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2014年3月28日

特別連載 ダーティ・松本✕永山薫 エロ魂!と我が棲春の日々(3)

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 第3回

永山 第3回目です。新星社の中林さんから実話誌『異色特集』の仕事がきたわけですが、原稿用紙作りから始まるってのがいいですね。

松本 当時はまだ漫画原稿用紙なんてなかったからね。みんな、こうやって作ったんですよ。

永山 俺もやりましたよ。模造紙かケント紙を重ねて錐で孔あけて枠線の位置を決める。

松本 そうそう、千枚通しとか、コンパスの針でね。

永山 慎重にやらないと、孔の位置がズレて、枠線が真四角にならない(笑)。それで、枠線はいいとして……。

松本 何描いていいのかわからない(笑)。エロマンガ誌がまだ存在しなかったから、描こうと思ったこともないし見たこともないわけで……。

竹熊 エロ漫画がまだなかった。

松本 だからお手本がない。もともと活劇志向だったので日活映画はよく見ていたのにロマンポルノになってしまい、どれどれと見に行ったけれど「エロ魂!」のない作品ばかりで全くつまらない! しかし次第に「日本のロジェ・ヴァディム」、小沼勝監督(※1)とか優秀な人が出てきて、まさか自分の作品がロマンポルノで映画化されることになろうとは…?「性狩人」なる作品で監督の池田敏春(※2)はのちに「人魚伝説」などを創るなかなか力のある人でしたが、残念なことに近年自殺しました。

永山 そうだったんですか。

松本 ……それはともかく、ビニ本買ったりして、いろいろとからみの絵の勉強したものの上手くいかずに1本描いただけでお呼びは無くなりました。トホホです……。

永山 ビニ本がお手本って、まどの一哉(※3)もエロ漫画描こうとしたんですよ。

 

 

▲図3-1 まどの一哉『洞窟ゲーム』青林工藝舎・2010

竹熊 まどのさんも!? ちょっと想像つかない。

永山 それで、やはり、お手本としてビニ本とか見て研究したんだけど、頭がおかしくなりそうになったんでやめたって。本人が言ってました(笑)。

竹熊 頭のおかしい漫画しか描いてないじゃない(笑)。

永山 ひどいなあ。高校一年の時は可愛かったんだよ。坊ちゃん坊ちゃんして。

竹熊 え、あの先生。まどのさんが?

永山 今でも童顔だけど、高校の時、鈴木翁二(※4)に会いに行って、「少年Aって感じだね」って言われたとか(笑)。

▲図3-2 鈴木翁二『東京グッドバイ』北冬書房・1998年

竹熊 『電脳Mavo』でも連載を。娯楽アクションを……って言ってましたよ。

永山 わけわかんないなあ(笑)。でも、固定ファンはいるから。部数絞って出せば確実に売れる。

竹熊 『電脳Mavo』の作家、それぞれにファンクラブ作ろうかと考えているんですよ。

永山 俺のファンクラブも是非(笑)。ファンクラブでファンド募って、俺を喰わせて、作品書かせる(笑)。

竹熊 ダーティ先生が現役のうちに作りたい。

永山 何言ってんですか、生涯現役ですよ(笑)。

竹熊 ではご存命のうちに(笑)

永山 中林さんの話に戻しますが、キャラがシブイですね、「モーツァルト好きか?」(p51)って、クラシック好きとして痺れまくりですよ。

 

▲図3-3 「モーツアルト好きか?」

松本 中林さんといっしょに歌舞伎町を歩いたら、肩で風を切る姿はどうみてもその筋の人です。後にエロマンガ家で草野球チーム「エイリアンズ」を結成し、7色の変化球を投げるエースとして活躍してくれました……はともかく、面白い話がいっぱいありそうで健在のうちに誰かインタビューしたほうがいいと思うけれど。
永山 お話できる状態かどうかも問題ですが。

松本 ほんと、みんなパタパタいなくなっちゃうから。

竹熊 この世代の人たちって、もう60〜70代でしょう。

竹熊 団塊の世代がこの頃の中心じゃないですか。60代後半。

松本 今頃はちょうど会社辞める頃ですね。 みんな上手く逃げ切ったなあって思うんですよ。

永山 少年画報社の添田さん(※5)も辞めちゃったしなあ。

松本 昨年個展のイベントとして、早見純とトークショーをやったときに来てくれて、かなり体調悪いとのことで心配です。画報社で上司だった筧さんは退社後も電子メディアの仕事をやったりマンガの講師やったりで元気バリバリですが。

竹熊 今、40〜50代の漫画家が大変ですよ。名のあるベテラン作家が警備員とかやってます。

松本 よく雇ってもらえるなあ。

竹熊 警備員は年齢関係ない。60代まで大丈夫。

永山 竹熊さんがいると余談に入りまくるなあ(笑)。ええと、中林さんにダメ出しされたあたりに戻しましょう。何回も描き直しさせられたんですか?

松本 実話誌はエロが厳しいんですね。警察官が出てくる4コママンガが某ガードマン氏に変えさせられたり……。

永山 抑えろという意味ですね。

松本 男女の直接的なからみが描けないから、透明人間のセックスになっちゃう。

竹熊 断面図はダメなんですか?

永山 断面図はもっと後ですね。

竹熊 でも昭和30年代の実話雑誌に、お医者さんがね、記事として。

永山 記事はあるでしょうね。ここだけの話だけど東北芸術工科大学の吉田先生は「浮世絵で断面図あるよ」って。

竹熊 あの時期にですか?

永山 浮世絵ですから江戸末期から明治でしょうね。で、この何回もリテイクくらったやつが最初の作品。デビュー作になるんですね? それで、先に出た吉岡(仮名)にピンハネされる(笑)。

松本 ページ2000円の内、1000円抜かれた(笑)。

永山 何ページ描いたんですか?

松本 8ページ。

竹熊 それ、何年くらいの話ですか?

松本 71か72年。基本はね、当時、漫画誌の新人で2500円の時代。実話誌だから2000円だけど。2500円の時代、長かったよね。

竹熊 今だって新人でページ6000円くらい。

永山 俺、初めて漫画描いて載っけてもらった時、7000円とか8000円もらったよ。82年か83年頃かな(※5)。

松本 なんだよ! それ大家(たいか)だよ(笑)。

竹熊 『漫画ブリッコ』(※6)にぼくが漫画描いて、84年。6000円でした。初めて原作仕事もやった。相手が藤原カムイで、やはり原作は初めて。

永山 7000円か8000円貰って、「こんなもんなの?」って訊いたら、「大手でも新人はそんなもんだよ」って言われました。

竹熊 今でもそんなもんですよ。

永山 そのへんは竹熊さんの『マンガ原稿料はなぜ安いのか?』(※7)に詳しい。原稿のコピーが残ってた。永山が大家だった頃の作品。黒歴史ともいう。これで8000円。

図3-4 まんぐーす☆『まじっくらんたん』(掲載誌不詳、アップル社・1984年)

 

図3-5 竹熊健太郎『「どうしてくん』(『漫画ブリッコ』1985年12月号)。これで6000円。   稿料1頁1000円のほろ苦いデビューだった」(p57)。デビュー作どこかに残ってるんですか?

松本 雑誌は残ってますけどね。見なくていいです(笑)。まだまだ「エロ魂!」の篭ってない作品で気合の入ってない駄目な作品です。

永山 その頃、名前は?

松本 実話雑誌は何も言わないもんで、適当に向こうで付けてくれて、池田竜彦とか。挿絵の方は笑いましたよ。上高地源太。

永山 上高地、すごいな。別荘番キャラにありそうな名前ですね。

松本 その後、青年誌で本名でやって、インパクト弱いんで。

永山 「名前を変えるぞ!」と。「今日から俺は! ダーティ・松本だぁ!」(p58)。クリント・イーストウッドが描いてある(笑)

松本 名前変えてから運が向いたのかな。本名時代はイマイチでしたね。

竹熊 『ダーティハリー』(※8)から名前取ったんですか?

▲図3-6 『ダーティハリー』のポスター

松本 本名だと、田舎の親戚が松本零士と勘違いしてねえ、マガジンに電話したとか……、なにを言ってるんだ(笑)。70年代初頭は日活ニュー・アクション、『ダーティハリー』『フレンチ・コネクション』『わらの犬』『時計じかけのオレンジ』等々、バイオレンス映画がぐいぐい伸してきた時代で、ペキンパー、ドン・シーゲル、S・レオーネ、深作欣二らが当時の活劇志向である僕の師匠です。その中の1本『ダーティハリー』は特に素晴らしかったのでついついペンネームにいただいてしまいました。のちに村松友視が『ダーティ・ヒロイズム宣言』という本を出したり、ダーティ工藤、ダーティ岡本なる人も現れて……。こらっ!「ダーティ」をぱくるんじゃないっ!と思ったけれど、こちらもいただきだから文句は言えない……。

永山 ダーティ岡本さんはオマージュ的なペンネームなのかも。エロ漫画家だし。作風は違いますけどね。あと『ダーティ・メリー クレイジー・ラリー』って映画もありましたね。おっと、また余談だ(笑)。

竹熊 これ、続けてやったらもう一つの劇画史になりますね。

永山 あまり表に出ていないこともありますから。

竹熊 でも雑誌残ってないでしょ。

永山 そうなんですよ。『漫画ホットミルク』(※9)でさえ編集部にない。『漫画ブリッコ』さえないでしょ。

▲図3-7 『漫画ブリッコ』(1985年12月号、白夜書房)

竹熊 『アクション』だって、会社に残っているのはけっこう抜けてますよ。

永山 ワニマガジンはしっかりしてる。綴じ本で残してある。昔からあるしっかりした会社だから前田俊夫さん(※10)の『うろつき童子』。あれ、復刻できたのも、倉庫に原稿が残ってたからなんですよ。前田俊夫さんはコミケで原稿売っちゃったり、背景コピーしないで使い回すから元原稿ないんです。

竹熊 今だったらデータで残せるんだけどね。

第3回脚註

※1:代表作『花と蛇』(1974年)。ちなみに『電脳MAVO』にも掲載されている夢野久作『少女地獄』を『夢野久作の少女地獄』(1977年)として映画化したのも小沼監督。

※2:代表作『人魚伝説』(1984年)は宮谷一彦原作。また石井隆脚本の『天使のはらわた 赤い淫画』(1981年)など劇画と縁の深い監督である。ダーティ・松本原作『セックスハンター 性狩人』(1980年)は、池田監督のデビュー第2作。

※3:『ガロ』、『アックス』などで活躍する不思議な漫画家。高校時代、永山たちが予算目当てで復活させた文芸部に入ってきた。代表作『西遊』、『洞窟ゲーム』、『世の終りのためのお伽噺』。

※4:1969年、『ガロ』デビュー。水木しげるのアシスタントをしつつ同誌に作品を発表。つげ義春、稲垣足穂の影響を感じることができる。代表作は映画化された『オートバイ少女』をはじめ、『東京グッドバイ』、『透明通信』など。

※5:少年画報社の数々の雑誌の編集者、『まんが笑ルーム』、『斬鬼』などの編集長を務めた。小林よしのりの『風雲わなげ野郎』には主人公のライバルとして画報小所属の「添田善雄」が登場する。小林の担当編集者だったが、後の「ゴーマニズム裁判」では小林を批判。定年間際には『少年画報大全』を編集。

※6:アップル社の自販機雑誌だった。「中学生時代、マンガの同人に入ってたって? じゃあカットくらい描けるでしょ」、「カット描けるなら4コマくらい描けるよね」、「4Pくらい描けるよね」という感じでなんとなくマングースの筆名でデビュー。その後は『Billy』や『熱烈投稿』でちょこちょこ描いていた。単行本の話もあったが、アップル社社長が「あんな下手なヤツの本出してどうすんだ!」と担当編集者を一喝。後にも先にもマングースの漫画を期待の新人として杉作J太郎と並べて褒めたのは高取英。

※7:82年創刊のエロ漫画誌。83年5月号から大塚英志と小形克宏によって美少女系エロ漫画誌にリニューアル。みやすのんき、藤原カムイ、かがみ♪あきら、岡崎京子など同誌からデビューまたはブレイクした漫画家は多い。また中森明夫のコラム「『おたく』の研究」が物議をかもし、結果的に「オタク」という用語を世間に広める結果となった。竹熊健太郎は漫画、連載コラムで活躍。当時、永山とは渋谷で一瞬すれ違う。その頃の竹熊は痩せた青年で、モード系の黒コートにサングラスというファッションだった。

※8:イースト・プレス・2004年。

※9:1971年制作のドン・シーゲル監督と主演のイーストウッドの出世作。S&W・M29、44マグナムも人気を集めシリーズ化される。

※10:1986年創刊の『漫画ブリッコ』の後継誌。2000年に休刊。永山の全エロ漫画単行本レビューを掲載していた。

※11:少年誌から青年誌で活躍した漫画家。代表作は『うろつき童子』、『ラブルーカール』、『血の罠』など。バイオレンス、ホラーを得意とし、海外でも人気が高い。触手の「神」。

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