たけくまメモMANIAX

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2005年11月12日

太陽の塔に潜入してきました

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banpaku-P1000783 長生きはするものです。子供時代の俺は万博に行ったことがないのに、35年も経ってから中に入れるとは。

いえ昨日、ちょっくら大阪に行って太陽の塔に入ってきたわけですがね。万博公園に来るのは今年二回目ですが、今回はスピリッツ編集部に交渉してもらって無事、入ることができました。以前は禁断の場所だったそうですが、数年前に一般公開が行われ、内部も補強されましたので今では許可申請すれば入れるようです。(ただし個人に見せてくれるかどうかはわかりません)

banpaku-P1000800 これが内部ですが、見てくださいこの特撮感! いわゆる「生命の樹」というやつなんですが、じつは円谷プロの全面協力で、第一期ウルトラ怪獣のほとんどをデザインした故・成田亨先生が造られたものであります。※円谷プロは、最終的には生命の樹に関わってないようです。コメント欄のほうとう氏のレスを参照。

外側を造形したのは岡本太郎ですが、彼はいにしえの大映特撮映画『宇宙人東京に現わる』のパイラ人(←クリック!)をデザインしたことでも有名。外側が岡本太郎、内部が成田亨というわけですから、太陽の塔とはまさしく高度経済成長の象徴であると同時に、オタク第一世代を正しく象徴するモニュメントだと申せましょう。

banpaku-P1000804banpaku-P1000808 内部は薄暗くひんやりしていて、飾ってあるオブジェがオブジェですからなかなかスリル感がありました。傍らに封鎖されたエスカレーターがあったのですが、万博当時はここから上に昇って腕のところから外に出る構造になっていたようです。

ところで昔は太陽の塔の金色の顔の目からビーム状のサーチライトが放射されていたはずなんですが、万博公園の管理の人に聞いたら、もう光らないとのこと。光らせようとするとサーチライトを交換しなければならず、その工事に最低一億円はかかるんだそうです。太陽の塔は65メートルもあり、目まで届くクレーンがないからで、外側に足場を組んだり電源を引いたりするのでそんなにかかるとか。

banpaku-P1000820 それから鉄鋼館に移動して、河内家菊水丸師匠にインタビュー。鉄鋼館、今では完全に廃墟化しているんですが、もろもろの事情で取り壊すことができずそのままになっているとか。入り口付近のフロアまでは許可があれば入れるんですが、奥に移動する通路はコンクリート・ブロックで厳重にふさがれていてまるでチェルノブイリ。昔のガラクタや天井から吊された球形スピーカーなんかが今もそのままになっていて、非常に危険なのだそうですよ。

banpaku-P1000825 それで菊水丸師匠、さすが日本有数の万博マニアらしくディープなお話の連続で大変楽しいインタビューになりました。師匠がなにか新しいものを判断するときの基準が、35年前の大阪万博なのだそうですよ。どんな新奇なメカ、建物を見ても、「もう万博で見たワ」と思ってしまうのだそうです。

でも師匠によれば、日本にはもっとすごい万博マニアが何人もいるとのこと。建物全体が数十万個の電球で覆われたスイス館というのがありましたが、この電球をひとつだけ保存している人がいるとか。

「その電球、まだ生きてまんねん。でも切れると一大事やので、年に十秒しか点けへんそうやで、その人。」

と、こんな調子で書いていたらまずいので、詳しい内容は暮れくらいに発売されるビッグスピリッツに載りますので、お楽しみに!


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| コメント(17)

“太陽の塔に潜入してきました” への17件のフィードバック

  1. なぎ より:

    あの太陽の塔の中に入るなんて羨ましいですね。なんと円谷さんが中の内装を担当してるとは…菊水丸師匠の万博ディープさも気になるところです。

  2. 長谷邦夫 より:

    『ニャロメの万博びっくり案内』3冊を
    描くために、3回現地に行き見学し
    たんですが、さすがに太陽の塔の
    内部には…。
    1回目の取材では、パビリオンが
    何も出来ていませんでした。
    ちょうど、ダイタラザウルスの試運転に
    遭遇。トロッコのようなものにヘルメット
    を被り、技術者と並んで、走行テストを
    体験した記憶があります。
    オクビョウ者の赤塚大先生は
    乗らずに尻ゴミ。
    技術者の中に、SF同人誌
    「宇宙塵」の同人で、たしか
    神戸在住の三田さんとかいう
    方がおられ、ぼくを見つけ
    誘ってくださったんです。
    ジェットコースターとしては
    当時日本ナンバーワンの
    スケールのものでした。

  3. 太陽の塔の中

     大阪万博は、1970年だったのですが、当時はわたくしも小学生一年生でした。当時

  4. トロ~ロ より:

    おおおー、太陽の塔内部だ!
    小学生以来だなぁ。
    当時は明るく証明されてエスカレーターに乗って見たのですが、このように薄暗くアヤシイ雰囲気もまた一興ですなぁ♪
    たしか、正規の出口以外の腕が非常口になっていて、赤く塗装された鉄の階段や手摺がクリーム色の内装を背景に明るく照明されて、宇宙船の中みたいで、実に実にSF的だったのを記憶しております。
    大阪万博は各パビリオンの造形美が誠に特徴的でした。
    ナゴヤの皆さんには悪いのですが、あんなバラックか倉庫みたいな建物には食指が動かんのです。

  5. ほうとうひろし より:

    太陽の塔。
    外も内も僕の永遠の憧れです。中に入れたとは…いや〜、何度も言いますが、羨ましい。
    ところで……生命の樹の原始生物群が円谷プロ全面協力うんぬんというのは、少々違うみたいですよ。
    事実、発注依頼は最初の段階では円谷プロにいって、見積もりや基礎プランを制作したらしいのですが、それが穴だらけで現実性に乏しかったので「どうもおかしい」ということになって、円谷を辞して間もない成田亨さんのところに相談がいったそうです。
    「円谷じゃできないよ、だって僕がいないんだから」と成田さんは話し、「では、あなた、やってくれ」ということになり、デザイン画を起こして野村工芸社と組んで実制作されたそうです(「特撮と怪獣」成田亨・著/滝沢一穂・編。フィルムアート社・刊。p223〜224)
    つまり円谷プロは外されてしまったわけで、出来上がったものにはおそらくその初期案の痕跡も無いと考えるのが妥当では?
    円谷英二さんは相当怒ったんじゃないかな、と僕なんかは想像するわけです。

  6.  編集プロにいたとき講談社の子ども向け公式大阪万博ガイドを編集しました。真鍋博先生のイラストの精緻さにビックリしたり、記事が間に合わなくて、講談社の別館に住み着き、ぼくが書く記事に、同じ座卓に並んですわった坂口尚さんが、その場でイラストにしていったり。最後は徹夜の連続でしたが、開幕までには間に合わなかった記憶があります。
     何日も徹夜に近い状態の作業が終わり、夕方、やっとアパートに帰ったのですが、押し入れから布団を出しかけたところで意識がプッツン。気がついたら敷き布団の下敷きになって寝ておりました。しかも翌日の朝。12時間以上、その態勢で寝ていたようです。
     そんな体験をしたおかげで、「万博なんか行くもんか!」と決意し、実行したのでありました。

  7. たけくま より:

    >長谷先生
    工事中の万博にもいらっしゃったんですか。
    あのときは手塚先生もフジパン・ロボット館のプロデュースをされてましたね。
    >ほうとうさん
    「特撮と怪獣」は読んでいたはずなんだけど、それは忘れていました。本文も直しておきます。
    じつは塔の入り口がある地下道の壁に生命の樹の解説パネルがありまして、そこには「円谷プロの製作」と書かれていたので勘違いしていたのです。成田亨の「な」の字もありませんでした。
    >すがやさん
    さまざまな形での万博との関わり方があったんですね…。
    愛地球博も成功したそうですが、大阪万博と比べるとどうしてもしょぼく見えてしまいますね。

  8. 当時幼稚園児 より:

    ニャロメの万博びっくり案内持ってました、3冊のうちの1冊だけですが。何度も読み返してボロボロになってますがまだ捨てずに残ってるはず。

  9. たけくま より:

    http://www1.u-netsurf.ne.jp/~kitada/doc/taiyo/index.htm
    検索したら太陽の塔のファンページを発見。
    昨年、34年ぶりに太陽の塔の目にライトがともった動画など、異様にコンテンツが充実しています。でもライトは別のやつを臨時に据え付けて点灯したので、ちょっとより目になっています。
    あと残念なことに、ここでもやはり生命の樹は円谷プロ製作にされています。

  10. 萬博 より:

    大阪万博はいまだにマニアが仰山おりますな。
    http://www.expo70.jp/expo70.html
    http://www.konoike.org/shop.html

  11. ほうとうひろし より:

    >成田亨の「な」の字もなかった
    はい、どうもそうらしいですね。以前、椹木野衣さんともその辺についてお話ししたことあったんですが、今、調査できるレベルでの万博の公式記録には、成田さんの名は記載されていなかったそうなのです。
    僕のもっている資料……当時発行された「日本万国博-建築・造形-」(丹下健三 岡本太郎 監修 黒川紀章 構成 恒文社発行)という豪華本にも、建物の関係者のクレジットは詳細なのに、「生命の樹」にかかわらず、展示物へのクレジットは無きに等しいんですね。
    僕ら世代にはハード・ソフト両面でインパクトを与えた万博も、当事者的には案外「箱もの」的な感覚だったのではないでしょうか?

  12. 三葉虫男 より:

    >ところで昔は太陽の塔の金色の顔の目からビーム状のサーチライトが放射されていたはずなんですが
    直接見た事は無いんですが、ネットで画像ハケーン!!
    http://www.geocities.jp/tanakaiga/taiyou02.htm

  13. 小クリ・うえの より:

     万博取材は何度も行きましたよ。工事中は、写真入の「報道入場証」が無いと工事現場に入れなかったので、一ヶ月の期間限定つきの入場証を貰って、日帰り取材に何回か行った記憶があります。その入場証が先日出てきたのにはびっくり。たけくまさん、今度お会いしたらお見せしますね。
     フジパン・ロボット館のプレスプレビューの手塚治虫先生の写真も同行して撮ってきたんだけど、何処に行ってしまったか?
     手塚先生は、準備のために何回も大阪に出かけれれ、羽田に向かう車の中でネームを貰ったこともありました。高速の途中でネームが仕上がって、「急いでるんでしょ、ここで降りますか?」なんて、言われて往生したことなんかも思い出します。

  14. 鈍喫茶 より:

    太陽の塔のなかみ

    土曜日に太陽の塔の中を見学できるツアーに参加してきました。
    知らないひといるかな?太陽の塔は1970年の大阪万博の時は内部はパビリオンとして使われていました。お祭り広場の地下から太陽の塔を登って、大屋根に出られるのです。
    太陽の塔について詳しくは太陽の塔
    ……

  15. たけくま より:

    ↑おお小学館クリエイティブの上野さん!学年誌をやっておられた頃の取材ですね。報道入場証とは万博マニアにはたまらないレアアイテムですね。今度見せてください。

  16. あーりぃ より:

    はじめまして、いつも楽しく読ませてもらっています。
    太陽の塔の内部の見学、今は個人の申し込みは受け付けていない
    みたいですね。
    http://park.expo70.or.jp/nairankai.html
    でも、僕の妻と娘は今年7月に、個人の方主催の内部見学会に参加した
    のです。15人以上集まればOK!とかいう話のハズだったのですが。
    期間限定の特別サービスだったのかな。僕も参加しとくべきだった!
    ちなみに、
    >ところで昔は太陽の塔の金色の顔の目からビーム状のサーチライトが
    >放射されていたはずなんですが、万博公園の管理の人に聞いたら、
    >もう光らないとのこと。光らせようとするとサーチライトを交換しな
    >ければならず、その工事に最低一億円はかかるんだそうです。
    の件ですが、1999年の毎日放送の年末ニュース特番「1999
    MBSナウスペシャル・これまでの100年、これからの100年」と
    いう番組の目玉企画が、問題のサーチライトの点灯だったと思います。
    もうちょっと調べてみますけれども、ご参考までに。

  17. 太陽の塔

    愛!!
    竹熊氏が太陽の塔内部に入ったらしい・・・。
    羨ましすぎる。
    外から見ただけでもとてつもなく感動したのに、
    中に入れるなんて。
    人生で一度は入ってみたいものです。

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