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2005年9月30日

伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド』を読む(2)

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Amazon.co.jp:本: テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ

さて、伊藤剛の「つまらなくなった言説批判」であるが、伊藤がどこまで意識したかは知らないが、かなりの部分私(竹熊)にも当てはまる耳の痛い批判にもなっている。というのは、そもそも私が相原コージと『サルでも描けるまんが教室』(復刊計画が進行中。続報は後日!)を始めた最大の動機が、まさに「最近のマンガはつまらなくなった」という実感にもとづいているからなのだ。

そこでマンガの「様式」をパロディ化することで、この際一度、徹底的にマンガを解体してしまおう、というのが私と相原の共通認識であった。当時進行しつつあった商業主義的マンガ状況に対し、相当の悪意を持って始めた連載だったのである(しかもそれをスピリッツという「100万部の商業雑誌」で描いたところがミソ。よくあんな不届きな連載をさせてくれたものだと、編集部には感謝している)。ちょうど手塚治虫が死した8ヶ月後に『サルまん』の連載を開始したという事実も、偶然とはいえ、今となっては感慨深いものがある。

断っておくが、べつに私は「手塚が死んだ」から「マンガはつまらなくなった」と考えていたわけではない。ただ「ストーリーマンガ」が、総体として、80年代に入ったあたりから急激に「つまらなくなった」と感じていたことはまぎれもない事実である。具体的にはある時期から『少年ジャンプ』が読めなくなったことが大きい。

『ドラゴンボール』が天下一武闘会をはじめたあたりで、世間の人気とは裏腹に、私は作品に対する興味を失っていった。こういう試合試合で引っ張っていく作劇は、遠くは『アストロ球団』に始まり『リングにかけろ!』で完成したジャンプ・スタイルである。『アストロ』は今でも好きな作品だし、『リンかけ』まではまだシャレとして楽しめたのだが、アンケート主義とあいまって、あらゆる連載が毎回試合を行うことで「強いやつのインフレ現象」を示すに及んで、私ははっきりついて行けないものを感じた。それはもはや、少なくとも私の考えるストーリーとは呼べないからである。

「ジャンプ」ばかりではない。以後の私は、いたずらにストーリーを引き延ばし巻数を重ねるだけのマンガがまったく読めなくなった。読むことが苦痛にすらなったのだ。さらには困ったことに、『サルまん』終了後、掲載誌のスピリッツをはじめ多くの青年マンガまでもが徐々に「読めなく」なっていったことだ(正確には、一部の好きな作家の作品を除いて読む気がしなくなった)

これは「マンガ評論家」としては致命的な事態である。それ以降の私は好きな少数の作家を追いかけるだけで、「評論家」としては書評や評論の「素材」として必要なマンガを読むだけになった。もちろん半ば義務的に読むマンガも、いざ読めばそれなりに面白かったのだが、そこからマンガ読者の最前線に復帰することはとうとうできなかった。10代、20代の頃にはあれほどあったマンガに対する「熱」のようなものが、自分自身の裡から失われてしまったのだ。

まあ、もともと私自身から積極的に「マンガ評論家」を名乗ったことは一度もない(編集者が勝手に肩書きでつけることはよくあるし、それは黙認しているから、しかたがないともいえる)そもそも自分の関心は一貫して「実作」にあり、その方面への関心は、実は今でも持続しているのだが(別に私自身がマンガを描くという意味ではない。原作者やプロデューサーとして実作に関わることを含む)。しかし皮肉なことに、90年代半ば以降の私の仕事は、評論とも呼べない「マンガ紹介」の比重が私自身の希望に反してどんどん増えていくことになった。『サルまん』で得た「マンガ博士」という虚名が一人歩きをした結果である。必然として仕事がつらくなり、文筆家としての私は、95年以降、ゆるやかにスランプに陥っていくことになる。ある意味、自業自得ともいえるわけだが。

Amazon.co.jp:本: 手塚治虫はどこにいるちくま文庫『サルまん』以降、その方面で唯一自分も頑張ったといえるのは、夏目房之介らと勉強会を組んで上梓した『マンガの読み方』(95年、宝島社、現在絶版)くらいのものであろうか。これは同時期に出版された四方田犬彦の 『漫画原論』(94年初版、筑摩書房)、また夏目の『手塚治虫はどこにいる』ちくま文庫)に代表される一連の業績とともに、「マンガ表現論」の古典と言っていいと思う。『テヅカ・イズ・デッド』も、サブタイトルに「ひらかれたマンガ表現論へ」とあるように、基本的にはこれらの延長上にある。

ただこの分野、その後は夏目氏のみが孤軍奮闘していた格好で、一般の目に触れる著作としては後がなかなか続かなかった(大学の紀要論文としてはいくつかある)。四方田氏や、私などにしても、表現論としてのまとまった仕事は『漫画原論』『マンガの読み方』から先に進んでいないのである。私に関する限り話は簡単で、仕事としての需要がほとんどなかったからだ。身もフタもない書き方をすれば、マンガ表現論ではオマンマが食えなかった。夏目氏にしても、もちろん表現論だけをやっていたわけではない。

ただそうした状況も、近年あちこちの大学でマンガを研究する気運が高まったことで、ゆるやかにではあるが変わりつつある。その意味ではこの『テヅカ・イズ・デッド』は非常にいいタイミングで出版されたと思う。四方田・夏目の論をさらに進めた理論的著作として、今後の研究家や学生が必ず参照する基本文献になるであろう。

マンガ表現論とは、「マンガを、マンガとして読み解き、語る」ための方法論である。通常の表現論では、マンガの成立要素を「絵」「コマ」「言葉」の三つに分解し、こうした各要素がマンガをどのように演出し、どのような効果をもたらしているかを具体的に解析していく。こうしたマンガの見方は、一部は記号論や視覚伝達論、言語学などの影響を受けつつ、ごく近年(90年代半ば)になって成立したものだ。

「マンガをマンガとして読む」ことは一見当たり前のようだが、そうではない。それ以前のマンガ論は、世代感覚に立脚したファン的印象批評(村上知彦などの「ぼくら語りマンガ論」)か、文芸理論や映画理論の応用、あるいは教育論・社会学論の素材として「外側」から語るしかなかったのである。いくら文芸理論を応用したところで、テーマやストーリーについては語れても、マンガ独自の魅力といえる「絵」や「コマ」の問題は語りようがない。

Amazon.co.jp:本: 「コマ」から「フィルム」へ マンガとマンガ映画

モンタージュ理論に代表される映画理論は、ある程度マンガのコマや構図を説明できそうに思えるが、映画(アニメ含む)とマンガでは一般に想像される以上に相異点が多く、なかなか同列には語れない。このあたりは秋田孝宏の近著『コマからフィルムへ』(NTT出版)に詳しい。これは俗に言われる「マンガにおける映画的手法」の正体に迫った理論的著作で、マンガ論としては私の知る限り本邦初の画期的な試みである。この本についても語ることが多いので、エントリを改めて近日紹介したい。

ひとつ言えることは「映画的手法」の内実を深く解明することなく、これまでは多くの論者のあいだで「ただ、なんとなく」この言葉が使われてきたということである。手塚をはじめ多くのマンガ家が演出や画面構成において映画を強く意識してきたことはマンガ史上の事実であるが、それが紙の上で展開されるマンガである以上は、あくまでも映画と異なる「マンガ的手法」になっていなければおかしい。

「マンガにおける映画的手法」の一例としては、竹内オサムが指摘した「手塚の『新宝島』における同一化技法」がよく知られている。同一化技法とは、もとは映画理論の用語で、あるカットで登場人物が何か画面外のものを見つけて「あっ」と驚くと、次のカットでその「何か」が画面に示される、というもの。この場合、次のカットでのカメラの視線が登場人物の視線と重なるので「同一化技法」と呼ばれるわけである。手紙の端を握る指を一緒に映す(描く)ような構図で、ワンカット(1コマ)でこれを表わす場合もあるが、多くは2カット(2コマ)のつながりとして表現される。いずれもカメラ目線と作中人物の目線を一致させることで、観客をより画面に没入させる効果があるとされている。

teduka-douituka←手塚治虫『新宝島』(1984、講談社全集版、81~82P)より、竹内の指摘する同一化技法の例。引用は84年に手塚が描き直した全集版で、上のコマが81ページの最終コマに、めくって82ページの冒頭が下のコマである。1947年のオリジナル赤本版にも、ほぼ同様の構図とコマ展開が出てくる。竹内は、『手塚治虫論』などでこれを手塚の事実上の「発明」としていたが、のちに自説を一部修正した。

確かに『新宝島』には、同一化技法と思われるコマ運びが見受けられる。竹内が指摘して有名になったものに、主人公のピート少年が「あっ」と叫んで画面の外を指さすと、次のコマでその対象物(ワシの頭のような格好をしたハゲ山)が描かれるシークエンスがある。2コマ目にはピート君は描かれないが、コマを追っている読者は、当然ピート君の見た目になったつもりでハゲ山を見るのである。

Amazon.co.jp:本: 汽車旅行―復刻版

このこと自体は、まあいいのだが、問題はかつて竹内が「『新宝島』の同一化技法はまったく戦後的な手法で、手塚の発明である」と言い切ってしまったことである。しかも、それが彼の30年来の持論となり、これに対する批判もなかったので一種の「定説」になりかかっていたのだ。ところが近年、宮本大人によってこの「定説」は覆された。たとえば昭和16年に発表された大城のぼるの『汽車旅行』を見ると、かつて竹内が「マンガにおいてはまったく戦後的な表現」(『手塚治虫論』)と言い切っていた同一化技法がほぼ完全な形で出てくるのだ。『汽車旅行』は最近小学館クリエイティブから復刻されたので、誰でも原典を参照することができる。

Amazon.co.jp:本: マンガ表現学入門

竹内は今年出版された『マンガ表現学入門』(筑摩書房)の中で、宮本の指摘に対してやや苦しい弁明を行っている。正確な引用ではないが大意を書くと、確かに同一化技法の「前例」はあるものの、それを手法として厳密化し「完成」させたのは手塚であって、手塚以降こうした表現は定着した、手塚の革新性はあくまでゆるがない、というものである。どうやら竹内においては、どこまでも「手塚は別格」であるようだ。

以上、「同一化技法」をめぐる一連の経緯は『テヅカ・イズ・デッド』の4章「マンガのリアリティ」で詳しく紹介されているので、竹内の著作と併せて本書を参照してほしい。この章においても伊藤は竹内の論の背景に強固に横たわっていると思われる「手塚中心史観」に強い疑義を呈する。宮本から具体的な反証を突きつけられてもなお「手塚中心史観」を捨てようとしない竹内の姿勢に、ある世代までを覆っていた根強い呪縛を見るのである。そしてその呪縛が「手塚以前・手塚以降のマンガ史」を見えなくさせている、というのが伊藤の主張である。「手塚中心史観」に捕らわれている限り、手塚以前・以降のマンガ史はあたかも「なかったこと」にされてしまう、というわけだ。

(註・誤解のないよう断っておくが、「手塚中心史観」という言葉は私のもので、伊藤の論旨を自分なりにわかりやすく説明するために便宜的に用いているにすぎない。伊藤が直接、使っている用語は「起源(としての手塚)」や「(手塚)神話」などである。伊藤の意図から外れた説明はしていないつもりだが、実際の論旨は直接原典に当たられたい)。

戦後ストーリーマンガのすべては手塚から始まった、という「手塚中心史観」はもちろん手塚の生前からあった。いつ、どのような経緯でそれが発生したかは不明だが、少なくとも60年代末にはすでに定着していた。藤子不二雄(A)の『まんが道』など一連の回顧的著作は、一種の使徒による福音書として、手塚の神格化に向けて絶大な威力を発揮したことは間違いがない。

しかも手塚は、戦後すぐに画期的な作品を発表しただけではなく、途中途中でマンガのトレンドを貧欲に吸収し、意図的に作風を何度も変えつつ「死ぬまで第一線の現役作家を貫いた」という事実がある。このこと自体はもちろん超人的な手腕という他はなく、手塚神話をさらに補強しているわけだが、同時に手塚評価を必要以上に複雑にしているともいえる。伊藤も述べているように、「戦後マンガは、すべて手塚の掌上にあるかのような錯覚」「手塚の足跡を辿れば、あたかもマンガ史がすべて描けてしまうかのような錯覚」が、そこから生まれているからである。

したがってこの史観に立つ限り、象徴としての手塚が死んだ今、「マンガは終わった」と感じる論者が出ても不思議ではないわけである。正直にいえば私自身、手塚が亡くなる数年前からすでにそう感じていた。もちろんそのときには、手塚の存在を直接意識していたわけではない。具体的には82年頃を境に「マンガ奇想天外」などのマニア誌が次々と休刊していき、大友克洋などの主立った才能がメジャーに吸収されて以降である(『AKIRA』の連載開始は82年)。要するに80年前後までには確かにあった「来月、どんな才能、新しい表現が出現するかわからない」という混沌の中から立ち上がるトキメキのようなものが徐々に薄れていったのだ。たぶん同世代のマンガ読みなら、このことは強く同意されるのではないだろうか。

一方、そのあたりからメジャー系商業誌は、商売としてのマンガを極限まで追求しはじめる。端的な例が先にも述べた「少年ジャンプ」の毎週試合方式であるが、ジャンプに限らず商業マンガ全般において人気連載の長大化が顕著になりはじめたのも80年代の特徴である。これは少年誌・青年誌を問わない。結果として、手塚マンガ~劇画までの作家によって追求され発展していった「ストーリーマンガ」(劇画ももちろんストーリーマンガの一種である)の流れは、大きな変質を迫られることになる。物語本来の要求を超えて、連載を引き延ばすということは、事実上ストーリーではなくキャラクター優先の作り方をせざるをえないということでもある。

ストーリーにはそのストーリーに見合った適切な「終わらせどころ」がある。そこを間違えると、物語は弛緩し最悪の場合崩壊することになる。「ラオウが死んだところで『北斗の拳』が終わっていれば…」というのはよく言われることであろう。原作者である武論尊も、ラオウ篇以降の『北斗の拳』は「どんなストーリーを書いたかよく思い出せない」とインタビューで答えているくらいである(出典は失念したが、たしかにそう言った)。

人気がある限り連載を続けることは商業政策としてはまったく正しいが、同時に、そのことがストーリーマンガの「変質」を後押ししたことは否めないと思う。手塚治虫の『ジャングル大帝』は、わずか三巻で白ライオンの親子三代に及ぶドラマを描きえた。同じ内容を現在のマンガが要求するディティールの密度で描くとすれば、ゆうに20巻は費やされるはずである。

同時にまたメジャーマンガとは別の流れとして、マイナーなエロマンガ誌などでは、同人誌界とも呼応する形で、今で言う「萌え」の萌芽である「ロリコン=美少女マンガ」の流れが決定的なものになっていった。こうした萌えマンガも、ストーリーよりキャラ(萌え)に主眼を置くという意味で、やはり「ストーリーマンガ」の変質を象徴するものだ。

ロリコン=美少女=萌えマンガの流れは、はっきりオタク第一世代である私の世代から始まったものだ。だが私自身は、どちらかというとストーリー原理主義者であったので、そういう流れからも疎外されていったのも事実である。今は考え方を変えているのだが、ある時期までは「萌え」や「アニメ絵」を嫌悪していたことすらある。私の世代には、オタクといえども「萌え疎外」された層が、けっこう多いのではないかとにらんでいる。

 閑話休題。自分語りが過ぎて『テヅカ・イズ・デッド』から少し離れてしまった。次回はここまででは触れなかったが、同書の最大の特徴である「第3章 キャラクターとは何か」を中心に、同書の総括的評価を行いたいと思う。伊藤のキャラクター論は、小池一夫の「(ストーリー内における)キャラ立ち」とはまったく異なった角度から語られるもので、「萌え」の本質までも含めた、現時点では伊藤独自の画期的なものである。しばしお待ちを。

(つづく)


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| コメント(65)

“伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド』を読む(2)” への65件のフィードバック

  1. ああ より:

    伊藤氏の本はまだ手にとっていないので内容についてあれこれ言うことはできません。
    気になったことがひとつ。手塚神話がこれほど根強いという伊藤氏の主張に私自身はどうも実感がわかないのです。ある世代に属する論者の方々にはきっとそうなのでしょうけど、ほとんどのまんが好きはそういう意識はもっていないのではないでしょうか。
    もしそうだとすると、この本はあんがい内輪受けの名著で終わってしまうこともありうるわけです。
    そういうのって悲しいですよね。私もはやく目を通したいのですが。

  2. 眠い時間 より:

    マンガの文法は「何から何までが手塚の発明」という「勘違い」。それが、『テヅカ・イズ・デッド』という本により暴かれるのかな? その過程が楽しめるのかな? 前回私が書いた「黒い笑い」というのは、そういった意味です。
    マンガのあの手法は、業界内では、同一化技法と呼ばれているんですね。(『汽車旅行』の復刻は素晴らしい/小学館クリエイティブ)。
    手塚の死は1989年で、今年は2005年。「16年前」なのに、いまだに『テヅカ・イズ・デッド』と言わざるをえない状況は、逆説的に「手塚はまだ生きている」を意味すると感じました。日テレ系で、『BJ』が19時から毎週放送中ですし。
    養老孟司氏が「死」について指摘するのは、「死には3種類ある」ということ。他人の死、知人の死、じぶんの死。知人の死は、死んだけど死んでいない。その証拠に、死体に話しかける。マンガ業界、手塚の読者にとって、手塚は「死んだけど死んでいない」と思います。手塚作品が死んでいないのは当然ですよね(物は、生きていないと同時に死なない。ただ古くなるだけ)。
    余談ですが、1989年は私が上京した翌年で、かなりショッキングでしたよ。

  3. 眠い時間 より:

    ●マンガ原稿料はなぜ安いのか?
    「ストーリーマンガは数巻で良い」という考え方にはルパン三世、いえ、大賛成です。(ギャグがスベって)→反省します。
    ●私とハルマゲドン
    旧版を読みました。左に掲載の、カバー画像の版は未確認。→反省します。
    ●ゴルゴ13はいつ終わるのか?
    まだ買っていません。→反省します。
    ●西遊妖猿伝ムック
    大事にしていたハズが、一部に破れ。→反省します。
    ●楽しくない
    「2005年9月30日 午前 08時06分」に私が送信した内容。読んで楽しい感じではないですね。悪意があるというか。→反省します。
    でも、反省だけなら猿でもできますね。しばらくROM予定です。

  4. ごは より:

    重箱の隅ですいませんが
    >そういう流れからもスポイルされていったのも事実
    >萌えスポイル
    スポイルspoil(だめにする)だと意味が違うような気が。別のスポイルなのかしら。

  5. たけくま より:

    >ごはさん
    ↑そうか。今の今までスポイルには「疎外」の意味もあるのかと思ってましたが、「盗む」や「毀損する」の意味が本来なんですね。ずーっとそう思いこんでました(笑)。
    なんか代わりのいい表現はないかな。
    とりあえず、素直に日本語で「疎外」を使っておきます。

  6. 忍天堂 より:

    ↑スポイト(抜き出)されてという意味では?
    ふむふむ先行世代の漫画評論家が漫画が読めなくなった理由が、
    ストーリーマンガの「変質」という事ですか、確かに言われてみればそうかも知れませんね。

  7. 長谷邦夫 より:

    >物語本来の要求を超えて、連載を引き延ばすということは、事実上ストーリーではなくキャラクター優先の作り方をせざるをえないということでもある。
    ★つまりキャラクターは、「物語」のなかに
    住んでいる必要がなくなっているのに、
    ムリの活躍を要求される→そのため「物語」
    が壊れていく→キャラクターは「物語」から
    逃げ出し→「キャラ」となって存在しはじめる
    →二次創作に住み着いて、またキャラクター
    として行動したりする…
    といった現象でしょうか。
    伊藤さんがキャラクターとキャラの違いを
    はっきり示してくれたおかげで、今後の
    キャラ表現論も深まっていくのではないか。
    やはり、スゴイ本ですよね。
    近日、大塚英志さんとの対話を
    せねばならないのですが、この
    本の話題が自然に出ることに
    なるかも…。映画関係の人たちの
    講座なんですが。

  8. jk より:

    BSマンガ夜話が終わってしまうのもこの本を読めば判る
    のかもしれないですね。ぜひ読みたいです。

  9. かなびん より:

     「マンガの読み方」がもう古典になってしまうんですね・・・。たしかに同時期の漫画文庫ブーム、その後、漫画のデジタル化(一番大きい部分はトーンワーク)やそれに伴う漫譜の流行の移り変わり、漫譜の変化による表現の移り変わり等、色々ありましたが、まだしっかりカバーかけて大事に読んでますよ。
     それにしても、こうして並べられてみると漫画表現論の本は総体的に値段が高めですね(個人的に2千円以上は吟味して買うべき値段)。研究書だと思えば安い部類なのかもしれませんし、出版側としても色々な事情があってのことでしょうが・・・。

  10. 匿名氏 より:

    面白そうな内容ですね。
    ところで最近のDeathNoteどう思いますか?オレは「えええ?」という感じなんですけど、、、

  11. トロ~ロ より:

    >ああさん
    >ある世代に属する論者の方々にはきっとそうなのでしょうけど、ほとんどのまんが好きはそういう意識はもっていないのではないでしょうか。
    抜粋させて頂いた部分の「ほとんどのまんが好き」とは具体的にどのような人々を想定されておられるのでしょうか。
    現在のマンガ読者にはオタク・腐女子・一般ピープル・批評家的読者・萌え系など様々な嗜好があり、さらに非常に幅の広い年齢層があります。それこそ長谷邦夫さんの年齢の方から、たけくまさんや私の世代、ドラエモン世代、ハガレン世代まで多種多様です。
    「手塚神話」自体は、たけくまさんの本文にある竹内氏の著作であるとか、多くのマンガ家からの数々のリスペクト(藤子不二雄(A)の『まんが道』、江口寿志の初期作品に見られる『マンガの神様の額縁』、水野英子の初期傑作群、少年チャンピオン誌での『ブラックジャック競作』、リメイク版である『プルートゥ』、タイトルに作品名が織り込まれた『ブラックジャックによろしく』)の実在によって証明できます。
    あくまで私の受ける印象ですが「自分と自分の周囲の若い同世代の範囲で、手塚治虫の名前を口にする事も無く、代表的著作を読んだ経験が無い、論客と同時代性を共有しない」人々を想定されておられないでしょうか。
    そういう年齢階層向けのマンガやマンガ雑誌などのマーケティングがあるのは現実ですが、彼等のみを対象として「ほとんどのまんが好き」と言いきるのは、事実ではないと考えられないでしょうか。
    ここからは少し話が変わります。
    そういう年齢階層の方々と「以前の世代」との感覚面のギャップは確かに存在します。
    受け手・一読者として、そのギャップを基に何かを語ることは可能です(我々もかつてはそうでしたから)。
    「以前の世代」にとっては判り得ない感覚ゆえ「新鮮な何か」が生まれ出ずる事を期待します。反面として、ギャップ感覚だけの言論は依拠するものが曖昧で薄くなるものです。
    「以後の世代」の方々の著作・言論が質量的に圧倒するようになれば「テヅカエイジ・イズ・エンド」または「ニューエイジ・イズ・ボーン」と喧伝されるでしょう。
    案外、戦後すぐの「手塚治虫登場」の本質とは以上のような「新世代感覚の表現者による実作群の誕生」であって「新しい技法」に論拠を求める事が方向違いだったのかもしれません。

  12. ああ より:

    >あくまで私の受ける印象ですが
    なるほどこれが手塚神話世代の思考法なわけですね。

  13. ガンプ より:

    >なるほどこれが手塚神話世代の思考法なわけですね。
    そういう一文で文を終えるというのは、世代どうこう以前に、人としていかがなものか?

  14. 匿名 より:

    一行で終えるのと無駄な長文書き連ねるのとでは、どっちがうざいかは長文のほうでしょうね。

  15. FSR より:

    まるで2chですな

  16. 匿名 より:

    http://comic6.2ch.net/test/read.cgi/comic/1115522684/
    編集家●竹熊健太郎
    ここでやってください

  17. いい より:

    いまごろ唐沢俊一氏あたりが、
    必死でこの本のアラ探しをしてると思われ。

  18. 眠い時間 より:

    FSRさん>まるで2chですな
    ここが2chです(ウソ)。はい、休憩は終了っと。
    長谷さん>伊藤さんがキャラクターとキャラの違いを
    長谷さん>はっきり示してくれたおかげで、
    『テヅカ・イズ・デッド』を読む際、参考になります。
    ところで――
    「スポイル」。取り消し線を使われず、差し替えされたんですね(単行本化した際の手塚方式みたく?)。保存したデータで確認しましたよ。
    「スポイル」。聞くだけで、自分で使ったことがナカタアル。キニイタ。ヨテ、コレカラ、ツカウヨ。オマエガ、ココ、スポイル? ●TZ

  19. たけくま より:

    ああさん、ああ見えて実は今流行のツンデレ・美少女キャラだったら面白いな、とふと思いました。

  20. 777 より:

    竹熊さん最高!
    とか馬鹿みたいにコメントするのは好きではないですし、むしろ嫌悪しているのですが上記の返しはとても素晴らしいと思います。偉そうな物言いで申し訳ないです。ただ本当にウエットに富んで愛にみちた、それでまた反撃不可能ないいレスポンスだと思います。

  21. 匿名 より:

    ドラゴンボールにストーリーを感じる私は駄目なんでしょうか。
    インフレバトルは確かにアレですが、章どうしをつなぐ屁理屈感とか(特にナメック星にいく辺り)、物語がダイナミックに展開する力強さを感じるんですが。

  22. たけくま より:

    ↑いや、もちろん感じてもいいと思いますよ。僕の場合は、というだけの話です。あと「ドラゴンボール」の後半は、鳥山さんの絵が荒れたように感じたのも残念でした。

  23. nomad より:

    >ああさん、ああ見えて実は今流行のツンデレ・美少女キャラ
    実はたけくまにメロメロ、という設定。

  24. なかなか寝ない人 より:

    こんばんわ。毎日楽しく読んでいます。
    「漫画」を「ラーメン」と入れ替えても論じている内容には違和感がないように感じました。

  25. 長谷邦夫 より:

    宇都宮駅前のショッピングビル地下に
    店長「キャラ」の写真が店外に表示された
    九州ラーメンの店が3店出来ました。
    そのひとつに入って食べたが、どうと
    いうことない平凡ラーメン。
    この3店実は、一人の「キャラクター」が
    経営しているのでは~と思ったりしました。
    「二次創作」ラーメンってどんなんだろう??
    あったら試食してみたい。(笑)

  26. たけくま より:

    >長谷先生
    次の更新で伊藤本の「キャラ」「キャラクター」問題について触れるつもりです。が、今日はいろいろ立て込んでいるので本日夜以降になるかも。
    ところで『テヅカ・イズ・デッド』、昨日アマゾンで一瞬だけ91位になったそうです(これを書いている今は149位)。正直、安い本ではないのでこれは驚き。僕の書評が多少なりとも寄与したのなら、嬉しいかぎりです。

  27. レポレッロ より:

    どうでもいいですがマンガで最初にツンデレキャラを開発したのはやっぱり手塚ですかね?
    戯曲などにはそれこそシェイクスピアの喜劇にも出てきますけど。
    マンガのツンデレキャラ論で一冊本が書けそうな気がするなあ(笑)。

  28. syuu より:

    >「漫画」を「ラーメン」と入れ替えても論じている内容には違和感がないように感じました
    「マンガ」を「ロック(ポップ・ミュージック)」に置き換えても・・
    手塚先生はビートルズでしょうか。。
    コテコテの閉塞した80s様式美メタルからパンク・グランジへ・・
    >ドラゴンボール
    ひっぱらされてるんだろうなというの
    感じてた上で、ラストまでよかったです。
    ベジータやピッコロの微妙な改心とか。「キャラ」もありますね。
    >北斗
    あそこで終われば完璧な名作として
    もっとキレイに大勢の印象に・・Orz

  29. ああ より:

    勝手にキャラ認定しないように。
    一部にきつい表現をいれてしまいましたが、私のいいたいことはこうです。血液型性格判定がいいかげんなものでしかないことはいろいろな学者さんが述べています。日本と韓国以外では存在すらしていないと。
    でも衰える様子がないのはなぜでしょう。信じていたほうが人付き合いにおいてのみならず(←あ漢文)、自分が何者なのかをてっとりばやく把握した気になれるのでなにかとラクだからなんだと思います。
    手塚神話もあんがいこれと近いところがあるのかな、と。

  30. 長谷邦夫 より:

    >たけくまさん
    伊藤さんの研鑽ぶり、そして執筆期間、
    中身の素晴らしさを考えますと、ぜひ
    予想を超える部数が売れてほしい!!
    そのことが、後に続く研究者のはげみにも
    なりますし、また版元のこうした本に対する
    認識も新たになるでしょう。
    そして担当の植草氏の手腕も忘れてはならないと思います。

  31. 仁助 より:

    「あ、なんだ。要するにツンデレかあ」と認定したとたん不快さが薄れ、むしろすべての言葉に対してほのぼのとした暖かい気持ちになるのは何故?

  32. サルまんファン より:

    (この連載すばらしい!)
    >>> 10代、20代の頃にはあれほどあったマンガに対する「熱」のようなものが、自分自身の裡から失われてしまったのだ。
    私の場合、30才を過ぎた頃からポピュラー音楽が途端につまらなくなりました。
    古今東西、30才くらいで飽和が起きるのだと思っておりますが。(ご参考まで)

  33. ryu より:

    「つまらなくなった」というのは、自分が楽しめるような作品を見つけられなくなるのが大きいのではないでしょうか。探せば世の中面白い作品は一杯あるはずなのに、探そうともしない消極性が興味の範囲を狭める結果になっているのではないかと。
    そうではなく単に漫画に飽きてしまっただけなら、何も語らず漫画というジャンルから去った方がいいと思います。「つまらなくなった」みたいな台詞は、現役で漫画を楽しんでいる読者や面白い漫画を描いている作家さん達に失礼なだけです。

  34. 眠い時間 より:

    『テヅカ・イズ・デッド』ならぬ、
    『タケクマ・イズ・デッド』をしました、本棚で。
    処分したのは、次の4冊。
    1)私とハルマゲドン(太田出版)
    2)マンガ原稿料はなぜ安いのか?(イーストプレス)
    3)サルまん・上(小学館)
    4)サルまん・下(同上)
    チェーンの新古書店のため、合計で160円。購入時の4%未満。
    折れなし、焼けなし、指跡なし、帯び付きなんですが。
    では、このハンドルでは最後にしますね。

  35. 眠い時間 より:

    自宅に置いてる「箆棒な人々」と
    「西遊妖猿伝ムック」も処分します。
    ありがとうございました。

  36. レポレッロ より:

    >探せば世の中面白い作品は一杯あるはずなのに、探そうともしない消極性が興味の範囲を狭める結果になっているのではないかと。
    昔は探さなくても面白いマンガが山ほどあったんですがね。
    自分も竹熊先生と一緒で、最近は面白いマンガが全然無くなってるんですよね。正直買って読もうと思うマンガは、浦沢直樹とか一部の作家のぞいてほとんどないです。萩尾望都とか昔好きだったマンガ家も含めて読む気になれない。
    自分がオッサンになってマンガの流行について行けなくなったという部分もあるでしょうが、やはりマンガ自体変質したというか(ある人々にとっては)劣化してるような気がしてならないですね。
    最近のマンガの売上の落ち込みを見るにつけ、世代に関わらずつまらないと思う読者が増えているんじゃないでしょうか?
    マンガ喫茶やブックオフのせいだという議論もありますが、本当に好きなマンガだったら買って読み返しますよね。
    相変わらず個々の作品においてはベストセラーになるマンガは一杯あるわけですし。

  37. 情苦 より:

    >>ところで最近のDeathNoteどう思いますか?
     デスノートは何気に連載前に載った読み切り版の方が好きでしたね!ミステリーよりもオカルト色が強く、水木さんの絵柄等をマネしていてよかったです。

  38. 情苦 より:

    >>ryuさん レポレッロさん
    『テヅカ・イズ・デッド』が、新しい漫画をどう評価しているかわかりませんが、多様化やキャラ立ちを最終的に評価するのは、漫画好きの我々というよりも、むしろあまり興味のない大多数の人々だと思います。オタクは好きでも嫌いでも支持し続けることを常としますがww読むままにまかせている読者の大多数がパタンと読むのを嫌ってしまえば、それでデッドエンドですから。答えにはもう少し時間が必要かもしれません。

  39. トロ~ロ より:

    >10代、20代の頃にはあれほどあったマンガに対する「熱」のようなものが、自分自身の裡から失われてしまったのだ。
    このときの精神的衝撃はさぞかし大きかったと想像します。
    あれだけ大好きだったもの、自分の存在理由とも思い込んだもの、それへの情熱が失せている。
    トシを取って感覚が古くなり流行についていけなくなったのか。自分の「アンテナ」は錆付いてしまったのか。
    それとも本当に面白いマンガが減ったのか。
    新しい人気作品や人気作家は、もちろん出現している。そういう作品の外形的・内容的・感覚的な変容は認識できるし、読めば面白さも感じる。無茶な連載継続という「悪弊」すら、清濁合わせて飲み込む覚悟があれば。
    「清濁合わせ飲む」なんて、とっても冷静。「熱」はどうした(笑)。
    「最前線」を離れて小説や映画や芝居を嗜んでみたり。すると、傑作も名作も佳作も駄作も長所も短所も自分の嗜好も本当に良く判る。どうやら「アンテナ」は働いてくれる。「それでいんだ。マンガでもロックでも味わいつくすんだ。」と、TVドラマの脚本に書いてあったり(笑)
    えーと。「熱」は何処へ行った。
    三十路の「人に話せない悩み」でした(笑)。
    開高健が「知る悲しみ」と表現していた、あれなのだろうか。
    美食を探求し続けた挙句に、美味いと感じる食い物がなくなってしまう。さらに、以前は美味いと思っていた食い物すら、もう美味いと感じなくなる、という。感覚と知性に訪れる「晩秋」。でも、そんな贅沢はしてへんぞー。
    「熱」は、若く純粋で無知な「イノセントの特権」なのか。
    「風姿花伝」が伝える「ただ、時分の花なり」だったのか。
    室町時代の芸能者の達観より一歩も進化していなかった、というのか。
    私の場合、SF好き・マンガの受け手・ただのファンですから、たけくまさんほど深刻ではなく、「BSマンガ夜話」で知らなかった作品と作家が紹介されると、再び貪欲に新鮮な空気を吸収し始め、小さな「熱」を燃やしては自然に消えています。
    「冷静と情熱のあいだ」というタイトルの小説・映画がありましたが、そんな感覚でしょうか。
    たけくまさんは「実作志向」というかたちで、欲求不満を昇華させようとしたのかも。
    期待しています。
    (分析と理論化は他の方々に「おまかせ」で。)

  40. その2chからきました より:

    ざっと読んだ感想:
    眠い時間氏がなぜいきりたっているのか、さっぱり分からんのですが。

  41. 名無し より:

    たけくまさんの
    >>「ドラゴンボール」の後半は、鳥山さんの絵が荒れたように感じたのも残念でした。
    とのコメントで、
    かつて私の周りで流れた噂
    「ドラゴンボールは途中から、アシチーフが編集と相談しながらメーンで描いていた。鳥山明は一番奥の部屋でひたすらプラモを作っていた」
    を思い出しましたw
    戦闘シーン数十秒で、1週間の1話分が終わるのに嫌になり、気がつけば興味が、桜玉吉や鈴木みそにシフトしていた時期のような気がします
    そしていきなり話が変わって、たけくまさんが「ファミ通のアレ(仮題)」に登場したときには、「チンピョロスポーン」とビックリした記憶がありますw

  42. 寿 より:

    >「二次創作」ラーメンってどんなんだろう??
    食べ終わったラーメンにご飯を入れて作る雑炊。
    「下品」「見た目が悪い」とか言われるけど腹は膨れる(欲は満たされる)。

  43. 匿名氏 より:

    80年代に中高生過ごした人間の立場から長々と言うと
    ①自分にとって、ジャンプは「北斗の拳」ラオウ編あたりまで「発売が本当に待ち遠しく、友達ともジャンプが 日々の話題の一つだった」雑誌であった ②キン肉マンはインテリの自分としてははずいが当時は面白い漫画だった、だがやたらにキン肉マンのキャラが生き返ったり簡単に改心したりするのを読んで「アレレ」感がつのった ③「北斗の拳」がラオウが死んだところで子供にも明らかに説話的にジエンドすべきなのが、不自然に延命続けるのを読んで、400万部越えるメジャー雑誌にオレたち踊らされているんじゃないの?という何かシラケ感がつのった ④文化的にも80年代はビートたけしが熱血とかわざとらしさを徹底的に攻撃していた時代だった ⑤高校大学時代はメジャー雑誌はあえて敬遠した、「ドラゴンボール」も「スラムダンク」も「ジャンプの戦略でしょ?」と斜に構えてリアルタイムでは読んでいない、そういう自分に芽生えたマイナー指向と合致したメジャー誌は「スピリッツ」だったと思う。相原さん、竹熊さん、吉田戦車さんよく読みました。⑤少年誌はいまだに読めないなんか体が受け付けない感じです、ジャンプに二週間に一回載る「Hunter&Hunter」「 Death Note 」くらいか。うーーーん、もう自分も35才だから少年誌をまともに読めない自分というのは「精神的発達段階」としてとらえているのですがどうですかね、他の皆さんは。少なくともオレは「ワン・ピース」は読もうとあんまり思わないし、マガジンの企画的な漫画はなおさら読めないです。 長々とスマンでした

  44. 烏賊神博士 より:

    まあ高校大学になってまで小学生のような純粋さでジャンプ読むような人はいませんわねえ。たいてい裏読みナナメ読みで読んでますよ。どうもみなさん真面目に漫画を読んでいるようで。「20世紀少年」なんてドラゴンボールクラスのひっぱりぶりでとてもまともには読めないんですけどね。やはり高校大学になってもしょうもないところまで含めてコロコロボンボンまでチェックしているようなのが真の漫画オタというものではないでしょうか。…こういうのが「ゴルゴ13はいつ終わるのか? 」でいうオタク密教というやつですかね。

  45. 眠い時間 より:

    >その2chからきましたさん
    >眠い時間氏がなぜいきりたっているのか
    今回で第8回目のコメント。もうココに書かない予定
    でしたが、あなたの疑問に答えたく、再登場です。
    ちょっと変な人。そのキャラ設定で書いていたら、
    「とても変なバカ」に思われました。失敗ですね。
    結果、全員からシカトですよ(あっはっは)。
    いろいろネタを提供したつもりですが、他人の受け取り
    方は違ったようで、「不愉快」だったのでしょう。
    レスがないので不明ですね。
    (以下、ちょっと暗黒MODE)
    それにしても、9月28日、コメント初回時の、匿名氏
    からのレス1回を除き、全員から無視なんてね。
    「たけくまメモは、うすら寒い場所」と感じています。
    管理人たけくま氏が、ノーコメントなのも疑問ですね。
    たぶん目に入らないのでしょう。
    とりあえず、もう買わない。その根拠ができたのは
    収穫でした。私の本棚が、より良くなる筈ですから。
    流れを無視して、失礼しました(さっ、暖まろっと)。

  46. 匿名 より:

    スルーしたほうが良いのでしょうが・・
    眠い時間さんのコメントは、不愉快というよりは、何が言いたいのか全く分からないんです。
    意味が分からないから反応しようもないのに、ネタを提供したと言われてもなぁって感じです。
    それに竹熊さんにしても各コメントにレスしてるわけでもないし、その義務も無いでしょう。
    コメントといい、感想といい独り善がりが過ぎるように感じます。

  47. 匿名氏 より:

     デスノートは何気に連載前に載った読み切り版の方が好きでしたね!ミステリーよりもオカルト色が強く、水木さんの絵柄等をマネしていてよかったです。
    →同感です!レス有り難うございます水木さんの絵柄云々というのは水木さんの熱心な読者でないもんでイマイチピンと来なかったけど、また読んでみます。
     デスノートとその世界観にはリスペクトしつつも、なんか丸ごと全てを肯定出来ないものをオレは感じていたのです ゴシックホラーやるならやるで、痛快ピカレスクをやるならやってくれよみたいなその絵柄はどっち路線なんだみたいな 少しだけ「デス」へのわだかまり解けた気もしました

  48. トロ~ロ より:

    >眠い時間さん
    あの。芸人に比喩してしまって申し訳ないですが「ちょっとネタがすべっちゃった」ぐらいですから、きっと。
    ほら、たけくまさんが「人生相談に答えます」で仰っているように「基本的に人は他人のことを、そんなに気にしていません」ので、平気ですよ♪
    ガンバ、ガンバ♪

  49. より:

    掲示板の書き込みは、スルーされるの前提というか、スルー覚悟で書き込むものだと思っていたので、
    眠い時間さんの「ある意味まっとう」で清純純情な反応に少々感動というか、びっくり!
    当然、たけくまさんもスルーされるの前提、スルー覚悟で日記書かれていらっしゃるのだと思いますし。
    書き込みすべってもいないし、不愉快でも
    なかったですよ。
    ただつけるべきコメントが私にはなかっただけです。
    リアルでの会話なら「ふうん、そうなんだ」ってあいづち打てるけど、
    掲示板ではうざいですからね、あいづちを打つだけ書き込みって。

  50. ヒット作は死なず、ただ打ち切られるのみ

    結局ここにも、多様性を軽視してあとでしっぺ返しを食らう日本の産業構造が見え隠れすると嘆息してしまったのは私だけだろうか?
    たけくまメモ: 伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド』を読む(2)
    『ドラゴンボール』が天下一武闘会をはじめたあたりで、世間の人気とは裏腹に…….

  51. ぼぼ より:

    これはたけくまさんの信仰告白ですね。
    まとまってないのは、問題として解決してない根源的な「単純にたのしめない」という問題だからでしょうね。
    わたしは最近のマンガも古いマンガも楽しく読めてます。
    たけくまさんがストーリー原理主義者だったというのは納得できます。
    ただ、サルマンでも描いてらしたストーリーとキャラの二分論は一面的な捉え方の気もしますね。

  52. lh8 より:

    たしかに現在はタルい進行のマンガが大量発生しておりますが、原秀則版の「電車男」は見事に3巻で完結し、「ブームが過ぎる寸前に終わらせる」というミッションを見事成功させておりました。しかも完全に現代マンガ文法で。
    目的さえ商業主義に合致すればこういうことも可能なんだあ、と感心した限りです。

  53. 眠い時間 より:

    第9回目。私的な使用ですが、レスのお礼を伝えたくて。
    >ななしさん
    感謝! 確かに、たけくま氏にレスの義務はないですね。
    >トロ~ロさん
    感謝! 芸人じゃないですよ。でも、ツッコミの一つも
    欲しかったです(苦笑)。コメントを感謝!
    >なさん
    感謝! かまって欲しかったとです。多勢にスルーは覚悟
    していましたが、100%スルーなんて。
    >lh8さん
    原秀則版の「電車男」は、全3巻と潔いんですね。
    たけくま氏の考え、「今のストーリーマンガは余計に長い」
    には「その通り!」と嬉しく思い、賛意は今も不動です。
    『ベルセルク29』が出たばかりで、早速、読みましたが、
    すでに手放しましたよ(ブックオフで100円也)。
    ところで、竹熊氏のテレビ出演では、NHK放送のものなら
    2回ほど。古くは「4コマ漫画特集」の解説講義。
    最近では、「ものしり一夜づけ」の最終回。楽しく拝見。
    いちファンでしかない私が、今回、多数の失礼をしました。
    「邪魔だ、不愉快だ」の自覚はあります(すみません)。
    「竹熊氏は素敵な人だ」と、20年くらい勝手に信奉。そんな
    相手から100%スルーされた今回、「メラメラ」と黒い炎に
    変貌(笑)。我ながらバカですね。頭を冷やします。常連さん
    たちの100%スルーも、つらかったとです。長文を失礼しました。
    短くまとまった「手塚マンガ」は好きです。

  54. マロー より:

    手塚治虫は”神”というより”時代そのもの”だったのかもしれませんね。
    マンガの量が現代のように溢れかえっていない時代に、あれだけの量、業界の中のパーセンテージでいうとどれだけになるかは解りませんが相当なものだったと思います。
    そんな”手塚マンガ”に浸かるようにしてきた世代の方には、明らかな共通認識があるんだと思います。しかしそれはノスタルジィも含めた意味合いが強いのではないかと。
    単に学術的(?)に手塚治虫を”マンガの神様”と位置づけるならば、石森章太郎は”少女マンガの神”、赤塚不二夫は”ギャグマンガの神”と位置づけたっていいわけですよね?
    (言われていたなら不勉強ですスイマセン)
    しかしそういう捉え方で”神”と呼ばれている気が私にはピンとこないのです。
    やはり手塚治虫はその当時の”時代そのもの”だったのではないかと。
    だから今の若い世代には感覚的にピンとこないのはどうしようもない。
    今のマンガが「つまらなくなった」とかはもはや関係ないことではないんでしょうか。
    ・・・ドラクエというゲームがありますが、ああいったものも、ゲームそのものの面白さよりも、当時友人と語り合った思い出そのものも含めての意味合いが強いと思います。
    そういった意味での「名作」。
    いわゆるコミュニケーションとしてのツールとしてそういうものがあったとすれば、手塚マンガもそれに相当するのではないでしょうか。
    むしろ現代のマンガは市場にあふれかえっていて、そういったコミュニケーションツールとしての「マンガ」がどれなのかさっぱりわからないのが現状ではないかと。
    だから「今のマンガはつまらない」というのは
    「今のマンガ、どれが面白いんだよ!教えてくれよ、仲間はずれになりたくねーよ!」という叫び声のように僕には思えます(笑)
    いや、長文失礼しました。

  55. 漫画が面白くなくなったか?

    たけくまメモ の最近の記事の伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド』を読む(1)、伊藤剛『

  56. lh8 より:

    しかしまあ、テヅカがストーリー漫画の雄だったかというとそれも疑問符がつくなあ。
    ちゃんとストーリーとしてまとまっているものってあの著作量からするとむしろ少数ですよ。どろろとか初期設定を忘れた上に尻切れトンボだし、ばるぼらなんて数話で路線変更して別物の漫画になっちゃうし、アトムだって太陽に行ったあとに強引に復活しますし、くだんの七色いんこも途中主人公が精神異常をきたして作者に直談判しちゃってその回で設定がリセットしますし、そのくせ最終回ではいきなり「鳥を見るとちっちゃくなる刑事」の設定が明かされて大団円ってそりゃいくらなんでも後付けでしょ。
    むしろ初期設定とコンセプトをおっぽりだしてでも人気を追ってノリだけで突っ走っている漫画の方が多く、そういう作家だったんじゃないでしょうか。現代漫画はその正常進化に過ぎないんじゃないでしょうかね。

  57. より:

    オトナになるとジャンプやマガジンは
    つらい。モーニングやビックコミックも
    ちょっとつらい。
    最近のマンガがつまらなくなったと感じる
    のは年のせいかもしれません。
    やっぱりマンガは若者のものでは
    ないかという気がします。
    書き手側はどうなんでしょうか?

  58. マロー より:

    思いつきですが・・・強いライバルが次から次へとというジャンプスタイルって、かつて手塚先生がライバル視していた福井英一さんのスタイルのような気がするのですが・・・
    いやイガグリくんとか知らないのであくまで推測なんですけど。
    私は30代なのですが他の30代とおぼしき方々のレスを見て、ジャンプに対する感想が極めて共感できる内容なのが気になりました。
    (学生時代のジャンプに対する思い、現状では「デスノート」「H×H」がメインなど)
    作品に対する感想こそ多少の違いはあれど、注目すべき作品がほぼ同じ傾向なのは、やはり世代別でのイメージが大きいのかもと思ったりします。
    それともこの「たけくまメモ」にくる人たちの傾向なのだろうか(笑)

  59. たけくま より:

    ↑この返事は別エントリ化しましたので、そちらをどうぞ。

  60. 眠い時間 より:

    10回目。ちょっと本音を語ろうか。
    >ななし さん
    見下ろす態度。これだけの事を書いたのだから、
    あなたの奥には、スルーできない、強い「何か」が
    あるんだ。
    >トロ~ロ さん
    芸人と断定する態度。それと同情。
    偽善タイプは、気味が悪いよ。
    >な さん
    この人だけは「いいかも」と思ったよ。
    たけくま氏は、多数のマンガ評論を読まれ、書かれて
    こられたのだと思う。それに関して、50歳を前にして、
    人生に後悔はあるのでは? と、ふと思いました。
    というのも、私の場合、あれだけ好きだった「マンガへの
    情熱」が急速にしぼんでいるから。
    >仁 さん
    >マンガは若者のものではないかという気がします。
    同意しますね。その考えが強くなりました。
    先日、「ベルセルク」を中止したのも、それが理由です。
    <たけくま氏へ>
    音楽なら、ノージャンルで楽しみます。なんでもOK。
    クラシックだけ、ロックだけ、なんてことはしません。
    自称、ストーリー原理主義者が、萌えマンガを楽しめない
    のは、萌えマンガの「質の問題」だと思いますよ。
    高い質の萌えマンガなら、楽しめるのでは?
    あるいは、既存の好きなキャラのやりとりなら。
    えっ、別エントリ化?

  61. 眠い時間 より:

    >トロ~ロ さん
    ちょっと言い過ぎました。すみません。
    あなたが素直に書かれたのなら、あなたは「なんていい人」
    だろう、と思います。

  62. トロ~ロ より:

    ↑ いえ。そんな。
    たけくまさんの言われるとおり「人は他人をそんなに気にしてない」訳で(汗)
    レスのつかない寂しさは良く判りますので。
    最近の皆さんのカキコミ・レベルはとても高くてROMオンリーですよー。
    たけくまメモ、侮りがたし。

  63. 眠い時間 より:

    コメント12回目です(たぶんラスト)。
    トロ~ロさんが、さらにレスをされているとは!
    どうも、ありがとうございます。
    >人は他人をそんなに気にしてない
    そうだと嬉しいのですが――
    そうでもないみたい。外出時、すれ違う相手をジロジロと
    見続ける人って、けっこう多いですよ。こっちはワザと
    「よそ見」していて、「パッ」と視線を相手に向けると、
    相手は首を外へ回します(面白い)。3割くらいかな?
    上記、ちょっとズレましたね(苦笑)。
    いえ、もともとズレていましたね(大苦笑)。
    今回のネットでいえば、誰かが、いろいろ検索・調査して
    いましたよ。気味が悪かったです(URLで検索したり)。
    さすがオ●ク(笑)。
    たけくま氏の無視ぶりは、潔く「皆無」なので、別の意味で
    素晴らしい。座布団1枚差し上げます(素直です)。

  64. [本]「コマ」から「フィルム」へ マンガとマンガ映画

    秋田孝宏著。メディアとしての特性に焦点をあてて書かれた「マンガ」論です。漫画からアニメに連なる表現形式の構造を丹念に読み解いていくところが、とても興味深く楽しめました。 ISBN:4757101325:detail 前半は、現在に至るまで世界のアニメーション映画の中心である、アメリカのアニメーション産業の発展の要因を、マンガとの関係において探り、両者が一九世紀から二〇世紀の市民社会を背景に、親密な関係を持って誕生し、ともに歩んできた事を明らかにする。 (中略) 後半は、現在の日本のアニメとマンガの…

  65. 1 より:

    眠い時間
    お前必死だな

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