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2006年3月2日

俺と萌え(番外2)斉藤環氏とのやりとり

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2月26日に「俺と萌え(番外)萌えとフェチは違う?」でちょこっと触れた斎藤環氏の発言に関し、俺が若干誤解したまま書いてしまった部分があり、それに対し翌27日、俺のmixi日記のコメント欄で氏から「真意の説明」がありました。

いまさら解説するまでもないでしょうが、斎藤環氏は『社会的ひきこもり』(PHP研究所)などの著作で著名な精神科医であります。またラカン派心理学者の立場から、『戦闘美少女の精神分析』(太田出版)『博士の奇妙な思春期』(日本評論社)『フレーム憑き』(青土社)などでマンガやアニメにおける「おたくと萌え」の問題に対し自説を積極的に発表されている論客であり、俺と同世代の友人であり、そして立派な「おたくオタク」(オタクに対してオタク的に追求する、ある意味典型的なオタク)でもあります(笑)。

医学者としての氏が「オタク」に注目した理由は、臨床の現場で日々「ひきこもり」の人たちと接するうち、それとは親和性が高いものの異なる存在である「オタク」の生き方に注目し、ひきこもりを「治療」する極めて実践的な方法論として、彼らに「オタクの勧め」を説いたところにあります。氏は「趣味の場やインターネットを通じたオタクのコミュニケーション能力」に触れ、これが「ひきこもり」との決定的な差異だという考え方をもたれています。

斎藤氏のユニークさは、世間で言われるようにオタクは決して非社会的な存在ではなく、むしろ「社会的な存在なのだ」と主張したところにあります。これは多くのオタク論の盲点を突いた視点であると言えます。

ところで俺はこのブログとは別に友人知古限定のmixi日記をやっております。始めたのは「たけくまメモ」より古く、初期は「たけくまメモ」と同じような内容を書いていました。今はこちらのブログ更新で手一杯で、「たけくまメモ」のURLリンクを貼って友人向けのコメントをもらうだけという、手抜き状態に陥っております。しかしmixi備え付けの別ブログリンク機能を使わず、URLをいちいち貼っていますので、mixiのコメント機能は独立して使えるメリットがあります。

斎藤氏は、最初は「たけくまメモ」にコメントをつけようかと思ったそうですが、こちらのコメント欄の流れに遠慮してmixiの方にコメントしてきました。一読して斎藤氏の立場がよくわかる重要な文章だと思いましたので、斎藤氏の許可を得てこちらに転載するものです。

以下、当該エントリに今一度目を通されたうえで、斎藤氏と俺のやりとりをお読みください。自分のコメントに手を加えたい欲求にかられましたが、氏のコメントは原文ママですので、誤字を除いては俺のも原文ママで行きます。

http://memo.takekuma.jp/blog/2006/02/post_6392.html

2006年02月27日 13:02 penta(斎藤環)

「たけくまメモ」にコメントするのはなんか気が引けるのでこちらに書かせていただきます。

>実は精神医学者の斎藤環さんからも似たようなこと(フェチと萌えは違う)を言われ
>たことがあって、ただそのときは特に議論を深めるまでもなく、それっきりになって
>いました。斎藤さんの真意はよくわからないんですが、今度会ったら聞いてみたい

いや、精神分析の大前提として、両者に本質的な区別はつけられません。それは「ロリ」と「ペド」が本質的には変わらないのと同じ意味です。
そういう前提の上で、あえて違いを指摘するなら、以下のようになります。たしか『戦闘美少女』にも書いた気がするんですが、私が考える違いは主に二つあります。

(1)「萌え」には「実体」は要らない。というかむしろ実体はないほうが良い。基本的に「フェチ」は対象物の「実在性」が不可欠です。じゃあ例えば、実体のない「巨大女フェチ」はどうかと問われれば、彼らに話を聞いた経験から考えても、あのあくなき実体化志向はやはりフェチであって「巨大女萌え」ではないな、と。言い換えるなら、フェチは素朴実在論であり萌えは観念論というのが私の整理です。

(2)フェチは「部分」で、萌えは「全体」に対する嗜好と考えます。下着フェチは下着所有者の人格を必ずしも必要とはしませんが、メガネやアホ毛に萌えるとしたら、やはりそれらを所有するキャラクターという全体性が欠かせないのでは。もし本当に「萌え要素」だけでOK!と言う人がいたら、その人はもはや「メガネ」という文字だけでOKな筈なので、そのときはフェチ認定したいと思います。

だいたいこんな感じです。萌えをめぐる論議、ますます活発化しそうですね。「おたく」の定義をめぐる議論を懐かしく思い出しました。私も基本的には、定義とかうるさい縛りをもうけず、みんなで心情吐露しあうのが一番面白いと思っています。 斎藤環

2006年02月27日 13:20 penta

追記です。長くてすみません。
「動き萌え」はフェチだと思います。なぜなら「運動」は観念化できない「部分的実体」そのものだからです。じゃあ実体のあるフィギュア萌え声優萌えはどうかというと、こちらは明らかにキャラ性優位なので「萌え」で良いわけです。
とまあ大体、そんなようなわけのものであります。

2006年02月28日 15:12 たけくま

>pentaさん

実はあのエントリをアップしたあと伊藤剛くんからまさにそういう指摘がありました(斎藤さんの立場では萌えとフェチは区別つけられないはずだと)。それでAMI(竹熊註・ポルノも含むマンガ表現全体を擁護するための活動団体)の同人誌で斉藤さんを交えた「萌えとフェチ」を巡る対談(ふたなり対談)も読ませてもらいました。そこではやはり「萌えとフェチは本質的には同じ」という前提のあとで、しかし萌えは2次元で、フェチは3次元のものという「区別」を斎藤さん自身されており、さらに参加者のぼーじゅ氏の「3次元から2次元にすることで、切り捨てられてしまうものがあるんじゃないですか」という言を受けて

斎藤「それはすごく重要な事だと思いますね。(中略)そこが論じられてないと萌えとフェチが並べて論じられてしまう傾向が出てしまうと思う。僕はやはり萌えっていうのは、切り捨てた後に生じるものという気がしますねえ。」

と、「萌とフェチとは違う」文脈の発言があるので、僕も伊藤くんも「どっちなんだ」と思ってしまったという経緯があります。

しかしこの斎藤さんの書き込みでよく理解できました。斎藤さんは萌えとフェチについて「あえて違う点を述べるとすれば」ということで違いを語られているわけですね。「萌え=全体への欲望」 「フェチ=部分への欲望」とすれば、僕にもわかります。

斎藤さんはお忘れかもしれませんが、例の「テヅカ・イズ」の紀伊国屋トークライブの後の喫茶店での雑談で、動き萌えの話をする僕に対して斎藤さんが「それはフェチじゃないかなあ」とおっしゃったので、僕は斎藤さんの意図をはかりかねたわけですよ。あのときもう少し突っ込んでお聞きすればよかったですね。

最後に、動き萌えについて一言付け加えますが、たとえば『千と千尋の神隠し』を見ると分かるんですが、千尋が石段を昇るときの動き方は作品中では千尋固有のものです。(特に異世界に紛れ込んだ直後、まさに小さい女の子がするように、一段登るたびに両足をそろえる動きをする。物語の後半、千尋が成長するにつれてこの動きはなくなりますが)

宮崎駿は千尋のキャラクターを立てるうえで、明らかに「キャラ固有の動き」を含めて考えていると思われるのですが、これは「キャラ性優位の動き思想=萌え」ではないのでしょうか。

ただこれは物語につれて(あるいは千尋の心境の変化につれて)動きも変化するので、「固定したキャラ=萌え」とすると違うのかもしれませんが。

あと、この斉藤さんの書き込みは大変参考になるので、僕とのやりとりを含めて「たけくまメモ」に転載させていただきたいのですが、よろしいでしょうか。

2006年02月28日 16:26 たけくま

動き萌えについての補足です。千尋よりもっと良い例と思うのは『ベティ・ブープ』なんですが、ベティには特有の腰をくねらせながら歩く動きがあり、これは作品を通じて変化しません。「プ・プ・ピ・トゥ」という嬌声とともに、ベティというキャラクターを象徴するものになっています。それが戦後になってマリリン・モンローがマネして、有名なモンロー・ウォークになったという経緯があります。さらにいえばモンローのコケティッシュなしゃべり方もベティのマネです。

こんなしだいで、僕などにはベティの特有の歩き方を含めて「キャラ」だという認識があるのですが、これはどうでしょうか。ちょっと古い例で恐縮ですが。

2006年03月01日 04:41 penta

お返事ありがとうございます。
なるほど、「動き」の固有性ですか。
でも、その「動き」が誰のものかで違ってくる部分もあるでしょうね。千と千尋の「動き」について言えば、私はそこにどうしても「作家の固有性」を感じてしまい、「千尋に萌えているパヤオに萌える」という複雑な回路がそこに生ずるようです。私の考えでは「作者萌え」は萌えの本質のひとつなので、萌えで良い、ということになります。
ベティさんの例はさらに重要で、まさにモンローがそうしたように、「動き」は簡単に転移できますね。もしその動きがベティさんのものであれモンローのものであれ萌えられるなら、動きとキャラは分離可能なものとなり、だとすればやはりフェチ的なものなのでは。
それと、私の立場は精神分析なので、そちらの言葉を使わせていただくと、私なりの区分では
・萌え対象=イマジネール=想像的なもの
・フェチ対象=レエル=現実的なもの
となり、もしこれが成り立つなら話は簡単です。
萌え対象はキャラの視覚的属性に全面的に依存し、フェチは視覚以外の属性に依存することになります。すると「運動」の認識は視覚のみでは成立せず、それ以外の感覚を動員してしまうがゆえに「現実的」であり、よってフェティッシュにほかならない、とこうなります。
面白いのでいろいろ理屈を書きましたが、別に私はこの結論には固執しません。あくまでも私なりの区分です。

それと、引用転載はお任せします。むしろ光栄です。

2006年03月01日 08:17 たけくま

↑「作者萌え」とはまた面白い概念を出されましたね。
まさしく僕は「作者萌え」でもあります。
「エヴァ」のとき、QJで東浩紀くん大泉実成さんと鼎談したんですが、大泉さんは綾波萌え、東くんがアスカ萌え、俺は「誤解を招く表現かもしれないが、庵野萌えです」と言ったことがありました。

どうも僕は思春期に入ったあたりからクリエイターの立場で作品を見るクセがあったようです。

2006年03月01日 10:01 penta

早朝に書いたので論旨に乱れが(笑)。
ちょっと補足すると、動き萌えは、基本的にはフェチなのですが、作者萌えに変換された時点で萌えに変換される、ということになります。よろしくお願いします。

2006年03月01日 11:39 たけくま

↑了解。

(※以上、ここまで)








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| コメント(208)

“俺と萌え(番外2)斉藤環氏とのやりとり” への208件のフィードバック

  1. マリネ より:

    千尋の動きの変化は、見たときにも全然気付きませんでした。
    「作者萌え」というものがあることを知らなかったです。すごく新鮮です。
    評論家は口先だけで、だったら自分がやってみろ、と
    職人気質の友人は言うのですが、
    最初に書いたような、新しいものの見方を発見したり、得たりすることは
    楽しいことだと言い返したいです。

  2. ネコ船長 より:

    萌えというものの定義が恐ろしくあいまいだから、論理展開さえ
    きっちりしていればフェチにも恋にも恐怖症にも持っていけそうな
    気がしないでもないですが、こういった話のつみかさねで
    意味が決まってくるんでしょうね。
    なんだかここで語られてる萌えはおいらの萌えとは違う気がしますが
    ま、それもまた定義のあいまいさってことで

  3. より:

    宮崎駿氏の場合、アニメーション映画で監督をやりながら
    全カットのレイアウトと原画の修正にかかわっているという
    ものすごく例外的な仕事をしている方ですので、
    だから、キャラクターの動き→「作家の固有性」という
    回路が形成されるんじゃないでしょうか。
    他のアニメの場合、動きに反応したところで、
    動き→各カットを担当したアニメーター→指示した演出→演出を指示した監督、
    という回路になりますんで、「作家の固有性」が必要となる「萌え」に
    達する人はごく少数になるのではないかと。
    アニメは集団制作なので、どのシーンをどのアニメーターが担当したか、
    という情報に焦点を当てている媒体(例:「アニメスタイル」)もあります。
    これは「職人芸」を鑑賞する姿勢ですので、しいていうなら「フェチ」に
    属すると思われます。
    よって、動きから「萌え」をつなげてみるのは、竹熊さんが宮崎ファンだからで
    あって、アニメの見方としては少数派なのでは、ということです。
    しかし斉藤さんは、宮崎氏を尊敬しているわりに、2ちゃんを中心に
    使われている呼称「パヤオ」を使っているんですね。

  4. より:

    >斉藤さんは、宮崎氏を尊敬しているわりに
    補足しておきますと、斉藤さんは
    「パヤオはロリコンだ」
    「ロリコンだからこそすばらしいんだ」
    「少女好きだから生産性が高いのだ」
    という、ややこしい尊敬の仕方ではあります。
    「不能のペド」扱いをしていましたし。

  5. apg より:

    おーなるほど、解りやすいなあ。
    2次元に変換される時に切り捨てられるものが「実体性」ですか。
    とするとやはり、このあいだから言われている「広義の萌え」と「狭義の萌え」に
    違いはないってことになりますね。
    「実態のないモノに対する観念的嗜好」で、
    ひとくくりにできてしまいますね。
     
    言われてみれば「作者萌え」ってありますよね。
    ぼくは「ジョン・K萌え」です。(知ってる人いますかね)

  6. たけくま より:

    「作者萌え」について僕の立場から少し補足しますが、これは現実の作者そのものに萌えるのではなく、作品内部に明確な作者性が刻印されている場合(宮崎・押井・庵野作品のような)、その「作者性」を重要な作品の構成要素として「萌える」ということなのだと思います。アイドルのファンに似ていますが、もう一段抽象性が高い感じです。
    たとえば僕は「宮崎アニメ」や「押井アニメ」を見て、彼らのファンになりましたけれども、別に本人に会おうとは思いません。
    宮崎氏には『ラピュタ』制作時期にインタビューしたことがありますが、これは仕事の必要上でした。ファンとしては特に会いたくありませんが、仕事としては別です。『エヴァ』のときも、もちろん仕事目的でした。しかしなまじな「作者萌え」としては、仕事で本人に会ってしまうと客観性を保つことが困難で苦労することがあります。

  7. apg より:

    「動き萌え論」が「作者萌え論」に覆されたようですが、
    静止画の場合は絵そのものに萌えたことになるのに、
    描かれた絵が連続して、「擬似的に」動いているように見える、となると、
    とたんに「作者萌え」になってしまうのはどういうことなんでしょう。
    動きに「観念的なもの」が入っていることはないのでしょうか?
    それがアニメーションなのでは?

  8. 外野素人 より:

    たしかになあ。
    竹熊氏がパヤヲ本人に萌えだったらドンビキだわなあ。

  9. たけくま より:

    >apg さん
    上でのやりとりはライブのものなのでなんとなく作者萌え話にシフトしてしまいましたが、それはそれとして、僕もapgさんと同じ意見です。(もともとそういう意味で論旨を展開していたつもり)。
    「作者萌え」は「作者萌え」としてある一方、「動き萌え」はやはり「萌え」として存在するのではないかというのが僕の考えです。本論を再開するときに、もう一度そのことに触れる予定です。
    上で上げたベティの例は、10年くらい続いたシリーズで複数のアニメーターがかかわっていて微妙に違いがあるものの、初期にベティの歩き方が確立して以降は基本的に「同じ動き」を踏襲しています。アニメーター固有の手癖だけではなく、あきらかに「ベティ固有の歩き方」があるのです。
    モンローが動きも含めてベティのマネをしたのは、一種のコスプレ感覚と考えたほうが近いと思います。戦前におけるベティの人気はミッキーマウスと人気を二分するほどの存在で、しかもアニメ史上、ほとんど初の「お色気」を武器にした「アニメ女優」でした。
    http://www.bettyboop.com/
    http://www.everwonder.com/david/bettyboop/
    (↑ベティの声も聴けます)
    僕が特に面白いと思うのは、ベティの主題歌に「彼女はペンとインクでできている」という一節があることです。もともとフライシャーの初期作品に「インク壺小僧」というのがあり、毎回インク壺から道化師のココが合成画面で現れて「実写の世界」でイタズラをするというパターンで出来ていました。「実写の世界」に「ペンとインク」のキャラが登場するという面白さがうけたわけです。
    ベティは基本的にはオールアニメ作品ですが、道化師ココも登場し、一緒にインク壺から実写世界に登場する回もあります。最初から「虚構」であることを強調することで、アニメそのものが本来持っている「脳内のみに存在する虚構の生命感覚」を表現しているのです。
    映画評論家の故・淀川長治や小森和子はリアルタイムで『ベティ』を見ていたクチですが、戦後モンローがデビューしたとき、ほとんど直感的に「ベティのマネだ」と思ったそうです。当時の映画ファンには、モンローがあれを意図的にやっていることは自明で、しかもアニメの動きや声を生身の女優がやる逆説的な面白さがうけたのではないかと思います。

  10. Aa より:

    なんだかつまんなくなっていますね。
    斉藤氏のおたく論はあんまり感銘をうけませんでした。
    『戦闘美少女』なんてお金をとるだけでもおこがましい代物だと
    いまでも思っております。

  11. apg より:

    >Aaさん
    そうですか?人間の精神から湧き上がってくるものを扱う以上、
    精神分析的アプローチは聞いておいて
    損はないと思うんですけど。
    非難するつもりはありませんが、骨男さんや、くろいぬさん、
    ほかにもたくさん意見がありましたけど、どれも
    「萌えオタの、萌えオタによる、萌えオタのための萌え論」という感じがして、
    いまいち視点が近すぎる感じがいなめないんですよね。
    そういう意味で、精神分析医として活躍なさっている方の意見は
    大変参考になると思いますが。
    視点の多様性は大事ですよ。
    萌えオタの方の論理は比較対照の範囲が狭い感じを受けます。

  12. 匿名 より:

    折角なのでこちらも参考に>皆様
    http://www.hirokiazuma.com/project/ml-reviews/sentoindex.html

  13. FSR より:

    >apgさん
    >ぼくは「ジョン・K萌え」です。(知ってる人いますかね)
    ジョン・K・ペー太でしょうか?
    成年向け作家ですよね

  14. apg より:

    >FSRさん
    誰ですかそれは?(笑)
    面白いペンネームですね。
    さるまん第一話を思い出してしまいましたよ。
    ジョン・Kはアメリカのアニメ作家です。
    「レン&スティンピー」とかの。
    ところで上の網状言論、これ読まないで
    萌えを語っちゃいけない気がしてきました。
    勉強になります。

  15. 1026 より:

    僕も分かりやすかったですね。
    もっとも語られているのは属性とフェチに関わる部分のみですが。
    細かいツッコミですが、千尋の動きは作画監督を務められた安藤雅史さんは子供独特のくにゃっとした動きを表現したかったそうで、その事はキャラ表にも現れています。
    宮崎駿がそれをどう思ったのかは不明ですが、どうも戦いがあったようで、最終的にはおなじみの宮崎キャラの動きがメインになってしまったという事です。
    安藤雅史さんは本当にあの方針でいけなかったのか忸怩たる思いだったようですが。

  16. 骨男 より:

    「広義の萌え」と「狭義の萌え」ですがこの区分け自体も幾つかの意味合いで使われていますね。
    僕が「バンパイヤ」のエントリーのときに書き込んだときの意図は
    「広義の萌え」
    「趣がある」「ぐっと来る」「琴線に触れる」とか言うような意味で応用範囲の非常に広い汎用語。
    「この車のデザイン萌えるなあ。」とかもあり。
    恐らく萌えオタク以外の人たちが使う場合にはこちらの意味が多く、個別には「かわいい」、「かっこいい」等、従来の言葉と置き換え可能な場合が多い。
    「狭義の萌え」
    対象は明確にキャラ。
    恐らくエロゲーやロリ系漫画、アニメの系譜から生まれたものであることは間違いないが、つまるところ何を意味するのか?には明確な合意見解は得られていない。
    で、この意味での「広義の萌え」は考えてもあまり面白みが無いので、「狭義の萌え」を考察しましょう、と提案したつもりでした。
    「動き萌え」は、「トラちゃん」の例では「ぷるんっ」がトラちゃんのキャラと分かちがたく一体になっているわけではないので、純粋に「動き」にぐっと来たのだとするとそれは「フェチ」だと思います。
    「作者萌え」はどうなんでしょう。「作者性」を重要な構成要素として「萌える」ということですので特にキャラとは関係ないようですし、従来の「この作者の作品のXXなところが好きだ」とどう違うのか良くわかりません。
    もちろん、二つとも上記の「広義の萌え」の意味では「萌え」と言えますが、この意味ではおよそなんでも「萌え」と言えてしまうので、「萌え」定義オタクとしては面白みがないです。
    今まで「萌え」とは言わなかったようなケースで「萌え」と言うと、新鮮で面白い感じがするのは事実ですので僕も普段はそういう使い方もしていますけれど。

  17. apg より:

    うーん、本当に
    >「ぷるんっ」がトラちゃんのキャラと分かちがたく
     一体になっているわけではないので
    しょうか?
    一体になっている可能性はありませんか?
     今日はもう帰りますので、また明日参加させていただきます。

  18. やじ より:

    動き萌えの例示が、フェチも両存してしまいやすいもののように思います。
    形状や質感が切り離せていないな、と。
    Z.O.E-Doroless,iというアニメ作品では、
    非常に記号的な萌え動作を巨大ロボが行います。
    声によるものも大きいですが、
    萌えの不思議な有り様がそこにあったと思います。

  19. やじ より:

    綴りをおもくそ間違ってました。Dolores,iです。m(_ _)m

  20. なっこ より:

    「作者萌え」ってのもあるのですね…。
    その作品を描いていた時の作者を想って、きゅんとしてしまう気持ちも、そう表されるのかなと思いました。

  21. Aa より:

    >>apg さま
    >そういう意味で、精神分析医として活躍なさっている方の意見は
    むしろ肩書きに振り回されないことこそ肝要でござろう、ご同輩。

  22. 骨男 より:

    あ、書き忘れ。
    ベティちゃんの腰フリ歩きはそれがキャラになっているので、そういう認知を一旦確立した後の腰フリ歩き属性への「萌え」ですね。
    >apgさん
    トラちゃんと同系統のキャラが「ぷるん」を行うことがすでに認知されているならそれは「萌え」と言えると思いますが、今のところそういう例は思いつきません。
    少なくとも日本のアニメはリミテッドの方向で進化した関係上、こういう繊細な動きの例は少数だと思います。
    もちろん、今後このような「ぷるん」が「萌え属性」に加わる可能性はあると思います。例えば、このブログを観たアニメ製作者が意識的にこれをキャラ表現にして繰り返せばを「萌え」になると思います。
    ところで、視点を多様化するならば僕は精神分析よりも認知心理学や脳科学、動物行動学、進化論の方をお勧めします。

  23. naga より:

    > 萌え対象はキャラの視覚的属性に全面的に依存し、
    >フェチは視覚以外の属性に依存することになります。
    なるほど、『臭いフェチ』は有りますが、
    『臭い萌え』なんて、聞いたこは無いし。
    『音萌え』なんて聞いたこともないし…
    ただなんか『触感萌え』は、ありそうな(無いかな?)
    『動き萌え』と『作者萌え』は、
    あまりに『たけくまさんの個人的な嗜好』がつよいような。
    『動き萌え』の方は、どなたか試験的に、
    『たけくま』さんが感動した動きと全く同じ動きをするモノを、
    別のキャラクターにして、それでも『たけくまさん』がその動きに、
    『萌え』たらその『萌え』は有りそうですか…
    (『作者萌え』に関しては知らん)

  24. 外野素人 より:

      視点の多様化のために動物行動学や進化論をもちだされるとは、さすがに「萌え」定義オタクを自称される方だけのことはありますな。ちょっと感激した。ワシもそんなようなことが頭にはありましたが、極端だとして荒らしにみなされそうで恐くて書きこまなかった。w
      つまり、ヒトは萌えるとしても「サルは萌えるか?」とゆう話。さらにはケモノは萌えるか? 鳥は、魚は、昆虫は、アメーバは……という議論につながる話ですな。
      いやまあ、骨男さんがこういう問題意識なのかどうかはわかりませんけど。
      それはともかく、ワシとしてはサルとヒトとのあいだに「未開人は萌えるか?」とか、縄文人は萌えたか? 旧石器時代人は、新人は、旧人は、原人は、猿人は……という話もアリだとおもう。ちなみに植物やコケのたぐいは乾燥すればよく燃えますな。
      ちがう話になりますが、「萌え」という感情が全面的に視覚に依存しておこるものだとしますと、必然的に「メクラは絶対に萌えない」ことになりますね。そしてオシ・ツンボはメアキと変わらず萌えることになる。また、フェティシズムはメクラにもオシもにツンボにもあることになる。そういう話のようによめます。
      もしこの「メクラは萌えない」ことが証明されれば、それは「萌えの定義」にこれまでよりも大きく近づいたことであるようにおもいます。

  25. ぼぼ より:

    斎藤さんの意見というのはたけくまさんの同業者の意見ということを除けば、陳腐に感じますね。
    もっとも、斎藤さん自身の興味から言うとあんまり重要性は無いのでしょうが、論理的破綻が耐えがたいので、ちとつっこみます。
    (まず第一点について)
    たけくまメモでも誰かが主張してたと思いますが、fetishというのを「物神化」と翻訳されるので対象物が「物」で集約されることに留意して、「物=実体性」が厳密には要求される立場ですね。
    「フェチ実体説」とでも呼びましょう。
    動きがフェチであるというのは、
    要するに、時間経過に伴う有体物の空間上の移動として「物理的に」観念できるからということを言いたいんじゃないかな。
    対して、「萌え」というのは「愛」なんかと似た心の動きや傾向を、表すので「実体性が無い」
    抽象化されたものだといいたいのでしょう。
    フェチ=実体;萌え=抽象という枠組みがあるわけです。
    かりにこれはこれでおいておきましょう。
    (1)
    しかし、
    >萌えは2次元で、フェチは3次元のものという「区別」
    というのは、実体を三次元、抽象を二次元と読み替えているわけですが、
    これが少し頭の悪い「決定的な間違い」なんですね。
    考えれば、実体=三次元ではありませんし、抽象=二次元でもない事は明らかですね。
    二次元でも次元が違うだけで抽象か具象かで言うと「具象」であり、二次元上の実体はありますから。
    「二次元=アニメキャラ」みたいなものを想定し「抽象化されたというイメージ」による誤解があったんでしょう。
    記号性=二次元では決してないわけです。立体でも記号を作ることはできますね。
    また、「イメージ」や「概念」は抽象化されたものですので2次元に存在しません。
    ゆえに、
    >「3次元から2次元にすることで、切り捨てられてしまうものがあるんじゃないですか」>という言
    斎藤「それはすごく重要な事だと思いますね。(中略)そこが論じられてないと萌えとフェチが並べて論じられてしまう傾向が出てしまうと思う。僕はやはり萌えっていうのは、切り捨てた後に生じるものという気がしますねえ。」
    以降の議論は全くナンセンスで「詭弁」にあたります。

  26. ぼぼ より:

    (2)
    「物神化」についてですが、原語のポルトガル語のfeiticioは、人間によって作られた「人工物」の「呪術的お守り」を言うんですね。
    英語のfactと一緒でラテン語のfacio「為す・作る」から来ています。
    本来、大航海時代に未開部族がそういう人工物artifactを信仰の対象にすることを言い表した言葉です。
    これを日本語で「物神化」とあくまで「意訳」したんですね。
    それが、後になって特定の対象に対する崇拝=性的な嗜好という風に意味が変わってきたんです。
    例えば、足フェチといいますが、「足自体」は自然物であり人工物でないのでこの用法はかなり卑属化した用法なんですね。
    そう考えてみると「物神」という表現にこだわって「物」と「三次元」「物体性」にこだわって分類することが無意味なことは分かるでしょう。
    むしろ語源的には、本来の概念的中心は「人工物」であるということなんですね。
    そう考えてみると、クリエータにより作られたコンテンツは「動き」であれなんであれ、全て「人工物」ですので、フェチの対象になってもいいわけです。
    「作家性」と言うのはまさにこの「人工性を」を人格上で抽象化したものですね。
    これを「萌え」というかどうかは感性の問題じゃないかな。
    しかし、これは「偏愛」とか「好き」とかに似てて、広義の萌え?に
    ちかい用法かと。
    たけくまさんの議論が「狭義の萌え」を看板に挙げつつ「広義の萌え」しかあつかってないような気がするという批判はすでに多くありますね。
    「俺と萌え」というより「俺の萌え」みたいな。
    まず、これを突破口にするしかないというのは分かるので、あまりつっこんでもしかたないんですが。
    (3)
    もう一点、仏語でイマジネール「想像上の」でもレール「物的な」でもどうでもいいのですが、
    これも脳内刺激という点にまで唯物論的に具象化すると「妄想まで含めて」すべて物的な人間の脳内の生体的な「電気信号」に置き換えることが出来るんですね。
    区分自体、あんまり意味が無いんじゃないですか?

  27. ぼぼ より:

    (第二点について)
    (1)
    >フェチは「部分」で、萌えは「全体」に対する嗜好と考えます。
    一方で、なぜ「萌え」が全体に対する嗜好で無ければならないのかの論理はあんまりないんですね。
    萌えが「抽象」ならなぜ、「全体という具象上の概念」を出してくる必要があるのでしょう?
    (2)
    >その人はもはや「メガネ」という文字だけでOKな筈なので、そのときはフェチ認定し>たいと思います。
    要するに、「メガネ」という「記号性」だけで十分ということでしたら。
    それは「抽象を対象とする」ことですから、むしろ、斉藤さんの見解なら
    「萌え」=想像の領域になるはずですね。
    それがなぜ、実体性を要求する「フェチ」の認定につながるのでしょう?
    前半部の主張と論理的に矛盾していませんか?
    ちと長いですね。ごめんなさい。

  28. より:

    ちょっと気になる点があったんでお話を。
    >(3)
    >「電気信号」に置き換えることが
    >出来るんですね。
    >区分自体、あんまり意味が無いんじゃないですか
    物質はすべて素粒子でできているので、酸素と二酸化炭素の区分自体あまり意味が無いんじゃないですか?という議論と同じじゃないですか。
    あくまで精神関連の専門家の立場から述べた意見ですので、「リアルに存在するもの」と「アタマで考えて具現化したもの」の差は大きいと考えているわけでしょう。
    想像の産物と、物質であることの差に精神分析上大きな差がある、という基本線があるわけですから、そうキツくならずともいいのでは。
    まぁ、実際にはこの手の話にそういった「学問上王道とされている精神の分類の仕方」が有効かどうなのか分からないですけれどね。
    そこから先は、たけくまさんや読者が「どうもこっちがホント臭い」と判断するところで落ち着くでしょーか。

  29. Aa より:

    斉藤氏がからむと結局いつもつまらなくなってしまうことはよく分かりましたマル

  30. Rick より:

    サルまんは「売れている物は全肯定」だそうですが、実際に「売れている/萌え/漫画」って何が当てはまるんでしょうか?
    「カードキャプターさくら」なら、おおよその合意が得られそうですが、それ以外は「売れている/萌え/漫画」のどれかが落ちそうで……。

  31. ぼぼ より:

    精神医学というより素朴なオントロギー上の
    カテゴリーの混乱があるわけですね。
    精神医学から言うなら人間の五感を通じて、
    知覚される感覚の総体のうちで、ある総体をどういう根拠から「リアルに存在するもの」を認識区別しうるのが可能かという議論になるべきです。
    そもそも「認知識学」に関連して「実在」とはなんなのかと。
    精神学者の岸田秀さんとかは「唯幻論」の立場で昔売りだしてましたね。
    その辺の感覚はプロの精神学者なら鋭敏であるべきなのですが、概念上の分類の混乱が多すぎるのが腑に落ちませんね。
    「想像上の」imaginaryと対になる言葉として「現実上の」realという言葉を出しているわけですが、これと、「物として実体」を持ってる
    というのはrealで単語は同じなのですが、また違うわけです。
    心理学というのは日本だと文学部心理学科であつかわれ、統計学をいじる以外は文型の学問なのですが、
    西洋だと教育学系の発達心理学などを別として理系の医学系の心理学部門であつかわれ、脳そのもの構造を科学的に扱う場合が主流です。そういう場では「生体上の電気信号」というのはよくあるアプローチなんですね。
    今の日本の心理学というのは後者のアプローチも増える傾向にあります。
    そういう意味で、心理学上の議論に無縁な極論を違った畑からぶつけてるというわけでも必ずしもないのです。

  32. 修蔵 より:

    作者萌え,確かにありますね.キャラデザにしても,動きにしても,あるいは話の流れにしても.
    私は伊藤和典脚本萌えです.いや,これはただのファンと言うべきなのか.
    ところでやっぱりコメ欄で長文連発は読みづらいし議論の流れが追いにくいですね.
    掲示板があったほうがいいと思います.

  33. 骨男 より:

    ちょっと揚げ足取りな気もしますが、斉藤氏の
    >私なりの区分では
    >・萌え対象=イマジネール=想像的なもの
    >・フェチ対象=レエル=現実的なもの
    >となり、もしこれが成り立つなら話は簡単です。
    >萌え対象はキャラの視覚的属性に全面的に依存し、フェチは視覚以外の属性に依存することになります。
    って、意味不明だと思います。
    ご本人も「声優萌え」に触れておられますので、視覚と連携しているにしても、キャラの「声」に重きを置いている「萌え」を認めておられるのですから、「萌え」が、『視覚的属性に全面的に依存』していると言うのは根拠が薄弱ですね。

  34. 骨男 より:

    それと、僕は「萌え」の感情の部分を重要視していて、その「萌え」特有の感情とは「男性番母性愛」なのではないか?と言う立場なわけですが、だとするとたけくまさんのトラちゃんの「動き萌え」も、それで喚起されたのが母性愛的なものなのなら、「萌え」と言えることになりますね。
    ただ、上の方でやじさんも書かれていますが、トラちゃんのキャラクター自体が赤ちゃん猫という母性愛直撃キャラなので、ややこしいですね。
    「動き」そのもので「母性愛」が刺激されたのか、「赤ちゃん猫」の部分に刺激されたのか?
    ここを分離して、「動き」がたけくまさんに「母性愛」(あるいは何らかの「未体験感情」)を喚起したのなら、それは僕の意見では「動き萌え」と言えると思います。
    今まで、自分でも混同してしまっていました。訂正します。

  35. 匿名 より:

    動き萌えとか
    作者萌えとか
    そういうちょっとズレた
    路線でいくのかねぇ…
    新サルまんは

  36. たけくま より:

    ↑今やっているのは『サルまん』とは直接関係ありません。(間接的にはあります)

  37. たけくま より:

    ↑今やっているのは『サルまん』とは直接関係ありません。(間接的にはあります)

  38. 外の犬 より:

    Aaが出てくると本当にいやらしくつまらなくなると思いました。
    ご自分もモノカキのようですが、だったら自分の著作もマナイタの上にあげたらいかがですか。
    長谷邦夫氏のところで鶴岡法斎氏を持ち上げていますが、斎藤環氏をクサして、鶴岡氏を持ち上げる感性は、私には理解しかねます。
    http://www.ac.cyberhome.ne.jp/~yanataka/manga.html
    鶴岡氏について詳しくはリンク先を参照のこと。
    こんな駄本を書いた人は評価し、まがりなりにも(当否はあれど)真面目に思考している人は切って捨てるってのはどういうことなんでしょう?
    いかなる論理をもってすれば、Aaさんの姿勢を擁護できるのでしょうか。
    ねえ、Aaさん、正面から答えてみてもらえませんか。

  39. NNN_N より:

    Aaさんが「つまらなくなった」と言うのなら、それには理由があって、私の中に沸き起こる言葉にしがたい感情(衝動)のために発言の理由に思考を巡らすことを抑えることができません。
    これは、"萌え"ではないでしょう。例えば、何かの研究者が興味深い研究対象を見つけたときの抑えられない感情のような・・・、これは一種の"燃え"だと思います。
    ついつい、萌えについて思考をめぐらしてしまう人達はきっと、"萌え”に"燃え"てるいるのでしょうね。

  40. パンケーキ より:

    思うに萌えとフェチの差は、実体性の有無より、人格の有無なんじゃないでしょうか。
    動きがそのキャラの人格の発露として表れているなら、それはフェチより萌えと言えると思います。

  41. apg より:

    おはようございます。
    一晩でここまで、混乱するとは・・・みなさん夜型人間ですねぇ。
    ところでまず、ぼぼさんに言いたいのは、
    難しい思考を他人に解り易く説明するのはさらに高度な知能が必要だと思います。
    ぼぼさんならそれが出来ると思います。
    お願いですからもう少し解り易くして下さい!
    ぼくバカなんです!
    それから、今の状態は「最初の質問が不明確」になっています既に。
    まず最初の問いは、「動き萌えは存在するか」
    ですから、これはこのエントリの性質上、精神科医の斉藤先生による、
    「動き萌えの否定」への「反証」から入るべきです。
    「動き萌え」を否定しながら、斉藤先生の論理も否定するから混乱するんですよ。
    しかし、斉藤先生も、「早朝に書いた」、「根本てきに萌えとフェチに違いはない」、
    「この論理に執着しません」など、逃げ道を沢山作っていらっしゃるので(笑)
    議題として不完全なのは確かですが。
    >Aaさん
    下らない肩書きというものも確かにありますが、
    だからといって全ての肩書きを否定することはないでしょう。
    なんだかぼくが権威に弱いみたいじゃないですか。(笑)

  42. apg より:

    あ、斉藤先生って呼ぶからそんな感じになるんですかね。じゃ「斉藤氏」でいきます。

  43. apg より:

    あと、「生物学的な視点」ですが、それって結構ベタだと思うんですけど・・・
    みなさんベタだから敢えてそっちには行かないのかと思ってました。
     ぼくもそっちに行きそうなのをこらえてたんですけどねずっと。

  44. apg より:

    ところでみなさんは、
    フェチが「実体への嗜好」で、萌えが「観念への嗜好」であることは、
    細かい矛盾は置いといて、大筋では認める、ということで大丈夫ですか?
    とりあえずそういうことにしないと、話にならなくないですか?
    前回同様、混乱を極めるだけになってしまいますが。
    ぼくは、大筋で認めます。

  45. 修蔵 より:

    そもそも萌えの定義が曖昧ですので断言できないですが,僕は一理あるなあと思いました.

  46. sima より:

    原点のもどれば、教義の萌えは萌え絵にある。萌え絵ならば自然と空想的なものであり、メイド服とかだけの絵など存在しない。実体はいらないとか、全体を嗜好するとか、萌え絵を描くものにとってはあたりまえのことをいっているだけだ。

  47. sima より:

    母性愛とか保護欲とかも何年も前からさんざんいわれてきたことで、萌え絵を描くものにとってはあたりまえのことをいっているだけだ。

  48. apg より:

    まず、「動き」が「実体」を伴うものであるのは当然ですが、
    ここでいえるのは、前にも書きましたが、
    アニメは「実際に動いている訳ではない」ということです。
    静止画を何枚も描いて、「擬似的」に動いているように「見せる」
    のですから、これは描いた、または演出した人間の
    「動きの観念」が反映されている、と言えます。
    今はこれ以上書けません。なぜならもう一つ、曖昧になっている点があるからです。
    たけくま先生が「動きの固有性」に言及したのに対し、
    斉藤氏はそこで、「作家の固有性」という話に
    ある意味言葉遊び的にすりかえている点です。
    もう一つあります。
    次の骨男さんの意見です。
    >キャラ表現にして繰り返せばを「萌え」になる
    これは興味深いです。
    たけくま先生は、「動き」に「独自性」があり、
    それがある特定のキャラクターを表すことがあるなら、萌えが成立する可能性がある、
    と言っているのに対し、骨男さんのそれは、動きが、固有のキャラクターを表すのではなく、
    ある「属性」を表さなくては、「萌えコード」にはならない、という意味でしょうか。
    しかし「キャラ表現」という言葉を用いているので、少し曖昧ですね。
    なるほど確かに、「すてねこトラちゃん」では、
    それを説明するのは難しいかもしれないです。
    ではベティちゃんならどうでしょう。
    マリリン・モンローにコスプレされているという点で、重要かもしれません。
    今日は仕事がちょっと忙しいので、とりあえずこの辺で。

  49. apg より:

    あ、骨男さんは、一応ベティちゃんに関しては認める部分があったようですね。

  50. apg より:

    「動き萌え」の話とは少しずれるかもしれませんが、
    「キャラクター」と、「属性」と呼ばれる、キャラクターを表す「要素」ですが、
    この二つの関係が、話をややこしくしているの気がします。
    今の萌え、はあたかも「属性」によって「キャラクター」が形成される、
    ように語られてますが、しかし、「属性」によって、違う作品に
    ほとんど同じような「属性」を持つキャラが沢山いるんですよね。(よく知りませんが)
    つまり、これって従来の「キャラ」の意味で言えば
    「キャラ」が「立ってない」ということなんですよね。
    ということは、キャラの「独自性」を「動き」で証明しても、「動き萌え」は
    「狭義の萌え」の文脈では成立しない、ということですね。
    「独自性」は「狭義の萌え」では重要視されていないんですから。
    骨男さんが言いたかったのはそういうことでしょうか。

  51. たけくま より:

    ちょっと前提の話をしたいと思います。
    僕がこの一連エントリでやっていることは、自分の現時点で考えていることをできるだけ書いてみるので、反対にこちらもいろんな意見を聞きたい、ということです。
    例の「議論のしかた」に則せば、「対話」にあたります。「正しいか間違っているか」の白黒をはっきりつけようとしているのではないのです。
    ただし、僕も考え中の問題を扱っていますので、あやふやだったり自信がない部分がずいぶんあります。「竹熊のその論法だと、論理矛盾があるのではないか」というご指摘は喜んで受けます。なにより自分のためになりますので。

  52. apg より:

    はい!もちろんです。
    ぼくはただ興味があるだけで、だれかをやっつけたいわけではありません!
    そういう箇所がありましたかね・・気をつけます。
    あ、ちょっと仕切ってるっぽいところはありますね・・すいません。
    いやあまりにも流れを追うのが大変なものですから・・・

  53. apg より:

    なんども読み返してるんですが、
    ぼぼさん、「二次元上の実体はある」ってどういう意味ですか?
    斉藤氏のいう実体とはあくまで「現実の世界に存在する」という意味であると思うのですが。
    二次元の実体ってのは見る側の脳内に「いる」と誤認されている状態のことなのではないですか?
    それを「虚構」というのでは?
    まさか、この「現実の世界」を否定するわけではないですよね?
    たけくま先生、ダーガーの画集届きました!
    いやー、精神病とかの前に、単純にきれいな絵ですよねー。色とか。
    なんなんでしょうあの色彩感覚の良さは。

  54. apg より:

    >ぼぼさん
    人間の五感が、どこから「実在」と認識するかを議論するのは、
    ぼくはあまり意味がないと思います。
    そういう話は議論のための議論、「言葉の限界」にぶちあたり、
    最終的には、「目の前の机は、本当は存在しない」ような極論になりがちかと。

  55. 流れぶった切りますけど、
    「青空のゆくえ」というDVDが出たばかりなんですが、これがギャルゲーエロゲーを知ってるほど前半爆笑な味わい深い佳品です。でも実写なのでちょっと外しがあるんですが。尤も、外面はいいですよ。アイドル青春映画のフリは見事です。
    「森田クラブ」の森田ちゃんがメインヒロイン、らしいんですけど、むしろ黒川芽以ちゃんとか、幼馴染みちゃんがいい感じ。
    「ぜってー狙ってるよこれ!」と確信したのは、黒川ちゃんの役どころを観ればおわかりかと。
    近年では「マチコビギンズ」に並ぶ怪作ですね。萌えの一考、助けになると思われます、はい。
    あ、でも監督さんはこれっぽもGG&EGリスペクトなんてしてないと思いますw「困った奴らだなおまいらw」みたいなw

  56. 座椅子 より:

    出発点はフェチでも、こうやって語ることによって萌えに移行していくってことがあるような気がします。
    たけくまさんが独り自分の部屋でアニメの動きを何度も何度も繰り返し再生して見つめているならこれはなんというか語り得ない現実の断片に対する固執、つまりフェチではないかと思うのですが、こうして大勢でがやがや語る時には、焦点はどうしても萌えに動いてしまう。
    ビデオが一般的でなかったころにある種の動きの魅惑に執着するのはフェティッシュな行為だったと思います。
    でもビデオが普及し、さらにこうしてWebで皆で共有して語れるようになると、そういう孤独な執着は語りにくく/見えにくくなって、萌えのような"語りうる代替物"が現れる。
    つまり対象よりも語りの位相が変化してるというか…
    フェティッシュなオブジェを作っていた赤瀬川源平氏が、後年トマソンや路上観察、カメラ小説といった「視線」「語り方」を主題にしていった過程を、なんとなく連想します。

  57. 骨男 より:

    >simaさん
    まだ御覧になられているでしょうか?
    もしよければ幾つか質問させていただきたいのですが、よろしいでしょうか?
    ゲーム会社にいた頃は身近に質問できる人がいたのですが、今は日本を離れてしまったので直接きける人がいないのです。
    質問は以下の4つです。
    1、2つ当たり前なことを書かれていましたが、他に「萌え絵」を描く人にとって当たり前なことはありますでしょうか?思いつきで結構ですので教えて欲しいです。
    2、「属性萌え」と「母性愛」ではどちらを先に意識しましたか?同時でも構いません。
    3、今後も新しい「属性」は誕生し続けると思いますか?
    4、あなたが「萌え」の最も中心にあると思うものは何ですか?
    いきなりで済みませんが、感性の古いオヤジ世代を哀れと思って是非お願いします。

  58. ぼぼ より:

    >apgさん
    私の沈黙は、「見当違いなので手間かけて解きほぐして説明する価値」を感じていないからとご理解ください。
    悪いですが、ボランティアですので。
    オントロジーってたいして難しい話でもないんですが、誤解の無いような言葉にしようとすると面倒なんですね。
    私のほうに無駄な負担がかかるだけなんで。
    矛盾を指摘されたり、噛みあってる分にはお答えするだけの誠実さは恐らくあったと思うのですが。

  59. 1026 より:

    ぼぼさんの書き込みを読んでいて混乱してきました。
    多分、斎藤さんの文で2次元や抽象という言葉を用いた事で混乱が起こっているような気がします。
    抽象というと範囲が広くなるのでぼぼさんがおっしゃるようなツッコミが可能になるのは確か。
    萌えはマンガ・アニメ・ゲームなどのおたくフィールドのキャラクター(全体)に対して。
    フェチは『実在』のパーツ(部分)に対してとでもしておけば混乱は少ないか?
    ※実在が『』なのは仮に実在。又は実在指向という事です。
    「視覚的属性に全面依存」というのものについては僕も同じくドジっ子萌えとかの方言萌えとかはどうなるんだ?と気になります。

  60. 私見ですが、今巷の「萌え絵」とされる第一派は、みつみ美里さんとそのエピゴーネンたる市井及びエロゲギャルゲの描き手さんたちによるおなのこのイラストだと思うんですね。
    何が特徴か?
    俺は瞳だと思ってます。瞳孔が異様に肥大化してます。
    これをポジティブに解釈すれば、光の見えない闇の中で光を求めようと懸命な姿勢の現れ…
    ネガティブに解釈すれば死者のそれです。
    で、近頃テレビの空気が、なんか前向きになってません?CM、歌…或いは、国会のらいよんさんが、「光が見えてきた」「若者はまだ生きている、考えている者ガイル」発言…だから、萌えもそろそろしまいかな、ということで「蕾」の書き込みをしたのですが、あぶねー奴と思われましたか、見事にスレッドストッパー…極私的によくあることなのでめげませんがw
    ですから、相原さんとたけくまさんがタッグを組んで、「あの」ノリで萌えにけじめをつけられるのもありかな、と思う者なんです。
    騙されたと思って見てください。どれもこれも「萌え絵」は、瞳孔が極度に肥大しているはずです。

  61. apg より:

    わお、そうですか。
    少し気分を害されましたか?
    だとしたら大変申し訳御座いません。
    ただ「二次元の実体」とはどういうことなのか非常に気になっただけなんです。
    「実体」とは、三次元で適用される言葉ではないんですか?
    例えば、一枚の絵だとしても、二人以上の人間が
    同じ「疑似人格」として認識したら、それは「実在」するのと同じことだ、ということですか?
    それは「私」は「私以外」の存在がなければ証明されない、類の話でしょうか?
    高度に学術的な話になると、ほとんどの人が参加できなくなると思うんですけど・・・
    あと、一つ矛盾を指摘しておくと、2次元=「抽象」とし、そこから論理展開なさっていますが、
    2次元=「抽象」と決めたのはぼぼさん自身で、
    斉藤氏は別に2次元=「抽象」とは一言もいっていないと思うんですが。

  62. Aa より:

    >>外の犬さま
    >斎藤環氏をクサして、鶴岡氏を持ち上げる感性は
    はぁ、それはきっとあなたの読み違いですよ(終わり)

  63. ぼぼ より:

    >1026さん
    二次元と抽象とは違うんですね。
    抽象の反対概念は具象です。
    具象の本来の意味は固有の形体を有していることで、
    その具象の中に、二次元、三次元、四次元といった世界が「観念される」わけです。
    「固有の形体」ということから主に「視覚」に基づいた概念ですね。
    「二次元と三次元は対立概念じゃない」ということはお分かりいただけたでしょうか。
    三次元でホログラムのようなものを作って、
    それを三次元上に観念される「実体である」ということはもちろん可能なんですが、
    「物」であるという場合の「実体」は一般生活では通常「触れることの出来る物」であるということを前提としていますね。
    ただ、磁力を使った場合など触覚が我々をだますことも考えられますね。
    「実体」という観念が曖昧な上に、
    多くの場合そういう場合「我々があると信じている感覚の総体」という以上の意味は無いんですね。
    また、
    このフェチの対象は「触覚できる物」であるべきという考え方は大して根拠無いんですね。
    ここで、簡単な例を挙げると、
    二次元で絵で描かれた少女の足首に興奮するというのは、「フェチ」でしょう?
    これは、三次元で触れることが出来る「実体がある」必要は無いわけです。
    これを考えると、
    >基本的に「フェチ」は対象物の「実在性」が不>可欠です。
    成り立たないことが分かりますね。
    二次元キャラの絵ではフェチが成り立たず、
    「触ることの出来る」三次元のフィギュアじゃないと「フェチ」じゃないというのはおかしな話です。
    動きというのも映像やホログラムで「触ることが出来る実体(?)」が無くても再現できますね。
    また、萌えは別にフェチとの対立概念じゃないので、萌えという感情の対象が触ることの出来る「三次元のもの」でもなんの不都合も無いのです。
    >フェチが「実体への嗜好」で、萌えが「観念へ>の嗜好」
    っていうのは成り立たないでしょう?

  64. Aa より:

    >>NNN_N さま
    >私の中に沸き起こる言葉にしがたい感情(衝動)のために発言の理由に思考を巡らすことを抑えることができません
    その気持ちはとても前向きでよいと思います。
    思いますが、精神医学タームをやたらめったらふりかざすのはどうでしょうか。
    軍事おたくと精神医学系のひとたちは
    それだけで世界のすべてが語れると思い込んでしまうところがあります。
    みなさんがそうだとは言いません。
    ですが、今回のコメント群にはそういう危うさを感じるのですね。

  65. http://www.mikoto.com/kooge/img-box/img20060303182102.jpg
    http://www.mikoto.com/kooge/img/kooge1024.jpg
    よいしょ よいしょ
    上が、なんも考えないで描いてて…下が、萌えを頭において描いてます。上は、オリで、モデルはいますが、二次元起源ではないです。描きやすいですが、萌えではないな、と。で、下は「それは舞い散る桜のように」から八重樫つばさちゃん。瞳を意識して弄ってあります。色を「つばさ(長野新幹線)」イメージにしてあるので、恣意的作為はそれほどないんですが…俺もおっさんですので、年下に心もガッツもとりこまれちゃうのは癪に障るわけですよwだもんで、寄り添うのもこれくらいまでだな、って思ってます。寄り添うのなら、かな。ま、ま。ですから、相原さんとたけくまさんの試みには流石ですねとしか言えません。

  66. ぼぼ より:

    >apgさん
    >>斉藤氏は別に2次元=「抽象」とは一言もいっていないと思うんですが。
    斉藤
    >フェチは素朴実在論であり萌えは観念論というのが私の整理です。
    たけくま
    >萌えは2次元で、フェチは3次元のものという「区別」を斎藤さん自身されており
    そうですね、観念論=「抽象」という読み替えは、私がしたものですね。
    論旨自体は変わりませんが、
    「抽象」という言葉を「観念」に置き換えなおします。
    3次元=実在ではないし、2次元=観念ではないのに
    それがレトリック上暗黙の前提として混同されて詭弁化している
    と言った方がすっきりしますね。
    これが1-1の論旨の中核です。

  67. apg より:

    >ぼぼさん
    なるほど、解ってきました。
    ありがとうございます。
    とすると、斉藤氏もぼぼさんも言っている通り、
    区分することに大した意味がないかもですね。
    次元の面からのご意見大変参考になりましたが、
    それでは、斉藤氏が言う、フェチが「人格」を必要としないのに対し、
    萌えは「人格」を嗜好するものである。という面からはどうですか?
    斉藤氏の言う「部分と全体」とは
    「人格が必要か否か」を意味していたと思うのですが。
    「精神」や「人格」は3次元や2次元を「観念する」側ですから、
    もう一度語ってみる価値はあるかと存じますがいかがでしょうか。

  68. apg より:

    >Aaさん
    わかります。
    松尾貴史や大槻教授を見ていると
    非常に腹が立ちます。(笑)

  69. apg より:

    >メルヘンひじきごはんさん
    お上手ですね。
    しかし、なにも考えないで描くと、一昔前のマンガになってしまうんですね。(笑)
    ボタン(?)がハート型って・・70年代じゃないんですから!(笑)

  70. 骨男 より:

    × フェチ=萌え
    × フェチ≠萌え
    ○ フェチ>萌え
    つまり、萌えはキャラを対象にした特殊なフェチである。
    で概ねOKだと思いますが、どうでしょう?

  71. sima より:

    半分あおりだったのですが。
    1、はネタばらしが多すぎるのでパス。
    2、「属性萌え」と「母性愛」ではどちらを先に意識しましたか?同時でも構いません。
    もともとは萌えというのは、アニメなどで好きなキャラがいる程度のものだったはず。
    しかし、現在、萌えというとき萌えの絵のパターンがきまってきている。赤ちゃん顔でかわいい方向へ向かっている。そこで、母性愛が不可欠になってきた。
    3、今後も新しい「属性」は誕生し続けると思いますか?
    これは、ファッションの流行と同じで誕生し続けるはず。発明、消費、データーベース登録が永遠につづくだけです。でも、最終的には、ネタがなくなるってくるかも。
    4、あなたが「萌え」の最も中心にあると思うものは何ですか?
    中心?? いかに人を萌えさせる絵を描けるかじゃないかな?

  72. >apgさん
    わーぃやっとレス…いやいや、
    レスありがとうございます。ま、80年代ノリをぶち壊した象徴が、男のロン毛だったわけで…何がどう転ぶかは、割と読みにくいものだなぁ…と。でも、読みつづけなきゃ、「けんぽーかいせい」「ちょーへいせい」とかガナり出すので…のほほんとイラスト描いてるだけじゃ、なんか、色々あるみたいです。
    とりあえず、KAT-TUNの一人が丸刈りにしたのは見守ってたり。

  73. 豆たろう より:

    >骨男さん
    フェチ 認識 ->感情
    萌   認識 ->再構成 ->感情
    だと思うんですけど。

  74. 骨男 より:

    >1、はネタばらしが多すぎるのでパス。
    一番核心の質問が、、、(笑)
    なんにせよ、simaさん、ありがとうございました。

  75. Σ(゚パ;)ゞ
    ぬ、ぬこキャプテン!乙であります!

  76. apg より:

    >メルヘンひじきごはんさん
    そうですよね!なにがってレスがですが。
    やっぱり嬉しいときは素直に喜ぶべきですよね!
    ということで、
    >たけくまさん
    いやーたけくま先生と意見があうなんて大変うれしいです。
    ベティちゃんに個人的思い入れはありませんが最近見ました。「ロジャーラビット」で、ですが。 声がおばあちゃんでした。
    いつも平気でたけくま先生にダメだしするぼぼさんにはバカにされるかもしれませんが・・・
    ぼくは単にいちたけくまファンなので。
    メルヘンひじきごはんさんのおかげで和みましたよ。
    そろそろ仕事に専念しようかな。

  77. 骨男 より:

    >豆たろうさん
    その説明ももちろん合っていると思うのですが、
    「萌え」は、昔は「フェチ」に含まれていたものが、新たに名称を与えられて異なるものと認知されるようになった。
    と、一旦区切ることで「萌え」の話に専念できるのではないかと思いました。

  78. >apgさん
    や、上も下もへったくれもないはっちゃけ2ちゃんノリ、好きですが、どこでもってわけにもゆかなかろうかと、ハイ…恐れ入りますです。
    ネコ船長さんは、2chSNSでコミュを通して知り合いなものですから…こげなとこでお見かけするとは、びっくりしたもので。いやいや、ここだからこそなのか。う~む。なんだかノッテキタ!でもノッテクルトよくしくじるので頭冷やすことにします。他廻って来ます。

  79. 豆たろう より:

    >骨男さん
    レスどうもです。
    僕は萌って言うのは脳の認識過程のことだと考えているので
    萌えがフェチに含まれているのなら
    対象を認識して感情が発生する過程も同じになるのではないかと思うんですが・・・
    う~ん、わからん・・・
    萌えは元々フェチに含まれていて、
    現在は完全に分離して独自発展しているってことなんでしょうか?

  80. apg より:

    >ぼぼさん
    最後に聞きたいことがあるんですが、「抽象」を「観念」に置き換えるなら、対義語の「具象」は何に置き換えて読めばいいんでしょうか?

  81. kamikitazawa より:

    活発かつ真摯な議論が続いているところに突然横入りして申し訳ないんですが、斎藤先生の定義による「フェチ」と「萌え」ということでいうと、私の人生において重要なのは「フェチ」であって「萌え」ではまったくないということが理解出来ました。
    40のオヤジですからね。
    ちなみにメルヘンひじきごはんさんの作例イラストも上のヤツのほうがグッときます。
    下はまったくダメです。絵じゃなく記号に見えます。

  82. くっぱ より:

    これまで考えがまとまらずにくだらないことをいろいろ書き散らしてしまいましたけど、最終形みたいなものに個人的には到達しました。矛盾点を指摘されたら、また考えを変えるかもしれませんけど、とりあえず、
    ・○○の△△に惹かれる
    これは「フェチ」。
    ・△△で○○の息吹を感じる
    これが「萌え」。
    作者萌えは、作者の発想・技巧などの才能に対するフェチ。動き萌えは、その動きのせいでキャラの息吹を感じたなら萌え。動きのリアリティに惹かれたという側面があったとしたら、その部分についてはフェチ。△△は○○の属性。そのこと以外に特に縛りはなし。二次元でも、三次元でも、視覚的でも、そうでなくてもOK。例えば、タレントの失敗体験談を聞いて、そのタレントを身近な存在に感じたら萌え。
    >骨男さん
    私は、上に書いた通り、萌えはフェチに含まれる概念ではないと考えています。つまり、
    ○フェチ≠萌え
    「この属性があると萌えるから、この属性が好き」みたいな感じで、萌えを理由としたフェチは起こりやすいのですが、二つを別の概念として分けて考えることは可能だと思います。
    >豆たろうさん
    脳の認識過程のもとでの解釈として、ゴールにある「感情」は、好きだとか惹かれるとか愛など何かを評価するような感情でしょうか。それとも別の感情なども想定されているのでしょうか。

  83. 色瀬 より:

    (「萌え←→フェチ」論は静観しておりました・・なんか小難しいので(汗)。まあ私は、自分のトコに書きましたけど、萌え≒(オタクの)フェチ、と考えてます。ただし、「言い訳の余地」がある。)
     『作者萌え』というのがよくわかりません。。。
     マンガ雑誌の表紙が美少女キャラが飾ってて、連載マンガの作品タイトルを並べたら少年誌っぽくなるけど、おなじ絵でも執筆陣の名前を並べたら成年誌っぽくなる、みたいなもんでしょうか?

  84. 骨男 より:

    「萌え」という言葉が生まれた後の今現在は、「萌え」と「フェチ」を異なる概念と考えることには同意します。
    しかし、その前に使われていた「フェチ」には今で言うところの「萌え」は含まれていたのではないでしょうか?
    「萌え」と言う言葉が生まれる前に「萌え」ていた人は、数は今より少ないにしてもきっといたと思います。そういう人はきっと自分のことを「俺って、フェチなんだ。」と思っていたに違いない。けれど、今は「フェチじゃない、萌えているのだ。」と思っているのだと思います。
    もし、上記の考えが正しいとすると、「萌え」誕生後、「フェチ」の概念も変化していることになり、変化前と変化後のどちらの「フェチ」の話をしているのかを明確にしないと話が混乱します。
    特に、学術的な定義は変わっていないでしょうから我々の感覚と、学術的な意味はズレていると思われます。
    こちらのエントリーになってからは「萌え」そのものよりも、「フェチ」とは何か?でややこしいことになっている印象があるのですが、それはこうした理由で「フェチ」の概念が揺らいでいるからだと思います。
    言葉の変化と言う意味では興味深いですが、我々は「萌え」について語っているわけですから、「フェチ」に引っかかるのは程々にしておきませんか?と思ったのですが、、、

  85. たけくま より:

    >メルヘンひじきごはん さん
    素晴らしい絵ですね。どちらも結構好みであります。

  86. >kamikitazawaさん
    ありがとうございます。今年37になりますので、近いお年の方から上を受け容れてくださるとのお言葉は嬉しいです…で、やっぱり「萌え」はオールマイティではないんだよなぁ…とも。少しく「せんみんしゅぎ」めいたナニカも思うところが、それはどうなの、があるんですよね。「萌えれる俺らすげーよ!」みたいな。
    >たけくまさま
    ありがとうございます。歳を考えると「まだまだです」なんて言ってられないんですが、まだまだです。ええ、焦っております!はい。
    考察も何かの一助になれば、これ幸いであります…さーぶりーみなーる。…意味はないであります。
    ではでは。

  87. 豆たろう より:

    >骨男さん
    骨男さんの
    >○ フェチ>萌え
    >つまり、萌えはキャラを対象にした特殊なフェチである。
    という言い方だとどう考えても萌えはフェチに含まれているとしか受け取れないので突込みを入れたのですが・・・
    萌えがフェチから分岐したという考えは、萌えが何処からきたかという意味でありかなと思います。
    ですが現在は萌えとフェチは別物としか思えないので、
    ○フェチ≠萌え
    としておくべきだと思います。
    フェチに引っかかるのは程々にしておこうというのには同意です。
    >くっぱさん
    ゴールにある感情ですが、これは人によって
    「好き」「キャラに対する愛情」「かわいい」「エロい」などバラバラだったり、複合していたりするので、
    定義できないのではないかと考えています。
    別の感情なども想定されているといわれれば、その可能性は否定できないです。
    僕は感情の問題を切り捨てたので、脳の認識過程と考えたわけです。

  88. くっぱ より:

    >骨男さん
    「フェチ」とは何かが議論される理由は、「萌え」について語っているつもりが、実は「フェチ」について語っていたというマヌケな状況を回避したいというあたりにあるのではないかと考えています。骨男さんのおっしゃるとおり、「萌え」という言葉が発明される以前、「萌え」の概念は「フェチ」に含まれていたのかもしれません。あるいは、適当な言葉がなかったために、「フェチ」という言葉をかりそめに拝借していたという部分があったともいえる気がします。しかし、だからこそ、「萌え」について語るにあたって、「フェチ」との境目を明確にするための議論はあっても損はないのではないでしょうか。
    >豆たろうさん
    反応をいただいて、ありがとうございます。
    ゴールにある感情についていくつか挙げていただきましたが、そのどれもが、その人の価値観のもとで対象が評価された結果みたいなものを感じました。私の場合、「好き」とか「いい」とか「エロい」とか「愛するに値する」みたいな個人の価値観にもとづく評価が入った時点で「フェチ」なのかなと考えています。
    このような私の解釈では、豆たろうさんの解釈とは逆に、「萌え」よりも「フェチ」のほうが脳内認識過程におけるステップが1つ多いイメージなので、その対照性が面白いななんて感じました。

  89. 1026 より:

    >ぼぼさん
    読み返してみて、ぼぼさんの批判の方が妥当に思えて来ました。(ぼぼさんの説の理解が十分で無いにしても)
    はじめは言葉の言い換えで何とかなる問題かと思いましたが、結論に大きく影響している事に気づきました。
    フェチの人は部分指向・実在化指向など、斎藤さんの説は多くの患者と接した精神科医の印象論としては参考になる部分があると思うのですが…
    確かに二次元、三次元という言葉の選択は論外だと思います。
    それからおっしゃるとおり二次元の絵で描かれた足に興奮する「足フェチ」は「想像的かつ部分指向」であるわけで、斎藤さんの区分けが上手く機能しない例ですね。
    再度斎藤さんを読み直すと『「萌え要素」だけでOK!という人がいたら(中略)フェチ認定したいと思います。』とおっしゃっていてこの話の中でも「現実的」である事がすっぱり抜け落ちてしまってます。
    その代わりに文字が「現実的」と考えているという事なのか『文字だけでOKなはずなので』という言葉が入っていますが、確かにぼぼさんのおっしゃる通り、文字は抽象的なものだと思うのでおかしいですね。
    あと個人的に気になったのは 一つはapgさんもおっしゃってますが『「運動」は観念化できない「部分的実体」』とされて「フェチ」とされていますが、アニメーションの動きは「擬似的に動いているように見せるもの」で、ある意味アニメーターの音楽のように言語化出来ない観念を表現したものと言えるという事と、実在指向であればアニメのような擬似的な動きではないく、現実の人間などの動きに反応するのではないか?という事です。実際、演劇や舞踊を好む方はそうゆう指向だと思いますし。
    最後にもう一つ。竹熊先生がおっしゃる「キャラ特有の動き」へ返答で突然「作家の固有性」という問題を持ち出している事です。
    動きに作家性が伴う事は認めてよいですが、動きを伴わない萌え絵の多くにも「作家の固有性」は有るはずです。それならば、世にある「萌え」のかなりの割合のものは「作家萌え」という事になってしまうはずです。これはおかしい。
    この部分は特に「動き萌え」の結論につながる部分だと思うのでいかがなものかと思いました。

  90. 1026 より:

    >メルヘンひじきごはんさん
    瞳の話、僕も近い事を考えた事があります。
    もっとも、瞳の大きさは昔の少女マンガも大きかったですし、
    萌え絵に限定せず、日本のマンガの目の大きさの理由についてですが。
    僕は瞳については、赤ん坊が母親を探す時に大きくなるという話や興味のあるものを見た時人間の瞳が大きくなるという話がありまして、瞳の大きさは相手(この場合ユーザ)への好意を表していると思いました。
    それから、目の大きさですが、あれは相手との心理的距離感を表現しているのかと。
    人間は心理的な距離感が近い相手とほど目を見て話をする事ができると思いますが、目を見て話していれば相手の目の印象が強くなるはずです。
    印象の強いものを絵で表現すると、子供の絵などに顕著ですが大きく描かれ、描き込みも増える事が多いです。
    ゆえにあの表現なのかと。

  91. sima より:

    メルヘンひじきごはん の上が古いタイプの絵で、下が萌え絵なんですね?
    どっちもうまいというのはおいといて。
    どこがちがうんでしょう。瞳が大きくなり、鼻と口が小さくなったということなんでしょうか?

  92. kamikitazawa より:

    >メルヘンひじきごはんさん
    わざわざのレスに感謝であります。
    あと上の絵の感想を一つ付け加えさせていただくと、会田誠画伯(ご存知でありましょうか?)が「頑張って」「マンガになろうとして」描いた女の子の絵を髣髴とさせるものがあるのですな。
    なんかアウトサイダーアート的/ヘンリー・ダーガー的ヤバさが漂うというか。
    あ、コレ私としてはメチャクチャほめてることになるんですが、そう受け取れないようでしたらすんませんです(笑)。
    それから私も、
    >少しく
    >「せんみんしゅぎ」
    >めいたナニカも思うところが、
    >それはどうなの、
    >があるんですよね。
    >「萌えれる俺らすげーよ!」
    >みたいな。
    コレ↑は非常に感じますですね。
    あと、「萌えれる俺ら」のみなさんが、「萌えということを説明」する場合、わたくしの胸中に「おまえらわざと難しく言ってやがんだろう!」という感情が沸き上がるのを抑えることが出来ません。
    いやまーおそらく「萌えリテラシー」を欠いた、オヤジのヤな疎外感から来るルサンティマンなのでありましょうが。

  93. kamikitazawa より:

    無知蒙昧な人間なのですいませんがあと少しだけ。
    私は「トラちゃんプルンッ」とか「くわがたツマミ」↑とか「ハナコアラ」とかには最近けっこうグッと来るようになってまいりました。
    自分ではトシのせいだと思っております。
    「トシ食って弱ってきてる」ゆえに「可愛いものを見て和みたい」「癒されたい」ということですね。
    だけど(いまふうの)「可愛い女の子」(のイラスト)、これはもうまったくダメです。カケラもグッと来ません。それが少し淋しくもあったりしますがこういうのは世代・年代&体質の問題なのでダメなものはダメなのであります。
    年寄りの下らない繰り言でした。失礼いたしました。
    (追記:みなさんお気付きでありましょうが、トラちゃん、「プルンッ」の前に耳が「プルプルッ」とします。かなりキます。熱烈に育てたいです>トラちゃん)

  94. 外野素人 より:

    ……いや、しかしすごいな。もういっそのことおまいら「萌え学」でも構築しろ。ここまできたらそれ以外ない。萌え学のほかにおまいらが救済される楽土はこの世にないよ。「ああ、楽土、楽土」などと口ばしりつつw構築にむかったらどうか、もうあきらめて。
      と流れブタギリで書きこもうとしてフと思いつき、こころみに「萌え学」でぐぐってみたら、もう萌え学はありふれていたのだった……
      じゃあ学派だ。学派の形成だ。ここは竹熊学派の牙城だ。観念しろ。ああ、楽土、楽土……
      などと荒らし(?)でスマソ……

  95. 骨男 より:

    >メルヘンひじきごはんさん
    >1026さん
    動物が獲物を狙っているときや、赤ん坊が母親を見つめるとき、さらには好きな人を見るときに、明るさに変化が無くても瞳孔が開き気味になることは昔から知られていました。
    また、そうした目で見つめられた方も、そうでない普通の状態で見つめられたときよりも見つめている人に魅かれることも良く知られています。
    これを利用するためにルネサンス頃の女性達はパーティの前に瞳孔を開く目薬を差したとも言われています。(真偽は知りませんが。)
    ということで、最近の萌え絵のやばいまでに瞳孔が開いた表現(単に目が大きいのではなく、瞳孔が開いている)は「もうあなたしか見えていません」を表現しているのは確かだと思います。そして、上記のようなことを知識として知らなくても萌え絵師さんたちは直感でそれを理解しているのだと思います、というか、昔から絵描きさんたちはそうだったのだと思います。
    ついでに話を進めますと、僕が興味があるのは、それにしても萌え絵の瞳孔は異常ではないか?一体なぜそれほどまでに「見つめられたい欲求」が強くなったのか?ということです。
    「男性版母性愛」仮説はそのひとつの回答だと思いますが、simaさんに言わせると当たり前のことらしい。
    まあ、間違ってはいなかったんだな、と思うのも手ではあるのですが、萌え絵師さんたちはどこまで自覚的だったのでしょう。
    きっと萌え絵師さんたちは、いかにかわいく描くか、の過程で「赤ちゃんみたいにすればいい」と気づいてその方向でどんどん進化させたのだと思いますが、受け手である男性側の母性的傾向が以前に比べて高くなっていると言う認識まであったのかどうか?
    そもそも、本当に高くなっているのか?も疑問ではありますけれど。(笑)
    >外野素人さん
    >萌え学のほかにおまいらが救済される楽土はこの世にないよ。
    大丈夫です。
    恐らくここにいる多くの人は「萌え」に限らず、およそ何についてでも熱く語れる人たちです。
    世の中語る対象には事欠きません。

  96. ナギ より:

    こういうの↓読むと、「萌え」ってルネサンスの時代からあったような気がしてきます。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%B3%E3%83%86
    本田透氏の脳内彼女とおんなじではないかと。

  97. 骨男 より:

    あ、1026さんがほぼ同じこと書いていましたね。
    すみませんでした。

  98. なっこ より:

    「吸い込まれるような」って表現ありますよね。魅力的な瞳に対して。
    あれを表現しようとしたのが、今の瞳孔の大きな萌え絵の瞳なのかなぁと思います。
    で、吸い込まれるということは、何かに包み込まれるということでもあって、「萌え」は「男性版母性愛」とも言えると同時に、何かに包み込まれたい欲求でもあるのかなと思ってたりします。
    90年代のアニメ絵の瞳は、今のエロゲ絵より、とかくキラキラしてた印象。瞳孔の大きさもさることながら、キラキラ度が抑え目になったのは、キラキラしてはね返すより、押さえて吸い込ませることに重きを置いたからかなと、萌え絵の研究(とは名ばかりの落書き)をしながら思うのです。

  99. 骨男 より:

    >なっこさん
    確かに昔の絵はキラキラしていましたね。キラキラが減ったのはスタイルとして広まりすぎて逆に差別化ができなくなった&遂にはパロディの対象になってしまった、という現実的な理由の方が大きいかな?とは思いますが、なっこさんのいう「吸い込まれるような」感じは確かに瞳孔が開いてしかもハイライト(キラキラ)の入っていない萌え絵から強く感じますね。
    僕が思うに、ハイライトが入っていると、キャラの中に「意識」が在る感じがするのだと思います。目が覚めている感じ、と言いますか、ちゃんと自分で考えてこっちを見ている感じ。
    反対に瞳孔が開いていてハイライトの無い絵は、瞳孔がでかいのでこっちを見ている感じはするのですが、瞳の中に「意識」が感じられない。夢遊病というか、ボーっとしているというか。何考えているのかわからない。
    なっこさん「吸い込まれる」感じも、「何を考えているのかわからないために神秘的に見えた」結果だと考えると同じかもしれませんね。
    で、これやっぱ赤ん坊ですね。
    赤ん坊にじっと見つめられると、かわいいんだけれど、「何かんがえてるのかな~?」って思いますから。
    こういった萌え絵の逆アセンブル作業は面白いですね。

  100. ヒロポン より:

     瞳の大きさ、瞳孔の散大具合と瞳の大きさ故に目と目の間が開く傾向は80年代ロリコン絵から連なるものですね。
     目的は、皆さんもお書きのように瞳に注視させることで気持ちを引き込もうという無意識の作為でしょう。
     高寺彰彦さんが瞳の離れているキャラクターは存在の中央が虚無化している、と書いていたような記憶があります。瞳孔の散大、意思を感じさせる瞳の光表現の縮小も総じてキャラクターの意思や存在性を希薄にすることで、更に鑑賞者の妄念を引き込もうとする無意識の作為ではないでしょうか。

  101. sima より:

    瞳を大きくするとかわいいと感じるのは、本能なのか、ただの流行なのか?
    私は母性本能からきていると思ってます。でも、浮世絵とか江戸時代は、細い目が流行していたみたいだし? 目や瞳孔を広げて刺激するのは、ただの流行なのか? 本能的、普遍的なものなのか? そこんとこが気になる。

  102. くろいぬ より:

    その後の議論の流れを見て来ましたが、個人的なスタンスとしては、自分が以前書いた下記のエントリでほぼカバー出来ているんじゃないかと思っています。
    「萌えはキャラへの初恋ではない。必ず2度目以降の恋である」
    http://d.hatena.ne.jp/shields-pikes/20060227/p1
    >非難するつもりはありませんが、骨男さんや、くろいぬさん、
    >ほかにもたくさん意見がありましたけど、どれも
    >「萌えオタの、萌えオタによる、萌えオタのための萌え論」という感じがして、
    >いまいち視点が近すぎる感じがいなめないんですよね。
    やっぱり、そう見えてしまいますね。
    宗教論などでも良く言われる話ですが、客観と主観の問題がここでも生じているように思います。
    つまり、「全く萌えていない人」は萌えの感情について表面的にしか理解出来ないが、逆に「完全に萌えてしまっている人」はもはや萌えについて客観的に論じることが出来ない、と。
    僕自身は、学生時代にはアニメやライトノベルやゲームが好きでしたし、ゲームの仕事もしていましたが、最近では現役の萌えオタとは呼べないと思います(ゲームはニンテンドーDSしかしないし、漫画はメジャーな少年・青年誌を立ち読みする程度。ラノベ、エロゲー、アニメは接触ゼロ)。
    つまり「萌え」に関しては、受け手→作り手→傍観者と言う流れです。その意味で、ある程度の「萌え」理解もあるし、客観性も保ててるんじゃないかと勝手に自負しています。久々に萌えたい気持ちはありますが、萌えメディア接触頻度が低いのでなかなか難しそうです。
    ところで、1999年頃「萌え」をテーマにしたメタ的なゲームのシナリオを書いたんですが、今考えるとあれはコンシューマ機初だったんじゃないかと。ネット上にダイジェストがあったので、リンクしておきます。
    http://storyteller515.hp.infoseek.co.jp/log/part14.html#a226
    この頃とは、かなり概念が変わりましたね。当時は、正直ここまで広まると思っていませんでした。

  103. くっぱ より:

    イラストの女の子の目の大きさについて、私も萌え絵と評されるようなイラストは描けないのですが、やはり目は大きく描いています。なぜ大きく描くかについては、あまり深い意味を込めようとは思っていなくて、単純に黒目に入れるハイライトの大きさとのバランスかなと考えています。
    私の場合、イラストといっても完全に趣味の範囲なので、商売で描いている人とはまったく事情が違うと思いますけど、黒目に入れるハイライトは非常に重要です。ハイライトを入れる瞬間、自分自身でもアホだと思うのですけど、自分の描いたイラストの女の子に萌えてしまうのです(「萌え」の定義にはこのコメント欄だけでも諸説あるので、私の定義での「萌え」ですけど)。左右の黒目に小さな白い点を一つずつ入れるだけなのですが、その瞬間の生命が宿ったように感じられて、大げさにいえばその萌え感覚が得たいがためにイラストを描いているようなものかもしれません。
    その他、イラストを描く上で神経を使うのが、ほっぺからあごにかけてのラインです。これが自分自身で納得いくように描けていないと、いくら目にハイライトを入れても、もう萌えないんですよね。漫画やアニメを見ていても同じで、ほっぺからあごのラインが少しでもバランスが崩れているとか、貧相だと感じると、途端に粗悪な作り物のように感じて萌えなくなるような気がします。

  104. 骨男 より:

    >外野素人さん
    今読み直していて気がつきましたが、
    >つまり、ヒトは萌えるとしても「サルは萌えるか?」とゆう話。さらにはケモノは萌えるか?鳥は、魚は、昆虫は、アメーバは……
    の外野素人さんですよね?
    とすれば
    >ああ、楽土、楽土……
    って、あなただって。(笑)
    上記の疑問ですが、「萌え」を単に「男性の持つ母性」とするなら動物でも「萌え」うるでしょうね。
    しかし、「架空のキャラに」との前提を加えるとまず「架空」という概念を理解していなければならないので、そう簡単にはいかない。
    この辺はまだ本職の研究者間でも見解の分かれているようですが、チンパンジーやボノボなどの高等霊長類では(人間が教育すれば)そういう概念も理解するようだという研究結果はありますね。

  105. 骨男 より:

    >>非難するつもりはありませんが、骨男さんや、くろいぬさん、
    >>ほかにもたくさん意見がありましたけど、どれも
    >>「萌えオタの、萌えオタによる、萌えオタのための萌え論」という感じがして、
    >>いまいち視点が近すぎる感じがいなめないんですよね。
    うーむ、前にも書きましたが僕も「萌え」の人ではないですよ。
    なぜ彼らは「萌え」るのか二興味があるので、それを一所懸命に想像して(笑)書いています。その結果を「こうなんじゃない?」と書いているつもりです。
    ただ、もし僕が今の10代だったら「萌え」の人になっていた可能性はありますね。
    ただ、その場合でも僕はゲーム業界にはいたけれど、自分ではゲームしないし、ギャルゲーはやりたいと思ったことも無いので、王道「萌え」にはならずに漫画アニメ経由だとは思いますが。
    あくまで、王道をゲーム由来として書いていますけれど。

  106. 骨男 より:

    >豆たろうさん
    >くっぱさん
    「フェチと萌え」についてですが、「フェティシズム」と「フェチ」も微妙に違う使われ方をしているところもややこしさの原因ですね。
    「フェティシズム」は学術的にも使いますのでわりと定義のしっかりした言葉で、必ずしも性的なものを意味しないこともありますが、「フェチ」は俗語ですので性的なものと関係して語られることが多いです。
    あと、「フェティッシュ」は本来はフェティシズムの対象となるもののことですが、日常使われている意味はちょうど「フェティシズム」と「フェチ」の中間的なニュアンスのような気がしますね。
    混乱に油を注ぐかもしれませんが
    「フェティッシュ(対象物) -> フェティシズム(執着) -> 性欲」=「フェチ」
    「フェティッシュ(対象物) -> フェティシズム(執着) -> 母性」=「萌え」
    ってのはどうですか?

  107. ヒロポン より:

    apgさんも、くろいぬさんも、骨男さんも萌ヲタではない。ちなみに私も。
    萌ヲタは、発言をしていないってことかしら。
    もうちょっと萌真最中の方の支援がいただきたいですね。

  108. 骨男 より:

    追加です。
    つまり、「フェチ」と「萌え」は違うものであるが、共に「フェティシズム」に含まれる。
    しかし、「フェチ」はもともとは「フェティシズム」の略語であるために誤解しやすい。特に学者さんは「フェチ」を「フェティシズム」の意味で使う場合が多いだろうから混乱しやすい。
    斉藤氏はご本人もオタク傾向があるので「フェチ」を我々と同じ意味で捉えることもあるようだが、学術的に「フェティシズム」の意味で使っているところもあるので、これが氏の話に矛盾がある理由のひとつ(他にもあるけど)では無いか?
    ってことです。

  109. くっぱ より:

    萌えの本質を「母性」とか「恋」とか「愛」のような言葉で語るのは、なんとなく詩的な感じがしてこっ恥ずかしい私としては、萌えの本質は「認識」であるとしてみたいと思います。
    人の顔を認識するとき、無意識に何らかの特徴で認識していて、たとえば好きなタレントの写真なんかでも、その特徴がよく現れていないと、あまりいい写真とは思えなかったりするわけです。
    萌え絵についても同じで、キャラクタの存在を表すだけの記号としての人物絵の中に、生身の人間を意識させられるような何らかの特徴を認識したときに、萌え感情が沸き起こるのかなという気がしています。で、その特徴というのは、上のタレント写真の例と同様に、写実的というのとは別の何か微妙なものであって、写実的に描かれた3DのCGが蝋人形っぽくてあまり萌えられないのも、そのあたりに原因があるような気がします。

  110. くろいぬ より:

    自分は、1998年頃に流行の恋愛系ゲームの企画をしたこともあったので、その時に萌え系の属性については徹底的に調べ上げました。
    当時にしてはあからさまなマーケティング手法で作られた「ラブひな」が話題になっていた頃ですね。
    そのころから既に、ネット上には「幼なじみ」「メガネっ子」などの属性群について分析したサイトがあって、その一覧表を参考にした記憶があります。
    >もうちょっと萌真最中の方の支援がいただきたいですね。
    本当にそうですね。ただ、先のコメントで述べた宗教論の話でもそうですが、本当に「萌え最前線」かつ「客観的な自己認知」の両方を持ち合わせている方は非常に希有だと思います。
    現在進行形で萌えている人にとっては、自分達の行動に対する定義なんて、「大きなお世話」以外の何ものでもないでしょうし。
    受け手だけじゃなくて作り手寄りであるとか、分析・評論好きだとか、何らかの客観的な視点を意識的に持とうとしている人しか、語ってくれないんじゃないかと思います。
    そうなると、「元萌えオタ」とか「萌え作品の作り手」とか「カルチャーとしての萌えに興味がある人」くらいしか、積極的に議論に参加してないんじゃないかと。
    ここに参加しているみなさんも、純粋な萌えオタではなく、上の3つのどれかに当てはまるのでは?
    あとは、座談会形式じゃないですが、最前線の人同士のコミュニケーションを客観的に観察することくらいでしょうか。
    いずれにせよ、今の段階で「萌え」の定義を厳格にまとめることにこれ以上固執せず、たけくま先生には具体的な作品分析や技術論に向かって欲しいです(脇道で盛り上がって済みませんでした)。それには、まず「萌え絵」の題材が必要ですね。

  111. 豆たろう より:

    >骨男さん
    フェチィシズムが呪物崇拝や物神崇拝という意味で使われるなら萌えがフェチと言うのもわからなくもないです。
    ただフェチと言うとやはり一般には性的なものとしか受け取れないですよ・・・
    骨男さんの言うように萌えが母性ならなるべく性的なものは消しておきたいという気持ちがあるのかもしれないです。
    どうも萌え絵らしきものを書いている僕も純粋な萌えオタじゃないようですね。

  112. 匿名 より:

    萌ヲタっていうほどでもないけど、
    http://www.moetan.jp/
    だれでも、こういう絵を見てふつうにかわいいと思うはずだけどな?
    こんな絵でオナニーなんかしないし。

  113. ぼぼ より:

    >1026さん
    「動き萌え」は、実感的には、わたしには分かるような分からないような感じなんですね。
    アニメーターは持っているべき感覚だと思いますが。
    「萌え」といってしっくりくるかどうか。
    ただ、「運動」に「実体があるのか」「観念上で捉えた物なのか」うんぬん言っても結果に影響せず、無価値な気がしますね。
    私は、フェチで「物=実体性」をどうこう言うこと自体、無意味だという立場を強くとってますので。
    理屈でない語感の問題もあって、「動きフェチ」というとしまらないしよく分からないけど「動作フェチ」っていうと、しっくりくるでしょう?
    萌えの方も、
    例えば「上目遣い」というのは動き=動作=しぐさですが、「上目遣い萌え」とか「モジモジ萌え」「ずり落ちためがねを直す萌え」とかあってもいい気がしますね。
    「しぐさ」や「表情」というのは、「感情」と密接にリンクしていますから、「感情」を通じて「性格」=「キャラ=性格設定」に通じます。
    たけくまさんの「固有の動き」の「キャラ化」の話というのは、「固有のしぐさ」と「性格設定」の相関性の話と考えれば難しいことじゃないんじゃないかな。
    私にとって「フェチ」っていうのは「萌え」の一側面なんですね。
    フェチっていうのは、ある種の「カテゴリー」に興奮するわけですが、
    未分化でまだ「カテゴリー化」されていなくても、「萌え」たり「興奮したり」は出来るわけです。
    「フェチ」を「萌え」の感情の「トリガー=引き金」と言ってる人がいましたが、感覚的には似たことを言いたいんじゃないかな。
    私の場合、ある感情や美意識の「認識の発達上」、「分化してカテゴライズされてるか」、まだ「未分化」かの問題と捉えています。
    また、「萌え」というのはエロのように「向こうから向かってくる感情じゃなくて」「こちらから向かっていく」感情なんですね、これは「能動的」だともいえるんですが、「相手に引き寄せられてる」と考えれば、「惹き付けられる」、つまり、「受動的」とも考えられる。
    この「能動的かつ受動的な」惹き付け(引き付け)られる感情というのは、
    「萌え」を語る上で本質的なものが含まれてるんじゃないかと思います。
    上で論じられている「引き込まれる(引き込む)目」の例というのは私も前から考えてたんですが、今の話につながります。
    この「能動的かつ受動的な」というキーワードを「ゲーム」や「インターネット」などの「能動的かつ受動的な」メディアの登場と発展と「メディアミックスによる表現の相互作用」と相関づけて
    理論化出来ないかということを前から考えてるんですが、出来るか分かりませんし、まだ構想中ですね。
    そのときに「引き込まれる(引き込む)目」の例を出したかったんですが・・

  114. 外野素人 より:

    >骨男さん
    >の外野素人さんですよね?
    はい。同一人物です。
    ——————–
    チンパンジーやボノボなどの高等霊長類では(人間が教育すれば)そういう概念も理解するようだという研究結果はありますね。
    ——————–
     ↑
    とても興味ぶかいお話です。

  115. 匿名 より:

    >こんな絵でオナニーなんかしないし。
    そんな事はないですよ。

  116. くっぱ より:

    骨男さんの
    > 「フェティッシュ(対象物) -> フェティシズム(執着) -> 母性」=「萌え」
    と、ぼぼさんの
    > 「フェチ」を「萌え」の感情の「トリガー=引き金」と言ってる人がいましたが、
    を読んで気がついたのですが、時系列において「フェチ」が存在して初めて「萌え」が成立するという点が、とても興味深いと思いました。言い換えると、「好き(執着している)」だから「萌える」ということだと思うのですけど、だとすれば、私の「萌え」解釈
    「トリガー属性をたまたま認識」(まだ執着していない)→「萌え」〔→「好き」(フェチ心の発生によってトリガー属性を認識する機会が増大)→(「トリガー属性を認識」→「萌え」)の繰り返し〕
    におけるオプション部(「好き」以降)に対応するのかなと感じています。
    で、たけくまさんの「動き萌え」については、時系列において「好き」以降のオプション部に移行する前の「萌え」にあたるのかなと個人的にはイメージしています。もしそうならば、私の解釈では「動き萌え」は「萌え」であって、「好き」以降のオプション部のみを「萌え」と解釈する立場から見れば、「萌え」ではないということになるのかもしれません。

  117. (3/5. 24:00深夜・追記)

     俺と萌え(番外2)斉藤環氏とのやりとり http://memo.takekuma.jp/blog/2006/03/post_dd9c.html#comments が、事実上「俺と萌え(番外)フェチと萌えは違う?」の続きエントリになってて、向こうのコメント欄がなんかごちゃごちゃしてるので、このエントリをトラバしてみます。  何がごちゃごちゃって、向こうの議論の流れだと小難しく評論じみてて、『萌え産業』という呼び方をしたときの『萌え』が全く説明できてないな、と思ったもんで。 …

  118. 外の犬 より:

    # Aa 『↑あの~鶴岡ってあの鶴岡先生でしょうか』
    # 鶴岡法斎 『http://blog.goo.ne.jp/t-housai/
    どの「鶴岡」ですか?(笑)』
     :
    # nagatani 『>どの「鶴岡」
    あの鶴岡先生ですよ。
    かつて師匠からご紹介にあずかりました。
     :
    # Aa 『あブログお持ちだったんだ
    知らなかったです』
    なるほど。「あの」鶴岡「先生」てのも皮肉で言ってたんですね。なら了解。すんませんでした。

  119. apg より:

    「男性版母性」についてですが、主観的な結論としては正しいと思います。
    しかし、個人的には「そうだよねー」とみんなが納得するのはつまらない(笑)ので。
    ちょっとしたタブーかもしれませんが「母性」について一言、
    「授乳器官としての乳首は、そのまま性感帯でもある」
    これについてどう思われるのか、ちょっと知りたいです。
    ただ、「男性版母性」からもうちょっと話が広がるかな、と思いまして。
    授乳時に母親が性的に感じているかで疑問を持つ方もいるかもですが、
    内田春菊さんが、作品中で、授乳について
    「あんなもん気持ちよくなきゃやらない」と言っていましたから、事実です。多分。

  120. フェチと萌えの違いは?

    僕はかなり面白く見た昨日の「エウレカセブン」ですが、ネットの実況板とかアニメ板と

  121. 豆たろう より:

    >apgさん
    参考
    http://www.hatena.ne.jp/1139259470
    >「授乳器官としての乳首は、そのまま性感帯でもある」
    これは赤ちゃんに乳首をすわれて感じたくないのに感じちゃうお母さんと解釈すればよろしいのでしょうか。
    ギャグのネタとしてたまにある気がしますが・・・
    一応萌えになると思いますけど、
    こういうのは萌えより萌えエロ(萌えとエロを両立させている)と言うジャンルになってくる気がする・・・

  122. apg より:

    >豆たろうさん
    レスありがとうございます。
    いや、そういうことを言いたかったのではなく、
    「男性版母性愛」というと、非常に美しく聞こえますが、
    実際は性的欲求と同義、もしくは限りなく近いものなのではないか、
    ということが言いたかったんです。
    まあ、その辺は、この説のここでの提唱者である
    骨男さんも少し触れている部分はありますが。
    つまるところ、じゃあ、「男性版母性」って何なんでしょう?ってところは、
    まだ踏み込む余地があるかな、と思いまして。

  123. 骨男 より:

    >apgさん
    性的欲求と母性的欲求はどの程度別のものなのか?と言うことですよね。
    そもそも、母性の前提には子供の存在があり、さらに子供の前提には生殖行為があるので、性的欲求と母性的欲求は密接に関係していることは間違いないでしょう。実際心理学的にもこの二つは平行して扱われることが多いようです。
    ただ、女性の場合は身体的に子育てと出産と性行為に利用する器官が共通するところがありますが、男性の場合はそういうことはありません。
    ですので、身体感覚的には男性版母性は女性ほど性と関連しない可能性はあると思っています。
    だいぶ前の書き込みではそういう意味で男性版母性の特徴を「社会的な保護」にあるのではないか?としていました。
    ただし、身体的な関連が薄くとも、心理的には「社会的な保護->上下関係->所有->鬼畜」という線は当然考えられるわけで、実際そういうケースはたくさんありますよね。
    このあたりは大雑把に言えば、進化の過程で発達した各種感覚や本能、欲求が本来の目的以外の形で動作しているのだと思います。もっと具体的に言えば(神経系を含めた)脳の誤動作なわけです。
    そして、同じことは「性と母性」だけではなく、「性と恋愛」、「恋愛と母性」の関係にも言えますので、萌え論は最終的には「性、恋愛、母性」の正常動作と誤動作が我々の行動へ与えているバランスの変化として語られるのかもしれません。
    今書いていて気がつきましたが、「性、恋愛、母性」の全てが関係するものとしては他に「家族」がありますよね。「家族萌え」を解析するのが近道かもしれません。
    というか、この線は既に本田透氏が「恋愛(純愛)」の文脈で試みられていますね。
    思いつくまま書いてしまいました。
    他のみなさんのご意見も知りたいです。

  124. apg より:

    改めてコメント欄を読み返しました。
    ぼぼさんのコメント、
    フェチと萌えの違い=「カテゴライズされているか否か」ですが。
    納得です。 正しいと思います。思いますが、
    個人的にはそれでは面白くない(笑)
    ぼぼさんは「実体」という概念の曖昧さをもって、
    その辺を語るのは無意味だ、とおっしゃっていますが、
    ぼくはそうは思いません。
    その辺は、ぼくがかなり前に書いた
    「言葉の限界」によって、「目の前の机は本当はここにはない」
    ような話になっているんです。
    しかし机は本当にあるんです。
    ぼぼさんは、「日常的には、手で触れられるもの
    を指す言葉として[実体]という言葉が用いられている」と言っていましたが、
    その通りだと思います。
    それ以上の意味はいりません。
    実体の曖昧さ、とは
    「[私]は、ある対象を、[私以外]と共有できるのか?」
    という「不安」から来ていると思います。
    しかしそれは、「全ての客観的論理の否定」、に繋がってゆくと思うのです。
    たとえ目の前の机が人によって全く違うものに見えたとしても、
    それによって机の存在の否定は出来ません。
    現に、最後のぼぼさんのコメントもかいつまんで言えば、
    「おれはこう感じる」という意見でしょう。
    たけくま先生に、それは「おれと萌え」というより「おれの萌え」だ、
    とおっしゃっていましたが、ぼぼさんのそれも、
    「おれの萌え」です。
    だからといって、何をいうわけではないんですが、
    ただ何かこのままだと負けたみたいなんで、
    何かいっとこうかと思っただけです(笑)
    斉藤氏の論理は言葉のアヤがあるとは思いますが、
    聞くべき部分もおおいにあると思う、といったところでしょうか。
    ぼぼさんは大変知識も豊富だし、
    昔の記事を読んでいて、なるほど勉強になるなあ、といつも思っています。
    今更ですが、少し尊敬しています。
    だから怒らないでくださいね。
    みんなが「おれの萌え」を言い合う以上のことは
    たけくま先生も期待していないでしょうから。
    もう読んでないか・・・

  125. みなさまレスどうもです。
    眼を大きく描くのは、竹久夢二さんからでしょうか?
    仮にパイオニアではなくとも、彼の作品群によって
    日本国中へ大きな瞳への美意識が広まったのは。
    まず動かし難い事実、史実ではないでしょうか?
    えっと、アウトサイダーアートのお話、実は2ちゃんの「トップをねらえ2!」スレッドでもゆわれちゃってました…てへてへ。その作家さんの名前が出されて…会田誠さんは初耳ですので、ぐぐって参ります。

  126. apg より:

    会田さん、ぼくは昔会ったことがあります。
    2000年の水戸芸術館の展覧会ですが、
    かなりファンだったのと、若気の至りでしょうかね、
    会田さんは天皇陛下の絵を描いてたんですよ、
    あの、日本画の巨匠・・誰でしたか忘れましたが、
    の絵をそっくりそのまま真似て。
    しかも本物の血で、「天皇陛下万歳」って書いてあるんですよ。
    凄すぎるんで、思わず「これ本気で描いてるんですか?」って
    聞いてみたんです。
    そしたら「半分本気です」という、
    いかんともしがたい答えが・・・
    会田さんと言えば、「スペースウンコ」ですね。
    そういえば、会田さんって萌え外野でもなく、
    ど真ん中でもなく、まさに「半分本気」といういみで、
    非常に参考になりますね。
    キングギドラ対フジ隊員とか。
    でも萌えド真ん中の方はきっと嫌いでしょうねぇ。
    でも「半分本気」は現代美術では、
    よくある姿勢かも知れない。

  127. apg より:

    >メルヘンひじきごはんさん
    誰かが似てると言っていたのは、多分
    「ミュータント花子」なので、
    それで検索してみることをオススメします。

  128. apg より:

    >骨男さん
    レスありがとう御座います。
    「脳の誤動作」ですか。
    どなたかもそれについて少し触れていましたね。
    骨男さんが、これから自身の説を発展させていくにあたっては、
    避けては通れないですね。
    何故、誤動作が起きるんでしょう。
    環境ホルモンの影響でしょうか(笑)
    しかし、骨男さんの「感情」を重視した説にしては、
    少し機械じみた結論のようにも感じます。
    しかし根本的に、ぼくも含めみなさん単純に「議論好き」だと思いますので、
    そろそろたけくま先生の次のネタをまったほうがいいんでしょうかね。
    コメント欄も過去最長じゃないですか、もしかして。

  129. 骨男 より:

    >apgさん
    >少し機械じみた結論のようにも感じます。
    僕は感情は脳が作り出すものだと信じているので、、、
    自分の脳なのにコントロールできないってところが面白いと思います。

  130. apg より:

    もういいかげんにしろ、
    と言われるかも知れませんが、
    今回の対話で、僕的に重要だと思われる点は、
    ぼぼさんの「カテゴライズ」と、骨男さんの
    「キャラ表現として繰り返されれば」というコメントであります。
    これは、ごくかいつまんでいえば、
    キャラとして「ベタ」にならなければ、萌えにならない
    ということなんですよね。
    いままでも、散々コメントされてきたことかもしれませんが、
    以前は「キャラクター」には、「類例が少ない」ことが求められてきたと思うんです。
    「イッサクさん」のように(笑)
    ところが、萌えキャラは全く逆で
    類例がより多いものほど、キャラクターがより立っている、
    と言えると思うんです。
    これは僕にとって非常に新鮮なことです。
    次は、いかにしてキャラクターの「要素」が
    「カテゴライズ」されて、「属性」と呼ばれるようになるのか、
    に興味が出て来ました。

  131. apg より:

    しかし、どの時点で、キャラが、
    「属性」としてカテゴライズされた、と言えるのかは
    非常に難しい問題ですね。
    例えば、うる星やつらの
    「サクラ先生」などはどうでしょう(古)
    多くの類例があると思いますが、
    いつどの時点で「サクラ先生」は
    「カテゴライズされた」、と言えるんでしょうか。
    高橋留美子が、違う作品で似たようなキャラを
    出したときでしょうか。
    それとも、ほかの作家にパクられた時に、でしょうか。
    これはもしかして、「パクりの歴史」と関係が深い話でしょうか。
    だれか詳しい方、教えてください。
    ※「さくら先生」は古いかも知れませんが、
    「ラブひな」などに非常に良く似たキャラが
    出ていた記憶があります。
    それとも、のまねこ(でしたっけ?)問題にも通ずる、
    「発明」を個人のものとせず、みんなで「共有」する、
    という意識が最初からあるのでしょうか?

  132. ミュータント花子、おおせのままにぐぐって参りマスタ
    ああ、なんというときめき。>会田さんのポスター
    クリムトのダナエーを初見した時と、よくよく似ています…日本人でありながら、時に黒髪を憎む俺を、探られてしまう。
    そいから!!!!某ヲタク芸術家さんの、卒業制作、観た時に、「きったねえなぁ…」と思ったに、「アレ?会田さん?」混乱しました。ぐぐってもヲタク芸術家さんの卒業制作タイトルがヒットしにくいのにもアレアレですよ…なぜおかしいと思うかっつーと、会田さんのフジ隊員の絵は、ヒットして、しかも俺が今観て「きったねえなぁ…」と、思わなかったからです、むしろ美しかった。ヲタク芸(ryさんのは、平面的でした。会田さんのは、きっちり肉体が描かれてます。
    もし、俺の記憶違いで、ヲタク芸術家さんの卒業制作がアキコ隊員のじゃなかったら、謝らなきゃでしょうな…どういうことなんですこれ。

  133. ヒロポン より:

    >apgさん
    それほど興味の無い話ですので、私自身に論はありませんが「属性」と「カテゴライズ」の成立にはアニメ・特撮ブームが一役買ったように思えます。
    80年代頃から粗造乱造されたそれらの子供向け番組の主要登場キャラクターが「熱血漢」「メガネ」「クール」「デブ」「紅一点」的なキャラクターのカテゴライズできる形で提供されていたので、受け手の子供たちもステロタイプなキャラ表現に慣れていったのが起こりではないでしょうか。
    78年から87年にかけて連載された「うる星やつら」も、このようなカテゴライズの原型になったのではないかと思います。(メガネキャラで、うるさく理屈を言うのは明らかにうる星ですよね)サクラ先生のようなというのは,どのような属性を指しているんでしょう「巫女」?「保険の先生」?「暴力的なお姉さま」?
    これらのそれぞれのカテゴライズ自身は、それ以前のエロスの中にも散見できるように思えるので高橋留美子がカテゴライズしたということもいえるのではないかと思います。

  134. くっぱ より:

    >apgさん
    ヒロポンさんが上のコメントでおっしゃっているように、私もベタなキャラというのは昔から存在していたような気がします。だとしたら、ベタなキャラやカテゴライズというのは「萌え」の本質といえるのでしょうか。
    もしかして、「萌え」というのは、ステレオタイプに表現されたキャラの「ファン」というのと同じなのでしょうか。それとも、何か違いはあるのでしょうか。

  135. ヒロポン より:

    ステロタイプに表現されていても、こと男性の「萌」概念に『うる星』の「メガネ」が入らない以上(入りませんよね?ww)違いはあると思います。という冗談めいた話は置いといて。
    ベクトル的には似たものなのでしょうが、おそらく旧来からのファン心理というものだけでは説明できない逸脱があるからこそ「萌」なのではないでしょうか。
    そして、その逸脱の部分がフェチ的なものと近接しているという感じの流れかと。

  136. apg より:

    >メルヘンひじきごはんさん
    会田さんのポスター、とはもしかして、
    「切腹女子高生」ですか?
    あれは大変素晴らしいですね。
    会田さんは単純に絵がとてもうまい、
    という部分が、非常に狂っていて好きです。

  137. フェチと萌えの違いは?

    僕はかなり面白く見た昨日の「エウレカセブン」ですが、ネットの実況板とかアニメ板と

  138. apg より:

    「さくら先生」はちょっと例が良くなかったでしょうか(笑)
    僕がなにを言いたいかというと、みなさま、
    「網状言論」の「戦闘美少女の精神分析をめぐって」の中で紹介される
    「addictionの3つの層」をお読みになりましたか?
    ここで既に、いままでこのたけくまメモの中で
    出てきた大方の意見がカバーされているように感じるんです。
    どなたかが言った認知心理学については、
    多少触れているのみですが、ぼく個人としては、
    認知心理学の視点を突き詰めると、
    「脳内の電気信号に変換され云々」の話になってしまうと思うんです、
    それはあまり楽しくありません。
    それに、その観点の専門家ならいざしらず、
    素人がいくらがんばっても、もう既に、
    専門家による論理展開がいくつもなされているはず。
    まあそれらが絶対に正しい、とは思いませんが。
    しかし、この「addictionの3つの層」のなかでも、
    「ネコ耳」や「緑色の髪」などの「記号」が、どのようにして「定番」と化すのか、
    については触れられていない気がするんですよね。
    ここに深く突っ込むことは、さるまんにとっても大いに役立つような気がしますし。
    いままでのコメントでも、「萌え」と「データベース」の
    関係について述べられたものは数多くありましたが、
    その「データベース」がどのようにして形作られるのか、
    には誰も触れていない。
    たとえば、萌え初心者の人が、どのような過程を経て、萌え玄人になっていくのか、とか。
    そういうことが言いたかったんですけど、
    だれも興味ないんじゃしかたない・・・

  139. apg より:

    ↑そもそも、萌え初心者と玄人ってのが間違ってるかもしれませんが。

  140. ヒロポン より:

    「網状言論」は読んでいませんので、筋違いであれば申し訳ないのですが。
    萌えのデーターベースは受け手によって形作られるのですから、何回も物語を見ることによって、そしてそれを語ることによって形作られるのでは?パーツの属性化にしても、既に存在した記号が萌対象に価値を変えていったモノがほとんどでないですか。
     データーベースはデーターの蓄積から生まれるものでしょう。
     その意でいけば、萌初心者(?)が萌玄人(?)になるのは、「個人的な継続的かつ網羅的なオタク的映像物の鑑賞と、関連情報の取得から自己の中に信頼できると確信できるデーターベースを作っていく事」で成されるのではないでしょうか。
    >>「発明」を個人のものとせず、みんなで「共有」する、という意識が最初からあるのでしょうか?<<
    というapgさんの発言が近いんじゃないかと思いますが、共有されなければ「萌」コードたりえないのではないかと思います。

  141. ヒロポン より:

    前のapgさんの発言をフォローするために、ちょっとだけ補足。
     「サクラ先生」萌の後に、「サクラ先生」と一部キャラクターの特徴的・性格的部分の似たキャラクターが生み出された時に、その特徴・性格複合物がキャラクターを離れて属性化していくのではないでしょうか?
     その意味では、パクリ問題などとは関係の無い問題かと思います(なんかインスパイヤーとパクリの議論に流れるとイヤなんですが…)。
     萌にとって、萌概念以前の作品はデーターベースに過ぎ無いものではないかと思います(もちろん再評価はありえるのでしょうが)。

  142. apg より:

    >ヒロポンさん
    レスありがとうございます。
    しかしぼくらはいつまでやってるんでしょうか(笑)
    ぼくのコメントを無視できないあたり、
    ヒロポンさんも相当お好きなようで。
    インスパイアとパクリについては、
    ぼくもイチ表現者として一応の整理はついてますので、
    ここで議論する気はありません。
    なるほど、しかし、非難するつもりはありませんが、
    いかんせん抽象的な話で、大分前に出てきた話から
    発展しそうな気配はないですね。
    ぼくはもちろん、
    ヒロポンさんもくろいぬさんも骨男さんも、
    萌えド真ん中ではないことは明らかになりましたから、
    仕方ないことなのかも知れませんが。
    しかし、それは我々がそう思っているだけで、
    そんなに違わないのかもしれないですよね。
    普通のオタクと、そうでないオタクは、区分が難しい、
    という話は「戦闘~」でもでてきました。
    思うに、なにか専門的な、
    「拠り所としての思考メソッド」がない以上、
    実例を並べた検証のようなことしか出来ない、
    と思うんですよね、ぼくなんかは。
    まあひとのブログのコメント欄で、
    なに言ってんだって話ですが(笑)

  143. ヒロポン より:

    >apgさん
    好きですよーwww
     僕は絵描きの末端にいるので、絵描きの視点で、80年代半ばから現在までの漫画・アニメ・ゲームの製作者側の流行り廃りを鳥瞰して発言してます。
     資料を取りまとめて発表する力が弱いので抽象的な発言になってしまいます。申し訳ないです。
     以前も書きましたが萌は世代感覚だと思うのですよ。「ツッパリ」(「ロリコン」「しらけ」でもいいですがw)という概念を他の世代が本当に共有できるのか?を考えると、今たけくまメモで到達している外から見た「萌」の概念は悪くないと思っています。
     そして外から見た「萌」の一本化は、たぶん不可能だと思います。最後のジャッジは世代のものの感覚が下すものなので。もしここを萌世代の方が見ていても「ちょっと違うんだよなー」となると思います。もしくは「頑張ってるんだけどねー」とか?判断基準はまだ揺らいでるのではないでしょうか。
     言葉にならない概念を抱えているのは、我々ではなく彼らなので、言語化が成されるのを楽しみに待ってますよ。

  144. apg より:

    >ヒロポンさん
    申し訳ないなんてとんでもないです。
    ぼくなんてなんの専門知識もないのに、
    ただ興味本位でここでなんだかんだ。
    ここたけくまメモでコメントすること自体を
    楽しんでるみたいなもんですから。
    そのうち怒られるんじゃないかと心配です。
    ところで、ぼくもちょこっとだけ調べてみましたが、
    ネコ耳の起源は「綿の国星」 という
    大島弓子さんという方が描いた少女漫画だそうです。
    実はもっとさかのぼれるかもしれないですが、
    さかのぼり過ぎ、というのもありますから
    (エジプトの壁画の、ネコの顔をした神様が最初、とか)
    微妙です。冗談ですが(笑)
    これが本当だとして、
    「私は綿の国星に影響を受けてオリジナルネコ耳キャラを描いた」
    という方の証言が聞けたりすると、
    楽しくなってくるんですがねぇ・・

  145. ヒロポン より:

    厳密なはじめというのは私もわかりませんが、「綿の国星」(1978年初出)のチビ猫ちゃんのあまりの可愛さに、改めて猫耳が「可愛い記号」として認識されたというのはあるかもしれません。
    チビ猫以前でも、獣人化をしたらその獣に合わせた耳をつけることは当たり前だったと思います。(獣人萌てのもあるでしょう。手塚治虫の獣人は押並べて可愛かったし)
    ポイントは、可愛らしい「エプロンドレスを着た少女」にしか見えないが猫耳と尻尾を持つチビ猫が獣を人間化して表現するという枠を超えて「チビ猫可愛い」=「ネコミミ可愛い」とネコミミを記号に置き換えるだけの力を持っていたということではないかと思います。
    綿の国星以降、5~8年以内くらいのネコミミは大体チビ猫の影響下にあったんじゃないでしょうか。

  146. ヒロポン より:

    ちょっと最後が投げっぱなしだったので、補足。
    83年発刊(多分)のプチアップルパイ【徳間書房】なんかに綿の国星インスパイヤーのネコミミの例は多く見られるように思えます。

  147. 骨男 より:

    僕自身は「萌え」の核心部分は感情にあると考えていて、「属性」の概念が生まれたことについては極論するとたまたま同時進行で起こった別の出来事と考えています。
    しかし、「属性」概念の成立過程を考えるのも面白いので参加します。
    説明をはしょっていきなり結論に行きます。
    まずはじめに、「萌え」以前の「キャラクター」と「萌え」以後の「キャラ」の基本的な変化として、
    「萌え」以前
    a、読み手が「キャラクター」に感情移入して物語を疑似体験することが目的。
    b、「キャラクター」はストーリーのために存在している。
    c、「キャラクター」は主には作り手が創作する。→「真似」(インスパイヤー、笑)がおこり「類型化」する。
    「萌え」以降
    A、読み手自らが直接「キャラ」に対して感情的接触を持つことが目的。
    B、「キャラ」はストーリーから独立して単独で存在している。
    C、「キャラ」は作り手、受けてが融合して創作する。→意識的に共有化され「属性」となる。
    を重要ポイントに挙げます。
    (『テヅカイズ』を未読なので、もしかしたら意味がずれているのかもしれませんが、表記上伊藤氏の「キャラクター」と「キャラ」の分け方を使います。)
    これらの変化のうち「a->A」が最も根源的な変化で、「b->B」と「c->C」の変化は「a->A」の結果起こったものだと思います。
    で、話に上っている「うる星やつら」ですが「萌え」の黎明期の作品としてよく取り上げられますね。
    思うに、偶然なのか、必然なのか、上記の「b->B」と「c->C」の条件がこの作品上で整ったのだと思います。
    しかし、肝心の「a->A」の変化がまだ起こっていなかったので、当時は従来の作品として受け入れられていた。
    けれど、「a->A」の変化後の今の視点で見ると「萌え」の特徴を備えているように見えるのだと思います
    「b->B」については、この作品は基本ナンセンスギャグであったためにもともと可能性を秘めていたといえます。「高校生と宇宙人押しかけ女房」と言う設定さえ押えていればなんでもアリでしたから。まあ、ギャグマンがはもともとこのBの傾向が高いといえます。
    「c->C」については、途中から始まったアニメが大きな役割を果たしたと思います。というのは、原作者の高橋留美子自身がどんどんアニメの影響を取り込んでいって、絵柄や作風を変化させていったのは、ある意味、原作者とアニメ製作者の間での「お互いファン」的なサイクルであると思うからです。
    ただ、さっきも書いたように当時まだ「a->A」の変化はまだ起こっていませんでした。
    この変化は恐らくゲームの普及により促進されたものですので、PSもサターンもまだなかった当時は夜明け前だったのでしょう。
    具体例で行きますと、サクラ先生は巫女キャラとか、姉御キャラ、暴力キャラである以前に「あたるがちょっかいを出す美女キャラクター」の一人なわけです。つまりbのキャラクターです。しかし、あれだけ長く続いた作品である上に、アニメ版のスタッフが彼ら好みに魅力を上乗せする形でBの「キャラ」として膨らませたのだと思います。それをまた原作も取り込んでいったわけです。
    結果的には「b->B」と「c->C」の変化が起こっています。
    「うる星やつら」のキャラが「萌え」以降の「属性」の原型になっているというのは言いすぎだと思いますが、まあ今見るとそう見ることも可能ではあると思います。
    余談ですが、例のメガネですが、原作、特に初期では本当にただの脇役で、ごくまれに気の効いたコメントをこっそりと言う程度のキャラクターだったのですが、アニメ版で押井守によって大幅に拡張されましたね。彼はメガネ君キャラクターが定向進化したサーベルタイガーみたいなものではないかと思います。
    ちなみに個々の「属性」そのものは流行なのだと思います。
    しかも、再利用による共有化が前提の流行ですので、その共有化のプロセスにリアルタイム参加していないものには個々の「属性」は完全には共有できないと思います。
    くっぱさんがファッションとの類似性を挙げておられましたが、この意味でもファッションと同じだと思います。
    ただ、その「属性」が喚起する感情については世代を超えた普遍性があると思います。
    ファッションで流行が変わっても「フォーマル」「カジュアル」の概念が変わらないのと同じと言えるかもしれません。

  148. apg より:

    ふむなるほど。
    しかし自分でふっといて何ですが、
    ぼくが興味があるのは、
    その「ネコ耳かわいい」から、共有される「記号」に
    特化していく過程のメカニズムにあるんですよね・・・
    「個」と「全体」についてとゆーか。
    しかしどうもそれを考えてると、
    認知心理学的なことになっていく気が・・解りもしないのに。
    頭が悪いんですよねぇとことん。
    学問的な思考の拠り所がないと
    単なる「勘」の話になってしまう。
    また今日も無駄にコメント欄を延ばしました。
    親切に教えてくださった
    ヒロポンさんにも申し訳ない。
    ぼぼさんの理論化はどうなってるのかな・・

  149. ヒロポン より:

    >骨男さん
    私も、うる星は属性以前のものであると思います。カテゴライズは仕分け程度の意味で使っています。ステロタイプ形成の一助になっているだろうなという認識です。
    ところで、
    a、読み手が「キャラクター」に感情移入して物語を疑似体験することが目的。>A、読み手自らが直接「キャラ」に対して感情的接触を持つことが目的。
    の変遷に関してはゲーム以上に同人誌文化の影響が大きいのではないでしょうか?
    パロディ同人誌(パロディ・アンソロジーってのもありましたね。シャア猫《浪花愛》とか可愛かったです)が行っているキャラへのアプローチのベクトルが骨男さんの言うところのA.に合致するように思えます。

  150. apg より:

    ↑↑わ!骨男さんの超長文がいつのまにか・・・
    ぼくは明日読ませていただきます。お疲れ様です。

  151. 豆たろう より:

    骨男さんが投稿されてるので僕の書いた意味があんまりないのですが、せっかくなので・・・
    思考法の基本として情報の収集、分類整理というプロセスがあります。
    これは例のアイディアの作り方と同じですね。
    オタクの習性として収集癖があり、普段から収集したものを整理する。
    習慣として分類整理をしているので得意になる。
    作品世界の年表とか作るのが好きだったりするでしょガンダムとか。
    そんな感じで自分の好きな作品を考察するのにキャラクターの特徴で分類して整理していったものがいわゆる「キャラ属性」と言うものになっていったのではないでしょうか。
    自分の好きなキャラについて語るときにもこのキャラ属性と言うのは便利で「○○というキャラの××がイイんだよね~」とかコミュニケーションも取りやすくなる。
    よく使われる属性はオタクの趣味、思考に合致しているという風に見ることも出きるでしょう。
    そうして作り上げられていったキャラ属性が萌え属性として継承されていった。
    たまたまあったものを利用したということですね。
    萌え論がおおもとのデータベースを作る過程について触れていないのは、萌えと関係ないところで成立してきたものだからではないでしょうか。
    ついでに美少女ゲームのキャラクターを属性でデータベース化しているサイトを紹介しておきます
    http://www5.big.or.jp/~seraph/zero/research.htm
    ちょっとわかりにくいですがサイトの上にあるメニューの「Character」というところからデータベースにはいれます。
    萌えを考察する参考資料になりそうです。
    属性データベースというのもありますね http://www5.big.or.jp/~seraph/zero/attribute.cgi
    上のデータベースからキャラ属性は大まかに
    内面属性 関係属性 外見属性
    の三つに分けらそうです。
    で、現在の萌えの状況を考えると、
    「addictionの3つの層」あたりでは萌えとして外見的な記号の強い「デジキャラット」が取り上げられていたのが
    現在の萌えは「メイド」「ツンデレ」といったキャラの関係性や内面性をあらわす属性になっている。
    外見属性から関係属性、内面属性へと萌えの対象が変化していっているように見えると言うことを指摘しておきます。

  152. ヒロポン より:

    > apgさん
    >>その「ネコ耳かわいい」から、共有される「記号」に特化していく過程のメカニズムにあるんですよね・・・<<
    萌との関連はわかりませんが
    【「ネコミミ可愛い」>「ネコミミ」の記号が可愛い】の図式は、漫画の中ではそれ以前もごく普通に行われてきた変換だと思います。

  153. 骨男 より:

    >apgさん
    >認知心理学の視点を突き詰めると、「脳内の電気信号に変換され云々」の話になってしまう
    確かに研究手法はそういうアプローチに移行しつつあるようですが、そこまで行く一歩手前でとどまっておけばこういう話をするときのツールとして認知心理学の考え方は便利だと思いますよ。
    もちろん脳科学に踏み込んでも面白いですけど。
    >わ!骨男さんの超長文が
    すみません。(笑)
    このスレについてはもう長文気にしなくてもいいかな?なんて…
    >ヒロポンさん
    >同人誌文化の影響
    そうですね。同人誌については「c_>C」と考えていたのですが、作品の内容は確かに「a->A」的ですね。
    ところで、もうコミケって30年の歴史があるんですね。
    >豆たろう さん
    >外見属性から関係属性、内面属性へと萌えの対象が変化していっている
    なるほど、確かに。おもしろいなあ。

  154. ヒロポン より:

    >骨男さん
    「c・a」「C・A」の関連性が高いからでしょうね。
    「c・a」
    作り手の創作した「キャラクター」(c)に感情移入して物語を疑似体験することが目的(a)。
    「C・A」
    作り手、受けてが融合して創作した「キャラ」(C)に対して読み手自らが直接感情的接触を持つことが目的。(A)
    同人誌は2の内容をクリアしてしまうので、混ざっちゃうんでしょうね。
    コミケは長いですねー。ある一時期以外は行った事が無いんですけど、同人誌の傾向ははっきりと「萌」の構造である属性分けに向かっていきましたよね。
    思いつきですが、ヤオイの「攻」「受」等女性のほうがカテゴライズにシビアで繊細な気がするので、同人誌の中で腐女子の高いカテゴライズ意識が男性陣に新たなキャラ弄りの視点を与えた可能性もありますね。
    80年代後半位から女性同人作家のセンスが男性作家に影響を与えていましたし。

  155. >apgさん
    無気力大陸、と名前がついている画像のですね。
    小さいですが貼っておきます。
    http://www.rcsmovie.co.jp/kikaku/italia/2004/05/aida.jpg

  156. apg より:

    >あ、そうですそうです。
    でも、「切腹女子高生」のごく一部分ですね。ここで使われてるのは。
    ほんとは10人くらいの女子高生が
    日本刀で切腹して内臓ぶちまけながら
    ニコニコしてるって感じです。
    ヘンリー・ダーガーに影響されてんのかな。

  157. 即レスありがたやです。
    こうなってくると、例の1万ページ小説、読みたくなってきました俄然。

  158. apg より:

    あ、それはもしや、あの、女子トイレを覗くやつですか?
    ぼく、ご本人に会ったとき聞いてみたんですよ「これ実体験ですか?」って、そしたら、さすがに表情を曇らせまして「違いますよ」って。
    舞台も新潟だし、
    その位やってそうだとおもったんですが。
    まあ相当自身の実体験が
    反映されてるとは思いますが。
    まあ私小説ですから当然ですけど。
    ケルアックなんて、全部実話ですからねえ。

  159. apg より:

    >骨男さん
    復旧したようなので、早速。
    「脳科学」で思い出したんですが、
    最近、心臓移植技術の発展に伴い、
    心臓の提供者の趣味嗜好が、患者に転移してしまうという
    症例が増えているって話、ご存知ですか?
    最近の調べでは、心臓に神経の集合体があり、
    ちょっとした脳の役割をしている可能性がある、
    らしいです。
    ぼくはこの話衝撃でしたよ。
    昔からの言い回しで
    「頭で分かってても、心が言うことを聞かない」
    みたいなのありますよね。
    あれが本当だったってことですから。
    そういうことですから、これからは脳と一緒に、
    心臓にある脳のことも考えねばなりますまい。
    趣味嗜好を司っているらしい所からして、
    かなり重要と思われます。
    あと、骨男さんの属性の説明、
    分かり易くていいですね。
    受け手と送り手の関係は、
    やはりインターネットによって変化したんでしょうか。

  160. 豆たろう より:

    昔から魂は肉体に宿るといいますよね。
    復旧記念に小ネタを投稿します。
    とみぃのずぼら日記
    『萌え』の考察:その1
    http://ginnogama.blog4.fc2.com/blog-entry-162.html
    『萌え』の考察:その2
    http://ginnogama.blog4.fc2.com/blog-entry-163.html
    上のリンクは、萌えに派閥があるという内容なのですが、
    派閥がかなり細かく分かれていてわかりにくいので
    大まかにまとめて、
    キャラクター派
    外見派
    内面派
    関係派
    その他の派閥
    に分けます。
    すると面白いことになります。
    「キャラクター派」とその「他の派閥」を除くとキャラクター属性で別れてしまっていることになります。
    これは、キャラクターの構成要素のどの部分に萌えという感情を抱いているのかが人によって違うということを示しています。
    そして「キャラクター派」は外見、内面、関係のすべてをあわせたものに萌えているとなるようです。
    また「キャラクター派」、「外見派」、「内面、関係派」というくくりで見ると萌えの変遷と同じになり
    世代別の萌えの違いと見ることが出そうです。
    これは萌えに関する考えが人によって違っていることの説明になると思います。
    「キャラクター派」はすべての属性を俯瞰していて
    「外見派」は萌えをフェチといい
    「内面、関係派」は萌えはエロではないと主張しているのではないでしょうか。
    その他の派閥に関しては今回は割愛。

  161. apg より:

    なるほど、でもそれって、女の好みで、
    顔か、中身か、っていってるのと同じじゃないですかね?

  162. 豆たろう より:

    >apgさん
    >女の好み
    まあ、同じようなもんでしょうね。
    ただ、議論する上で前提になっているものが違っていることをわかっておいた方が良いのではないか~なと

  163. apg より:

    そうですね。
    ごめんなさい。

  164. 骨男 より:

    >心臓の提供者の趣味嗜好が、患者に転移してしまうという
    何度か聞いた事はありましたが、こんなにたくさん報告されているとは知りませんでした。(ググってみたらたくさんヒットしました。)
    中には記憶が転移した、なんて書き方をしているものもあって、正直それはどうかと思いますが、趣味嗜好はある意味外部からの入力に対する反応のことですから、それはありうるだろうなと思います。
    移植前は「めがねっこ」属性だった人が、移植後は「ニーソックス」とかあったら面白いですね。(ちょっと不謹慎ですみません)
    >「キャラクター派」はすべての属性を俯瞰していて
    >「外見派」は萌えをフェチといい
    >「内面、関係派」は萌えはエロではないと主張している
    V.S.
    >女の好みで、顔か、中身か、
    うーん、うまく言えませんが、なんとなく大事な部分が違っているような、、、あ、いや、やっぱ根本は同じのような、、、なかなか面白い視点ですね。
    ちょっと考えてみよう。(笑)

  165. apg より:

    敢えてその派閥争いに乗っかるなら、
    ぼくはタモリが言った
    「人間は見た目だ」説に1票ですね。
    見た目は内面を表し、内面は見た目に反映する、一体のものなのでは。
    それは、有形のものでも、無形のものでも同じことなのではないか。
    結局は、他人の内面なんて、想像でしかない訳ですから。

  166. くっぱ より:

    マニアやオタクが属性でカテゴライズされた何かに執着するというのは、「萌え」だけに限らないことと思うのですが、どうなんでしょう。もしそうなら、「萌え」を「属性カテゴライズ」の言葉で語るのはちょっと軸がずれているような気がします。
    まあそれはそうと、またくだらないことを考えたのですが、
    萌え絵 = エロ行為属性のないロリ絵
    という仮説はどうでしょう。もともと潜在的にロリ絵が好きな人はある程度存在していて、しかし「俺はロリ絵が好き」とは宣言しにくい状況はあったのではないかと思います。つまり、世間的にもロリ絵には微妙にエロいニュアンスが含まれていることが認定されていて、
    タブー1: エロそのものを目的とした行為
    タブー2: 他人のエロそのものを目的とした行為の容認
    という日常の社会生活におけるタブー則のもとでは、
    「ロリ絵が好き」→「ロリ絵を見たいという目的で、ロリ絵を見る」→「あぶない人」
    と見られてしまうわけです。ただし、クソ真面目なストーリーの映画の中の裸のシーンを見たとしてもタブーを犯したことにならないのと同様に、エロくないストーリーの漫画なら登場人物がロリ絵であってもOKということで、骨男さんの「萌え以前の a、b」みたいな状況が成立していたのではないかと思います。例えば、「うる星やつら」の登場人物がロリ絵ではなく劇画調だったなら、同じストーリー、同じ属性を持つキャラクター設定であっても、同じだけの人気が出たかどうかは微妙だったと思います。
    もちろん、「俺はロリ絵が好きなあぶない人」認定上等な人もいて、ストーリーや設定がエロであるなしに関わらず、ロリ絵を見まくっていた人もいたと思いますし、実際、ストーリーはもろにエロ行為満載で登場人物がロリ絵という漫画もたくさん存在していたと思います。でも、エロ行為満載の漫画には興味ないけれど、「ロリ絵」が好きだし、世間からも誤解されたくないという人にとって、ロリ絵を見るためには、どうしてもエロくないストーリーが必要だったのではないでしょうか。
    ここまでが「萌え」以前の話。で、「萌え」というのは、ストーリーが存在しなくても、エロくないキャラクター設定でさえあればロリ絵を見ることのできるうまい言い訳として発達した部分があるような気がしています。つまり、
    「ロリ絵を見たら、たまらんかった」(=「萌えた」)
    としか言わないのです。「ロリ絵を見るのが好き」かどうかという個人の価値観を表明したことにならないところがミソです。身長の高い低いについて世間からとやかく言われる筋合いがないのと同様に、見たものがどのように感じられようと自らの「行為」ではないのだから、タブー1を犯したことにはないっていないという論理です。ただし、そのロリ絵のエロいキャラクター設定である場合には、それを「たまらん」というとタブー2を犯すことになるので、自分の好みではないという態度をとらないといけないのですが。で、
    萌え絵 = エロ行為属性のないロリ絵
    という仮説という仮説を立ててみたのですが、いかがなものでしょう。

  167. 豆たろう より:

    >くっぱさん
    >マニアやオタクが属性でカテゴライズされた何かに執着するというのは、「萌え」だけに限らないことと思うのですが
    これはそのとおりだと思います。
    ただ萌えが属性という概念と非常に密接にあるのはうたがいが無いので
    属性という方向から分析してみることは意味があると思います。
    しかし属性から分析しても萌えの本質にたどり着くのは難しいでしょう。
    というか僕はとりあえず萌えの本質がなんなのか考えることを保留しています。
    軸がずれているという指摘の理由はこの辺にあるのではないでしょうか?
    それでも一応、萌えの輪郭程度はつかめるのではないかと考えています。
    一つの鍵として分類されたキャラクター要素から萌え属性というものがどう選別されるのかを分析すると萌えの本質に近づけるような気はします。
    わかっているのは外見属性に該当するものがフェティシュな要素をもっているということぐらいで内面属性や関係属性に該当する物はさっぱりです。
    >萌え絵 = エロ行為属性のないロリ絵
    これはなんとも言えませんが・・・
    絵描きの端くれから言わせてもらいますと
    「そんなことで萌え絵が描けたら苦労しないですよ!」(笑)
    萌え絵の描き方に関しては一応考えが無くも無いです・・・
    >エロくないキャラクター設定でさえあればロリ絵を見ることのできるうまい言い訳として発達した部分がある
    これはありそうですね・・・

  168. ヒロポン より:

    >くっぱさん
    >>マニアやオタクが属性でカテゴライズされた何かに執着するというのは、「萌え」だけに限らないことと思うのですが<<
    >>萌え絵 = エロ行為属性のないロリ絵<<
    この二つはそれほど違和感がないのですが
    >>「うる星やつら」の登場人物がロリ絵ではなく劇画調だったなら<<
    はちょっと…うる星の登場人物はもちろん劇画調ではありませんが、ロリ絵でもありません。
    例には不適当では?
    細かい話で失礼なんですが、うる星をロリ絵とされると絵の話で共通点を見出しにくくなりそうなので。

  169. ヒロポン より:

    >豆たろうさん
    >>「キャラクター派」、「外見派」、「内面、関係派」というくくりで見ると萌えの変遷と同じ<<
    >>「キャラクター派」はすべての属性を俯瞰していて
    「外見派」は萌えをフェチといい
    「内面、関係派」は萌えはエロではないと主張<<
    非常に納得できますねー。
    「外見派」と「内面、関係派」は出現がだいぶかぶってた印象がありますが。
    【とみぃのずぼら日記】も見ました。
    まとめたものを見てみると「萌」の時代になって新たに出てきた要素って実は「内面派」だけなのかもしれないと感じました。
    それ以外の要素は、萌文法上ではないにしても80年代から好みの分類としてありましたね。

  170. 遅レスすみません、1万ページって、ダーガーの書き残したっていう小説です…会田さんも小説お書きなんですか?こいつは宿題増えちゃったなwさすが
    ドッグ・イヤー。

  171. 1026 より:

    >骨男さん
    基本的なあたりはうなづける説だと思いました。
    ただ、(b->B)に関しては作家によって変わる部分だとおもいますので疑問もありますが、小池一夫の「劇画村塾」の存在を考慮に入れると納得出来ます。
    しばしば高橋留美子の名前が上がっていますが、彼女は小池一夫の主催した劇画村塾に参加して、作品に多大な影響を受けています。
    小池一夫は先ず魅力的なキャラを立てて、そのキャラを表現するためにストーリーを展開させる「キャラクター中心主義」と呼ばれる手法をうち立てて漫画界を中心に今もなお多大な影響を与え続けています。
    そう考えると、小池一夫の存在も(属性)萌えの起源に関わっているのかもしれません。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%87%E7%94%BB%E6%9D%91%E5%A1%BE
    あと、「萌え以前・以後」とスッパリ分かれるものではなくて、「属性分化前史」とでもいう中間期間のようなものがあるのではないかと思います。むしろそこを考えると、どのように分化が進んだのか分かってくるのではないでしょうか?
    下記に思いついたその一端を書いてみます。
    <キャラクター中心主義の台頭>
    上記ので少々書きました、小池一夫の影響で、とにかくキャラを立てるマンガのがメインになってきました。
    <計算されたキャラ作り>
    昔「ウケをねらったキャラ」という言い方をされていた「どっかで見たようなパターンのキャラ」があったかと思います。
    作り手の計算が分かってしまう読者が忌み嫌われる一方、一定の人気を得ていました。
    主に女性ファンに支持されるあからさまに臭いセリフを言う美形キャラがそうでした。
    こういった計算でキャラを作る事を認識する・受け入れる事が同じく計算で作られた事が分かってしまう「萌えキャラ」を受け入れられる土壌につながっている事かと思います。
    また余談ですが、「ウケをねらったキャラ」だけでなく作り手側の計算を認識する受け手の存在が『さるまん』のヒットにもつながったかと思います。
    また、『さるまん』はそれまで何となく受け手が感じていた計算を明確に意識化したと思います。
    <主人公と脇役の格差解消>
    「うる星やつら」以後の美少女ブームの時期かと思うのですが、それまで主人公格のキャラクターはそう分かるように美形に描かれ、脇役との差があからさまであったのが、「登場する女の子全員が美少女」という事態も多々あるようになりました。
    これにより、キャラが多人数いる美少女ゲームが成立する基礎になるとともに、キャラの差別化が重要になってきたかと思います。
    <属性の変質>
    上記の結果としてか、キャラの差別化をはかるため、マイナスイメージの記号であったものがが美少女キャラにも取り入れられていった時期があったかと思います。
    例えば「メガネ」は昔は「ガリ勉」「ブス」の記号だったかとおもいますが、(例:とんち番長の吉四六(笑))それまで無かったメガネをかけた「メガネ美少女」というものがあり得るようになっていきました。 (「メガネを外すと美少女」では無い)
    「ツンデレ」なんかも昔だとイライザみたいないじめっ子のイメージだろうし。

  172. くっぱ より:

    >豆たろうさん
    萌え絵 = エロ行為属性のないロリ絵
    については、商売として成功するかどうかを気にしない場合についての「萌え絵」であるための必要条件みたいなものとしての提案です。もちろん、商売として成立するのに十分であるとはいえませんし、「そんなことで萌え絵が描けたら苦労しないですよ!」(笑)というご指摘は私もその通りだと思います。たとえでいうと、「売れる小説とは何か」の前に「小説とは何か」を明確にしてみたいというようなイメージです。
    もちろん、他のジャンルや学問などと同様に、ロリ絵には多くの人たちが長年かけて開発してきた描き方の基礎テクニックのようなものが存在していて、それをある程度踏襲していないと、世間から洗練されたロリ絵として認めてもらえないという点は、私もよく理解しているつもりです。
    ただし、この踏襲すべき基礎テクニックがかなり縛りの強いものであって、そのために属性カテゴリみたいなものが生じてきた可能性もあると思います。つまり、属性で他のキャラとの差別化をしないと、どのキャラもみんな同じ顔のように見えて区別がつかないという意味です。たとえでいうと、「秘密戦隊ゴレンジャー」の隊員が5人とも赤レンジャーと同じ色をしていたら誰が誰だか区別がつかないというイメージです。
    >ヒロポンさん
    ロリ絵については、他に適当な言葉が見つからなかったので使ったのですが、
    ・目が大きくて、頬骨は華奢で、鼻や口は小さめで、ほっぺはふっくら、あごはゴツくない
    ような顔の女の子の絵というイメージで使っています。アメコミや劇画なんかで美人といえば、昆虫でいうと成虫というか、少女からの変態を終えた大人の女性として描かれていることが多いと思うのです。目鼻立ちはくっきり、くちびるもセクシーに大きめ、頬骨やあごのラインもしっかりしていて、化粧や身だしなみもばっちりみたいな。ロリ絵というのは、このアオムシからチョウへという完全変態後の大人の女性ではなく、トンボやバッタみたいな不完全変態で、「うる星やつら」はこの意味でロリ絵に含めてもいいような気がしています。

  173. 豆たろう より:

    >くっぱさん
    おっしゃりたいことわかりました。
    ロリ絵=様式性の高い女の子の絵ということですね。
    これ、納得できますがまだ萌えになるには何か足りない気がします。
    僕は、「エロ行為属性のないロリ絵」にプラスして、
    「描かれるる女の子にキャラクターとしてのバックグラウンドが必要」
    なのではないかと考えています。
    キャラクターのバックグラウンドとは、
    ごく簡単なキャラ設定のようなもので
    萌え属性の「内面属性」「関係属性」が入ったものです。
    ちなみに「外見属性」はロリ絵のほうに入ってきます。
    たとえば
    「外見属性」ネコミミ巫女装束
    「内面属性」ドジっ娘
    「関係属性」妹
    などと、それぞれの属性に設定してやると「ネコミミ巫女装束を着たドジっ娘の妹」
    という萌えキャラができるわけですね。
    妄想して萌えもだえます・・・(※かなり重要)
    ・・・で、この熱くたぎる萌えの魂を白紙の上に叩きつけると
    「萌え絵」になるのではないかとこう考えるのです。
    (具体的に言うとネコミミ巫女装束を着たキャラがドジっ娘で妹だと
    絵を見て想像出来そうな感じに描くということです)
    「エロ行為属性のないロリ絵」だと描かれるのはただの可愛い女の子でしかなく、
    よほど「萌え」のセンスをもった人間で無かぎり「萌え絵」として描くのは難しいのではないかと思います。
    「ロリ絵」をマスターしている事を前提にしてキャラ設定を行なって「萌えキャラ」を描けば「萌え絵」
    になるのではないかと思います。
    つまり
    「萌え絵」=「エロ行為属性のないロリ絵」+「外見属性、内面属性、関係属性」
    なのではないかなと

  174. 骨男 より:

    >1024さん
    小池一夫氏の「劇画村塾」ですか、懐かしいです。実は通信講座のようなのにで参加していました。続きませんでしたけど。(恥)
    小池氏の「キャラクター中心主義」ですが、確かに劇村では「キャラクターを立てる」が強調されていました。
    ですが、それはやはりあくまでもストーリーをより面白くするための手段であったと思います。
    例えば、小池氏が勧めていたキャラクター立て手法の一つに「うわさ」があります。
    これはいきなりキャラクターを登場させるのではなく、そのキャラクターを登場させる前に他のエキストラキャラに彼/彼女のうわさをさせろ、と言うものです。
    ありがちなのは「今日転校生が来るらしい」「なんでもスゴイ不良で、前の学校では10人を病院送りにしたらしい」「いや、全国模試で1番だったらしいぞ」「etc」といったうわさをキャラクター登場前に説明することで、受け手の好奇心を刺激しておくというものです。
    その結果、受け手は「そんなやつが来たらひと騒ぎあるな」となり、「どんな騒ぎが起きるのだろう」と期待します。既に半分「疑似体験」モードに入ってしまうのです。
    また、小池氏に限らず、作家で「キャラクター(達)が勝手に話を動かし始めた」と言うようなことを言う方は少なくありませんが、この意味は正確には「作家がストーリーを考える必要がなくなった」あるいは「「作家が考えていたストーリーをキャラクターが乗り越えてしまった」と言う意味だと思います。受けてからすればやはりストーリーの疑似体験がメインであり、ストーリーを自ら転がすほどに確立されたキャラクターは、受け手がストーリー世界に入ることを容易にするのだと思います。
    もうひとつ、ブラック・ジャックやキャプテン・ハーロックのように同じ作者の作品に何度も登場する「俳優」キャラクターがあります。
    これはある意味では「ストーリーから独立した存在」とも言えますが、正確には「ストーリーを内包した存在」で、上記のような「うわさ」が無くても、受け手が「彼が来たら何かが起こる」と自動的に期待できるキャラクターです。やはりストーリーのために確立されたキャラクターと言えると思います。
    ということで、<キャラクター中心主義>であっても「a->A」以前は基本的にはやはり「読み手が「キャラクター」に感情移入して物語を疑似体験することが目的」がメインであったと思います。
    ><計算されたキャラ作り>
    「萌え」以前のこれは前回の僕の投稿で
    c、「キャラクター」は主には作り手が創作する。→「真似」(インスパイヤー、笑)がおこり「類型化」する。
    と現したことだと思います。現在は
    C、「キャラ」は作り手、受けてが融合して創作する。→意識的に共有化され「属性」となる。
    になっています。
    もう少し詳しく書くと、「ストーリー」のためであろうが、「萌える」ためであろうが、効果的な「キャラクター」・「キャラ」創作にはそれぞれ「定石」が存在していて、「キャラクター」は基本的に作り手が創作していたので、この「定石」のパターンを表現する作り手、受け手に共通する明確な言葉はなかったのだと思います。
    大雑把なレベルでは「主人公」「脇役」、もう少し詳しくなると「ヒーロー」「ライバル」「ヒロイン」とかいう言い方がこれに相当します。「めがね君」もそうですが、これはもっと面白くない言い方にすると「解説者」です。これらは全て、ストーリー中でのポジションを現す言葉です。もっと細分化した個々の「定石」パターンをさす言い方は、「花形満キャラ」(ライバルの中の金持ち男前パターン)とか、そのパターンを代表するキャラクター名で呼んでいるけーすもありました。
    対して、「萌え」以降は作り手と受けての間が融合してこの作業を行いますので、共通用語が必要になり「属性」と言う言い方が発明されたのだと思います。しかも、この段階では「キャラ」はストーリーのためのものではなくなっているので、この「属性」は上記のような「ヒーロー」「ヒロイン」といったストーリー上のポジションを現すものではなく、もっと直接的に「キャラ」の特徴を現すものです。なので、「属性」概念に「主人公」「脇役」といった区別は含まれていません。
    ><主人公と脇役の格差解消>
    これはいろんな説明の仕方ができると思いますので1024さんの説明も成り立つと思いますが、もともと「ストーリー」が希薄になれば「主人公」と「脇役」という区別自体が消滅します。しいて言えば「メインキャラ」と「それ以外」でしょうか?
    その結果、「キャラ」に差異をつけることが重要になり、その手法が「美少女もの」といわれるマンガ、アニメ、特にゲーム上で発展したことはそのとおりだと思います。
    ><属性の変質>
    これも、「ストーリーのため」->「萌えるため」で説明できると思います。
    例に出されています「メガネ=ガリ勉、ブス」->「メガネ美少女」ですが、ストーリーには、正義・悪などのように、相反するポジティブ/ネガティブ要素が必須です。ですので、「キャラクター」には大抵「正義の味方/悪」「美形/ブサイク」「天才/凡才」がセットで登場します。
    対して、萌えのための「キャラ」には基本的にネガティブ要素は不要です。しかし、それでは「キャラ」の差別化ができないので工夫としてネガティブ->ポジティブ変換が発生したのでしょう。また、「あばたもエクボ」と言うように人の好みは千差万別ですので、ストーリー上はネガティブに属する要素も感情的にはポジティブ要素になり得てそういうことが起こったのだと思います。
    とはいえ、基本的に「ブサイク」は許容されていないような気はしますね。
    そういえば「フェチ」と「萌え」の話に戻りますが、「フェチ」に「デブ」はありですが、「萌え」にではどうなのでしょうか?個人的には無いんじゃないかと思います。
    この辺も「フェチ」と「萌え」の違いを考えるヒントになりそうですね。
    長文ですみません。

  175. 匿名 より:

     ただいまこのエントリーは「ブログのコメント量」でギネスに挑戦中です
     当面は、㈱ライブドアの堀江貴文(元)社長の公式ブログのコメント数をめざします
     ふるってご応募ください

  176. nomad より:

    >心臓の提供者の趣味嗜好が、患者に転移してしまうという
    まず100% ガセであろうと思います。
    こうした「報告」はUFO報告と同じく、コントロールされたものではないはずです。
    そもそも、臓器提供者(ドナー)が誰であるかを受容者(レシピエント)には知らせない、逆もまた然り、ということは基本的なマナーとして定着しているはずです。
    さらに心臓の提供者の趣味嗜好をコントロール下で定量的定性的にデータを取っていたかどうかが問題です。そんなこと、そんな都合よくやってるものでしょうか?
    そう考えただけで、こうした「報告」がかなり怪しげなものであろうと想像がつきます。
    確かに心臓移植などの人生の一大事が起きたら性格変化が起きるのはアタリマエだと思いますよ。

  177. ヒロポン より:

    >くっぱさん
    >>・目が大きくて、頬骨は華奢で、鼻や口は小さめで、ほっぺはふっくら、あごはゴツくない<<
    あうー。
    確かに特徴だけだとそうなるのですが、その特徴自信は70年代後半~80年代の少女漫画絵の特徴でもあり、少女漫画から少年漫画への影響から少年漫画の美少女キャラ自体がそのような方向に向かったというものでもあります。「あだちみつる」の少女顔を思い出していただけるとわかっていただけるかと思います。
    で、うる星はその意味で言うと、その当時の少年漫画の美少女としての特徴を備えているに過ぎない部分のほうが大きいかと思います。
    ただ、これはうる星キャラをロリ絵に当てはめるのに無理があるということにすぎません。それに、アメコミや劇画と比べちゃうと、少年少女漫画のキャラはみんなロリ絵になっちゃいます(´Д⊂ヽ
    そして萌絵を好きな方というのは、「秘密戦隊ゴレンジャー」の色が全部赤でも違いを見つけることに喜びを見出すタイプの人たちだと思います(笑)
    >>ロリ絵=様式性の高い女の子の絵<<
    は、その通りでしょうね。
    で豆たろうさんもおっしゃるとおりそこに+αがある。
    キャラの内面的価値がが他のキャラとの関係性ではなく、そのキャラ自信の特質として自立性を持っているのが萌キャラなのかなーと思ったりします。
    キャラの特性は、受け取り手に向けられていてその存在は前提条件になるので、例えば弱いけど存在するだけで存在感が感じられるキャラクターなんていう物語前提だと成立しにくいキャラが成立するのではないかと思っています。
    人間関係のドラマは物語として成立し、キャラは受け手に対して整合性を持っていれば良い。そんな感じでしょうか。

  178. 骨男 より:

    >apgさん
    >萌え属性の「キャラクター派」「外見派」「内面、関係派」
    >女の好みで、顔か、中身か、
    の件ですが、この二つの違いの核心部分はapgさんの書いた
    >結局は、他人の内面なんて、想像でしかない訳ですから。
    ってところにあるのでは無いでしょうか?
    つまり、現実の女性の好みで「顔(外見)」を挙げる場合はある程度の客観性がありますが、「中身(内面)」を挙げる場合は、確かにとても主観的な「想像」で判断しています。そして、だからこそこちらの方が「純」な感じがするのだと思います。
    「萌え」の場合は対象がもともと架空のキャラなので、外見に注目しても内面に注目しても、結局は「想像」です。
    また、キャラの外見はもともと内面を表現する手段でもあるので、この両者は分離しては語れないです。ですので、キャラ萌えの場合は外見、内面どちらも、現実女性の内面を重要視しているのとほぼ同じなのではないでしょうか?
    つまり、「萌え」はどちらにしても「純」なのです。
    と思いました。
    >くっぱさん
    >ヒロポンさん
    「うる星やつら」はたけくまさんの言うところの「アニメ絵」ですよね。
    もともとの高橋留美子の絵はそうでもなかったのですが、アニメが始まって以降は明らかに影響を受けてアニメ絵になっています。そもそもたけくまさんがアニメ絵の説明のときに「うる星」を例に使っていたような、、、。
    劇画絵->アニメ絵->ロリ絵->萌え絵
    というのは一般論として成り立つんじゃないですかね?
    で、「萌え絵」=「エロ行為属性のないロリ絵」については「エロの在る無し」が本質的な差かどうかはともかく、そういう側面は確かにあると思います。
    「萌え(る心)」そのものと「萌え絵」の発生って「属性」と同じく微妙に違う事象ではないのかな?という気がしているのですが、この辺になるともう世代差、個人差が激しいのでなんとも言えませんね。
    ところで、
    >妄想して萌えもだえます・・・(※かなり重要)
    ですが、「萌え」という言葉が多くの人に「うまいこと言うなあ」とか「そうそう、そんな感じ」と思われた理由のひとつに「もだえる」という言葉と語感が似ているというのは重要だったと思います。(「もだえ」語源説もありますが、それが語源かどうかは疑問ですが。)
    「ボッキする」のではなく「もだえる」ってところが個人的に「そんな感じ」です。(笑)

  179. 豆たろう より:

    骨男さんのレスで思い出したのですが
    僕が、まだピュアな少年で小学生だった頃、
    妹の買ってきた少女マンガ雑誌を勝手に拝借して読んでいたのですが
    恋愛的な修羅場のシーンであまりのもどかしさか気恥ずかしさなのか
    それ以上読み進めることが出来なくなってしまったのですが
    そこをこらえて悶えつつストーリを読み進めていく感覚、
    この感覚が後に「萌え」という言葉がキャラクターに対する一種の恋愛感情のようなものと知ったときに
    「これかっ!」と思ったものですね。
    「萌え」というのはもしかすると
    恋愛感情的な相手が自分の思いどうりにならないもどかしさに悶えながら、
    同時に一緒にいることの心地よさのようなものを感じる感覚なのかも知れないですね。
    触れることも自分の思いどうりにすることも出来ないキャラクターという存在
    それでも僕らはそんなキャラクターたちと一緒にいたいんだ。
    みたいな・・・(笑)
    自分で書いてて死ぬほど恥ずかしいですな・・・

  180. くっぱ より:

    >豆たろうさん
    私が反応する属性は別のものではありますが、「妄想して萌えもだえます」という感覚について私も激しく同意します。妄想であるにもかかわらず、そのキャラの存在そのものが(性的に)たまらんと言ったらいいのでしょうか。仮にそのキャラが実際に身近に存在していたとしても、別に身体を許しあえるような性的な関係になりたいわけではなくて、まさにキャラの存在(つまり設定)そのものがたまらんわけです。豆たろうさんのおっしゃっているニュアンスと違っていたらごめんなさい。
    大学の頃の友達に、バイト先でかわいいバイトの女の子を見つけると、声をかけて仲良くなるでもなく、その子とエッチなことをしたがっている様子もなく、純粋にその子の存在そのものがうれしくてウキウキ(というかデレデレ)しているような不思議な人がいたのですが、今思えば彼もその女の子に「萌え」ていただけなのかもしれません。
    属性について、個人的には「内面属性」「関係属性」における必要条件に興味があります。「ドジっ娘」や「妹」のような具体的な属性を十分条件として羅列すことは可能だと思うのですが、逆に、この条件を踏み外すと「萎え」属性になってしまうというような必要条件こそが本質をえぐり出す近道だと思うのです。また、新しい属性を開発する際の指針にもなると思います。
    で、今思いつく条件としては、
    ・ユーザに対して邪悪ではない
    ・ユーザを見捨てない
    ・エロ行為願望丸出し女ではない
    あたりを象徴するような属性をキャラに与えると、萌え絵っぽくなるのかなと考えています。
    >ヒロポンさん
    ロリ絵が少女漫画から少年漫画に取り入れられ、その系譜の延長線上に萌え絵ももろに乗っかっているのではないかというのが私の意見です。もちろん、それだけならば
    萌え絵 ⊆ エロ行為属性のないロリ絵
    とするべきですが、「⊆」ではなく「=」としたのは、ロリ絵の性的に心に響く部分を十分に大きくさえできれば、特定の属性云々にこだわらなくても萌え絵になるのではないかと考えているからです。つまり、属性というのは、ロリ絵の性的に心に響く部分を大きくするための単なる手段なのではないかという意見です。

  181. ぼぼぶらじる より:

    >豆たろうさん
    それじゃ!
    「気恥ずかしさMAX」で、「自分の思いどうりにならない」もどかしさに「悶え」ながら、同時に一緒にいることの「心地よさ」のようなものを感じる感覚
    創生期の「萌え」で私が言ってた最初の方は有った「禁断の感覚」というのはその「自覚的な気恥ずかしさ」ですね。
    何かが「萌え出(いず)って来てしまう悶えにも似た倒錯的快感」が「萌え」です。
    どうじゃ、おっさんのくせに、「死ぬほど恥ずかしい」かろ?
    ああ?「まだピュアな少年?」
    ああ、恥ずかしい、恥ずかしい・
    この辺は私にとっては、ここ18年ぐらい「コアの部分」はあんまり変わらないんで、
    「今の萌え」も分かったような気持ちになってるんですね。
    また、あまり「男女関係なくユニセックス」でつかえる感情ですね。少女マンガの腐女子的感覚に近い。

  182. 俺、とあるブログで丁々発止したら、コメント900くらいいっちゃったですけど…ゃ、超えましょ越えましょ肥えましょう

  183. あと、「萌え」と「悶え」は親和性高いかもデスねん

  184. 豆たろう より:

    >くっぱさん
    >豆たろうさんのおっしゃっているニュアンスと違っていたらごめんなさい。
    大体その解釈で間違いないと思います。
    属性はたとえなので人によって直撃する属性は変わってくるでしょうね。
    >大学の頃の友達に、~
    これはメイド喫茶に通っているような人たちの感覚に近いかもしれないですね。
    属性の条件、僕も思いついたのを挙げて見ます。
    ・関係性はあらかじめ出来上がっているほうが良い(赤の他人ではない親近感)
    ・ほっては置けないような不完全さがある(思わずかまってあげたくなる)
    なんてのはどうでしょう
    >ぼぼぶらじるさん
    レスありがとうございます。
    表面上は変化しているように見えても本質の部分はほとんど変わっていなのですね。
    なんと言うか「萌え」というのは「永遠の片思い」みたいな感じにおもえます。
    もう『萌え~!』と叫ぶ意外にどうしようもない。
    「まだピュアな少年」、いいんじゃないですか?(笑)

  185. くっぱ より:

    >豆たろうさん
    「永遠の片思い」で思ったのですが、「赤の他人ではない親近感」とも関連して、私個人としては「両片思い」という微妙な状態を理想としています(汗)。私自身はもうずいぶん長い間経験していないのですが、現実の日常生活でも、たまたま身近にいる女の子を好きになって、実はその子も自分のことを好きになってくれているのがうすうす判るような状況ってありますよね。そんな状態のときに何かのきっかけで二人で話し込みモードに入ろうものなら、もうその子に萌えまくり。エロ行為をしたいとかいう欲望ではなくて、ただただ一緒にいるのがうれしくて、でも気がつけばお互いなぜか濡れていたみたいな(笑)。で、私個人の好みでいえば、たとえイラストであっても、このような両片思いの関係になれたらいいなみたいなことを思えるようなキャラ設定の女の子に萌えるのかもしれません。
    「思わずかまってあげたくなる」については、私はリードしたり頼られたりするのは面倒くさい性分なので、対等に接することができるようなキャラ設定が個人的な好みです。そのあたりは、リードしたり保護したりするのが好きという人、お互い自己責任で行動する対等な関係が好きという人、リードされたり保護されるのが好きという人、というように様々な好みがありそうな気がします。

  186. 骨男 より:

    「萌える」と「悶える」から期せずして「感情」にフォーカスした展開になりましたね。(笑)
    皆さんの投稿からキーワードを拾い出すと
    >「恋愛感情的な相手が自分の思いどうりにならないもどかしさ」
    >「同時に一緒にいることの心地よさのようなものを感じる」
    >「触れることも自分の思いどうりにすることも出来ないキャラクターという存在」
    >「気恥ずかしさMAX」
    >「自覚的な気恥ずかしさ」
    >「永遠の片思い」
    >「赤の他人ではない親近感」
    >「両片思い」
    あたりかと思います。
    これで思い出すのはやはり「初恋」の感覚ですね。
    なんといっても「初体験の未知の感覚」ですからそれはもう衝撃です。
    あと、初恋でなくても「惚れた瞬間」も近いですね。
    つまり、やはり「恋愛」の感覚。
    でも、これらの感覚って現実の中では長続きしないんですよね。
    「永遠の愛」なんていったってそんなことありえない。
    そもそも恋愛感情自体がある種の脳内麻薬の結果だったりするわけですが、科学的にはこの状態は3年くらいで終わってしまうといわれていますね。
    その後におとづれるのは「恋愛」ではない、「愛着」のような「安心感」と「心地よさ」で、こちらはずっと長続きしてひょっとしたら死ぬまでOK。
    少しは話は飛びますが、前から思っていたことがあります。
    それは、10代前半以前の人たちの言う「萌え」と、30代以降の人の言う「萌え」って同じなのだろうか?ということ。
    思うに、10代前半くらいまでの人たちはきっと「初恋」あるいは「惚れた瞬間」とほぼ同じ感情をもってして「萌え」と言っているのだと思います。
    でも、30代以降の僕はなんとなくそれとは違う感覚を「萌え」と感じている。
    もちろん、他の人がどうなのかはわからないのですが、「初恋」や「惚れた瞬間」のことなら「ラブ~」でいいと思うんです。
    でもそれじゃしっくりこなくって「萌え~」だとしっくりする。
    少なくとも、30代以降の我々大人(笑)は「恋愛」とその後の「愛着」を合わせたような感情を持続させたいと願っているのではないかと思います。
    僕が「男性版母性」と言っているのはこの感覚かもしれない。
    それは単に近いだけかもしれないけれど、「恋愛」+「愛着」=「保護愛」みたいな感じ。
    人間、動物、両方を含めて赤ん坊相手に感じる感情が僕的には一番近いんです。
    もし、相手が赤ん坊のままだったらこの感情は持続可能で、実際ペットは成長しても外見上もメンタリティ上もほとんど子供のままになるように選別されて現在の形になっているわけです。
    でも、ペット相手ではやはり物足りない感じがすることも事実。
    やはり、人間相手がいい。でも、それは現実の人間相手では不可能であることもわかっている。
    「恋愛」はすぐに終わってしまうし、赤ん坊は成長してしまう。
    だから、2次元(架空)。
    しかも、ストーリーがある「キャラクター」のように物語中で変化したり何かを学んで成長してしまわない、変化しない「キャラ」。
    ついでに言うと、一部の「萌え絵」にはかなり「エロ」が入っているのは事実ですが、あれはきっと10代の、まだ「恋愛」が持続しないことを良くわかっていない人たちにとっての「萌え」では無いか?と思っています。
    大人(笑)の「萌え」にはエロはいらん、というか、無いほうがいい。
    と、僕は思っています。
    と、思いつくままに書きました。
    コメント184番です!!

  187. apg より:

    >nomad さん
    え~・・だってヤフーニュースでもやってたもん・・
    なんつって。
    いや、ぼくも冗談半分、マジ半分、ですよ。
    ただ、そういう自分の知識の及ばない
    領域の情報を100%否定する根拠は
    どこにあるんでしょうか。
    未確認な情報に対して、
    全否定するのも全肯定するのも、
    どちらも冷静とは思えません。
    ぼくには、大槻教授も、「たま」編集長も
    同類に見えます。
    >確かに心臓移植などの人生の一大事が
     起きたら性格変化が起きるのはアタリマエ
     だと思いますよ。
    アタリマエという根拠は?
    肉眼で人の心臓をみたことすらないんじゃないですか?
    ぼくは無いです。

  188. 豆たろう より:

    186番?
    >10代前半以前の人たちの言う「萌え」と、30代以降の人の言う「萌え」って同じなのだろうか?ということ。
    これには「強い萌え」と「弱い萌え」という考えを提唱します。
    ○「強い萌え」 恋愛感情に似た「悶える萌え」で、まれにしか感じることの出来ないもの
    ○「弱い萌え」 通常「萌え」として認識されているもので、「強い萌え」をベースにしているが「強い萌え」程強く感情が意識化されない、なんとなくあいまいな「萌え」
    一つ注意しておきたいのは「萌え」はあくまで「恋愛感情に似ている」というだけで明確に「恋愛感情である」わけではないということです。
    >「男性版母性」
    この「男性版母性愛」というのが「弱い萌え」に該当するのではないでしょうか?
    僕自身も普段は「弱い萌え」しか感じないです。
    >一部の「萌え絵」にはかなり「エロ」が入っている
    性欲はともすると「萌え」より強い感情になりがちで、しばし混同されている原因になっています。
    「萌え」が「エロ」ではないといっている根拠はここで、実際には萌えの原則を踏み外さなければエロ行為をしているキャラを萌えとして表現することは出来ると思います。
    そして、そう言う「エロい萌え」は受け手が「萌える人間」でない場合、ただの性欲の対象にしかならないようです。
    ただ、純粋に「萌え」を考えるとやはり「萌え」にとって「エロ」はノイズのようで「純粋に萌えたい人」と「萌えもいいが性欲も捨てきれないという人」というように住み分けられていくのではないかと思います。

  189. あ、あのー、骨男さん?永遠じゃない愛なんて、無いんですけど…永遠じゃなかったら、それは愛じゃなかった、ってことです。
    愛なら、永遠です。愛ならね。

  190. 骨男 より:

    >豆太郎さん
    >「強い萌え」 「弱い萌え」
    ははは、なんだか物理学用語みたいですね。
    こういうのはどうでしょう?
    10代:「青い萌え」
    30代:「枯れた萌え」
    区別の仕方は僕もほぼ同じです。
    あと、エロについても「混同説」にほぼ同意。
    特に10代でエロに興味の無い男性は事実上いないので、「萌え」と「エロ」が両立しているものが受けるのは当然の結果だと思います。
    アイドル写真集に必ず水着ショットがあるのと同じ。アイドル写真集だって、純粋にそのアイドルが好きなんだったら別に水着無くてもいい筈で、実際そういうファンもいると思う。けど、少数。やはり、ちょいエロが入っている方がきっと受ける。で、「純粋に好き」な人たちも、そのエロがあまりに露骨だとダメなんだろうけど、「ほのかにエロ」程度なら彼らにとっても邪魔にはならないで、まあ合った方がうれしいのかも。
    もっとも、度を越すと純粋な人たちは離れるかもしれないけれど、今度は本格的なエロ目的、つまり性欲目的の人たちが寄ってくるので結局受けることになるけれど。
    >メルヘンひじきごはんさん
    よく読んでもらえればわかると思いますが、「恋愛の愛」は永遠には続かない、という意味です。
    もちろん、「恋愛の愛」も永遠だと信じているとしても他の人がそう信じることを否定はしませんけれど。
    188番?

  191. 匿名 より:

    ははあ、いよいよ番号をつけて数えはじめられましたな。
    挑戦者のみなさんの意気ごみに頭のさがる思いです。
    189番?

  192. >骨男さん
    とりあえず俺はなんか、18年続いているみたいです。みたい、ですけど。とりあえず3年はとっくにクリアしてますから、科学のフリヲしたジェラッシャーにはお気をつけ遊ばせw
    言い訳なら、文系からも理系(のふり)からも湯水のごとく溢れているわけで、もうそれを受け容れてほしくてがなりたてたいみたいなんですよね、くずおれた皆様は。ですけど、そうお優しい言葉も用いてくださることには、喜んで承らせていただきたく。

  193. 骨男 より:

    >メルヘンひじきごはんさん
    ここでの本題とずれた話ですが、どういう理由で僕が「恋愛の愛」が長く続いている人にジェラシーを感じていると思われるのかがわかりません。
    一般論として「恋愛」的な感情は大体3年くらいで失われて、「愛着」のような異なる「愛」に移行するというのは納得できる話だし、僕の観察では多くの人がこの経過をたどっているように思えます。もちろん、「愛着の愛」も「愛」であって、この状態もとても幸せな状態です。
    メルヘンひじきごはんさんは「愛着の愛」に移行せず「恋愛の愛」がずっと続いているようですが、そうでなかった人に対して何らかの優越感のようなものを持っているとしたらそれは僕からすると???な考え方です。
    僕がメルヘンひじきごはんさんのケースに対して思うことは「珍しいですね」だけです。
    レスを読んでメルヘンひじきごはんさんが”何らかの優越感のようなものを持っている”ように感じたのでこう書いていますが、もしそういうつもりが無かったとしても、そう感じられる書き込みであることは理解されておくべきだと思います。
    191番

  194. apg より:

    >メルヘンひじきごはんさん
    あ、ダーガーのことでしたか。
    現在日本では、
    左のたけくまアフィリエイトで紹介されているものより
    でかいのは出てないと思います。
    洋書ならかなりのボリュームのが出ているみたいですが。
    それでも全部は載ってないと思います。
    憶測ですが、一万五千ページずっと読んでいくと、
    ずっとエキサイティングな訳じゃないから、
    いいとこだけ抜粋してるんじゃないでしょうかね。

  195. 1026 より:

    エントリ数がえらい事になってますね(笑)
    次の萌えエントリが出来るまでこちら?
    もしくは議論の内容次第ではこちらのまま?
    >骨男さん
    劇画村塾通信講座受けてらしたとは!ちょとうらやましい。
    <キャラクター中心主義>もストーリーのためのキャラは了解です。ただ、(a->A)への流れを作ってはいるようには思います。
    この辺の話、印象としては分かるけど厳密な定義が難しそうですね。
    その他の点でもレスありがとうございます。
    捉え方次第で結構かぶってますね。
    <ストーリーの希薄化>と<キャラの格差解消>のお話、因果関係の説明が足りない気もしますが、確かに同時進行で起こっているようには感じます。
    「萌えにネガティブ要素は不要」はちょっと疑問です。
    総体としてネガティブにはならないけれど、味付けとしてのネガティブは正に「萌え要素」になっているように思えます。
    「ブサイク」は確かに「萌え」では無いでしょうけれど、「ちょっとブス」「容姿にコンプレックスを持っている」は「萌え」判定はともかく、嗜好としては有りだと思いますし、(三浦靖冬作品とか)
    「デブ」も「ぽっちゃり」レベルであれば有りではないでしょうか?(デブでも「たかまれ!タカマル」の幸地さんとか)

  196. くっぱ より:

    >1028さん
    私も多少のネガティブな味付けは、有りかなという気がしています。
    完全無欠の美人であったら、性格的に思い上がっていそうで、妄想の中での片思いの対象として取っつきにくいし、超ブサイクなら性格もかなり屈折していそうで、これまた片思いの対象としては却下ということなのかもしれません。
    現実社会においては、知り合いとしてお付き合いをしているうちに性格も見えてきて、顔の良し悪しも見慣れてきて気にならなくなってくるものですが、イラストの場合はビジュアルが主体なので、かわいいけれどすべての人からチヤホヤされるほどではないというあたりが重要なのかもしれないですね。

  197. 骨男 より:

    >1028さん、くっぱさん
    はじめにポジティブ、ネガティブって書いてしまったのでわかりにくくなっていました。
    ストーリーがある場合は相反する要素(正義、悪、等)を現すキャラクターの両方が必要だけれど、「萌え」目的の場合は受け手にとっての「萌え」ポジティブ側のキャラだけでも作品は成立するということを言おうとしていました。
    そして、最も基本的な「萌え」ポジティブ要素の「かわいい」、「やさしい」のセットから、「あばたもえくぼ」的に一見ネガティブな要素をポジティブ側に取り込んだ「属性」が成立していったわけですが、、これは1024さんが書かれていたことと全く同じことを繰り返しただけですね。混乱させてすみませんでした。
    ということで、ほぼお二人と同じ意見です。
    で、今書いていて思ったのですが、ストーリー重視の場合でも相反するキャラクターが、総体としては「正義」&「悪」であったとしてもそれぞれの中にこの要素両方を内包していた方が作品に深みが出ます。この辺のテクニックは「ストーリー」のための「キャラクター」でも、「萌え」のための「キャラ」でも同じなんですね。
    どこまで続くのでしょう、我々。(笑)

  198. apg より:

    つまり、萌えモノの「ストーリー」ってのは、
    キャラクターを閲覧するための、
    「カタログ」ってわけですか。
    196

  199. 骨男 より:

    「カタログ」と言うよりは「デモンストレーション」じゃないですかね。
    197?

  200. apg より:

    「デモンストレーション」??
    見ている側が主導権を握っている訳ではない、
    という意味ですか??
    そのココロは?
    198

  201. 骨男 より:

    あ、いや深い意味は無かったです。
    ゲームの「デモ」画面みたいな程度の要素でしかないと、そんな感じ。
    199

  202. apg より:

    あ、なるほど。
    200

  203. ヒロポン より:

    話と関係ないですが
    だんだん言葉が少なくなってくるのが
    飲み会の最後の方のようです(笑)
    201

  204. 色瀬 より:

     まだやってることに驚きを通り越して呆れを通り越してビビってるんですが・・w
     んで、ここまでの長ーい議論の内容を踏まえると、たとえば
    『萌える"危険物取扱者試験"合格マニュアル』
    とか、できるんですか・ね?
    202?

  205. ビリー・ルービン より:

      ここ数日、ひさびさにきてチラホラよんでおるが、萌え論争はすでに過去のものとなったか。あんがい早く終結しましたな。これではとうていギネスに挑戦はできませんな。
    203?

  206. http://re-editor.sakura.ne.jp/blog/2006/05/post_9.html

     旧BLOGにあった“巨大(化)女性”関連のサンプルをまとめ直すと共に、いくつか…

  207. 実体化志向はやはりフェチであって「巨大女萌え」ではないな、と。(斎藤環)

     旧BLOGにあった“巨大(化)女性”関連のサンプルをまとめ直すと共に、いくつか…

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