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2005年8月29日

大阪に行ってきました

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●その1 JAWACONに行ってきた

oosaka-P1000563oosaka-P1000566一昨日、昨日と大阪へ。例のJAWACON2005に観客として参加するためです。フラッシュムービーによる自主製作アニメの全国大会といった趣きで、第一回でしたが満員の盛況でした。こういうイベント運営となると、やはり関西の人はパワーがありますね。いろいろ勉強になりました。

↑会場の大阪産業創造館とJAWACON2005ポスター

JAWACONの詳細や参加作品についての感想は、毎日新聞のフリーペーパー「まんたんブロード」の次の連載で紹介する予定ですが、配布は来月末、サイトの更新はさらにその先になるので、ちょっと間延びするかもしれません。なので、部分的な感想は近いうちに当ブログでも書いてみたいと思います。

今、一言だけ書くなら、とにかくフラッシュを中心とした自主アニメの発展は、技術的には商業アニメと比べて遜色のないレベルに達しようとしているだけではなく、個人の表現ツールとしても、変な言い方ですが「割に合う」ジャンルになりつつあるということです。

oosaka-P1000567←3階で行われた参加作家のトークショウ。中央左が森野あるじ氏、右が青池良輔氏。作品上映は300人収容の4階ホールで行われた。

デジタルによる自主製作の成功例という意味では、われわれはすでに新海誠の「ほしのこえ」を知っているわけですが、いよいよ新海クラスの作家が輩出する可能性が出てきたなと感じました。

「ほしのこえ」が登場してからもう三年が経ちますが、一般には「その次」がなかなか見えない状況にあると思います。しかし自主アニメの現場を見るならば、アート系・エンタメ系を問わず、才能はすでに出てきているのです。となれば、状況を側面から支援するわれわれメディアの役割も、重要になっているのだと思います。

まあ、これについてはいろいろ書きたいことがあるので、また今度にします。

●その2 万博公園の謎

oosaka-P1000605←思わず「もうかりまっか?」と肩を揉みたくなる太陽の塔の背中

今年は二度目の大阪ですが、今回はもうひとつ目的がありました。それは千里の万博公園にある「国際児童文学館」に行くことであります。ここには戦後の児童雑誌が多数所蔵されていて、東京の国会図書館にないバックナンバーもかなり見られるのです。俺は今、昭和32年(1957)の各少年少女月刊誌の四月号を調べていて、すでに「少年」「少女」「少年クラブ」「少女クラブ」「なかよし」「ぼくら」「冒険王」「漫画王」「中学生の友」「りぼん」「おもしろブック」「少女ブック」などをチェックし終わりました。

俺がなぜ、57年の4月号だけをしつこく調べているのかというと、詳しい内容は秘密ですが、いずれ「たけくまメモ」でも大々的に発表することがあるかと思います。一応、自分の単行本のために調査しているのですけれども、それは書き下ろしなのでどこかの媒体に掲載する予定ではないのです。ので、今度の12月くらいに「たけくまメモ一周年記念企画・手●伝説ターボ!」としてこのブログで連載したい……と思っているのですが……予定なのでどうなりますか。それまでに取材が終わればいいんですけどね。

ooska-P1000626 それはともかく、今回太陽の塔の実物をこの歳ではじめて見ることができて感激しましたよ。やはりでかいなあ。万博が開かれたのは、俺がちょうど小学校4年のときなんですが、当時うちは神奈川県に家を購入したばかりで、旅行なんてとんでもない!という雰囲気でしたから。しかたなく、紙粘土で太陽の塔を作って遊びましたよ。このときばかりは大阪の人がうらやましかったです。

oosaka-P1000592 ところで太陽の塔が保存されているのはよくわかるのですが、当時のパビリオンで、鉄鋼館だけが廃墟になって残されているのはどうしてなんですかね。今回、はじめて知ったんですけども。教えてください詳しい人。取り壊すのにべらぼうな費用がかかるとか? なんか気になっちゃって。

●その3 エスカレーターの謎

oosaka-P1000648 それで児童文学館での調べ物は昼の3時に終わったので、それから地下鉄でなんばまで行き、これも念願の「グリコ看板」を一人で見てきたり。なんかおのぼりさんみたいですね。日曜のせいか、道頓堀界隈はものすごい人出でしたよ。

ところで飛び込み防止のためか、橋の欄干にでっかいフェンスが張ってあったんですね。これも東京にいるだけではまずわからないディティールでした。

それでいろいろお好み焼きとか食べて、新大阪に向かったんですが、途中何度かエスカレーターに乗って気がついたことがあります。たぶん有名な話なんでしょうが、大阪ではエスカレーターは左側通行なんですね。ええと、右端に人が列を作って左を空けて、急いでいる人は左側を歩いていくという。

これ東京と逆ですね。東京では左に列ができて、右を人が歩くわけです。なんでこんなことになってるんでしょうね。俺、よくわからずに左にぼけっと立っていて、危うく顰蹙を買うところでした。

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| コメント(12)

“大阪に行ってきました” への12件のフィードバック

  1. コロッケ70円の助 より:

     昔どこかで聞いた話ですが。
     実は、東京も大阪も「左側が優先」なのは一緒。 
     違うのは、「東京→立ち止まる人が優先」、「(いらちな)大阪→歩く人が優先」
    という優先順位。
     立つ位置ではなく、よしとされる行為の優先順位が異なるので、結果的に
    「東京→左側に立つ」「大阪→右側に立つ」という見た目の違いが
    生まれるということ(らしい)です。
     ちなみに、左側を優先的な立ち位置にするのは、
    左側にある急所・心臓を無意識のうちにかばおうとするから。
    (それと関係あるかどうかは知りませんが)国際的には、
    「左側を空ける・右側を歩く」という大阪スタイルのほうが
    多数派だ…というのも聞いたことがあります。
     (自分で書いておいて何ですが)本当かな~? 
    正解を知っている方がいたら、わたくしも知りたいです。

  2. 永田電磁郎 より:

    良く聞く説としては
    江戸は武士の文化に従って、抜かれない様に脇差と反対方向を譲る。
    難波は商人の文化に従って財布をすられないよう、打ち合わせの口が開いているほうと逆方向で譲る。
    だそうですが。

  3. ピッコロ より:

    大阪のエスカレーターの件、万博開催時に「世界的には左側を空けるのが通例」という調査結果が出て、それが定着したとの説が有力のようです。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC

  4. tansan より:

    はじめまして。鉄鋼館は、4年ほど前に特別に中に入れてもらいました(手続きは面倒しかったです)。内部はドーム状の音楽ホール。天井から球形のスピーカーなんかが吊られてました。また残響を作るために音をわざわざ引き入れ、厚いコンクリの壁で反響させて外に響かす「エコー室」という空間が、左右に2つほど設けられていました。今の技術じゃスピーカをちょっと工夫すりゃ出来ることが、この中ではすべてが大げさ…そんなローテクの凄みを感じました。また使いッ放しのオープンリールのテープがいたるところ散乱しておりました。
    音楽ホールとして存続させる話もあったようですがいつの間にか立ち消えになり、解体費用をどこがどう負担するかも(行政との絡みから)曖昧で、けっきょく放置され現在に至るという話を聴いたことがあります…と、うろ憶えで正確さを欠きますけど美術家のヤノベケンジさんとかの本にあたるとよくわかると思います。

  5. 匿名 より:

    初めて書込みさせていただきます。鐵鋼館だけが取残されていること、初めて知りました。現代音楽ヲタクになり損ねた身としてはそこで演奏された音楽が武満、高橋、クセナキスのほかにどのようなものあったのか、また録音があって、それが発売されることがあるのか、非常に気になることです。漫画・アニメとは直接関係ないこと、失礼しました。

  6. 鶴見六百 より:

    イギリスのエスカレーターでも、大阪同様「右に立って、左を空ける」でした。

  7. bou より:

    ちなみに京都は右側通行、左側通行混ざってたりもします。何でそうなってるかはわかりませんが…

  8. nae より:

    初めて書き込みさせていただきます。naeと申します。
    これと言って無芸な身の上なのですが、27日は私もJAWACONに行って楽しんでいました。(なぜかトークショーの某司会に理不尽にもマイクで殴られたりしてました)
    竹熊さんが会場に来られているということで、ファンとして是非ともお姿を拝見したく思っていたのですが、遂にお見かけすることがありませんでした;
    ガイドブックの考察、とても楽しく読ませていただきました。「まんたんブロード」の次の連載も楽しみにしております。

  9. 遅ればせながら、私もJAWACON2005に参加させていただきました。懇親会の二次会では僭越ながらお隣の席で大変面白く為になるお話を拝聴させていただき、たいへん嬉しい思いをさせていただきました。ありがとうございました。世間的にはまだまだ認知度が低い(友人がニュースサイトで調べてもどこにも記事がなかったらしいです)ですが、今回のイベントでは大きな可能性を感じました。この辺りは竹熊さんが追って分析してくださるというレポートを楽しみに待たせていただきます。
    僕の太陽の塔体験は高速の路上からチラッと見るのが通例になってました。なので止まってみたことはありません。ついでにいうと今回の大阪行きで大阪城を始めて見ました。

  10. Happy (Mutilated) Tree Friends

    知らなかった。
    レジデント初期研修用資料
    自分のノートパソコンは、壁紙もハピツリ、起動音もハピツリ。

  11. T2(仮) より:

    鉄鋼館についてですが、あれは万博閉幕後も常設イベントスペースとして利用する意図で遺され、しかしあまり利用されることがなく、近年に至ってはほぼ整備もされない状態になっている(おそらく費用的な理由)ようです。つまり名目上はまだ使うことのできる施設であるようですね。

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