たけくまメモMANIAX

« | トップページ | »

2014年1月16日

「平田弘史先生訪問記」(全)

このエントリーをはてなブックマークに追加
Share on Facebook

P10001102005年5月。私のこの世でもっとも尊敬する劇画家である平田弘史先生の伊豆のご自宅を訪問する栄に浴しました。このたび「電脳マヴォ」に平田劇画の最高傑作「仕末妻」を掲載するにあたり、この訪問記を再録いたします。平田先生の、漫画家、劇画家の枠に囚われない「漢の信念」の筋が背筋に通りまくった自由奔放な世界を、どうか読者の皆さんご堪能ください。

なお今回再録の「仕末妻」は、青林工藝舎「それがし乞食にあらず」に収録された版を底本にしました。快く再録をお許し下さった平田弘史先生、青林工藝舎・手塚能理子さんに深く感謝するものです。(2014年1月117日・竹熊記)

平田弘史先生にお会いしてきました。豪放磊落な漢(おとこ)の中の漢・現代社会に生きる武士道精神の化身(実際にチョンマゲを結っておられる)ともいうべき平田先生ですが、初対面の私ごときにも大変フレンドリーに接してくださり、本日ばかりは心の底から「生きててよかった!」と思える一日でした。さすがは抱かれたい漫画家ナンバー1ではないかと筆者が勝手に脳内認定する平田先生であります。改めて先生と奥様、そして案内してくださった青林工藝舎の浅川満寛氏には深く感謝する次第であります。

P1000115 書きたいことはたくさんありますが、先生の「普段の仕事場」は、普通の漫画家のそれとは数万光年は隔たった、想像を絶するものであったことを、まずは告知しておきます。それはある意味、銭湯だと思って入ったら遊園地だったとか、歯医者かと思って入ったら実はショッカーの秘密基地だったとか、ちょっとうまい例えが思いつかないのですが、とにかくそのくらいすごかったです。

03 唯一、残念だったのは、せっかくの天気にもかかわらず、左の写真のような「アウトドア原稿執筆」が見られなかったことでした(写真は先生の公式ページより)。でも、まあそれ以上の成果がありましたので、個人的にはよしとします。

P1000231 その成果とは、最後に先生に色紙を所望しましたところ、「どういう言葉がいいかね」と訊かれまして、思わず「“萌え”でお願いします!」とダメもとでお願いしましたら、本当に揮毫してくださったことです。これは望外の家宝ができました。ちなみに左がそれですが、今回は予告ですのであえて拡大はできないようにしておきます。

 

 

平田弘史先生訪問記(一)

P1000109-1 小田原で青林工藝舎の浅川氏と落ち合い、伊東から伊豆急行鉄道に乗り換えて富戸の駅に着きましたのが昼下がりの2時14分。周囲はまばゆいばかりの新緑に囲まれ、眼下の谷間からは樹木に切り取られるようにして太平洋の碧(みどり)がのぞく絶好のロケーションであります。風光明媚とはまさにこのことかと、しばし浮き世を忘れてポカポカと日光を浴びていますと、向こうから「オーイ」の声が。

駅舎の外では既に平田弘史先生自ら車で出迎えに来られておりました。本物の平田弘史ですよ。古武士然とした漢らしい風貌に、手ぬぐいバンダナとチョンマゲがとてもお似合いです。さっそく富戸駅の看板の前で記念撮影をパチリ。デジカメですからその場で映り具合をチェックしましたところ、先生の鋭い忠告が我が耳に。

「構図的に余計な間が空いてるねえ」

P1000109-2 私は慌てて「イエ先生、あとで左図のように周囲をトリミングいたしますので、大丈夫ですよ」と言いますと、さっそく先生の一喝が。

「それでは画素がもったいない!」

まさに…。先生にとっては、デジタル画素の一点たりともゆるがせにはできないのです。これはイヤがうえにも気合いを入れて写真を撮らねばいかんと、私は身の引き締まる思いがしたのでした。

P1000169 先生のお宅は駅から車で数分のところにあります。富戸駅もかなりの高台にある印象でしたが、先生宅はさらに山を登ったところに。標高百数十メートルくらいですか。周囲を森に囲まれた、まさに別荘地のような場所です。敷地に一歩足を踏み入れますと、とにかく広い! 約800坪の敷地には樹木草花が青々と茂り、陽光に照らされた芝生の光が目に突き刺さるようです。

P1000125私が見とれていると、先生は駐車場のコンクリを指さしてポツリとおっしゃいました。

「このコンクリ、自分で打ったんだけど…完全な水平出すのが難しくてさ、水たまりが出来やがるんだよ。やはりプロの職人にはかなわないやね。ハハハ」

P1000126

P1000130 ハハハじゃないって! さっそく平田屋敷の平田屋敷たるゆえんといいますか、その尋常ならざる側面が顔を出してきました! そう、駐車場のコンクリ打ちも、左の排水溝のフタも、そして庭の水道管工事も全部先生の手作りなのです! もはや日曜大工、いや最近ですとDIYですか?  ドゥイットユアセルフ? そんなチャラチャラしたこざかしい次元を遙かに超越した平田先生の自助哲学がここに現れているのです! しかしこの程度はまだまだ序の口なのです!

「それじゃ、とりあえず俺の仕事場を案内するよ」

キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!

P1000112 庭の一角に大きな小屋が建てられており、これが先生の仕事場だというのです。ここから、あの雄々しくも狂おしい平田劇画が産み出されているのでしょうか……にしても……ちょっと雰囲気が違うような。

このプレス機みたいなのはなんでしょうか。その隣には、溶接の道具みたいなものも見えますが。

P1000116 P1000117

「こいつでこうやって鉄板を曲げてさ。金具を作ってるの。小屋のトビラのさ。レールも敷くんだよ。ここには加工道具が全部揃ってるからね。ちょうど金具にサビ止めを塗ってたところさ。あとちょっとで部品ができあがるよ」

P1000119P1000131P1000133 ななんと、先生は現在、仕事小屋の拡張工事に没頭されており、新しく屋根を載せたところに壁とトビラをつけるため、部品からすべて手作りされている真っ最中だったのでした!

「じゃ、これから小屋の中を案内するよ」

ま、まだあるのかッ?

P1000134 そして本来の仕事小屋のトビラをあけると、そこには驚愕の光景がひろがっていたのでした……。まず目についたのは巨大な旋盤、ドリルみたいなのがついてる機械、その他わけのわからぬメカの数々……。

P1000135

「せ、先生ッ!」
「なんだい?」
「ここは、本当に仕事場なのですか」
「そうだよ」
「でも、劇画を描かれているとはとても思えないのですが…」
「ハハハ。ここは趣味の仕事場だ。劇画の仕事場は、母屋のほうにある」

P1000139P1000141

P1000145 「では、ここでは何を?」
「映写機を自作しております。部品はヤフオクで購入したいろんなジャンク品から使えるところを流用して、あとは金属を削りだして作る! こちらが旋盤だ。円形の部品はこれで作ります。直線は、ほらこちらの機械を使う。だいたいこの二台があればたいていのものは作れるんだよ。ネジだって自分で切るんだ!

P1000151

「先生…」
「なんですか」
「すると、これは完全に趣味の工場なので?」
「そうです。これではオマンマは食べられない。劇画を描くなんて、俺は大嫌いなんだけど、オマンマを食うためには仕方がないだろ」
「でも、これはこれで、ここまで本格的ですと、なにか発明されて特許を取られるとかは、考えないんですか」
「いや以前、特許申請を放棄して、あるメーカーにあげた技術があるんだけどさ」

P1000159 「ほう? それは」
「これだよ、これ。この機械のこの部分は俺が発明したの。でもそのとき、俺としては旋盤をオーバーホールしたくってさ。それには数十万かかるんだけど、カネがないんだよ。それで、東京のあるメーカーにさ、俺のこの発明やるから、かわりにオーバーホールしてくれよって言ったら、そこの社員が飛んできたよ。全部、タダでやってくれた」
「でもそれはなんかもったいないような…」
「だって君、特許とるにもカネがかかるだろ。申請して認可がおりるまで何年もかかる。そんなかったるいことやってられないよ。俺は自分の旋盤が直ればそれでいいんだよ!

otousan-10otousan-05 ←「平田弘史のお父さん物語」(青林工藝舎)より

P1000170

かくして、ひとしきり趣味の仕事場の見学を終えてから、我々はいよいよ先生の母屋へと向かったのであった……

 

 

 

平田弘史先生訪問記(二)

__hr_P5040341本稿「其ノ壱」をアップしてからマゴマゴしておりますうちに、コメント欄が大変なことになってきており緊張に身の縮む思いがする昨今ですが、頑張って続けたいと思いまする次第。それはともかく…

さて離れの作業小屋から母屋に向かおうとした我々ではありましたが、途中のお庭があまりにも立派なのでしばし拝見することになりました。

03 「そういえば先生のホームページに、天気のいい日は庭で原稿を描くと書かれておりましたね」
「おう、ホームページの写真はここで撮影した。他にも、あっちやこっちで原稿を描くよ。あまり部屋でウジウジしておったら気合いが入らないだろう。劇画家といえども太陽の下で光合成をせねば血行が悪くなる。人間も動物も、太陽の光があるから生きているんだ。だから忙しいと、俺は外へ出るんだよ。部屋にいると、メールの返事を書かねばならんし、ついヤフオクが気になって仕事にならんからな」
「おっしゃる通りですね。私なども気が散る性分で、本当、困ります」

P1000173 「こちらは家庭菜園ですね」
「これは家内の領域でね。最初は俺も手伝っていたのだが、忙しくてなあ。今ではすっかり家内にまかせてある。ここはサツマイモを植えているが、あちらにはネギを植えたり…」
「これだけ広いと、一家のぶんは十分にまかなえますね」
「無農薬だしな。野菜にしても、時節にかなったものを食べるのは人間にとっていいことなのだ。それより、こちらを見てくれ
「おや、木が倒れてますね。あ、あちらでも」

P1000176

P1000178 P1000179 先生の視線の先には、ボッキリと折れた庭の樹木が。よく見るとあちこちの木々が痛々しく倒れております。これらはすべて、昨年、伊豆を直撃した台風の爪痕なのだとか。この規模の庭ともなると整備も大変だと思うのですが、先生は基本的に自然に任せて放っておくことにしているのだと豪快に笑います。

「俺があと20歳若かったらなあ。ウチに一台、四駆の軽トラがあるんだが、そいつを改造してトラクターにすれば、こんなものすぐにでも片づけられるんだけど。そこにロープをかけてさ。…さすがに歳には勝てないな、ハハハ」

こういう場合、普通の市民が真っ先に考えるであろう「業者に依頼する」ということなど、髪の毛の先ほどにも考えないのが先生の先生たるゆえん。ちなみに、台風直撃によって起きた「いいこと」もあったとか。

P1000181 「台風で梅の木も倒れてくれたのでな、こうして手を伸ばせば梅の実が採れるようになった。倒れてもなお、実をつける……自然の摂理だな」
「都会に住む私には、何から何までうらやましい生活です。先生、ここは天国みたいなものですね」

otousan-14「まあな。締め切りさえなけりゃなあ……俺の人生はあれで毎回地獄を味わっておる……なんで劇画なぞはじめてしまったのか……」
「では締め切りがなければ、気持ちよく劇画が描けますか」
誰が描くか。俺はもともと、家族を養うために、カネになりそうだから劇画を始めただけで、絵を描くなんて大嫌いなんだよ」
「それでも描かねばならないとは……。まさに業ですね」

otousan-08『平田弘史のお父さん物語』より。劇画という苦行を選んでしまったがゆえに、毎回毎回カルマに苦しめられる平田先生の魂の叫びがスパーク!

「時に先生、ヤフオクの達人と伺いましたが、秋葉原には今でも行かれますか」

akiba01アキバか。杉並にいた頃はちょくちょく行ったが、すっかり行かなくなった。伊豆に越してから18年だから、そのくらいは行ってない。今はほとんどヤフオクだ」

akiba02 「では先生、今のアキバに行かれたらビックリしますよ。もはや別の街と言ってもいいくらいです」
「最近はあれだろ、家電量販店が進出してるんだろう」
「イエ、もはやそのようなレベルではございません。今はパソコンショップだけではなく、男が描いた少女漫画のようなチャラチャラした絵柄の漫画や、アニメのDVDエロいTVゲームなど、そういうのを好むオタクと呼ばれる若者が大量発生しておりまして、そいつらに街全体が占領される勢いで」
「なんと、アキバがそんなことになっているのか?昔は電器パーツのジャンク屋がたくさんあって、宝の山だったんだが」
akiba05 「もちろん今でもジャンク屋もパーツのお店もございます。が、それらロマンを感じさせる男らしい店は片隅に追いやられ、最近ではフィギュアと称して軟弱アニメのエロ人形を専門に扱う店が中央の通りにまで進出する始末」

otousan-16

「なにィ? イヤだねえ、俺は大嫌いだッ! ああいう軟弱漫画ばかりが増えるから青少年がアホになるんだ」
「御意」
「最近はやりの、ホレ、癒しとかいう言葉があるだろう? 何が癒しだ! ふざけるな!」
「仰せの通りで。親の脛かじって軟弱アニメにウツツを抜かし、癒しも糞もないものです」

「世の中そんな甘っちょろいものではない。人生は厳しいんだよ。俺はな、この世に癒しという言葉がある限り、金輪際、誰一人として癒されないような熾烈でハードな劇画を描いてやろうと思っているんだ!」

satuma-01 「それでこそ先生! まるで『薩摩義士伝』の表紙絵のごとく、今こそ腑抜けた世間の横っ面におのれの臓物をたたきつけて覚醒させねばなりますまい! そのための平田劇画! だんだんエンジンがヒートアップして参りました! 全国のファンは、先生の今のお言葉を聞いて涙を流していますよ!」

「俺のファンなんか2,3人いればいいんだよ!それよりもな、若者だけではない、大人も腑抜けておるから、中国には追い抜かれるし、JRの脱線事故も起きるんだ。とにかく大人も子供も全員がたるんどるよ!」

と、エンジンがかかりきったところで、ようやく我々は先生の母屋へとお邪魔することができたのでした……。

 

 

平田弘史先生訪問記(三)

P1000188 ようやく「平田先生訪問記」を再開できる運びになりました。最初はもっと気楽に考えておったのですが、いざ取材までしてしまうと、いい加減にまとめるわけにもいかず、ズルズルとここまで。しかし待たせた甲斐はある内容になったと自負しておりますので、何とぞご容赦のほどを。

otousan-02 まず仕事場のドアの分厚さにビックリであります。閉じると、外の音がまったく聞こえない。んで、入ってすぐ左の壁際にズラリとキーボードの数々が。これはもしや『平田弘史のお父さん物語』で颯爽と弾いていた噂のシンセサイザーではありますまいか。

「ここは本来は音楽室でな。シンセサイザー専用に完全防音にしたのだ。扉だけではなく、部屋全体が二重壁になっておる」
「うーん、本格的ですね」
「劇画の仕事場は、母屋の横に別棟で建てる計画だったんだが、耳を悪くしてシンセを弾かなくなってな。それで、今はここが仕事場となっているんだ」
「耳を?」

P1000208 そういえば、先程から時折耳に手を当ててこちらの質問を聞き返される仕草をされるので、気にはなっていました。やはり、耳を悪くされていたようです。

「実は数年前、編集者に誘われてハワイに行ってね。そこの射撃場で拳銃を撃ってきた
「あちらでは合法的に撃てる場所がありますよね」
「それで、思う存分撃ってから、耳当てを外したら、何も聞こえん。あのときは焦ったよ。耳当てが不十分だったんだな。しばらくしたら、ぼんやり聞こえるようにはなったんだが、聞こえるのは低域だけ、高域は今でもよく聞こえない。だから全部、モゴモゴした音になってしまうのだ」
「…それはさぞお困りで」
「まあ、劇画を描くぶんには関係ないけどな。ただその一件以来、シンセから離れてしまったね。作曲しかけの曲が二曲あって、それが未完なのが心残りなんだが…」

20040907-28ところでこの取材を終えた後、先生のホームページには再び新しいシンセを購入されたという情報が。どうも、この取材がきっかけになったかは知りませんが、先生、どうやら未完の曲を仕上げる気になられたようで。しかし耳のほうはどうなるのか。そういえば、あのときこんなやりとりが……。

「耳が遠いとご不便でしょう。補聴器は使われないんですか」
「うむ。補聴器を買おうとして店まで行ったことがあるが、高い! 安物でも片耳7万円もしやがるんだ。音楽が楽しめるような高級品だと、両耳で45万もする。だから俺は店のオヤジを怒鳴りつけてやったよ。ドアホウ! こんなものがなんでそんなにするんだ。パソコンより高いじゃないか。それなら自分で作ってやると」
「補聴器の自作……ですか」
「簡単だよ。それになんだ、市販のやつはバッテリーを毎日交換するそうじゃないか。そんなもん電池代がもったいない。暴利をむさぼるにもほどほどにせい! アキバにいけばマイクロチップのデジタルICがあるだろ。電池も9ボルトのが150円くらい。あれポケット入れてさ、あとはマイクとアンプを組み込めば簡単だよ。聞くのはヘッドホンを装着すればいい。俺の難聴は高域が聞こえないだけだから、低域を抑えて上を伸ばすだけだ。音の明瞭度を上げるなら、エンハンサーを組み込んでやね、音が切り立つようにすれば、作れるじゃん!」

otousan-17 と、いうわけで、シンセを再開されるということは、もしかして補聴器の自作も。でも先生なら造作もないことでしょう。だいたい『お父さん物語』によると、最初は長調と短調の区別も知らずにシンセを始められたそうですから。しかしミュージシャン志望の娘さんから音楽のイロハを教わって、ついには作曲まで。一度「やる」と決めたらとことん極めるのが平田流。そうしたこだわりは、劇画の仕事机まわりからもビジバシ伝わって参ります。

P10001920303「この仕事机まわりは、HPにも図解で入ってましたね」
「え、そんなの覚えてないな」
ご自分で図解されてますよ!それからこの屋外でマンガを描く写真、もしかしてウケを狙っているのでしょうか」
「ウケを狙ってどうするんだよ。俺は嘘は嫌いなんだ。このページにあるのは、全部本当のことしか書いておらん」
P1000193 「し、失礼しました。お、これが下絵ですね。締め切りは、いつなんですか」
「んー、6日に編集がとりにくるかな」
「え……今日は4日ですから、あさってですか。あと何枚ですか」
「あと24枚かな」
「えええええええ! こんなインタビュー受けている場合ではないじゃありませんか」
「まあ、なんとかなるだろう。それにしても、物書きって大変だよねえ」
「……そんな人ごとみたいに!」

otousan-04 われわれ取材班の間にはにわかに緊迫したムードが! しかし先生はニコニコしておられます。もしかして、取材が入ったということで、仕事にかからないですむ言い訳ができて嬉しいのでしょうか…。取材後も、先生のホームページを見ますと、なんか着々と「もうひとつの仕事場」其の壱、参照)の壁とか引き戸のレールとか出来ているようだし…。なるほど、これでは編集者は気が気ではないなと思いつつ、驚異の「平田流・劇画製作術」へと話は続きます!

 

 

平田弘史先生訪問記(四)

P1000198 仕事机の横にネット専用のMacが置いてあり、先生はこれでメールを書いたりネットサーフィンやヤフオクを楽しまれているようです。さっそく立ち上げて、しばしネット談義。

「ちなみに私のぺージがこれです。たけくまメモというんですが」
「(しばし眺めて)お。ipodが使いづれえと書いてあるな(笑)」
「いやこれは私が無知だっただけで、使用法が分かれば大丈夫でした」
「だいたいアイ(i)がつくやつはどれもジャリ向けだよ。どうも俺は気にいらねえ。iMacとか、iBookとかさ」

Amazon.co.jp: 本: 新首代引受人 1 (1)新首代引受人 1 (講談社)

「Macはいつからお使いですか」
「96年か97年からだ。そのときはじめて使ったんだ。それまではMSXとか、NECのPC-98をいじってみたが、全然お話にならん。それでMacにしたら、おお、これはいいと。仕事では『新首代引受人』で本格的に使ったかな。いろいろやって、今は手描きに戻っているのだが」
「Mac作画の時は、下書きからいきなりタブレットだったとか?」
「PCで絵描くのに、何で紙使うの?」

「タブレットは使いづらくなかったですか」
「全然。画面を見ながらその通りに描けるわけだし、筆圧も出るから、問題もない」

kubidai-1 ←『新首代引受人』(1999)第三話「誇」より。それまでは紙にペンとPCとの併用だったが、ついにこのエピソードからはMac G3によるフルデジタル作画に。にしても、これがすべてタブレット描きの線とはにわかに信じがたい。

「ではなぜ、手描きに戻られたのでしょうか」
「結局、手描きに比べてPCはまだ時間がかかる。最終的に大きな絵にしたい場合、部分をレイヤーに分けてディティールを描くだろ。そのレイヤーを拡大したときに座標位置が狂ってジャギーが出るのだ。大きく描いて縮小するぶんにはいいんだけど、それでは画面の一部しか描けない。絵というのは、全体像を常に把握しながら描く必要があるんだけど、結局各部分をアップで描いて、それを繋げるというやり方にどうしてもなるから、全体のバランスが狂ってしまうんだ。それから、最初からアップで描くとどうしても描きこみすぎてしまう。これも時間がかかる原因だ。このへんが解決できないから、結局手描きに戻ってしまった」

kubidai-2『首代引受人・ワイド版』(リイド社)

←『首代引受人』(1973)より。平田先生36歳時の作品。上のデジタル版『新首代』と比較すると、『旧』は描線がスピーディで力強く、一方の『新』は絵が端正で静的な感じを受ける。年齢によるタッチの変化を考慮しても、左の旧作のようにペンが「疾った」感じを出すのは、デジタルだとなかなか難しいようだ。ちなみに旧『首代引受人』はリイド社より好評刊行中!(上のタイトルをクリック!) 新旧あわせて読めばモアベター!

「なるほど」
「アップして修正、それをロングにしたらまた修正。こんなことはやってられない。それともうひとつ、手描きのほうがやはり線がいきいきするんだ。タブレットの描線だと、力を急に抜くと線が団子のようになってしまって、よくない。自分としては力を抜いたら鋭角にキュッと線が細くなってほしいんだが、その鋭い感じがタブレットではまだ出せない。このあたりが解決したら、またMacに戻ってもいいんだが。イラストレーターとかフォトショップとかいろいろソフトがあるが、誰も劇画のことを考えてないからな。実は以前、劇画用のソフトを作ってもらうように奔走したこともあるんだけど、どこのメーカーも理解を示してくれなかった」

P1000195 ←作画用マッキントッシュ。

「最近はコミックスタジオとかありますが?」
「あれは全然だめ。私の思う線は出せない」
「今の若いマンガ家の間には、結構普及し始めているようですけどね」
「それは、そういうデジタル向きの線で最初から画風を作っているからだろう。俺の線にはならないんだよ。だからオールマックで描いた『首代』は、完全な実験作だったね」
「ものすごい描きこみをされてましたものね。刃に相手の顔が映っているとか」
「あれはカラーの場合ね。ああいうことができるのがデジタルのいいところですね。カラー原画に関しては、デジタルのメリットが生きてくるね」

kubidai-3 ←『新首代引受人』のカラー口絵より。確かにこの描きこみはすごい。首代とは戦で不利になった兵隊が、敵方の侍にお金を払うという手形をかわして命を助けてもらうこと。首代半四郎は、つまりは手形回収業者なのです。お金を払わない者は、こういう目にあいます。

「私の友人で藤原カムイというマンガ家がいるんですが、彼も十年くらい前からマック作画に切り替えて、モニター上で絵を描くようになってます。彼の仕事場に行って驚いたのは、紙とペンを使うのは先生のカムイだけで、アシスタントはPCしか使わない。
それで、カムイは必要な“部品”を描いているんです。たとえばハトが羽ばたくさまを5パターンくらい描く。それをアシに渡して“公園にハトを百羽飛ばして”などと指示する。建物にしても、彼がまず三面図を描いて、あとはアシが画面上で組み立てれば、同じ建物ならどんな角度からでも絵にできるという具合です」
「もちろん手間をかければ、デジタルでもいろいろできるよ。でも俺にとって一番問題なのは、デジタルだとやはり味気ない絵になってしまうということだ。いろいろ頑張ってはみたが、そこはどうにもならなかった」

「先生の場合は、アシスタントは奥さんだけですか」
「今は、そう。夫婦(めおと)制作社といっておる。Macの時は、家内にも一台渡して、トーン処理をしてもらった。今は、紙に直接トーン貼りをしてもらっているが」

P1000207 と、ここで仕事場から居間へと移動。20畳はあろうかという部屋の中央に12人はゆうに座れる掘りごたつが置かれています(春なので普通のテーブル状態でしたが)。しかし部屋に入ってハッとしましたのは、居間の片隅に置かれたちゃぶ台で、先生の奥様が作務衣姿で本当にスクリーントーンを貼られていたことです! なんか華岡清洲の妻とか、そういうのを思い出しました。少なくとも私はこんなに優雅なアシスタント姿を見たことがない。カメラを向けようとするとさっと台所に立たれてしまったので、撮影できなかったのが残念でした。

 

 

平田弘史先生訪問記(五)

P1000203 居間の掘りごたつで、再び劇画テクニック話の続きであります。

「先生は、もともとはGペンを使われていたんですか」
「いやカブラペン。最初から、貸本時代からカブラペンしか使わない」
「以前、丸ペンの先を切って使われていたということはありませんでしたか? それであの太い線を描いていたというのを、何かで読んだ記憶があります」
「誰がそんなこと言った? 丸ペンも、一応持ってはいるが、まず使わないな。カブラで丸ペンより細い線も引けます。逆に5ミリ幅の線だって引く

P1000252ち、ちょっと待ってください。カブラペンで5ミリ幅って…それすごいですよ。1センチの半分ですよ? (これがどのくらいすごいことかは、家で実験してみましたので左の写真を見てください!)

__hr_P5040394←愛用のカブラペン。常時3本程度を使用。ペン置きは自作。

「まあ年とると5ミリはかなりキツイから、最近は3ミリだけどな。そのように使いこんだペン先は、もう刃物みたいに鋭利になる。その鋭利になった裏側を使って線を引くと、今度は細~い線が引けるんだ。こうなれば、カブラ一本で十分だよ」
「ペンの裏側で描くという、プロのテクニックですね」
「あるいは回転させる。そうすれば、カブラでどんな線でも引ける」

__hr_P5040389__hr_P5040396

←普通の文具屋で売っている水彩筆(左)と着彩用ポスターカラー。いずれも小学生も使う画材で、弘法筆を選ばずとはよくぞ言ったもの。先生は不透明水彩がお好きなようだが、ガッシュとかリキテックスといったハイカラな画材は無縁のようだ。というか、「ガッシュって何だ?」と言われました。

「筆で描かれるというのは難しいですか」
「筆は痛むのが早いからな。一番描きやすかったのは、『薩摩義士伝』を描いていた頃の、アルミのカブラペン。今売っているメッキのじゃなくて、芯までアルミのやつ。もう製造してないんだけど、あれは最高だったな。弾力性があって、減りが少ない」

satuma-03 『薩摩義士伝』(1978)より。アルミ製カブラペンでノリにのっていた時期の迫真の平田絵。よく見ると、一部筆を併用しているようだ。

「薩摩のときのアルミペンは、一本で30ページまで描けた。ペン先の減り方が均等なんだよ。だからなんぼでも描ける。あれがなくなってからはっきりと描きづらくなった。今売っているのは鉄にアルミメッキしているだけだから、弾力性がない。すぐに減るし、紙をひっかきやすい。あのペンがなくなってからペン入れの速度が落ちた

Amazon.co.jp: 本: 平田弘史時代劇画選画集―武士(MONONOFU)平田弘史時代劇画選画集―武士(MONONOFU)

←驚くべきことに、平田先生の画集はこの一冊のみ。まだ買える。最高傑作『薩摩義士伝』を中心に、30代から40代にかけての、脂がのりきった時期の超絶画業が堪能できます。リンク先から「中身を見る」をクリックすると他の絵も見られる。正直すごい、つーか、神業! 池上遼一・大友克洋・寺田克也など当代一流の絵師が、揃って「師」と仰ぐ理由がよくわかる。平田ファンならずとも一冊は持つべし!

カブラペンといえば、手塚治虫が愛用していたことで知られるオーソドックスなペン先であります。カブラは均質な線が引きやすい道具なので、筆のような強弱のある線の場合はGペンの専売特許だと私は考えていました。実際、さいとう・たかをを初めとする劇画派の人たちは、手塚的な、フラットな描線を否定するべくGペンを使い始めたというのが業界の定説なのです。なので、すべてをカブラで描くという平田先生の発言は、けっこうビックリでした。だって、手塚治虫と平田弘史が同じペン先を使っているとは、にわかに信じられないですよね?

otousan-07

『平田弘史のお父さん物語』より。下絵に入る瞬間、“気”をエンピツの先に充填して放出!うっかりするとエンピツはおろかペン軸まで折るというから物凄い。筆圧はボブサップ並みか?

「Gペンがなんで気に入らないかというと、あれはローマ字書くときのペンだろ。縦に描くと太くなって横に引くと細くなる。あれが気に入らなかった。味がないよ。縦にも横にも単調な線がひけるのがカブラだろ。丸ペンは、カブラの頃合いの細さがないときに、しかたなく使うくらいだ」

sakaijiken-1←うーん、太い!輪郭は筆で描かれているように見えるが、カブラペンだ。1980年『堺事件』より。(『日本凄絶史』)

「ほとんどは、3本くらいのカブラペンをいつまでも使う。使いこんだのは、錆びてくるから墨汁のカスが乗って、ガビガビの線になる。でも裏を使うと細い線が引けるんだ。私はペン先一本で30枚から50枚は使う。砥石で研げばそのくらいは使える。最後は砕け折れてしまうから、そうなったらお釈迦さまだ」
「ペン先が折れるまで。すさまじい使い込みですね。聞いた話では、ペン軸も折ることがあるとか?」

tachimochi-1←こんな感じか? 『太刀持右馬介』(1977)より

「ああ、軸も折れるよ。樹脂性のペン軸はダメだ。すぐ折れる。木製で、中軸が金属の、しっかりしたやつがいいな。樹脂製のを使ったときは、よく折れて墨汁があたりに飛び散ったからな。歳をとってくると腕の筋肉が固くなってくるから、思うような線が引けない。そんな時はあっちの工場で金属加工作業をするんだ。それで筋肉をほぐす。ペン先が自由に動けるようにな」

「そ、それはまるでキュリー夫人がラジウムの研究で疲労困憊したとき、気分転換に高等数学の問題を解いていたような話ですな。ところでへんな話ですけど、2年とか3年、休筆されることがありますよね。そんなとき、いざ再開すると筆先が鈍りませんか」

__hr_P5040380

「そんなことはないよ」
奥様「あら、最初はやっぱり変ですよ。私から見ても、線がおかしくなってて。しばらく描くと、戻りますけどね」
「3年遊んでても、十枚描けば大丈夫だな」
「池上遼一さんが、昔病気で半年休載したことがあったんですが、ペンの調子を取り戻すのに1年かかったって言ってましたね」
「俺なんか、今は半月遊んでるもんな。後の半月でマンガ描いている(笑)」

 

平田弘史先生訪問記(六)

katyu02JPG さてお楽しみいただいた『平田弘史先生訪問記』ですが、今回で一応の区切りにしたいと思います(番外編はまだあります)。

それと申しますのも、実はあれ以降のインタビューがさらに2時間近くに及びまして、また近日中に追加取材を行う予定もあり、以上あわせてこの七月下旬に青林工藝舎から刊行予定『叛逆の家紋』に掲載することが決定したからです。

さすがに「たけくまメモ」と内容がダブリ過ぎるのもなんですので、当ブログではこのくらいにしておきたいと思う次第ですが、せっかくなので以下、活字化予定の内容の一部をご紹介いたしましょう。

●我が人生は貧乏神との戦い!

17歳で父親を亡くされた平田先生は、残された家族(母親・弟妹6人)を肉体労働で養う日々を送ります。そのころ、先生の一年上級の先輩が漫画家になっていたのですが、数年後、乗り換え駅でバッタリ会ったのがきっかけで漫画の道に入ることになりました。

たちまち圧倒的な才能を発揮し人気作家となりましたが「生活のためとはいえ、いやそれゆえにこそ、半端な作品を出すことは自分が許せない性分」のため、たびたび休筆を繰り返し、そのたび貧乏のどん底に。

__hr_P5040357結婚して五人の子供をもうけてからも、休筆癖は変わらず、『それがし乞食にあらず』を地で行く窮乏生活が一家を襲います。だが生来の前向きな性格と、しっかり者の奥様による内助の功でピンチを切り抜けます。「世の中には貧乏が顔に出る人と、出ない人がいますが、先生は全然貧乏に見えませんね」と筆者が問うと、先生答えて曰く「俺たち夫婦は心が金持ちなんだよ!」

●麻酔なしで盲腸手術!

19歳で盲腸になったが手術はなぜか麻酔なしという超豪快さん伝説! 腹を切り裂かれ内臓が引っ張られる感じを実感! 切腹する武士の気持ちをイヤと言うほど味わう! 考えただけで痛そうですが、先生にとっては生命と死を深く考察するきっかけに!

●『お父さん物語』はアルバイト作品!

otousan-01平田弘史のお父さん物語

80年代後半、平田先生一家は杉並の持ち家50坪を売り払い、伊豆に八百坪の広大な土地を購入しました。だがその前後3年近く仕事をまったくせず、建築の陣頭指揮をとる毎日。大工ですら気が付かない水平の歪みまで指摘し、ついには「俺がやる!」と勝手に工事を始めるなど、先生は楽しかったでしょうが雇われた側には地獄であったでしょう。かくして立派な屋敷が完成したものの、人生何度目かの貧乏が一家を襲った!

八百坪の屋敷に住みながら貯金ゼロ! 電話代も払えぬ有様に!

ぼちぼち仕事をしなければならなかったのですが、それまで数十年の劇画家生活で「神経が疲労困憊、逆立ちしてもアイデアが浮かばぬ状態」だったゆえ、劇画を描く気が起きず、とうとう日雇い人夫に出る決意を固めます。だが、そのときひとつのアイデアが先生の頭に浮かんだのでした。

「まてよ、日雇い人夫なら誰でもできるが、俺にしかできないバイトがあるんじゃないか。そうだ、マンガのアルバイトならできるかも知れない!」

たまたま講談社ヤングマガジンから原稿依頼があり、かくして始まったのが先生初のエッセイマンガ『平田弘史のお父さん物語』だったのでした。先生曰く「お父さん物語は、だからアルバイト作品なんだよ」。しかし気楽なエッセイといえども己の全てをさらけ出し尽くしてしまった力作に、業界話題騒然!

●今明かされるチョンマゲ(正しくは総髪)の秘密!

P1000212 伊豆に来てからチョンマゲ(※註)を結うようになられた先生ですが、これも床屋代を節約するためと判明!

「最近は若い連中の間にもチョンマゲ(※註)が流行ってるじゃねえか」
「は?」
「ほら長髪を後ろで束ねて…」
「ああ、ロンゲを結わえるあれですね。チョンマゲ(※註)とはちょっと違うのでは」
「俺も最初はああしてたんだが、それだけだとまだ鬱陶しいんで、丸く結わえたらチョンマゲ(※註)になった。おかげで頭が軽くて快適だ。昔の人の知恵は素晴らしいもんだねえ」

なんていうか、先生、貧乏・貧乏とおっしゃられますが、正直全然貧乏には見えませんのですが。横に座られている奥様も「あの時は大変だったわねえ、おほほほ」とお笑いあそばされるのみで、本当に素晴らしいご一家です!

※註 こういう髪型はチョンマゲではなく、正しくは総髪というらしい。コメント欄のぼぼぶらじるさんのご指摘を参照。しかし先生も細かいことには拘らないのか当方の間違いを否定されなかったうえ、一般の現代人には総髪という言葉はなじみが薄くかえってピンとこないと思われるので、註を加えたうえであえてそのままにしておきますが、正しくは総髪です。

●天理教脱会の真相!

__hr_P5040385 親の代からの敬虔な天理教徒であった平田先生。しかし若い頃から、ある「違和感」を抱き続けていたと告白します。

その違和感は、教団の機関誌から『教祖・中山みき伝』の劇画連載を依頼されたところで頂点に達しました。当初は己のライフワークにしようと、それまでにもまして徹底的に史料を調べ、執筆を開始された平田先生でしたが、よくよく原史料に当たると、中山みきの教えと、教団の教えに食い違いがあることが判明。

「そもそも、中山みきさんの本当の教えは“身のうちひとりひとりに社(やしろ)あり”なんだ。要するに、自分の心の中に神さんはいるので、“教団を作れ”なんて一言も言っておらん。だから、教団があること自体間違っておるし、彼らが神を代理できると考えることも間違っている。

otousan-13天理教に限ったことではない。仏教もキリスト教も、イスラムにしたところで教祖が教団を作ったわけではないよな? 必ずその弟子だの身内だのと称する、凡人どもが教団を作る。組織ができると、組織を維持する目的が必ずできてしまう。そうしたら信者を集めなければならない。人を集めるために、権威を作って、階級を作るんだよ。

中山みきその人を尊敬することと、教団に属することはまったく別の問題なのだ。他人の私利私欲の道具になってたまるかよ。この事実に気付いた俺は、そのことを劇画に描こうとしたのだ

当然、天理教本部的には青天の霹靂と申しましょうか、パニック状態に。かくして平田先生渾身の力作『中山みき伝』は連載打ち切りと相成りました。もちろん先生は泰然と、家族を連れて教団を脱会したことは言うまでもありません。

そもそも、誰よりも物事の本質を突き詰める性質の平田先生に、教団の宣伝マンガを依頼した天理教本部の認識が間違っていたのではないでしょうか。

●宇宙の原理=オマチン思想とは?

otousan-18otousan-11天理教を離れ、以後いかなる宗教とも無縁の生き方を選んだ平田先生でしたが、中山みきの「身のうちひとりひとりに社あり」を実践するべく、伊豆山中にて独自の人生哲学・そして広大な宇宙哲学を展開していきます。

それが「宇宙の原理=オマチン思想」であります。その深遠な哲学の一部は、『お父さん物語』や先生のホームページで展開されておりますが、このあたりの話もタップリお聞きしましたので、お楽しみに!

そんなこんなで、とっ散らかった感じになってしまいましたが『平田弘史先生訪問記』、お楽しみいただけましたでしょうか。で、最後になりましたが「其ノ零」で予告した例のアレをアップしてひとまず締めくくろうと思います。そう、例のアレですよ!

「先生、最後になりましたが、色紙に一筆お願いしたいと思うのですが」

「ああ、いいよ。どんな言葉がよろしいか」

「萌え、と」

「燃える?」

「イエ、草冠に明るいの萌えでございます」

「なんでだ?」

「最近、軟弱な若者の間でこの言葉が流行っておるのです。あえて先生ご揮毫によるこの言葉を示すことで、軟弱アニメに萌える若者の背骨に、一本シャンとした気合いを通したいのであります」

「わかった」

P1000226かくして、先生にご揮毫いただいた色紙が、左の写真です。今度はクリックすると拡大するようにしましたので、たっぷりとご堪能ください! ついでに、お孫さんに萌え萌えの先生の写真も。

 

 

青林工藝舎・平田弘史先生の著作は以下のアックスストアからよろしくお願いします!

https://ax.ofthemall.com/products/list.php?maker_id=66

たけくまメモMANIAX

| コメント(0)

コメントは停止中です。

« | トップページ | »