりたいことは、よくわかります。劇画工房が掲げた理念は、一種のリアリズム運動であるというのは、レボレッロさんのおっしゃる通りだと思います。そしてこれは後天的に成立した「劇画タッチ」であるかどうかの問題でもありません。
    もし可能なら、昭和28年に描きおろされた手塚の『罪と罰』を、一度ご覧になっていただきたいと思います。絵柄はディズニー調で、主人公も青年という設定のわりにはずいぶん子供っぽく見えますが、その内容は、その後に成立したどの劇画系作品よりもリアルでシリアスなものです。
    本文でも書きましたが、これは劇画工房的な意味においても完全に「劇画」の先取りであったと僕は思っています(もしすでにお読みなら、すみません)。ちょっとこのへんの問題は、いろいろ面白いので、時間をおいてもう一度エントリで取り上げてみたいと考えています。

  36. ぼぼ より:

    >たけくまさん
    商業少年誌の「まんが」が一方で劇画の手法を取り入れ、洗練されていき10年後には、内部的な対立は形骸化していたというたけくまさんの説明に「じゃあマンガは写実的洗練がされてなかったのだろうか」という疑問が出てまいりました。
    言い方を変えますと、「商業少年誌」の方がむしろ「貸本漫画」より洗練されていた可能性があるのではないかとすがやさんの記述から強く思うのです。
    写実化やストーリーの高度化は多かれ少なかれ時代の要請ではなかったのでないかと。
    同時発生的にそのようなことは意識されてきていたが、「マニフェスト」として「一つの方向性に特化して」劇画という旗印を立てたのが大阪の一部の貸本漫画家達だったのではないだろうか。
    このあたりすがやさんなどの生き証人のお話と現実の当時掲載された漫画の絵柄を総合吟味して60年台の漫画史を再検証する必要があると思います。
    石子さんの捕らえ方が、今からすると単純化がすぎたんだろうなと。
    (知る人ぞ知る感じでペリフェラルに扱われている水木やつげの存在感が当時より随分増したのもあると思います。
    あと、「ストーリー漫画」という呼称自体に、ストーリーのない漫画はなく、あえて対立概念を挙げるとすれば「不条理漫画」ではないかと抵抗があります。
    これは、たけくまさんの言われるように、誰が言い始めたのか初めの用例を資料から吟味して「ストーリー漫画」とは何かと言う点を明確化しなければ前に進まないというところに収束します。
    「ギャグ漫画」「四コマ漫画」などに対して「本格派漫画」というぐらいの意味に使われたのなら大して意味ありませんし。
    また、たけくまさんのように正面から「ストーリー漫画」=広義の「劇画」といわれますと、全体の記述としては「広義」「狭義」の構造で納得する反面、「ストーリー漫画」という定義自体が曖昧ですのでやっぱりどことなくすわりが悪く感じます。
    「手塚は誤解していたにすぎない」と漢らしく言い切るところがたけくま説の切れ味のよさなのですが、誤解と言いつつも手塚サイド=「ストーリー漫画」(???)からの視点が弱く逆に弱点にもなり得ます。「ストーリー漫画」という言葉に概念的にかなり依存している反面、理解説明が不十分なのですね。
    「一つの方向性への特化」=「大人漫画」「写実化」「シリアス化」という要素がすっぽり抜けてしまう気がします。
    そのへんレボッロさんの言っておられることも分かる気がします。
    早速「罪と罰」は買って読み直してみましたが
    (興味ある方はhttp://www.ebookjapan.jp/shop/index_manga.aspからebookで購入ダウンロード出来ます)
    劇画といわれるとどうかなとおもいました。ドストエフスキーはドストエフスキーかと。
    手塚漫画は洗練された記号性。(記号性というのが写実性に相反する要素としてある。)に支えられてる半面、人間の暗黒面を覗き込む暗さがあります。
    しかし、その意味での手塚漫画のリアリズムやシリアスさは劇画のものとは方向性が違うと感じます。
    劇画のリアリズムやシリアスさはあくまでも大人向けの劇の舞台設定で、うまく騙されるための装置であり、劇そのものが虚実皮肉を通じて覗こうとするリアルの人間存在の暗黒面、シリアスさとは別ではないでしょうか。
    手塚の物語(ストーリー)性とファンタジアに触れましたが、それが人間の暗黒面を覗き込む暗さのリアリズムと表裏一体に奇妙に交じってるのがある意味、手塚漫画の特性である気がします。
    私にとって「罪と罰」はその特性が初期でよく出た事例です。
    ひらたくいうと手塚のリアリズムは「文学性(この言葉は嫌いなのですが)」ですね。
    「罪と罰」は文学そのまんまなのですが。
    対し、劇画のリアリズムは舞台性(劇性)の一側面であり文学性はあんまり関係ありません。
    貸本でも水木茂やつげは、「雰囲気や絵の暢気さ」という点ではシリアスではないのですが、「文学的意味では」リアリズムでありシリアスです。
    締め切りで大変で次のエントリも入れたいしょうから、御返事は御気が向いたらで。
    >へのさん
    どうも。すみません。褒められるとどういう態度をとってよいか分からないのですよ。
    きちんと世慣れしてないと言うかオタですね。
    ぎこちなさは御寛解のほどを。

  37. たけくま より:

    ↑この問題はかなり多角的に検討する必要があると思います。
    そもそも、手塚以前から「大人漫画」「子供漫画」の区別はあり、その時の「大人漫画」は、横山隆一、横山泰三とか近藤日出造などの1コマものや新聞4コマのことであり、また後に「文春漫画読本」や一般の活字週刊誌で活躍する加藤芳郎とか、東海林さだおなどにまで繋がる流れをさします。
    一方で、児童誌に載るユーモアまんがや赤本などでの長編ストーリーものは一括して「子供漫画」と呼ばれ、こちらサイドから手塚治虫が登場するわけですね。終戦直後に「長いマンガ」を描こうとしたら、それは子供漫画の中でもさらにインディーズであった、赤本漫画を舞台にするしかなかったわけで。SFについてもそうですね。
    しかしその「赤本」で、シリアス描写をもふんだんに盛り込んだ、壮大なスケールの漫画を描いたところが手塚のすごさだったと。
    そこから手塚流ストーリーマンガの快進撃が始まるわけですが、それに影響を受けたトキワ荘の面々ばかりではなく、関西の「劇画工房系」の作家たちも、明らかに手塚流のストーリーマンガからスタートしています。
    これは、絵柄についてもそうなのですが、映画的な構図を駆使した多くのコマの積み重ねでストーリーを語っていく手法は、完全に手塚の影響化にあったといえます。
    それは表面上、両者の画風の違いが確立した以降も、コマ構成に限っていえば、やはり同じことがいえると思います。
    つまり、劇画系作家が標榜した「大人のための漫画」の中には、それ以前の「大人漫画」は含まれてはおらず、あくまでも「手塚流ストーマンガの拡張」として「劇画」があったのだというのが僕の理解です。
    細かい差異を探せば、もちろん無数に出てくるわけですが、大きな枠組みとしては「ストーリーマンガ」と「劇画」はやはり同じ範疇の表現なのではないかと。
    逆にいえば、先行した手塚マンガの中にも「劇画の萌芽」は見いだしうるし、手塚自身それを半ば自覚していたからこそ、「劇画工房」系の人たちに露骨なライバル心を燃やしたのではなかったかと思います。
    ただ大枠では同じ範疇の表現とはいえ、ぼぼさんご指摘のように手塚漫画のリアルと劇画のリアルは違うというのは、もちろんその通りです。それはしかし、「劇画」という理念が発生したかなり後になって成立した表現で、いわゆる「劇画タッチ」ですよね。あれは、要するにマンガで「肉体」を描こうとした試みなのだと思います。
    骨格のあるキャラクターが体重を乗せて相手を殴れば、当然相手の顔が歪んで血が出るわけで。その「痛み」を表現しようと思えば、あまりに記号的な手塚タッチでは不十分であったのだろうと思います。
    また長くなってしまったので、近々、別エントリで引き続きこの問題は考えてみたいと思います。

  38. レポレッロ より:

    たけくま先生、度々お手間をとらせて済みませんでした。
    私も一応講談社で最初に全集が出た頃「罪と罰」も読んでるんですが、なにしろ昔なので細部についてはあまり記憶がありません。
    もう一度じっくり読んでみる事にします。
    先生が劇画的とおっしゃる理由も良く理解出来るかもしれません。

  39. ぼぼぶらじる より:

    そろそろ話を一旦まとめた方が良いのは分かっているのですが、一方で返事しないのも失礼な気が。
    すでに書いたんですが、また長くなったんでウプしてよいものかと。少し間をおくことにしました。
    いや熱いし面白いですね。
    (I)
    >横山隆一、横山泰三とか近藤日出造などの>1コマものや新聞4コマのことであり、また後>に「文春漫画読本」や一般の活字週刊誌で
    >活躍する加藤芳郎とか、東海林さだおなどに>まで繋がる流れをさします。
    政治風刺画の所謂「ポンチ絵」「新聞漫画」の系譜ですね。
    イギリスのパンチまで続くのでしょうね。
    これを「大人漫画」と呼ぶ限りで劇画を大人漫画と呼べないわけですね。
    ただ、これは大人漫画といっても大人向けの本格的な娯楽漫画と言うわけではないのではないでしょうか。「子供だまし」に対する「大人だまし」といいましょうか。
    目的的に政治風刺の「ポンチ絵」は原則として長編ドラマ化しようがないわけですから、それ以降の長編漫画の系譜は「子供漫画」からすべて来たというのはむべなるかなとも。
    そういう意味でのストーリー漫画を考えてみまして、昔からの疑問はベルギーの「タン タン」です。これは、手塚的な意味でのストーリー漫画ではないかと思うのですが、1929年からありますので、手塚が生まれたのが1928年ですので、ずっと古い。ディズニーの影響はよく言われるけどベルギー漫画はどうなんだろうと。
    田川水泡や手塚は「タン タン」に影響受けたんでしょうか?
    「ひげおやじ」が「タン タン」の「デュポンさん」にしか見えないときが多々あるのですが積年の疑問です。刑事さんですし。
    (デュポンさんはこちら、
    http://www.d1.dion.ne.jp/~iku_/tintin-ca.htm
    また「大人だまし」「子供だまし」ともどこかで繋がってるのではないかという気がいたします。
    新聞漫画の麻生豊の「ノンキナトウサン」、樺島勝一の「正ちゃんの冒険」ともに1924年とか1928年の震災あたりで「タン タン」と同時期というか少し早いぐらいですね。
    とくに「正ちゃん」と「タンタン」は良く似てる。
    「正ちゃんの冒険」は1926年に映画化されてますね。これなんかもろ「新聞漫画」であり「ストーリー漫画」じゃないんでしょうか?「大人漫画」ではありませんが。「冒険譚」はアクションの要素もあります。
    これ「映画的な構図を駆使した多くのコマの積み重ねでストーリーを語っていく手法」ではないでしょうか?
    こう考えると「新聞漫画」「大人漫画」「子供漫画」というカテゴリーの壁自体崩壊するのではないかと。
    おそらくは、そういう場やストーリー性の萌芽は戦前に大正の終わりあたりにはすでにあったが、戦争中の翼賛体制の中そういうことが新聞紙面でできる雰囲気じゃなくなって、戦後すぐは赤本でしか発表の場がなかったのかなと。昭和19年(1943)の出版統制令以降漫画は出せなくなってましたし。生きるのに必死な時代でしたから。
    手塚の自伝漫画「紙の砦」を見直しましたが、昭和28年(1953)7月の光景として「漫画少年」の編集者が「みんなストーリー漫画ですよ時代が変わりましたね。」というセリフを使ってますよね。その地方から応募してくる新人として「つのだじろう、藤子不二雄、赤塚不二男、石川球太、松本零二、石森章太郎、みんな東京にいずれ出て来るぞ、こりゃ厳しくなる」と言ってます。戦後8年目です。
    (II)
    また、批判はそういう意味ではなくて。
    それはたけくまさんの中での「ストーリー漫画」ですよね。
    (1)「ストーリー漫画」と言う表現は誰がいつ
    最初に使って、どのような文脈で使われたか。
    (2)手塚自身は本当に「ストーリー漫画」という言葉を使ったのか、使ったとすれば何度、どういう機会に使ったのか。文献や資料、手稿に則り実証的に明らかにすべき。
    (3)手塚以外で「ストーリー漫画」という言葉を使った人がいるとすれば誰がどういう用法で使ったのか。またその用法に劇画のようなイデオロギー性はあったのだろうか。
    (4)60年代にそれはどう使われたか。
    (5)それは劇画に対するアンチテーゼとして使われたのであろうか。そうでないのであろうか。
    (6)今理解している意味での「ストーリー漫画」はだれがいつ言い出したのか、昔から一貫した意味に使われているのであろうか。
    あたりの歴史的用法の稠密な検証無しに「ストーリー漫画」という言葉を簡便に使うべきでないと。
    対し、劇画の場合はそれは大体分かってるわけですよね。
    より概念的に不確かなものに依拠して劇画の話をしてもしょうがないのではないかと。
    それがわかるまでは同じ内容でも「ストーリー漫画」ということばを避けて説明できないでしょうか。便利な言葉だけに気持ち悪い。
    論旨自体は納得できるのですが。
    それを踏まえた上で、少し寝かして上の諸点をはっきりさせて新しい風景が見えないかなあと。
    ネオたけくま説といいますか。

  40. 中村情苦 より:

     こないだまで十代だった若造に劇画うんぬんを言う資格はないですが、「罪と罰」が論点になっている部分に関して少し思うことがあったので記述します。
    ●ぼぼさんの発言の中に【早速「罪と罰」は買って読み直してみましたが劇画といわれるとどうかなとおもいました。ドストエフスキーはドストエフスキーかと。】というものがありましたが、手塚治虫の「罪と罰」とドストエフスキーの「罪と罰」を近づけるのは危険だと思います。たしか、たけくまさんが本の中で手塚先生とドストエフスキーの関係を論じていた記憶があるのですが、人はその通りだとして。作品は別物かと。
     まず第一に後半のストーリーが違います(当たり前の指摘スミマセン)。「罪と罰」でもっとも文学的?な場面であるラスコーリニコフの敗北と再生の場面が割愛され、漫画的なオペラに投げ込まれているので、漫画「罪と罰」を文学的要素で語るのは危険だと思います。マンガ「罪と罰」を読んだ時は、「それはないよ、手塚さん」といった風な印象で、(ドストエフスキーの十八番)主人公の妹をレイプするために対決を挑むスヴィドュリガイロフの悪魔人格が別人になっているばかりか、ラスコーリニコフの思想も手塚先生の解釈で書かれていました。両作品を読んで、自分が感じたのは【ロシア文学の罪と罰と手塚先生の罪と罰はまったく違うものだ】といったものでした。だからこそ面白いのですが。作品の結末を変えるということは、原作を尊敬しつつも決別しているということを意味していると思います。この漫画が劇画だとか大人向けであるとかいう意見は避けますけれど、ドストエフスキーを書いたから=大人向けとは言えないかと。単純化して教条的に示したのかもしれないし、漫画的表現として大人の表現に挑戦したのかもしれません。
     最後に個人的な、受けてとしての判断ですけれど、手塚治虫先生の「罪と罰」は文学というものと敬遠しつつ、そしてそれが子供向けに前半は思えるけれども、最後に懺悔する漫画独特のシーンは、もはや模倣ではなくドストエフスキーの出した問いに対する挑戦のように受け取れました。そういう意味では大人向けなのですが、それが劇画としての大人向けと重なるかはわかりません。こればっかりは、誰か(狭義的通俗的意味での劇画の)劇画版「罪と罰」を書いてもらうしかありませんww

  41. 中村情苦 より:

     また、偶然、岩波書店刊行・全集黒澤明第4巻(黒澤さんの記事もたのしみにしています)「七人の侍」の脚本等が収録されている本書を学校で借りると、裏に手塚先生から黒澤監督へのメッセージが添えられていました。そこに、劇画という言葉の使い方に関わる部位が見受けられるので、参考になるか知れませんが、写しておきます。
    全集 黒澤明 月報4 1988年2月
    手塚治虫 「黒澤さんの国際性」
    「~黒澤さんの日本人の部分を欧米に奇異を感じさせず納得させる技量は何だろうか。
     これは、たいへんぼくにとって興味深い謎である。ぼくだけではない。劇画を描くみんなにとってもである。劇画家のある世代にとって、黒澤作品は教科書なのだ。
     つまり、コマ創りのお手本なのだ。
     ~劇画という形式は各コマの構図と流れが勝負で、それを丁寧に見せることで面白さが決まる。黒澤さんの作品は、どれも全カットが実に緻密で丁寧でわかりやすい。しかも見せる工夫が十二分にしてある。劇画のある世代は『七人の侍』に感動して映画監督を志し、ままならず劇画界にはいった人間がかなりいる。そういった人達の作品を観ると、今の若い劇画家が描くような感覚的な遊びのコマがほとんどなく、堅実で論理的なカットが積み重ねられていて無駄がない。これは黒澤映画の強い影響である。
     黒澤さんは劇画人にとっても大恩人なのだ。殊に日本の劇画が海外に輸出されようとしてまだ果たせない時、黒澤作品はなにが国際性かという示唆を与えてくれる。(アニメーション監督)」
     以上です。

  42. たけくま より:

    ↑「全集 黒澤明」月報の手塚のその文章は気が付きませんでした。それは手塚さん自身の文章のようですが、だとすれば、手塚さんが劇画という言葉を肯定的、ないしはニュートラルに使った大変珍しい例ですね。

  43. ぼぼぶらじる より:

    >中村情苦さん
    シリアスさもリアルさも劇画と方向性が違うと思うということです。
    劇画は大人用の「写実的娯楽劇」を目指していると思うのであまり「重い後味」や後腐れは残らない気がします、対し手塚のシリアスさと言うのは人間存在の暗黒面を覗く様な「重い後味」が残る。これは手塚の本質かなと。
    文学性云々は分かりやすくするための比喩です。だから、「この表現は好きでない」と断っています。ほかに表現が見当たらなかったのですね。
    後、アレンジメントをふくめての作家性の問題ですが、これは主観だと思います。
    「ドストエフスキーはドストエフスキーかと。」は
    感覚としての正直な感想です。全体としてドストエフスキーをやはり感じたと言うだけですので。
    換骨奪胎しても、あくまでも手塚の作品として「(劇画というよりは)ドストエフスキーだと思う」という前提です。
    逆にそうでないと感じたのなら「いやこれはドストエフスキーじゃない」と言うと思います。しかし、そういわせると失敗作じゃないかな。
    セゴビアのバッハを聞いてセゴビアと感じるか、バッパと感じるかは人や時によって違いますね。どこに意識を集中させてどのような角度から分析するかで違う。
    手塚の「罪と罰」は同じように、当然、手塚であると同時にドストエフスキーなのですから。
    ここでの議論は手塚の「罪と罰」は数ある手塚漫画の中で劇画か、そうでない別のものかと言うことで、そうでない別のものとすれば何かといえば、ドストエフスキーとしか言いようがなかったんですね。
    つまり文脈上、手塚とドストエフスキーの作家性の衝突はそもそも問題にならないししていないわけです。
    また、私は「罪と罰」はロシア語の原典で読んだことないです。確か昔、筑摩の世界文学大系かなんかの訳で読んだだけです。
    文学でよく言われるのは、別言語での翻訳は、その時点でフィルターを通した別作品だということです。ずいぶんニュアンスが変わりますので。
    文章から文章という転換と、文章から漫画という転換。
    普通日本人はロシア語が達者なわけじゃありませんから手塚も原典ではよんでいないと思います。
    日本語で読んでいる時点で、いわれる理論を適用すると、解釈が入ってますので、すでに別物なわけです。文学研究者としてなら原典で理解して読まない限りドストエフスキーを知ったということにはなりません。
    また、漫画は原典に忠実である必要もありませんからアレンジメントが入ってよいわけです。
    「どの程度フォーカスするか」という程度問題ですね。
    私にとって手塚版「罪と罰」は昔から何回も読んでるんですが、手塚作品としては、非常にストーリーが頭に入ってきにくい。これは原作の特性だと感じました。
    >ドストエフスキーを書いたから=大人向けとは言えないかと。
    これは全く逆ですね、子供向けの教育的「世界文学作品」の試みのような感じで紙面に登場したのではないかと思います。
    子供向けか大人向けかの話は、私の場合は「マーケットとして大人が買うか、子供が買うか」と言う意味です。
    掲載雑誌や絵柄である程度判断つくかと。
    この場合はストーリー漫画ではあるが、基本的に子供向けではないか、表現の写実性は置いておいて、「リアリズム」も「シリアス性」も確かに存在するが、劇画が目指すものとは意味あいが違うのでたけくまさんのおっしゃるような手塚によるストーリー漫画の劇画化の嚆矢としては私には思えないとの認識です。
    情苦さんは手塚「罪と罰」に劇画を感じますか?人によって意見が違いますし。それ自体が興味深い。こういうのは年は関係なく素直な感想でいいと思います。

  44. 中村情苦 より:

    ●ボクの感じではつまる処こういうことです。
    罪と罰→劇画ではない、しかし、内容は大人向けであるから、つまり劇画である。
    ●こう矛盾しているのは、つまりボクの中での劇画の第一印象と、たけくま先生の出した劇画が第二印象としてあるため、体では線の濃い漫画を思い浮かべ、頭では大人向け(上の引用で手塚先生が使ってる意味に近い劇画)という、一つの言葉に二つの定義ができてしまっているからです。
    ●それは、発信者と受け手で定義が違うと思うからです。ここで混乱してしまうのは、いったい罪と罰が劇画でないかどうかを、手塚先生が意識していたのだろうか。その根拠はどこにあるのか。第二に、受け手に作品の是非を問われるとまさに意見や捉え方は無限に広がってしまう。というパラドックスにはまってしまいます。こうなるともうパワーバランスで「たけくま先生の意見でいいや」と、こうなるわけです!ただ罪と罰の内容だけ見るならば、手塚先生は大人や子供とかを意識していなかったのではないか。むしろ、大人と子供だったのではないかと思います。それは「七人の侍」を始めとする黒澤監督もそうだと感じます。つまり、時代背景や作家の知識がなければ、そして無いボクにとってはどうにもならない問題です。
    ●以上をまとめると、手塚先生の漫画「罪と罰」は【半劇画】だったと思います。逃げてますが、同時に正直な感想です。半分。原作を読めとはよく聞く事ですが、さすがに直接つっこまれるとはwwそうなると、罪と罰原作→翻訳→手塚先生→原作の味をだいぶ削がれた「罪と罰」を新解釈→大人と子供に対して発表する。→色々な要素を含みつつも、大人にも出されたことで半分は劇画性を帯びていると、ボクは判断する。です。
    ●また、狭義的第一印象的劇画での娯楽シリアス性と手塚漫画のシリアス性は、ボクもボボさんのような印象を受けますので、ボボさんの指摘は適切であると思います。
    ●ただ劇画全体に一定のイデオロギーがあったのかはわからない。例えば同じロボットアニメであっても、富野由悠季作品と他作品はぜんぜん違うものだけれども、一括されている。そこは作家の個性や言葉のあいまいさから、いくらでも一括できるものであると思います。むしろ時代の解釈相応によっていくらでもなると。師弟関係や環境によって物語に一定の傾向、つまり娯楽のためのシリアス性が多数をしめ、それがあたかも劇画を形作ったように見えるだけかも。文学で言えば、一つの雑誌、同人に集まったから~派という枠がつく。たしかにそれは~雑誌の~派は作品傾向が似通っているけれども本質論にまで行くと、その枠は形だけになってしまうと考えます。たしかにシリアス性は手塚先生とはまったく次元の違う表現をしているなと思いますが、顕微鏡で見たらそれは作家も色々、作品も色々になってしまうのではないでしょうか。
    ●つまり、劇画の本質論に戻ってきてしまいます。先に、美術様式的観点ではないという点から出発したわけですが、ボク個人的にはそれと同等に物語うんぬんの観点もむづかしいのではないか、と。結局は、作家がどういう意識を持って、たけくま先生の言うような広い意味で、描いたのならば、もう作品がどうだろうと劇画であると。上の月報の引用で、手塚先生は自分を含めた漫画を「劇画」と読んでいます。だからもう手塚先生は劇画作家でもいいと思います。ただ、罪と罰の時は劇画というよりはまだその前段階である、大人と子供両ウケの発信の仕方、内容と判断したために半劇画だと。

  45. ぼぼ より:

    ぬう、半劇画ですか。
    大人向けでもあったと感じると言うことですが、手塚は大人である自分が読んでおもしろくなかったら気に入らなかったんじゃないかな。
    そういう意味で僕は当時のマーケットで考える派です。
    >>上の月報の引用で、手塚先生は自分を含めた漫画を「劇画」と読んでいます。だか>>らもう手塚先生は劇画作家でもいいと思います。
    は誤解かと。
    >ぼくだけではない。劇画を描くみんなにとってもである。
    は手塚さんは自分を劇画家だと呼んだと意味していないと思いますよ。
    (漫画家の)ぼくだけではない。劇画を描く(漫画家の)みんなにとってもである。
    と読むべきかと。
    手塚として劇画に肯定的に触れている例だと言うことは首肯できますが、手塚自身が自分を劇画家だとこの文脈で意図したとは思えない。

  46. 中村情苦 より:

     また今更ですが、手塚治虫のまんが専科の中に劇画に関する記述がありましたので書き込んでおきます。
     第8章ストーリーまんがはこうしてできる
    「――近ごろ劇画という言葉をよく耳にしますが、これについて何か?
     劇画というのは、単行本を描いている人たちが名づけたので、どちらかというと、笑いのないひじょうにまじめなストーリーだけのものをいうらしいですね。しかし、ぼくは劇画といっても広い意味でまんがだと思う。というのは、コマでわってあってセリフがあるからです。これでコマがなくなり、セリフがなくなれば、絵物語になってしまう。
     アメリカに、コミックストリップというコマまんががあるが、なかにはずいぶんかたい絵のものがあって、まあいってみれば劇画だね。だけどやはりひっくるめてまんがと呼んでいる。ストーリー性の強いまんがということではないですか。」
     以上です。
     この発言のみで手塚先生としての劇画観を断定できるものではないですが、或る意味、たけくまメモでの議論における一つの答えになりはしないでしょうか・・・。

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