たけくまメモMANIAX

« | トップページ | »

2006年2月26日

俺と萌え(番外)フェチと萌えは違う?

このエントリーをはてなブックマークに追加
Share on Facebook

前回のエントリのコメント欄で、「くろいぬ」さんが、「たけくまさんが言っている“動き萌え”はフェチのことであって、本当の萌えとは違う」というようなご意見を書かれ、ご自分のブログでもエントリ化されています。

●くろいぬの矛盾メモ「萌え」とは「特定のキャラ属性を持つキャラへの受動的な全肯定」)
http://d.hatena.ne.jp/shields-pikes/20060225/p1

実は精神医学者の斉藤環さんからも似たようなこと(フェチと萌えは違う)を言われたことがあって、ただそのときは特に議論を深めるまでもなく、それっきりになっていました。斉藤さんの真意はよくわからないんですが、今度会ったら聞いてみたいと思います。(※註)

正直、「(露骨な)エロと萌えは違う」というのは、わかるんですけど。あるいは「可愛い」と「エロ」の中間に「萌え」があるというなら、わかる。ただ俺には今でも「フェチ」と「萌え」の本質的差異がよくわからなかったりするわけです。たとえば「メガネっ娘」に萌えるとか、ネコミミなどに萌えるっていうのは「フェチ」とどこが違うのかとか。

それに対して「くろいぬ」さんは、

《「萌え」の対象は、絵柄、動き、衣装、言い回し、性格などの個々のパーツではなく、それらを束ねる法則、すなわち「キャラクター属性」にこそある、と言うのが僕の持論です。

1人の萌えキャラは、「ツンデレ」「つるぺた」「メイドさん」「幼なじみ」など、性格や外見的特性、性格と関連付けの強いコスチューム、主人公との関係性などで分類される、様々なレベルにまたがった複数の属性の組み合わせによって形成されています。

それらの行動パターンは非常に細かくコード化されており、キャラ属性同士の組み合わせの相性や、萌え要素を破壊しない範囲でのミスマッチなどが、不文律的に構築されています。そして、その属性という概念を、作り手だけでなく受け手までもが共有した上で、キャラクターを愛しているのです。》(同エントリより)

と書かれています。要するに「萌え」とは、メイドやネコミミそのものに「萌える」のではなく、あくまでもそうした複数の要素を統合した「人格のコード」に萌えるのだ、ということでしょうか?

くろいぬさんは、萌えとは「特定のキャラ属性を持つキャラクターに対する、受動的な全肯定」だと書かれていますが、これは一種の「架空人格に対する純愛」と考えてよろしいでしょうか。そういえば本田透くんも、「(萌えキャラへの)純愛」という言葉をよく使いますね(もちろん僕も、フィクションのキャラクターに惚れたことはあります)。

ただ「メガネ」とか「ネコミミ」とか「メイド」のみを取り出せば、どう考えたってこれは明白なフェティッシュですよね。「萌え」はそれらが統合された、もっと総体的な感覚だ、とおっしゃるくろいぬさんの意見はなんとなくわかるんですが、どうも僕にはやはり、「萌え」とは、複雑なコードをともなった「フェティッシュ」なのではないか、という疑念がぬぐえないのです。

たとえば「ツンデレでネコミミのメイド」という「疑似人格」があって、仮に受け手の内面では、それが「実在の人格」に近いものに感じられるにせよ、あくまでそれは絵なのであり、疑似人格にすぎないわけで。身も蓋もない言い方かもしれませんが。

以下、話が変わるんですが、俺がこの一連のエントリでやってみたいのは、主に絵柄のコードを中心に、「萌え」に至る歴史的な発展段階を押さえてみることです。「描線・絵柄における“愛”の歴史」と言うか……なんだかわけがわからん表現ですが。

今考えているのは、こういう流れです。戦前アニメの影響を受けて手塚キャラ(原・萌えキャラ)の成立がまずあり、そこからTVアニメがはじまって「アニメ絵」が成立し、さらには70年代少女マンガの影響、吾妻ひでお作品を経て80年代美少女マンガのスタイルが確立するまでをざっと追ってみたいと思っているのです。いわば萌え前史ということで。

たぶん俺がある程度実証的に書けるのはここまでです。90年代以降に成立した「萌えコード」についてはよくわかりませんので、ここは詳しい皆さんのご協力を得たいな、とずうずうしくも考える次第であります。

今は「手塚キャラのエロさの源流」を戦前アニメの歴史に求めているところです。その後の流れを考えたら、なんか気が遠くなってきましたが(笑)。

※註 このエントリを読んだ伊藤剛くんからさきほど電話がありました。彼によると「斉藤環さんはむしろ萌えをフェチの範疇であると見なしている立場」なのだそうです。反対に伊藤くんは、フェチと萌えは論ずるにあたって分けて考えるべきだという立場。そのことで過去に論争?したこともあるとか。しかし斉藤先生、俺には確かに「竹熊さんの動き萌えは、萌えではなくフェチだと思う」とおっしゃったことも確かなのです。ど、どっちなんだ(笑)


たけくまメモMANIAX

| コメント(107)

“俺と萌え(番外)フェチと萌えは違う?” への107件のフィードバック

  1. 骨男 より:

    思うに、フェティッシュは「萌え」につながるトリガーでしかないのだと思います。
    通常フェティッシュがつながっているのは性欲であることが多いのですが、「萌える」人たちのフェティッシュはそれとは少し違うところにつながっているのでは無いでしょうか?
    個人的にはそれは男性(母の立場で無い少女的女性も含む?)の中の母性のようなものかなあ?と思うのですが、それだ!という確信には至っていないです。

  2. たけくま より:

    ↑つまり導入としてはフェチだが、「萌え」そのものはそれを突き抜けた別のものなんでしょうかねえ。それは何なんだろう。愛?
    でも真性フェチの人でも、似たようなことを言いそうな気がする。人形愛とか。
    これはエントリを完全に分けたほうがよかったかもしれませんね。もともとラフに、というかもっとイージーに「俺が感じる萌えのようなもの」について書くエントリなので。
    でもくろいぬさんや骨男さんを含め、皆さんのご意見は参考になります。

  3. 骨男 より:

    >たけくまさん
    「愛」であることは間違いないと思います。
    ただ、「愛」と言ってもいろんな形の「愛」がありますが、「萌えの愛」は今までどんぴしゃな表現が無かった種類の愛なのだと思います。
    人形愛をもつ人たちの中にも、もしかしたら「萌えの愛」を持った人もいるのかもしれません。いままでそれを表す言葉が無かったからその微妙な違いに無自覚であっただけで。
    大雑把に言うと、人形に対して「性愛」を持つ人と「萌え愛」を持つ人が区別可能になったのではないでしょうか?
    個人的に興味があるのはよく心理学の実験等で見る大脳の活動領域画像がありますが、萌えているときの活動領域に他の「愛」のときとの差があるのか?です。(笑)
    実際には明確に確認できるほどの差異は無いと思いますが、アプローチとしてはそういう方向で検証できれば面白いなあと思います。

  4. 【´×`;】萌え論争マトメ 1【たけくまメモの】

     また、たけくまメモの掲示板が核戦争勃発後の世界みたいになってきたので、ここで勇気を出してマトメてみようと思います。・・・長いマトメになるかも。。。

  5. oji より:

    くろいぬさん・骨男さんの分析はかなりいい線いってるんじゃないでしょうか。
    フェティッシュというのは対象が「物象化」しているということでしょう? とすると原則としてブルマー・フェチは履き主の如何に拘わらず,場合によっては履き主がいなくったって(「着用歴あり」のみ可というような縛りはありそうですが)ブルマーそのものに劣情を感じるわけですよね。フェティッシュの最右翼症例ともいえる「金」なんて,もう入手の経路も使い道も関係なく,人をして「ああ,金がほしい」と言わせる力を持っているし。フェティッシュは対象の一属性への還元というモメントがありそうです。
    萌えってそれとは違いそう。「フェティッシュをトリガー(骨男さん)」として,「受動的なキャラの全人的肯定(くろいぬさん)」に至るというシナリオは,全体として事態を言い当てているような気がします。
    ひとつ付け加えられるかな,と思ったのは「骨男→くろいぬ」シナリオの→の部分に決定的な契機がありそうだということ。
    フェチなら一属性の具備だけで「その属性そのもの」を愛せそうだし,諸属性を束ねて人格化するだけで萌えに至れるなら,萌え批評家(オタクにみな一家言あり)によって「これは違う,狙っているが外している」なんていって否定の対象になるはずもありますまい。
    おそらくトリガーとなるフェティッシュ項目を束ねたところに,個人ごとの無意識の「萌え元型(アルケティップ)」みたいなものがあるんじゃないでしょうか。なんか必要以上に難しい言い方をしているようですが,要は簡単なことです。特定のキャラに「ここがもうちょっとこうだったらもっといいのに」と思うようなことって誰しもあると思うんですが,これって自分の中の萌え元型を参照しての判断なんじゃないかと。逆にそうした判断の積み重ねの中で自分自身の萌え元型をひとは研ぎ澄ましているのではないかと。
    この伝では,いわゆる「萌えキャラ」というのは,多くの人の萌え元型に最大公約数的にかぶさる「萌え元型の普遍層」を体現したキャラクターだということになります。配合のうまみの最適値といったところでしょうか。
    だとすると萌えキャラを実現するには,ほとんどマーケット・リサーチに近いことを行わなければなりませんが,現に,かかるリサーチは有形・無形をとわず萌えギョーカイでは普通に行われていますよね。事例は省略。
    お粗末な長文ご寛恕ください。

  6. 匿名 より:

    同人で竹熊×相原の絡みを読んだのですが、とても萌えました。
    いや、やっぱり萌えませんでした。

  7. 大丁の小噺 より:

    [アニメ][ゲーム]動かない妄想〜俺と「萌え」(たけくまメモから)

    「動きの萌え」について語られる機会は少ない。 と、いう事態を知りませんでした。 竹熊健太郎氏が『サルまん・萌えプロジェクト』((「サルでも描ける漫画教室」の新装版に、「萌え」をテーマにした書き下ろしを追加するそうです。))と銘打って、ブログ「[http://memo.takekuma.jp/blog/:title=たけくまメモ]」内で企画を進行させています。その中で上記のような見解がなされました。関連するエントリーは、『俺の中の「萌えっぽい感情」を探ってみる』という趣旨の『俺と「…

  8. sima より:

    萌えからかわいいとかロリを引けば浮世絵とかミケランジェロとかまでさかのぼれると思います。狭義の萌えは、今の流行の形で、古臭いのは拒否されますが。

  9. 1026 より:

    いや、これは違う!
    確かに現在言われる萌えはそのようなものに
    なってしまっているけど、萌えという言葉が出て来た時はまだ、属性による分類は存在しなかったはず!
    属性分類によるデータベース化はこの言葉が流行ってから整理される段階で発生した、後付けのもので、元来はもっと自由な言葉だったはずです。

  10. ヒロポン より:

    くろいぬさんのコメントで自分勝手に納得した理由を一つ。
     「型」を前提とした「粋」や「わびさび」は、「フェチ」を前提(実際はフェチの統合=「キャラ属性」なんでしょうけど)、と読み替えることも出来るのだと思います。
     例えば「ロリコン」というフェチの一種が80年代に流行りましたが、当時のロリコンは幼女もしくは少女の幼女性・少女性を偏愛をしたわけで、探求は「少女とは・幼女とは何か?」に向かったのだと思います。その当時のロリコンがエロ中心のムーブメントというよりは少女愛を前提としたものであった事から、そのように思います。
     しかるに「萌」はその大元になるコードを創作された物語に求めており、同時にその物語のなかの「キャラクターの本質」よりは「萌キャラクターとしての本質」といった一側面を物語以上に重視する価値基準だと思われます。それゆえに、フェチならば「萌キャラの本質的な価値とは何ぞや」に向く探求が、「スタイルとしての萌キャラとはなんぞや」に向かうのが「萌」なのではないでしょうか。
     つまり、萌が重視しているのはそのキャラクターの本質的な価値や、その属性の持つ本質的な価値ではなく。そのキャラから感じられる萌コードであり、その属性の萌コード自体なのではないでしょうか。例えれば「メガネ」フェチならばメガネを愛するが、「メガネ萌」はメガネキャラとしての完成度を愛するといった違いと捉えました。だから「キャラ」という価値観を前提としなければいけないし、「キャラ」である以上萌コードの統合体で無ければいけないということかと。
     つまるところ、猿マンの批評的な視点がその誕生に無縁ではないという指摘からも、「萌」は構造主義的価値観なのではないかと思います。存在するかしないかわからない本質を問う「フェチ」に対して、本質的な価値は置いておいて、その表現形を価値として問うてゆくのが「萌」であるように思われます。そして、そのことをしみじみ感じたのが、くろいぬさんのブログ内の下記の一文でした。
    >>
    自分の「属性の本質把握能力」に自信がある人だけが、自他共に納得出来る「正しい」同人誌を書けるのではないかと思います。
    >>
    本質という語が、私と違う意味で使われているのでややこしいですが、これは萌コードの統合体である「属性」の本質的なスタイルを把握するという意味だと思って読んでいます。
     つまり、正解ではなくても正解に近い「属性」のコードのあり方を求めているのではないか、ということです。フェチが個人的な価値観であるために、方向性としての共通認識はあれども結論(正解?)は個人に属するのに対して、萌は萌ニストによる共通コードの完成度が価値基準なので、個人的な趣味の偏りはあっても正解(結論?)は個人ではなく萌ニストの共通幻想の中にある。
     そのように構造的な価値感であるがゆえに、スタイル重視で物語的に破綻したものも、萌コードを優先した結果ならばかえって素晴らしいとする「粋」が生まれるのではないかと考えました。羽二重の褌みたいな(笑)
     ちょっと、考察不足で論がふらふらしています。読み取りづらくてすいません。

  11. たけくま より:

    まあそれがフェチであるのか「愛」であるかはともかく、「●●属性」という表現が「いくつかのコードやお約束の集積」だというくろいぬさんの指摘は面白いと思いました。
    くろいぬさん自身もおっしゃっているように、まさにそれは『サルまん』の守備範囲内ですからね。
    「あをによし」といえば「奈良」、「たらちねの」といえば「母」みたいに、萌えにも係り結びの法則があるのかな、なんて思ったり。「ツンデレの~」といえば「学級委員の妹」みたいに法則化できないものかな。

  12. Seven より:

    ということは、萌とはフェチの記号化ってことですか?
    個人的には萌はフェチの幼児態だとおもってました。

  13. まーとれっと より:

    昔キン肉マンって流行りましたよね、
    あれって今の人たちのキャラクター志向の
    一つの雛形になった気がする、
    そのマインドを持った「格闘ゲーム」というのにより、
    ひとつのキャラクターの「属性」が抜き出されて立つ志向が生まれ、
    さらにその志向がギャルゲーのキャラクターのあり方にフィードバックされた、
    そんなことではないかなと自分は理解しています、
    そういうあたらしいキャラクターの認識の上に
    「萌え」というのが生まれたのではないかと。
    たけくまさんがゲームをやらないで萌えを理解しようとするのは
    無理がある気がします。

  14. tou より:

    萌えとフェチはそんなに違う意味合いではなかったんじゃないかな。まあ萌えの方がちょっと性的嗜好の範囲を越えてるってぐらいで。
    まあ言葉の定義は人それぞれなところがあるし変化し続けるからなかなか結論はでないでしょう。
    でも、おたく文化が成熟し市場規模が大きくなって商品として露骨に萌えをちりばめ、パターン化された対象が無限に現れたため、自分は何に萌えるのか?という自己分析を余儀なくされるという部分は面白いっすね。

  15. ぼぼ より:

    私も昔、
    海外に「萌え」が無く日本独特のものであるという議論への反証として、
    萌え=フェチで考えると
    相互変換可能な場合が非常に多く、
    ドガの「踊り子のねじくれた足フェチ」なんか、
    「踊り子のねじくれた足萌え」といっても違和感無い。
    そういう意味でのフェチの本場は
    むしろ海外じゃないか、その意味で言葉や捕らえるフェーズ(面)が違っても向こうにも「萌え」にあたる感覚はあるんじゃないかという
    議論をしたんですが。
    その論で行くと萌え=フェチですね。
    解決策として、
    「萌え」の一側面として「フェチ」要素が多分にあるということでいいんじゃないですか。
    フェチ化=萌えコード化=
    肉体や性欲のディフォルメや抽象化へのベクトル
    という風に繋がるのではありませんか。
    もっとも、1026さんがおっしゃっているように
    最初はそんな型の意識「萌え」って感覚にはありませんでしたが。
    私が覚えてるのは86年末か87年あたりが、一番古いですが、
    「やおい」に似た同人的な場所での表現で、
    口に出すのがはばかられるような禁断のものに敢えて惹きつけられる
    「自分の中でいとおしいという感覚がダメなんだけども自分の抑制を超えて萌えいずる」
    のを「萌え」って密かに隠語的に呼んでたのを覚えています。
    なかなか、気の利いた日本語の使い方だと感心したのを覚えています。
    その意味で「自分から向かっていく感覚である」というのは正しいんですね。
    禁断の感覚だからこそすでに当時、敢えてニフティなどですでに「萌え、萌えーーー」とか連呼して吼えて汚している人はすでにいましたね。
    このあたりの「禁断の感覚」って今ではもうすでに
    90年あたり以降「萌え」からは消えてしまいましたね。
    「萌えコード化」とか「対象の全肯定」とかは、
    96,7年以降じゃないかな。
    個人的な記憶なんですが、詳しい方、訂正お願いします。

  16. ho より:

    > つまり導入としてはフェチだが、「萌え」そのものはそれを突き抜けた別のもの
    全体への萌え感を自己の中で追求・明確・自覚化するとフェチになるように思います。

  17. [萌え]フェチと萌えの違い

    [http://memo.takekuma.jp/blog/2006/02/post_6392.html:title=たけくまメモ: 俺と萌え(番外)フェチと萌えは違う?] 斎藤環の場合 斎藤環は、フェチの萌えの違いを、実在物と虚構物の違いだとする。 フェチは切手や鉄道のように実在し、萌えはキャラのように虚構だ。 そしてまた、虚構が性的対象になりうるのが、オタクであるという。 東浩紀の場合 東浩紀は、萌えをデータベース消費と関連付ける。 即ち異なる作品で使用できる二次創作…

  18. 1026 より:

    あー、そうです。hoさんのおしゃられる通り、萌え黎明期での萌えという言葉の使われ方を自分なりにいうと、「恋愛というには理性による抑制が働くが、沸き上がってしまう二次元キャラに対する恋愛に似た感情を言い表した言葉」といった意味合いだったと思います。
    社会性を逸脱してマジになるほどやばくないけれど、キャラなどに魅かれる感情は持つぐらいには自分はバカだというスタンスをいい表わすのに便利に使われていた言葉だったかと。
    フェチとの違いと考えると、この抑制が働いているか否かだと思います。

  19. なっこ より:

    「属性萌え」は、「好みのタイプ」に言い換えられるような気がします。
    「フェチ」は言い換えられない感じ。
    何を今更な意見で申し訳ないです。

  20. 父親になりたい萌える男たち

    ネギま!の今週号でついにネギは敬愛する父と出会えたわけですが、ナギ・スプリングフィールドはメチャクチャ格好良く描かれていますね。ちなみに作者の赤松健とナギは1968年生まれで同い年です(蛇足ながら私も1968年生まれで、誕生日も赤松先生と4日違いです)ところで、おそらく私だけでしょうけどナギを見てよつばと!の「とうちゃん」を連想しました。少年マンガのお約束の父ではなく萌えマンガの父性(母性)について考察したいと思います。 リビドーは満たせても父性願望は本質的に親にならないと満たせない 萌え市場の…

  21. ニラ より:

    愛くるしい+エロ=萌え
    ってのは違いますかね?

  22. 匿名 より:

    萌えは「感覚」的なもので人それぞれ。だから定義立てすんのってむずかしいんじゃないでしょか。

  23. ニラ より:

    萌えは「感覚」的なもので人それぞれ。だから定義立てすんのってむずかしいんじゃないでしょか。

  24. ぼぼぶらじる より:

    >1026さん
    ああ、ほっとしました。
    90年以前の「萌え」のこと覚えてる人って案外少ないんですね。
    それゆえ、自分の感覚が正しいのか不安でした。
    「沸き上がってしまう」魅きつけられる感情って言うんですかね、そのあたりが私にとっての「萌え」の中核なんです。
    「らめぇえ」「沸き上がっちゃう」「流される」「萌えちゃう」って、
    ああ年甲斐も無く言ってて恥ずかしくなってきました。
    なんか@ほかほかする。
    おっしゃるとおり、
    フェチは鑑賞側の「らめぇえ」がないんですね。
    カテとして開き直っちゃってる。
    20年弱たって、
    最近の「萌え」や「燃え?」に至っては開き直りかけてますが、名残的にそういう「気恥ずかしさ」もまだある気もしますね。

  25. 匿名 より:

    動き萌えからは外れてしまいますが、以前、メガネっ娘萌えの人が
    「コンタクトではなく、あえて眼鏡を選ぶ、という能動的な行動に萌える」
    と言ってたのを、ふと思い出しました。

  26. まーとれっと より:

    90年代以降に成立した「萌えコード」について、
    ですけど、
    ネットで調べていたらシロクマ氏が書かれている文章がナカナカ的確でよかったです。
    「汎用適応技術研究」
    http://www.nextftp.com/140014daiquiri/html_side/index.htm
    「萌えの歴史的変遷・私家版β」
    http://www.nextftp.com/140014daiquiri/html_side/hpfiles/otaken/moe_history.htm
    勝手な引用失礼しました。

  27. どっこい より:

    萌えから「性的志向」を排除するのは、単にその商品に内在した反社会性を恥ずかしいと思う自我防衛機能の未熟な現われにすぎない(照れてるだけじゃんw)。情報資本主義社会におけるすべての商品に「セックス」というスパイスが多かれ少なかれ混入されているのはアタリマエだと思ってましたが、そんなふうに思うほうが少数派なんですかね?かつて、あじまやラムちゃんに夢中だったおれからすると、「萌え」がセックスと無縁なんて主張する昨今の若者の様子には、苦笑以外にリアクションしようがないのですが…

  28. 1026 より:

    つづけての投稿失礼します。
    自分もやや混乱してきましたので、ちょっと整理させていただきます。
    萌えという言葉自体様々な意味合いで使われていていますが、言葉の語彙なんてものは時代や地域によって変化するものなので、生きた言葉として使われている限りは肯定するべきだろうと思います。とそんないうスタンスで「萌え」の変遷んを辿ってみると、それぞれ当てはまる使われ方が見つかるのではないかと。
    アバウトなものなので「俺の思う萌えと違う!」等ツッコミいただけたらと思います。
    「萌え」という言葉の変遷
    黎明期
    ニフティなどパソコン通信で使われ始める。
    当初は主に「二次元キャラに対して沸き上がる恋愛感情に似た感情」といった意味合いだったかと。
    属性分類期
    エロゲーなどのオタク周辺でめがねっ子、妹、メイドブームが起き、エロゲー雑誌などでそれぞれ特集記事が組まれ、属性による分類が行われる。オタク周辺で属性という言葉が使われはじめたのも同時期。
    すでに流行しつつあった「萌え」とからめて「妹萌え」など属性ごとの萌えが語られはじめる。
    その後、東浩紀著「動物化するポストモダン」で明文化される。
    拡散期
    流行しすぎたためか、二次元キャラ以外にも、魅かれ、心動かされ、沸き上がる感情があるもの全てに使われるようになる。(メカ萌えなど。動き萌えもここに入れられると思われる。)
    小倉優子のようなオタクに好まれるアニメ風美少女のイメージを持つ実在の人間に対しても使われはじめ、黎明期のような抑制を働かせる必要の無い対象にも使われる事になり、混乱しはじめる。
    これは同時に「今のオタクに受け入れられるアニメ風美少女」という意味合いも生んでいると思われる。
    混乱期
    電車男ブームなどの影響で秋葉原、メイド喫茶などが取り上げられ、「秋葉系に受ける女の子」「メイド喫茶のメイド」のような語られかたをされ、さらに混乱する。
    宮崎事件後の「おたく」という言葉が「何かに熱中していて知識やスキルがある人」という使われ方をしていたがその頃の状況に近い。一般に理解しやすいように見た目や身近なものに引き寄せた理解(誤解?)が目立つ。
    端的には芸能人が自分は「萌え」るか?どうか秋葉でレポートするなど。
    この意味合いは「おたく」という言葉と同じくブームとともに死滅すると個人的には予想する。

  29. かちつ より:

    あらら、結構むつかしいんですねぇ。
    萌えってのはその字面の柔らかさに隠れてダークなところを引き受ける覚悟がないフェチのことだと思っていましたよ。

  30. Aa より:

    同じ文化(ここではおたく文化)を共有する人間が自分を含めていっぱいいるという
    自意識のうえに「萌え」は機能しているとはいえると思います。

  31. 匿名 より:

    本当にややこしい事態になっていますね。
    私も萌えは単に性の生々しさや汚さをソフトに隠す言葉だと思っていました。

  32. へろ より:

    くろいぬさんのおっしゃるように、
    背後にある類型化された属性にこだわるのだというのであれば、
    かえって、それならばフェティシズムではないか、と思われるのですが。
    そもそも、無知なせいか、萌えがフェチだ、あるいはそうじゃない、と言ったとき、
    萌えの何がどうだと言ったことになるのか、よくわかりません。
    「萌え」は解釈の戦略として登場したのではないかと思っています。
    その感覚が描く方にも共有されて、ネット等を介した爆発的な量の相互作用でもって、
    今のような萌えコードが生成されてきたのだと感じています。
    コードになりえたからこそ、産業にもなりうるわけで。
    ただ、多分、今も、いわば萌え前衛というか、そういう領域もあって、
    様々な試みがなされ続けているのではないでしょうか。
    その領域では、比較的初期の時代の萌えの感覚が、
    なお働いているのではないでしょうか。
    萌えのコアというとき、コードを取るんでしょうか、前衛を取るんでしょうか。
    フェティシズムとの違いについて言えば、萌えは、その当事者
    (受け取る方も、絵などを作る方も)が、
    その行為自体のその社会的な意味に配慮している、
    というところではないでしょうか。
    公的な意味での社会的活動だというのではなくて、何か、
    ネガティブにもポジティブにも、それに配慮しつつ(も抑えきれず)
    表出してしまう感情を社会の中で言いたいときに「萌え」と言う、という感じですが。
    ああ、もうごっちゃ。

  33. 1026 より:

    あー、先の投稿の中では、萌えとエロの違いを取りこぼしてますね。
    個人的にはあまり萌えとエロのちがいを語っている人が周囲に居ないので実感に乏しいのですが、どんないきさつで「萌えはエロではない」と言われるようになったかご存知の方教えて欲しいです。
    想像ですが、「沸き上がる感情」というのがエロかどうかが問題なのかも。
    昔は『「萌え」は「エロ」ではないが「エロ」も含まれる場合もある。』
    だったのが、
    『「萌え」は「エロ」ではない。「エロ」とは無縁』
    になったのかも?

  34. さる より:

    おたく趣味を全く持たない友人に「萌えって何?」ときかれて「子猫とか見たときにきゅーんってする感じ」と答えたことがありました。
    「たまらーーーん」という気持ちなのだと。
    だから動きフェチの人はもちろん「動き萌えーーーっ」と叫んでもよいはずです。
    ただ、たけくまさんはそのような広汎的な萌えでの萌えと、別のすごく狭い意味でのを混同なさっているようで、そこが混乱の元になっているのではないかと思いました。というのは他の方もコメントされてますね。
    性的な意味合いは(人によるでしょうけども)最近の言い方では自覚されないレベルにあるんじゃないでしょうか。「(;´Д`)ハァハァ 」とか「ちんこたった」とか、他に言い方はいろいろあるし。
    たけくまさんの場合、ご自身は文章内で広い意味で使われているのに対して、エントリの萌え絵の目標が狭い意味合いになっているので、はたから見ているとすっげーー勘違いしているのように伺えます。
    パロディとしても完成形まんがではなくイラストである以上、ギャルゲーエロゲー文化と萌えとは切って切り離せないと思われるので、そこらへんの勉強は不可欠ではないかと。

  35. 骨男 より:

    1026さんのおっしゃる「黎明期」の「萌え」が歴史的には一番「狭義の萌え」になるはずですね。
    ところで、「各人好みのフェチ(属性)の組み合わせセットがあり、これらがトリガーとなって「受動的なキャラの全人的肯定(くろいぬさん)」に至る,,,」という線はそれなりにあたっているのではないかと思うのですが「受動的なキャラの全人的肯定」というのが何を意味するのかはやはり伝わりにくいと思います。
    そこで、皆さんの話の流れとは少しズレるのですが、フェチがトリガーとなって喚起するのは「男性版母性愛」では無いのか?との仮設を立ててみたいと思います。
    一般に多くの女性は子供や赤ん坊を見ると(例えそれが自分の子供でなくても)無条件に「きゅんっ」→「かわいい~」となりますが、これは一般に母性本能と呼ばれている進化が作り上げた生物学的な「守ってあげたい」感情に基づく反応といえます。
    この母性本能ですが、男性には無いのかというとそんなことは無い筈で、人間につながる霊長類がオスメス共同での子育てを始めた時期の古さを考えると、オスにも子供を保護したいという本能は進化で備わっている筈です。
    しかし、ご存知のようについ最近まで社会的に男は男らしく、そういう感情はあまり表に出さないように育てられていました。
    が、その規範は少なくとも日本において既に崩れました。20年位前からの世代はそういう古い規範に縛られない形で育ってきていると思います。(崩れた理由はここでは触れません。)
    ここで、一旦話を漫画やアニメにおける「古い物語構造」と、最近の「キャラ立ち構造」の話題に移します。
    古い物語構造では物語は男の子が男の子らしくヒーローに感情移入するように設計されているのが普通でした。もちろんこの場合でも男の子が女性キャラクターに(設計された感情移入の枠を超えて)能動的に擬似恋愛することはありましたし、時には作り手によってそれが意図されている場合もありました。
    しかし、これはあくまでも恋愛の「愛」、もっと言うと生殖を目的とする「愛」であの疑似体験であったと思います。
    例えばクラリス姫に恋する少年は日本中にあふれていたわけですが、この擬似恋愛感情はどうも最近の新しいキャラ立ち構造作品において受け手が能動的にキャラに対して持つ感情とは微妙に違っているようです。
    もちろん、この「新しいキャラ立ち構造作品において受け手が能動的にキャラに対して持つ感情」とは「萌え」のことなのですが、
    ここでヒントとなるのがこの新しい構造は主にギャルゲーの中で形ズ繰られてきたこと、そしてそのギャルゲーが花開く直前に大ブームとなった「プリンセス・メーカー」という娘育成ゲームです。
    当時このゲームに飛びついたのは「育てる」ための母性本能のあるはずの女性ではなく、男性でした。もちろん「プリンス」ではなく「プリンセス」だったことは無視できないですが(笑)、少なくともユーザーたちはこの2次元の娘の成長に一喜一憂し、恋愛とは違うタイプの愛で娘を見守ったのでした。このことは少なくとも男性も女性と同様、ある種の「母性に基づく守ってあげたい」感情を持っていたことを示していると思います。
    その後、ギャルゲー自体はよりマジョリティにアピールする恋愛シュミレーションへと形を変えて進化したのですが、ユーザーの恋愛感情の背後には常にこの「母性に基づく守ってあげたい」感情が存在したのでは無いかと思うのです。
    (また、少し論主はずれますが、本田透氏の言うようにそもそも現実の恋愛から撤退した先のバーチャルワールドなのに、なぜそこで現実と同じに「恋愛」を楽しまなければいけないのか、という別の疑問もあります。)
    とにかく、この頃から世の男性は母無意識に「恋愛」とは違った形の「愛」、「男性版母性愛」を自覚し始めたのではないか?
    そうして、上記の社会規範の変化による男らしさの崩壊とともにここ10年ほどの間でこの「男性版母性愛」が人格の表層に現れる者が増え始め、半ば無意識に自らの「男性版母性愛」の存在に(うっすらと)気がついた先駆者達がその「男性にとっては不可思議な感情」につけた名前が「萌え」ではないのかと考えています。

  36. 骨男 より:

    ここで、「萌え」=「男性版母性愛」説を簡単な形で検証してみたいと思います。
    「男性版母性愛」が存在するとすれば「女性版母性愛」との違いは次の点だと予想できます。
    ・「体の成長を助ける保護」にはあまり関心を待たず、主に社会や社会的な危険からの「保護者感覚」を持つ。
    理由は、「体の成長を助ける保護」は体の構造上女性に勝ることができない、男性が子育てに協力し始めたのは霊長類が社会性動物になってからであること、が理由です。
    この「男性版母性愛」の特徴を踏まえてメジャーな萌え属性を見るとなんとなく納得がいくように思います。
    ・めがねっ娘
    基本的に眼鏡は視力障害を補正するためのものです。つまり、眼鏡は、「この子は眼鏡をはずすと何にもできなくなるという弱み」を現しています。
    そんな危なっかしい子がいたら保護してあげたくなるのが当然でしょう。
    ・ツンでれ
    この種の振る舞いは普通社会においては敵を作る可能性が高く、あまり利口な生き方ではありません。
    誰かが保護してあげないといけないのは当然です。
    ・不思議系
    こういう子はうっかりするといじめの対象です。誰かが保護、、、
    ・メイド
    一見こちらが世話されているように思うかもしれませんが、本当は逆でメイドの生活(生計)を支えているのはご主人様である私です。
    しかも、そのメイドがどじっ娘だったりしたら、、、
    また、逆にメジャーな萌え属性には無い条件を考えてみるとこうなります。
    例えば、スーパーモデルのような超美人はあまり萌えキャラには見かけませんが、理由は恐らく、守ってあげる必要がかけらも無いからではないかと推測できます。
    同様にパーフェクトな戦士キャラとかもあまり見かけません。しかし、こういう一見完璧なキャラにどこか抜けたところがあったり、アホ毛があったりすると、一転萌えキャラとして成立します。「守ってあげることのできるポイント」を発見したからです。
    また、萌え絵のところで何人かの方が指摘していましたが、媚びてはいけない、と言うのがありました。これは媚びが入るとそこには母性的な保護ではなく、恋愛対象に対する保護、もっと言えば男性が女性に与える保護が想起されるので拒否反応が出るのではないでしょうか?
    そもそも、媚びてくる赤ん坊って気持ち悪いです。
    また、萌えから性的なもの(エロ)を排除する感覚もこの保護者感覚からみれば当然といえます。
    もちろん、ここで述べた「男性版母性」はそもそも男性の(生殖を目的とする)恋愛にも影響を与えています。
    上記のスーパーモデルのような超美人は恋愛対象にもなりにくい、などはその影響だと思います。
    また、「男性版母性愛」が性的な欲求に転化してしまう傾向があることは現実社会の父親による性的虐待を見ても明らかで、「萌え」がうっかりすると過剰な性欲求に結びつくのはこうした理由によると思います。
    なので、恋愛の愛と男性版母性愛を完全に分離することは無理があることはわかっているのですが、それでも純粋な「コア」の部分では分離可能で、最もピュアで狭義の「萌え」が意味しているのはこの「男性版母性愛」であると思うのです。
    長文連投、非常に失礼しました。(何度も短くしようとしたのですが、、、)

  37. ぼぼ より:

    >1026さん
    上のシロクマさんのリンクでの区分が私にはしっくりきますね。
    何故か、OSの進歩にリンクしている気が。
    87-90年 萌え創生期
    90-95年
    一般的な萌え認知の初め
    98からwindows 95までの時期
    萌えの発展期
    パソコン通信の後期とインターネットの初期
    96-98
    win98
    萌え発展期後期
    パソコンの一般化
    98-2001,2 98SE,Me
    萌え属性の分化が落ち着いた時期
    ネコミミ、メイド、妹
    ネット・ブロードバンド時代
    2002-2006 winXP
    萌えの拡散期
    素人が情報発信するブログとツンデレ、燃えの時代
    萌えに興味ない人も無理に巻き込まれる時代
    アカデミアが萌えをいじりだし商売へ
    って大まかですが感じます。

  38. たけくま より:

    >ぼぼさん
    僕が「萌え」という言葉を聞いたのはおそらく95年頃です。エヴァのときには完全に認識していた記憶があります。97年の『サルまん』新装版の描き下ろし部分で、すでに「綾波萌え~」という言葉を使ってますから。
    ネット内のいくつかの資料にあたったり人に聞いたりした範囲では、93~4年頃に「萌え」という言葉が使われ始めたとあったので、ぼぼさんの言う「86~7年」というのは異常に早いですね。
    というか、そのころパソコン通信って全然一般的ではなかったでしょう。ニフティが確か87年開始ですよね。
    僕は91年の暮れにアスキー・ネットに入ったんですが、当時はまだ「萌え」という符丁は見たことがなかったですね。ぼぼさんは実体験に基づいているようですから、たぶんそういう言い方はあったんでしょうが、その時期からあったとはちと驚きです。やはりワープロの誤変換が最初なのかな。
    ちょうど「おたく」という言葉が、中森明夫以前(83年以前)から一部のSFマニア間で使われていたという証言をする人がいらっしゃいますが、それをふと思い出しました。
    僕が最初に萌えという言葉を聞いたとき、「燃え」という男らしい言葉が、「萌」になっただけで小春日和の縁側でポカポカとひなたぼっこしているような感じがして、「エロ」と「可愛い」の中間的ニュアンスをすごく的確に表していると思いました。
    当時、相原くんと「うまいこと言うなあ」と語り合った記憶があります。

  39. 骨男 より:

    トラバの「父親になりたい萌える男たち」の方が僕とほぼ同趣旨のことを書かれていますね。
    僕は父になりたいのではなく、母になりたいのだと思っていますけれど。
    だから、萌えオタは女性に嫌われるのではないかな?
    一般的に現実の女性(特に負け犬女さん達)は男性に父性を求めていて母性は求めていない筈ですから。
    母性を持った男性ってそもそも女性からすると気持ち悪いでしょうし。
    そうそう、妹属性に対して姉属性の方が少なく、さらに母属性はほとんどいないことも「萌え」=「男性版母性愛」を示しているように思います。
    ショタ腐女子の方々の感覚と近似なのではないか?とも思うのですが、女性の意見を聴いてみたいですね。

  40. より:

    竹熊さん、私とハルマゲドンならぬ俺と萌え(笑)新サルまん~萌え編LIVE毎回ワクワクドキドキです!みなさんの熱く濃い萌ゆる(笑)見解読みきるのがもったいないくらいです!昨日TVでメイド喫茶に萌える男たちやってましたが俺は正直萌えんかったです。アイドルなき時代も男たちは半分嘘とわかりつつもそれを求めて彷徨い続ける・・まるで映画『ビューティフルドリーマー』の文化祭のように・・男の子たちと女の子たちのビミョーな温度差が面白かったですけどね。あ、そうかラムちゃんも萌えに絡んでくるのかも・・・ますます解からなくなってきた(笑)・本田さんもブッダのワンシーンに萌えがあると言ってましたが手塚ー石森ー永井ー永井チルドラインからも手がかりが・・手塚さんが今もご存命であれば萌えをどう斬るんだろう?もう少し俺も大泉さんを習い探求します!

  41. ぼぼ より:

    >たけくまさん
    うーん、じゃあ87,8年あたりですかねえ。
    バブル真っ只中。
    手塚の最後のころでまだ生きてました。「アドルフに告ぐ」「ファウスト」「グリンゴ」とか出て入院して微妙にタッチ変わって未完で死んで議論したのを同時期に覚えてますから。
    手塚が死んだのは89年2月でしたよね。
    「萌える」と言うのは少なくとも90年以前にはありました。
    ワープロの誤変換説は説得力ありますが、
    パソ通起源というより若い子の同人近辺の符牒じゃないかあ。
    本来は腐女子用語かもしれません。
    「-って萌え?」って感じで後ろめたい信仰告白のような、それが、男にも伝染したのかなあ。
    >燃え」という男らしい言葉が、「萌」になった>だけで
    いや、もっと文芸的ななまっちょろいもんです。
    ネットでそういってる人も多いですが、「燃える」の誤変換が「萌える」というのは何か違います。
    「燃え」とかいいだしたの最近、2000年以降一般に広まってからじゃないかな。自信はありませんが。
    アニメの「舞姫」とか使ってますね。
    黎明期の用法は、本来の「萌えいずる」の用法に近いです。
    ポジティブに「燃える」というより、
    もう少しほのかな自分で抑えれない背徳的な感じですね。
    1026さんの
    、「恋愛というには理性による抑制が働くが、沸き上がってしまう二次元キャラに対する恋愛に似た感情を言い表した言葉」といった意味合いだったと思います。
    社会性を逸脱してマジになるほどやばくないけれど、キャラなどに魅かれる感情は持つぐらいには自分はバカだというスタンス
    は、私の当時の「萌えの感覚?」にぴったり来てうれしいことしきりです。
    私は、スピリッツでのサルマン連載時にすでに、なぜ「萌え」に触れないんだろうとぼんやり疑問に思ってました。
    商業的なカテゴリーじゃないからなと自分で納得してたんですね。
    存外、貴重な体験をしてたのかもしれません。

  42. rin より:

    くろねこさんの論のうち
    ・萌えの対象は『ネコミミ』や『メイド』といったパーツそのものではなく、それらの集合体
    ・萌えの感情は全肯定
    という点には同意します。
    私は萌え(のベースにあるもの)は、その人が今まで感じた「かっこいい」「かわいい」「セクシー」「やらしい」「優しい」etc.といった『好意を感じた物のデータベース』だと思います。
    実際に見聞きした以外にも、想像したこと、憧れから妄想したこと等もごちゃまぜ。
    ジャンルも女の子からマスコット、メカに至るまでごちゃまぜの『こんなの好きかもデータベース』
    これの入力に何かを入力すると、それに対応する感情が出力される物だと仮定すると、
    受け手にとっての『萌え属性』とは、このデータベースの偏りではないかと思います。
    データベースを「メイド」で検索してヒット数の多い人はメイド属性。
    データベースを「ネコミミ」で検索してヒット数が多い人はネコミミ属性、と言うように。
    あるキャラクターを見た時、受け手はその構成要素を分解して認識します。
    例えば「17歳ぐらい」「胸は大きくて」「メイド服」「髪はツインテールで」「ニーソックス」「性格はツンデレ」「実はメカで」「パイルバンカー装備」と言ったように。
    それら構成要素をデータベースから検索。
    ヒット数から自分の好みとの合致と、それに対応する感情が出力されます。
    「胸は大きくて」→(*´д`*)ハァハァ度50ポイント
    「ネコミミ」→愛らしい度20ポイント
    「パイルバンカー装備」→カッコイイ10ポイント
    結果、一つの感情を表す言葉では表現しきれない、複雑な感情がわき上がると。
    また、データベースに登録されているものは「好意」であるので、肯定以外の感情は出力されません。
    このような統一的なデータベースというモデルを導入すると、
    ・カッコイイ実在の機械を
    ・可愛い系美少女キャラに擬人化し
    ・さらにそのキャラで絡みを妄想して(*´д`*)ハァハァ
    という流れが自然に扱えるのではないかと思いますが如何でしょうか。

  43. みずすまし より:

    はじめまして。
    > するに「萌え」とは、メイドやネコミミそのものに「萌える」のではなく、あくまでも
    > そうした複数の要素を統合した「人格のコード」に萌えるのだ、ということでしょう
    > か?
    「人格のコード」に萌えるというよりは、かつて「人格」と呼ばれていたような、あるいは「人格」表現だと考えられていたような、「言動や考え方や容姿のコードの構造ある集まり」に萌えるのが、今のオタクではないでしょうか。
    あるキャラクターの「人格」というのは、表面的な言動や考え方や容姿の奥底にあって、言動や考え方や容姿がその表現であるような、そのキャラクターの「本質」、そのキャラクターの「中心にある何か」のことをいうのだと思います。しかし、そのようなキャラクターの「人格」「本質」「中心にある何か」をもはや必要としないのが、今のオタクのマンガやアニメの消費スタイルの特徴ではないでしょうか。
    考えてみれば、マンガやアニメのキャラクターに「人格」などあるはずがありません。彼らは、存在しないのですから。キャラクターとは、作家や企業が金儲けのために(?)作り上げた記号の集まりにすぎないのですから、もともと「人格」など持ちようがないのです。
    消費者が「人格」を必要として、投影しない限りは。そして、繰り返しになりますが、キャラクターの「人格」「本質」「中心にある何か」を、今のオタクは必要としないと思うのです。
    例えば、次のような問答をしているオタクを想像することができます。
    「なぜ、この人物は、金髪なのか」「お金持ちだから」
    「なぜ、この人物は、ドジなのか」「メガネっ娘とはドジと決まっているから」
    「なぜ、この人物は、直感が強いのか」「ストーリー上の都合」
    しかし、「人格」ある実在の人間について、このように問答することはありえません。したがって、実在の人間や実在しそうな人間の「人格」を投影して、「人格」に着目して考える限りは、このような問答がキャラクターについても成立するはずはないと思うのです。
    キャラクターを、作家や企業が作り上げた記号の集まりにすぎないと割り切るからこそ、このような問答がありえるのではないでしょうか。

  44. rin より:

    燃え→萌えですが、私もこれは違うと思います。
    エヴァ以降の鬱系、無気力系、ダウナー系、理屈っぽい系の乱発に半ばうんざりして、
    「小難しい事を考えずに興奮出来るアツい作品」を評価するために広まった気がします。
    印象論なんでなんともいえませんが。
    ただ、マイトガインを燃えアニメとは言わなかったような。
    ガオガイガーって燃えアニメって当時言ってましたっけ?
    「燃え」の原点的には、トップをねらえの「一人一人は小さな火だが、二人集まれば炎になる」
    あたりが気になります。
    あとは島本作品でしょうか。

  45. [創作メモ] 萌えはフェチの一種なのか?

    ども、くろいぬです。 「萌え」議論がかなり激化しているので、しばらくPCから離れていると話題がどんどん先に進んで行ってしまう今日この頃です。 わざわざたけくまメモのエントリーにまで取り上げていただき、ありがとうございました。 まず最初に、昨日のエントリーで書いた、僕の定義するところの「萌え」について、再度簡単にまとめてみます。 >「萌え」とは、「特定のキャラ属性を持つキャラクターに対する、受動的な全肯定の感情」。 >さらにその感情が「好みのキャラ属性についての分析と自己認知を伴う」。 …

  46. [創作メモ] 萌えはフェチの一種なのか?

    ども、くろいぬです。 「萌え」議論がかなり激化しているので、しばらくPCから離れていると話題がどんどん先に進んで行ってしまう今日この頃です。 わざわざたけくまメモのエントリーにまで取り上げていただき、ありがとうございました。 まず最初に、昨日のエントリーで書いた、僕の定義するところの「萌え」について、再度簡単にまとめてみます。 >「萌え」とは、「特定のキャラ属性を持つキャラクターに対する、受動的な全肯定の感情」。 >さらにその感情が「好みのキャラ属性についての分析と自己認知を伴う」。 …

  47. くろいぬ より:

    竹熊先生、申し訳ありません。
    トラバ2本しちゃいました。大変お手数ですが消して下さい。
    さて、萌えとフェチについて、書いてみました。
    http://d.hatena.ne.jp/shields-pikes/20060226/p1
    正直、パーツ愛であるフェチと、属性愛である萌えは、すごく微妙な差なんじゃないか、という気はしています。
    しかし、性格や血縁もフェチの対象にしちゃっていいもんなんでしょうか。むしろ、フェチの明確な定義の方を先に調べるべきかも知れませんね。

  48. パップラドンカルメ より:

    話の流れからはそれるのですが、「燃え」という言い方は少なくとも98年にはありました。
    98年は私がネットを始めた年であり、そこで「燃え」を何度となく目にし、自分も使ってましたから。
    物凄く気に入った、大好きだ!って意味合いで使ってましたね。
    それと、こちらは確証がないのですが、それ以前にも伊藤岳彦あたりは「燃え」とか言ってたはず。
    起源は島本和彦とかなんでしょうけど。
    「萌え」を知ったのはその後で、なんかフニャっとした言い方だなあと思ったのを覚えています。
    「俺」と「漏れ」、「既出」と「ガイシュツ」みたいなもんかなーとも思いました。
    「萌え」は91年くらいにあったのは、実体験した人がいるので間違いないのでしょう。
    しかし、「燃える」もまた昔からあったものです。

  49. 起源 より:

    私は、94年くらいにインターネットやり始めて、
    フェチなサイトで”萌え”という言葉を見て、
    ”?”と思ったんですが。
    掲示板で、”どういう意味?”みたいな質問も多くて、
    ”ムズムズする感じ、エロまでいかない、ほのぼのする感じ”
    みたいな説明を見て
    詩的な表現だなぁと感心した記憶(笑)があります。

  50. 匿名 より:

    おまいらこれでも読んで落ち着け
    http://semiprivate.cool.ne.jp/comic/Vaga/01.HTM

  51. うーん、萌え≒フェチでしょ。

    (今回ややR指定なテクスト。)  乗り遅れた(笑)つーか皆、反応早っ! たけくまメモ http://memo.takekuma.jp/blog/2006/02/post_6392.html 俺と萌え(番外)フェチと萌えは違う?  『萌え』とは何かという定義論についてはそれこそ4-5年前からありまして、個人的には、しろはた(http://ya.sakura.ne.jp/~otsukimi/index.html)さんとこのテクストのオープニングが全てだと思っております。 ht…

  52. pp より:

    ばるぼらさんのこのエントリhttp://www.jarchive.org/blog/entry/200602/15moe.html
    を読んで「燃える」→「萌える」だと思っていたんですけど
    どうなんでしょうか。

  53. 室東 より:

    パップラドンカルメ さんの言っているのが、僕の体験(80年代後半からパソコン通信をやっていました)とも一致します。
    パソコン通信時代、当時はやっていた軟派系漫画、アニメに対して、パソコン通信やCG系の草の根BBSなどで、伊東岳彦やそのシンパあたりを中心にして、少年漫画的な熱血回帰キャンペーンみたいなのが盛り上がってた時期がありました。
    当時からパソコン通信ではあえて誤変換して面白がる風潮があって、少年漫画的熱血とはちょっと嗜好が違う人たちが、「萌え」という言葉を使い出したのだと当時は理解していました。
    そういう意味では、最初の発生は
    >「俺」と「漏れ」、「既出」と「ガイシュツ」みたいなもんかなーとも思いました。
    という程度のものだったと、僕の経験からも思います。
    あと、パソコン通信の場で発生した言葉であるからか、個人と感情を表現する言葉というより、同じような嗜好を持つ人たちの間で感情を共有するための言葉としてつかわれていたと思います。
    だから、萌えキャラは最大公約数的に記号化されるような。
    フェチは突き詰めれば個人の物だけど、萌はそうじゃないというか。

  54. デカイチ より:

    萌えの流れを遡ってみると、七十年代中期に”りぼん”あたりから発生した、
    おとめちっくアイビー少女漫画が絶対外せないと思います。
    陸奥A子さん、田淵由美子さん、篠崎まことさん、太刀掛秀子さんらが描いていた”うっく”とか”ムフ♡”を連発しながら先輩に恋焦がれたりする女の子達です。
    眼鏡っ子も多かったような。
    当時、東大生が”リボニストの会”なんてのを作ってましたが、あの辺の男連中がりぼんの乙女キャラに抱いていた感情は、今でいう萌えにかなり近い物だったと思うんですよ。その後その手の女の子キャラは少女漫画からはほぼ絶滅してしまい、ゲームやオタク系の雑誌でしか見れないのは何だか不思議な気がします…..。

  55. たけくま より:

    >デカイチさん
    僕もそう思います。70年代のローティーンやミドルティーン女子を対象にしていた「りぼん」の「乙女ちっくマンガ」を、男が愛好するちょっとしたブームがありました。早稲田にも「おとめちっく研究会」というのがありましたね。
    おっしゃる通りで、このへん「おたく的感性」の成立を考えるうえでは外せない現象で、いずれ「俺と萌え」シリーズでもエントリ化するつもりです。

  56. in ガンジス より:

    フェチ → 部分的な超正常刺激
    萌え → 総合的な超正常刺激(フェチの集合体?)
    なのではないでしょうか。
    超正常刺激の意味は、自然の甘味料の砂糖に対して、サッカリンのような人工甘味料は砂糖の何倍も甘い(超正常刺激である)、のような関係だと思います。

  57. 1026 より:

    >骨男さま
    「黎明期」の「萌え」は狭義といいますか、やはり黎明期の使われ方であるかと。くろいぬさんの定義の方が狭いですよ。
    くろいぬさんの言説が「属性萌え」に関しての定義であれば、さほど異議はなかったのですが、「萌え」の定義とされていたようなので違和感があるわけです。
    「属性分類」と「萌え」は元来別のものであったものが切っても切りはなせないものになったのだとは思いますし、それが特性にもなっていると思いますが、「萌え」という言葉自体これだけ語義の変遷があったわけで、その分どうしても昔の尻尾を残してしまっている。それなのに、属性分類そのものが萌えの特性そのものとしてしまうと取りこぼしてしまうものが大きいように思うのです。
    それから、「男性版母性」は確かに萌えにあると思いますが、それに限定するには母性的対象とは言いにくい属性が多くはないでしょうか?(メカ少女・幼なじみなど)
    >ぼぼさん
    「黎明期」の「萌え」にご賛同ありがとうございます。
    「萌えという言葉の変遷」はしっくり来ませんでしたか。
    シロクマさんの文章は以前読んでちょっと真似できないなと思うぐらい素晴らしいと思ってましたが、あまり語彙の変遷について書かれていませんでしたので投稿させていただきました。
    語彙の変遷が「萌え」という言葉を混乱させていると思うのですが、みんなあまり気にならないのでしょうか?

  58. 【´A`;】萌え論争マトメ 2【たけくまメモの】

     今回は、「俺と萌え(2)」をマトメてみました。
    マトメと言いながら長いですね(汗)
    この下のあらすじ読めばたいてい掴めると思います。

  59. touge より:

    これは個人的な理解なのですが、萌えとは物語表記の一形態だと考えています。
    もう一歩踏み込むならば、「物語のオブジェクト指向デザイン」とでも言いましょうか。
    ロリやネコミミと言った属性、絵柄やフェチといったディティール、これらの上でたけくま氏がコードと書かれているものは、正確にはクラスと言ったほうが適当です。クラスにはこれまで多くの作品によって綴られてきた物語のライブラリが接続されています。これらのクラスと、それに付随するライブラリを組み合わせて、キャラクターの中に物語をパッキングすることが萌えの本質なのではないでしょうか。 仮想の人格や純愛(?)といったものは後から個人の中で二次的に生成されるものに過ぎません。
    送り手たる絵師はこれらのクラスを組み合わせ、さらに独自のコードを書き足します。受け手はそのキャラクターを受け取り、自身のライブラリを起動して翻案し物語を再生します。ここで初めて、インスタンスな感情としての「萌え」が生まれます。このインスタンスな「萌え」は個人の蓄積してきたライブラリによって揺らぎを持つので、完全には他者と共有されるものでありえません。しかし完全では無いとはいえ、萌え者同士のコミュニケーションのうちに、ある範囲に固定されます。このようにして消費されたキャラクターは、多くの受け手達によって再度解体され、また新たなクラスとなって、ライブラリは更新を続けます。これが90年代以後に発生した「萌え」のシステムです。
    以前の相原氏のキャラクターが萌えないのは、やはりその背景に物語を想起することが出来ないからです。萌えの作法に関する巧拙ももちろんありますが、受け手側が相原氏の絵柄に対応したライブラリを持っていない事が最大の原因だと思います。
    以上は自分が99年頃に(少なくとも自分の周囲では)基礎教養となっていた「萌え」を理解するため、当時遅まきながら努力した結果だったりします。それを東氏や伊藤氏の著作の影響を受けまくって言語化してみました。一般性があるかどうかははなはだ疑問ですが、参考にしていただければ幸いです。
    ※オブジェクト指向の用語についてはかじった程度なので、使い方を間違ってたらスミマセン。

  60. ヒロポン より:

    >>
    受け手側が相原氏の絵柄に対応したライブラリを持っていない事が最大の原因だと思います。
    >>
     例のアパートの一室で暗く落ち込む相原氏、竹熊氏&相原氏の漫画は時代の流れの中で古臭くなってしまい打ち切りの連続。明日の生活もままならなくなっていたのだった。
     「相原さーん、集金ですよー」「相原さん、今日払ってもらわないと電気止まりますよ」そんな声をじっと耐えながら、相原氏は竹熊氏を待っていた。
     「作戦があるんだ、ちょっと出てくる」そういって一年前に家を出たきり行方不明だった竹熊氏から昨日電話が入ったのだった。「あした帰る。作戦の仕込みは上々だ」それだけ伝えると電話は切れた。
     ガチャリ。ドアノブの回る音がすると、無意識に体を縮こまらせる相原氏。ガチャガチャと鍵を開ける音が続く。竹熊氏である。
     「竹熊!!」長く会わなかった相棒との再会に喜びの声を上げた相原氏の目に、竹熊氏ともう一人の影が!!
    というように、相原氏の中に正確なライブラリーを作るために竹熊氏が萌者の中の萌者を連れてきて相原氏を洗脳してしまうようなネタが見たいですー
    駄文・長文失礼しました。頭にイメージががが

  61. 骨男 より:

    >1026さん
    >「黎明期」の「萌え」は狭義といいますか、やはり黎明期の使われ方であるかと。くろいぬさんの定義の方が狭いですよ。
    僕の理解ではくろいぬさんは
    >キャラクターの持つ属性を意識し、それが分類学的に作られたパターンだとわかった上で、それを自分の好みのタイプとして認識し、その属性=キャラの本質を愛でること。
    が「萌え行為」の本質で、
    >自分が好む属性を持つキャラクターに対する「受動的な全肯定」の感情
    が「萌え行為」の背後にある「萌え感情」の正体である。
    と言われているのだと思っています。
    「萌え感情」の方はそういう説明もできると思うのですが、「萌え行為」の方は、「属性の集合体としてのキャラに「粋」とか「趣」を感じていること」と、ほぼ同義のように思えるので僕にはこれでも少々広義の「萌え」に思えます。
    対して、1026さんの
    >黎明期
    >当初は主に「二次元キャラに対して沸き上がる恋愛感情に似た感情」といった意味合いだったかと。
    は、まさにその当時の人たちが今まで感じたことの無かったある種の感情に対して自ら戸惑いつつも命名した過程を表現されていると思いましたので、これこそが「萌え」のコアの話、つまり狭義の「萌え」だと思った次第です。
    >メカ少女
    メカ少女はゴツゴツしたメカと少女を組み合わせることで少女のか弱さを強調するものだと思っています。とすれば、守ってあげたくなる少女のか弱さを強調したものといえますので「男性版母性愛」の対象なのだと思います。
    さらにうがった見方をすれば「メカは社会的圧力のメタファー」とか言えるかもしれませんが、それはちょっと考えすぎかな?とも思います。成立過程は単にメカフェチとロリコンが融合しただけなわけですし。(笑)
    >幼なじみ
    確かにこれは「恋愛」の要素の方が大きい気もしますが、それでも幼馴染が特別なのは幼少期の体験を共有していることにありますよね。
    それって、最も保護を必要としたときの相手の状態を知っていることになりますので、それが「男性版母性愛」につながっているとは考えられないでしょうか?
    「恋愛の愛」と「男性版母性愛」のどちらか一方、という話ではなく、「萌え」感情はその比重が「男性版母性愛」寄りにシフトした感情を表しているのではないか?と言ったほうが正確かもしれません。

  62. より:

    骨男さんのまとめ、
    キレイ!

  63. 匿名 より:

    メカ、とかメガネとか妹とかいいだすと、人の勝手な好みで、そんなのは好きじゃないって人も多いから。一般的な萌えから離れていく。

  64. 1026 より:

    >骨男さま
    何となくわかりました。
    僕が、語彙の変遷を通じた理解を指向しているのに対して、骨男さんは今のおたくにはメジャーな語彙を微分化して理解しようとしているのだと思いました。
    メカ少女と幼なじみについてはちと了解しかねます。
    島田フミカネ氏のメカ娘などは少々不具者的な嗜好を感じますが、MS少女などは仰るとおりメカフェチとロリコンの融合、好きなものを合わせただけという身も蓋も無いものだと思いますし。
    幼なじみについては「恋愛」だけでなく、「母性」がある事もままあるわけで、母性を感じる相手に「母性愛」を持つというのはどうなのでしょう?(例:神岸あかり)

  65. よっしー より:

    はじめまして。
    僕はフェチと萌えは絶対に違うと考えます。
    フェチと萌えが違う例は「G-onライダース」というOVAですね。
    アレは「メガネフェチ」の為に、とにかくありとあらゆるキャラクターにメガネをかけさせます。で、メガネフェチには受け入れられましたし、それなりのクオリティなのに関わらず、そこに「萌え」は全くなくて、結局多くのおたくには受け入れられませんでした(…と僕は思う)。
    企画者が「フェチ」が「萌え」の一部であると勘違いしてしまったが為に起きた失敗だと思います。

  66. Rick より:

    はじめまして、座右の銘は「萌えはたしなみ程度に」のRickと申します。
    萌えの起源は、「熱血とは異なる激しい情動」に対して、漫画家の伊東岳彦氏が多用し、NG騎士ラムネ&40(1990〜)で広まった「燃え」を意図的に誤変換したのが始まりだと思っています。
    つまり、「激しく可愛い」と言う気持ちを表す言葉だったと言う事では無かったかと。

  67. apg より:

    土日は皆さん厚い萌え談義を繰り広げていたんですねぇ。もう乗っかる隙がないですね。
    しかし、「男性版母性愛」は少々短絡的かなと感じてしまいました。まあご本人がそう感じるなら何もいうことはできませんが、「男性版母性愛」がPCのモニタ前で展開されているとしたらそれはそれで、もっと歪んだものを感じますが。
    あと、どなたかが触れていましたが、たけくま先生が相原先生に描かせたのは、狭義な意味での萌え絵なのに、「俺と萌え」でご自身が告白されていることはいうなれば広義の萌え、であったように思われる点が個人的に気になります。このあとどんな展開をみせて頂けるのか、楽しみです。

  68. apg より:

    ↑いままでの皆さんのコメントの論理に乗っかれば、ですが。

  69. Rick より:

    「男性版母性愛」は「保護欲」と言い換えはいかがでしょうか?

  70. apg より:

    「独占欲」や、「支配欲」ともいえましょうか。
    これもどなたか触れたかもですが、自身のダークサイドをオブラートで包むような表現をしている感じがします。もっと萌えど真ん中の論者のかたは、ご自身の心の闇に切り込んで行って欲しいです。個人的にですけど。

  71. apg より:

    ↑しかしそのオブラートに包む感じこそが萌えの萌えたる所為なんでしょうけど。

  72. ひふみー より:

    >骨男さま
    保護欲、という方向性のみに全てを収束させる考え方はちょっと苦しい部分があるかも
    しれないですが
    「それまで存在しなかった・自覚されなかった(禁じられていた)男性の中の女性的“慈愛”感情」
    という意味での萌え、というのは本当に実感できます。
    個人的な遍歴が、まさにデカイチ氏の指摘の通りなので・・・・
    自分は高校の頃(78年)、ブームの到来と粗製濫造によって松本零士の模倣漫画を描く事から離れ、
    (そういえば松本氏独特のペーソスや情感も、よく少女まんがと関連付けて語られますね)
    姉の影響で田淵由美子や、ことに陸奥A子にはまりました。
    繊細な感情や内面性、可愛らしさや純粋さへの崇拝的感覚、そして一見ほのぼのとした日常描写の中に
    むしろ目立たない形で含まれている「悲しみの感情」・・・・
    少女漫画の絵柄や作風も特訓し、後にはぶーけやりぼんに投稿までしてました。
    自分が高校生だったので、作品世界が身近に感じられたせいもあったんでしょうね。
    当時の少年漫画はおしなべて「口の中斜線」みたいなノリや画風ばかりで、
    自分が求めていた、「可愛らしく繊細な」感覚とは遠い物だった事もありましたが・・・・
    そして、高校の漫研で作品を見せて仲間に驚かれる度に
    「男でこんなモノ描いてる奴も、普通おるまい」とか思ってました。
    (やや“固さ”や“単純化”はあるものの、聖悠紀氏・竹本泉氏等の先達はおりましたが・・・)
    その後、この種の方向性の少女漫画は影を潜め、
    変わって同人誌やヲタ的アニメが台頭してくるのですが、自分は作品として楽しみこそすれ、
    唯一の例外(早瀬美沙)を除きwキャラに対して今で言う「萌え」的な強い感情を抱いた事は
    まるで無かった記憶があります。
    90年代末になって、漫画にもアニメにも、そして当時女性作家が台頭していた「美少女漫画」にも
    自分的に心惹かれるものが減ってきた時(この辺の変遷については更科修一郎氏が語ってますね)
    本屋の店頭のトレカが切っ掛けで知ったのが美少女ゲームの世界でした。
    (自分はファミコンはおろか、トランプすらしない「非ゲーム人」だったので、そっちの世界の事が
    全く視界に入っていなかったのです。)
    その後、美少女ゲーム作品にはまりつつ感じていた感情(RR)は
    「・・・かつて失われていた感覚は、よもやこんな所に生き延びていたのか!」でした。
    だから昨今、「白日の下に晒される」事によって、より多くの論議を呼んでいる“萌え”なる感覚についても
    自分にとってはごく自然で当たり前のものであり、ゆえに良く判らない感覚でもあります。
    ただ、その「自分」が全然“自然”じゃないかもw
    あるいは逆に、ヲタ的に非常に“自然なもの”になった為
    (送り手側に、自分のような人間が増えた為)
    昨今の“萌えブーム”が形成されたと見るべきかもしれませんね。
    なにしろ大昔は、「可愛い女の子の絵」を見て喜ぶ・描くなどという事はむしろ女の子のする事で、
    それを大勢の男がやっている現在の方が自分にとっては嬉しくも且つ“異常で自然な“世界なので・・・
    意味不明な長文、申し訳ありません。
    骨男氏・デカイチ氏の指摘が余りにも自分を直撃していたので、つい・・・
    むしろあまり漫画ファンではなく、「可愛いという事」を25年近く、時代の変遷と伴に見つめ続けてきた
    (ちなみにメカ・兵器萌えは更に長く、40年近い?w)老いぼれ現役ヲタの実体験的戯言でした。

  73. sima より:

    保護欲は別に禁じられたとか、なかったとか、そんな大げさなものじゃないでしょ。ハムスターとか犬とかでも、いくらでもかわいがってるし。長文やめてくれ。

  74. 匿名 より:

    うーむ、しかし…
    「萌え」原論、花ざかりだな
    とどまるところを知らん
    「萌え」、おそるべし
    あなどれん、「萌え」

  75. 骨男 より:

    >Rickさん
    >「男性版母性愛」は「保護欲」と言い換えはいかがでしょうか?
    うーん、「保護欲」とだけ言ってしまうとなんとなくこちらからの一方的なものという感じが強まっちゃいますね。…「保護愛」ですかね?(笑)
    >apgさん
    「独占欲」や「支配欲」はどちらかというと「恋愛」サイドから発生した欲求かな?と個人的には思っています。
    でも、「恋愛の愛」と「男性版母性愛(保護愛?)」は相互に影響しているでしょうから、この辺になると微妙ですね。
    >ひふみー さん
    長文読んでいただいてありがとうございます。
    早瀬美沙萌えだったんですか!?って、あ、いや、なんでもありません。(笑)
    確かにあの人には微妙にほっとけない何かがありましたね。
    僕の感覚に基づいて「男性版母性愛」仮説を挙げさせていただきましたが、もちろん違和感のある方もおられると思います。
    たたき台のひとつということで、よろしくです。

  76. めたろう より:

    土日に風邪で寝込んでいた私もようやく追いつきましたですよーーーーー。でも内容が濃くなりすぎて、もはや割り込めないです。
    でも出てきそうで出てきてない話を見つけたかもしれんので書いてみますです。
    えーとですね。上でtouge様が書いてる事とつながるのかな?
    一つ前のエントリからしばしばコメントされてる事ですけど、「ある萌えキャラの図版に対して自分なりにテキストを付与してゆく」行為、が重要だ、とする方がいらっしゃいます。
    で、ここでは少々乱暴かもしれませんが
    「2ch以降の萌えの基盤は、ライトノベル、すなわち図版+テキスト」に集約されるという仮説を上げてみたいのです。
    ある年代までのオタクが「マンガ」「アニメ」を基盤としていたのに対して、「ネットにおけるテキスト+図版」を基盤とするのが今日のオタクであり「萌え」という奴ではないのかと。
    ここで「テキスト」としたのは、「物語」というよりは「設定」というべき断片情報だ、というニュアンスが出したかったのですが伝わるかな?そしてここでは図版の持つ役割が非常に大きいのですね。
    で、「マンガ」「アニメ」世代のオタクが対象について語る場合には評論すなわち二次情報になるのに対して、彼ら「ネット」世代の言説は一次情報なのであります。
    彼らは広義の同人作家なのです。
    だから「図版」でなければならないのです。
    アニメ世代までのオタクが手塚治虫という制度を源流としたのに対して、同人文化を源流とする次世代のオタク。両者の感性に断絶があるのは当然なのであります。
    病み上がりの乱文多謝。
    後、上記の「ライトノベル」云々は「ネット上の図版+テキスト」の商業化(アウトプット)の象徴つうことです。

  77. ひふみー より:

    >「早瀬美沙萌え」
    あれが生まれて初めて、単に「作品の中の1キャラ」として好きだとか以上の、胸が痛くなる様な
    感情を覚えた体験で、自分でも「一体コレは何事が起こったんだ??!」と大変うろたえた記憶がw
    あと「保護欲」と言い切るのは自分的にも違和感があったので、先の書き込みの最初の方、
    当初「女性的“愛護”感覚」としてあったのを“慈愛”と書き換えました。
    まぁ、実際は「保護欲を掻き立てる」ようなモノが萌え対象になりやすい傾向を持ってる事はあるとは思いますが。
    要するに「愛しい!」と思う感情、「激しく愛でたくなる心」とでも言うのでしょうか。
    (セクシャリティとの関連は、この「愛でる」「愛する」という言葉・観念自体にその人がどこまで性的観念を
    介在させるかによって、随分変わる気もします。「あなたにとってセックスと愛は不可分か? Y/N」)
    この「愛でる」という一歩引いた感覚が、昨今流行の様々な物に対する愛好表明としての
    ターム“萌え”が広まった理由かも。
    その背後には古くからの「愛でる」文化や現代の思考スタイル、あるいは少女漫画的感性や
    そこから生まれてきた技法(ろりぷに体型・巨大目・単純な線によるスーパーフラット表現)
    などがあり、そこにヲタク的セクシャリティ等の様々な要素が合流して出来上がってるのが
    それらの「技巧的結果としての」“萌え絵”だと思います。
    その辺の「背景」一切抜きで萌え絵再現にトライしつつある竹熊先生の今回の試みは、
    いわばプログラムの逆アセンブルというか、表出物からその根源を、解析の過程そのものから逆照射
    してみせる様な、大変面白い(つーか、笑える?)企画だと思うので、頑張って欲しいです。

  78. ぼぼ より:

    ちょっと煮詰まってるので口直しに・・
    http://www.f7.dion.ne.jp/~moorend/news/2004091901.html

  79. ヒロポン より:

    骨男さんの
    >「保護欲」とだけ言ってしまうとなんとなくこちらからの一方的なものという感じが強まっちゃいますね。<
    ですが、萌図版等についての話の流れだから一方的なものにしかならないのじゃないですか?相手は絵だし。

  80. 骨男 より:

    >ヒロポンさん
    もちろんはたから見ればそうなのですが、自分の気持ちの中ではあくまでも双方向な関係だと捉えている状態なのではないでしょうか?
    古いタイプの物語キャラクターに対する擬似恋愛はそういう一方通行だったのかもしれませんが、新型であるところの「萌え」は脳内での一人二役が基本かと。
    めたろうさんが書いておられる
    >彼らは広義の同人作家なのです。
    あたりとも絡んでいると思います。
    また、本来はこういう芸当ができるのは相手がキャラとして性格やらいろいろ背負っている場合の筈なのですが、例え一枚の絵からでもそれを可能にするのが「萌え属性」といわれる共有された一連のコードセットなのでは無いでしょうか。

  81. apg より:

    ↑確かに、相手は絵なのに一方的ではないコミュニケーションがある、と錯覚されているとおぼしき発言ですが、
    骨男さんは、「とあるキャラクターの存在を受け手側が脳内で補完、完結する」、
    と誰かが言った萌えの作法めいたものを地でいってらっしゃるのではないでしょうか。
    その線でいくと、骨男さんの論理は少々客観性にかけるのかも知れませんが、
    個人的には客観性に優れた意見より、
    萌えど真ん中の方の超個人的見解の方が参考になるものが多いように感じます。

  82. apg より:

    あ、骨男さんのコメントが挟まっちゃった。
    しかしいつまで続くんでしょーか。
    面白いです。

  83. 1026 より:

    先の骨男さんの投稿は萌えの定義とかではなく、おたくの萌え方の一例として有りというところでしょうか?
    しかし、骨男さん何処へ飛んでっちゃうの?って感じですな(笑)
    個人的にはある程度客観性も欲しいので、これまで語られた萌え言説を参考にさせていただきつつ、「萌え」を自分なりにも再度定義を試みてみたいと思います。
    くろいぬさんや骨男さんの説も今のおたくのメインではあるかもしれませんが、どうも「自分の思う萌え」以外の「萌え」もスポイルされている気がするので。
    なんか前の投稿に似てる気もするし、ウザイかもだけど、挑戦。
    ぬらりひょんなのかもしれないけど。
    <「萌える>
    ・植物の芽が芽吹く様子(本来の意味)
    <黎明期の萌え>
    ・二次元キャラに惹かれるが、恋愛というには理性が働くが抑制しても沸き上がってしまう感情を表した言葉。社会性を逸脱してはいなが、入れ込んでしまうぐらいにはバカだという自分のスタンスを表すためにも使われていた。
    <属性萌え>
    ・おたくが好むキャラクターの特性を分類し、属性としてまとめられたものを再構成して作られた集合体としてのキャラクターに対し、パターンの上に成り立つ存在と認識しながらもその属性を愛でる事。「受動的肯定」の感情(くろいぬさんの言説を参照)またその事に「粋」や「趣」を感じる事。

  84. 1026 より:

    続き>
    この「属性萌え」今のおたくの間で使われる「萌え」の特性になっているようだ。
    属性はおたくの世界で流通するに対するおおまかな共通認識があり、外見・人間関係・人格などの及ぶ。
    属性とフェチは関連が深い事からフェチと同じとする説、フェチをトリガーとして発動するとする説、フェチとは異なるとする説が入り乱れる。
    個人的には根本はフェチと変わらない部分があるが、上記の「受動的全肯定」の感情と、おたく世界での属性への共通認識という部分に違うと感じるカギがあるのではと考えている。
    ちなみに「受動的全肯定」の感情における対象との距離感には「黎明期の萌え」の抑制などの残滓があるように感じる。
    <広義の萌え>
    ・「黎明期の萌え」のように二次元キャラに限定されることもなく、対象に対して入れ込む事を理性で抑制する事も無いが、沸き上がってしまう対象へ惹かれる感情。
    ・「趣がある」「ぐっと来る」「事線に触れる」とほぼ同じ意味あいで使われる。
    <一般化した萌え>
    「アニメ風美少女」「コスプレ風メイドやメイド喫茶のメイド」「エルメス萌え」
    自分の理解が及ばずとりこぼしたもの・ 外させていただいたもの
    ・萌え=男性版母性(こうゆう感情も萌えにはあると思いますが限定されないかと…)
    ・「保護欲」「独占欲」「支配欲」(こうゆう感情もあるとは思うけど、上記の「属性萌え」のようにもうちょっと突き放した感覚を伴う場合もあると思いました。)
    ・「萌え」とエロの違い(判断出来ません。意見が割れそうですね。)
    ・萌え=激しく可愛い(語源としてはあるかもしれませんが、はじめて聞きました。)
    ・萌え=物語のオブジェクト指向デザイン(よくわかりませんでした。)
    ・キャラの内面をなぞったりして自分色に見立てるモノ(同人誌を作る心理の事か?)
    ・2ch以降の萌えは図版+テキストに集約される(それ以外のものを無視しすぎな気が…ラノベは一つのムーブメンントとは思いますが)

  85. ヒロポン より:

    >骨男さん
     補足していただいてありがとうございます。
    脳内補完に対して、まるで客観的な価値があるように読めたので茶々を入れさせていただきました。あくまでも主観的なモノとしての価値観であるならば、否やをさしはさむところではございません。
     子供のある身として「男性版母性愛」というものがあると確信できますので、それが向かう先が変わった結果としての耐え難い愛慕の衝動としての「萌」は納得のいく話なのです。
     暴力的な支配的側面も併せ持つことも母性の属性だと思いますし。

  86. nomad より:

    すんません…
    「俺もね! こう見えてもね! まだまだイケるよ、現役なんだっ!」
    と思っていましたが、すっかりぢぢいと知りました。
    完全に脱落し、縁側で茶をすすってます…

  87. K より:

    「好き」「かわいい」と言わず敢えて「萌え」と言うとき、
    「こんなものに心を動かされてしまっている自分って、恥ずかしい」という
    自虐的な気持ちをネタ化させる心の動きが多分に含まれているように思います。
    「恥ずかしい」があるからこそ「オブラートに包んだ」感じも想起させるのでしょうし。
    投げっぱなしコメントですみません。

  88. Rick より:

    とりあえず絵の話。
    「ストーリー」と「保護欲」は萌え絵の取っ掛かりになると思うんです。
    そういった意味では、相原先生より竹熊氏の絵の方が、上記の情報(セリフ
    だけですが)が含まれている分、方向性は正しいのかも知れません。
    また、豆太郎氏が描いた女の子が困り顔になのも、そういったセンスに
    よるものでしょう。

  89. くっぱ より:

    たけくまさん、みなさん、はじめまして。
    みなさんの「萌え」に対する議論を興味深く読ませていただきました。
    私が考える「萌え」は、愛の形とか属性云々ではなくて、視点や自分の立ち位置という観点から説明できるような気がしています。対象となるキャラを二人称としてではなく、三人称としてとらえる視点というか、外から勝手に愛でる立ち位置といったらいいのでしょうか。
    早い話、相手のキャラに自分に対して媚びられたくないのです。うざいし、面倒くさいわけです。エロマンガで身勝手な性行為が描かれていて、空想上の作り話とはいえ相手にどのように納得してもらえるように後始末をつけるのだろうと考えると、萎えてしまうことがあるのですが、それに通じる面倒くささです。
    変にエロい服装をしたり、お色気視線で媚びたりするのではなく、ごく自然にしていても勝手に芽吹くように湧き出だしてくるかわいらしさ(エロ?)を、相手に対する責任の生じない立ち位置から第三者の視点で愛でたいという願望が「萌え」につながるのではないかと感じています。
    で、「サルまん」における技術論としては、漫画において読者にあからさまな媚びを感じさせることなく媚びる技法みたいなものに興味があります。

  90. Rick より:

    フェチと萌え。
    ヤンサンのフェチ漫画「日本一の~」のネタですが、
    同好の士を求めて、カミングアウトしては引かれる主人公のフェチ遍歴が
    「女相撲>足の裏が汚れてる>でも土踏まずだけ白い」
    と、言った様に、あくまで「要素の細分化」として表されていました。
    しかし、眼鏡っ娘萌えが、
    「眼鏡>丸眼鏡>フレームは金」とはならないでしょう。
    萌えは「要素の重層化」として表されるのではないでしょうか?

  91. rin より:

    めたろうさんの説にとても共感を覚えました。
    私もある程度の世代までは、作品を作品として直接受け取り、分析・批評・評価するヲタクだと思います。
    しかし最近は、作品(キャラクター)を設定情報として、一度構成要素にバラした後、自分の中で再構成したものに萌えるヲタクが多いのではないでしょうか。
    要は対象が、自分の外の作品であるか、自分の中にあるかという違いです。
    理由としては客観的なものは無いのですが、以下2点を挙げておきます。
    昔のヲタクには、「○○って作品の第何話の、何分何十秒の何フレーム目からの動きが素晴らしい」的な詳しすぎる知識を語る人が多かった様に思いますが、最近の若い世代ではあまり見ないような気がする点。
    最近の萌え文化の中では「××(キャラ名)は俺の嫁」とか「俺の××」という言い回しをよく見るが、昔はあまり聞かなかった気がする点。
    問題なのは、仮にこの仮説が正しかったとすると、今の萌えでは、元の作品や元のキャラは、あくまで設定情報の提供元であり、実際の萌え対象とは異なる点です。
    このエントリのコメント群を読んでいて、大筋の流れに違和感を感じるのは、"萌えキャラは自分の心の中にいるものなのに、その元作品を分析して萌えを定義づけようとしている"部分なのかなとも感じます。
    また、一部の論は「男性の萌え」に特化して、母性等を持ち出してきておられる件ですが、萌えは男女ともに共通の法則で語られる筈だと私は信じています。
    女性が感じる萌えを分析の材料に加えると、道筋が見えて来やすいのではないでしょうか。

  92. くっぱ より:

    「萌え」はエロなのかという点について、あからさまにエロを目的とした文脈ではないにもかかわらず、その中に自ら密かにエロ的な要素を見出して惹かれるという感じなのではないかと思います。エロ本もっていたら誰かからエロ認定されても言い逃れできないけれど、萌えに関してエロいと言われたら、エロいと言った人の方がエロいみたいな。
    たけくまさんの動き萌えも、世間的にはエロを目的としていると認定されるようなシーンではないので、やはり萌えなんだと思います。
    フェチについてですけど、私はフェチには2種類あると感じています。一つは、「こんなメガネをしているから、かわいいくてたまらない」で、もう一つは、「こんなかわいい子がメガネをしているから、たまらない」です。前者は萌えではなくて、真性フェチなのかなという気がします。

  93. 匿名 より:

    http://www.typemoon.com/
    http://www.nitroplus.co.jp/pc/
    http://www.groover-info.net/
    この系統の絵を見て、感じるものを各自が勝手にのべているだけなのだろう。確かにこういう絵柄がひきおこす感情は、エロとかわいさと何かがまじった今までにない感情だとはいえる。

  94. [創作メモ] 萌えはキャラへの初恋ではない。必ず2度目以降の恋である。

    「萌え」とは、「特定のキャラ属性を持つキャラクターに対する、受動的な全肯定の感情」のこと。 そして、その感情は「好みのキャラ属性についての分析と自己認知を伴う」のです。 これが、くろいぬ版「萌え」の定義。 次に、萌えの構造分析について。これが今回の本題。 萌えがどのように生まれるか、と言うお話です。 萌えは、フェティシズムに似た(というか、それを含む)3種の「萌え要素」のどれかからスタートします。 1.身体の一部・装身具などの「パーツ(表象)」に対する「フェティシズム」 2.物語性の…

  95. Rick より:

    T.I.D.の感想を読みました。それで、以前のコメントを修正します。
    ・萌えは「キャラ」のみで成立するので、「ストーリー」は(必ずしも)必要無いが、
    最低限「リアクション(のライブラリ)」を必要とする。(ex.ツンデレ)
    つまり、「保護欲を喚起するリアクションをおこしているキャラの絵」が、
    私の「萌え絵の(一応の)定義」となりました。

  96. 骨男 より:

    ようやく落ち着きつつあるところにすみません。(笑)
    >rinさん
    僕は、誰が最初に言い始めたのかはわからないにしても最も初期に「萌え」と言うい始めたのは男性オタクコミュニティだったと思っています。
    女性はその後、影響を受ける形で使い始めたのではないでしょうか?
    ですので、萌えは男女共通の法則で語られる」との見解では、それは「狭義(黎明期)の萌え」ではなくって、その少し後のやや「広義の萌え」になってしまうと思います。
    その段階での男女共通「萌え」の意味を探るのも面白いですが、どうせなら「狭義の萌え」を考察する方が面白いと思いますし、さるまんのネタとしても男性の側からの勝手な思い込みで押し通した方が笑えると思います。もちろん、これはたけくまさんが判断することですけれど。
    ところで、言葉としての「萌え」のは、その当時の男性オタクの脳内で『既存の「好き」では表現しきれない何か新しいもの』が生まれ(もしくは意識され)、それを言語化したものだと考えています。ですので、この『何か新しいもの』が何だったのか?が重要なのですが、これまで僕はそれを『男性の母性から湧き出た「保護愛」のような感情』なのではないか?と考えて、主に「感情」に注目してきました。
    しかし、既にお気づきの方もいらっしゃると思いますが、それだともうひとつの重要ポイント「属性萌え」がポッコリと抜け落ちてしまっています。
    実はそれはわかっていたのですが、「属性萌え」は「萌え」と言う言葉が生まれた後で発展した概念だと考えてそれは深く追求せずに、逆に「属性萌え」から逆アセンブルする形で「男性版母性愛(保護愛?)」にたどり着いたつもりでした。
    ですが、やはり多くの方がこの「属性萌え」を中心概念に据えています。
    どうなのでしょう?
    当時、「萌え」と言い始めるきっかけとなった『新しいもの』は、新しいキャラ認知プロセス=「属性萌え」だったのでしょうか?
    それとも、男性にとっての何らかの「未体験感情」だったのでしょうか?
    この文脈では僕の「男性版母性愛」仮説は『新しいもの』=「未体験感情」であった場合のひとつの仮説ということになります。
    「未体験感情」の候補には他にもいろいろ考えられると思います。

  97. 骨男 より:

    もう一回だけ。(すみません)
    「母性愛」とか言うと古い精神分析用語みたいで怪しいですね。
    「男性版母性愛(保護愛)」は動物行動学者のボウルビーが提唱した「愛着理論」の「愛着」の一種、と言い換えてもいいかもしれません。
    あと、僕は全然現役では無いです。というかおもいっきりオヤジです。
    ただ、ゲーム業界にいましたのでその筋の人はたくさん友人にいますし、大雑把には最近の動向もわかっているつもりです。
    それに、現役の人と同じには萌えませんが幾つかの属性には一応引っかかってしまいます。(笑)
    そのときの感情がキャラクターに擬似恋愛したときの感覚とは違うことは実感できます。(あくまで僕の主観ですが。)
    一連の意見はそういう自分の感情や本、ネット上の書き込みなどを元に考えています。
    ですので、たぶん飛んで行ったりはしていません。(笑)

  98. 1026 より:

    >骨男さん
    飛んでいってませんか。失礼しました。(笑)
    歴史的な話だと本当に「萌え」が使われ始めた頃に立ち会われたぼぼさんの方が説得力ありそうですので、個人的な経験を中心にした話を。
    僕は1971年生まれ35歳で玩具業界に身を置いています。
    小学校高学年ぐらいからミンキーモモやななこSOS(漫画版のイラスト)に心動かされる記憶があり、一世代上のオタク第一世代の存在を感じつつオタク道を進んでいたと思います。
    この頃のオタクは好きなキャラに対して「ファン」とか「好き」とかぐらいの言葉しか持てなかったと思います。
    でも、これら言葉は二次元キャラに対して使う事ははばかられる言葉で、惹かれるものを感じていたとしても素直に好きと言う人間に対してヤバイやつといってしまうような、「こいつアニメキャラの事好きなんだぜ」と言われて「ちげ〜よ!」と言ってしまうような素直になれない状況が続いていたと思います。逆に開き直って喝采を浴びる状況もあったと思いますが。
    「萌え」という言葉を聞いたのはエヴァ放送に前後していたと思います。
    いくらかの証言にありましたが、「宇宙英雄物語」や「ラムネ&40」が支持を得ていた頃で「燃える」という言葉を流行り言葉として使いやすい状況があました。僕は確認してないですが、人気があったキャラクターも確かにセラムンの「土萌ほたる」や恐竜惑星の「鷺沢萌」が居て、言葉遊びとしてそう言われる事はあっただろうなと思います。
    この言葉を知った時、以前から感じていたキャラクターに対する感情をある意味非常に素直に表現出来るうまい言葉だと思いました。
    ですから、この言葉が広まったのも納得するものでした。ただ、他の人が全く同じ感覚を持っていたのかは流石に不明です。
    (ここまで書いててバッックボーンにオタクである事のねじれが現れてるなぁと思った。だからこだわってんだな)
    僕が「萌え」を知ってから割とすぐに女性も「萌え」を使っていたのを記憶しています。
    属性が出てくるのはその後か同時期の事だと思います。
    それ以前にも狙った女性キャラ集団がある場合ロリキャラ・長髪・ショートなど多少属性めいたものはありましたが、現在のものほどシステマチックに作られていなかったし、そこまで舞台裏を感じさせる事も無かったように思います。

  99. くっぱ より:

    こんばんは。
    商業的な萌えという観点から考えてみたのですが、今流行っている萌えというのは、服装などのファッションと似たような面があるような気がします。ファッション雑誌がファッションアイテムの組み合わせパターンを提案すると、その読者である一般ユーザは、提案された着こなしパターンの中からどれを選ぶかというセンスを自身のオリジナリティとするように、萌えの場合にも、すでにラインナップされている萌え属性のいくつかをさまざまに組み合わせたキャラが提案され、そのどれを選ぶかというだけの話になっているのかなと感じることがあります。
    もしそうだとすれば、絶対にヒットする組み合わせの法則とか、単独では萌え属性でも組み合わせると実は萎え属性になってしまう禁断パターンなど、儲けるための萌え属性の組み合わ論みたいなのは、「サルまん」のテーマとして面白そうな気がします。
    あと、属性萌えに関連して往年の「綾波レイの眼帯」萌えみたいなものについて考えてみたのですが、これって単純に「眼帯」に対する属性萌えなのかというと、そうとは言い切れない部分があると思うのです。どちらかというと、たけくまさんの「岩根山ルリ子ぶるぶる震え」萌えや、手塚治虫氏のメタモルフォーゼに強いエロスを感じるというあたりに近いものがあるのではないでしょうか。個人的には、子供のころ「銀河鉄道999」を読んでいて、レントゲンをさらして恥らうメーテルに萌えた記憶があるのですが、いずれも体細胞の自立組成みたいなものを通してカワイイ女の子の生物としての実在感を意識させられるあたりが共通しているような気がします。
    でもこの萌えって、キャラに付随するのではなくて、ストーリーに付随するんですよね。商業的には、ストーリーなしにキャラだけで萌えが発動できるならそのほうがコスト安なわけで、属性萌えキャラが数多く供給される現状は必然なのかもしれません。

  100. くじら日記 より:

    萌えとフェチの違いはこれかな

    たけくまメモで今回「萌えとフェチの違い」ということが問題になってますが、それについて考えたことがありましたのでトラックバックさせていただきます。 いきなり結論ですが、萌えとは視覚と聴覚により生まれるもので、フェチは五感から生まれるものではないでしょうか。 …..

  101. bough より:

    ある女性的対象から物にスライドされた享楽(ラカンの定義で言うならば)をフェチとするならば、萌えは契機から女性性を探り出し、定められた男性による女性的快楽を無限に彼方に見いだそうという運動、例えて言うなら「幻想崇拝」だと思うのです。(IF戦記やRPG的物語も同軸にあると思いますが、さておき)
    幻想ですからありとあらゆる現実を矛盾したまま受け入れても矛盾は発生しないし、むしろ非現実的で単純であればあるほど、欲望に適した言説・グラフィックが可能になり、非倫理的であっても欲望に最適化された快楽が広範に存在し得るのだと思います。実際キャラの人格で我々は萌えず、キャラのカテゴリーや歴史・言説、言い換えるなら「物語」ではなく「属性」という放蕩で萌えているのですから。物語は死に、商品だけ魔術として存在するパンキッシュな時代に既に我々は生きてしまっているわけで。
    萌えにおける主な快楽テーゼが近親相姦(妹萌え等)であったり、封建的(メイド)であったり、工場的(後輩)であるにもかかわらず、萌えにおいて女性が幻想的で男性が現実的でなければいけない男性の根拠は何か?僕としてはいわゆる「ふたなり」にその回答があるような気がしますが、それはまたいずれ。
    結局、萌えを語るという90年代的サブカル幻想も、それを笑い飛ばす80年代的サブカルも、
    今はきついんじゃないッスかね。
    やって欲しいですけど……

  102. 匿名 より:

    長文は自分のブログに書いてリンクするなりトラックしたほうがいいでしょう。

  103. より:

    私は猫好きでして、特に子猫なんかは腰が砕けるほどに。
    私の中で『萌え』とはこのような感覚だと理解してるのです。
    で、これは明らかに『フェチ』じゃないと思います。
    『純愛』でもない。『偏愛』?

  104. sima より:

    萌えというのは、萌える絵を描く技術と不可分である。だから、絵なしに、頭の中であれこれいっても空論でしかない。

  105. 【´Д`;】萌え論争マトメ 3【たけくまメモの】

     ・・・べ、別の意味でもうマトメちゃいましょう!でも、なんだかんだ言って、一番下のマトメを見てしまえば、この連続エントリー読まなくてもだいたいわかります Orz

  106. ・男の手がまだ触れない
    ・恋知り初めし頃
    みたいなことでけりはつかないんですか?
    で、性「格」は様々、と。見かけも様々、と。
    おそらく、非処女に萌える向きは、いないんだと思いますが。

« | トップページ | »