たけくまメモMANIAX

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2006年9月16日

ソクーロフの『太陽』

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タブーは、それがタブーであると口にするのも憚られるからこそ、タブーなのである。それは、必ずしも隠蔽されたものばかりではない。むしろタブーと呼ばれるものの多くは、誰もが日常的に知っているものなのだ。我々は、タブーを前にしたとき、あたかもそこにタブーなど「ない」かのように、振る舞わなければならない。その場合には、特定の「文脈」があるのが普通である。「文脈」を越えて、それが語られることはない。その「文脈」以外で語られたとき、たちまちそれは「タブー」の正体を現すからだ。

アレクサンドル・ソクーロフ監督のロシア映画『太陽』をようやく見ることができた。敗戦前後の昭和天皇を主人公にした作品で、日本では当初、公開不可能と言われていた。それが関係者の尽力で、単館ロードショーの形で都内でひっそりと公開された。しかしそれだけでは終わらず、噂が噂を呼び、作品の完成度の高さもあって、単館公開としては異例のヒットになった。そして驚くべきことに、今では近所のワーナー・マイカルでもやっているこれでわざわざ都内まで足を運ぶ必要がなくなったのは、個人的には喜ばしい次第である。

ひとことで言うなら、これは「人間」としての昭和天皇を描いた映画である。題材が題材であるだけに、さまざまな憶測を呼んだが、いざ作品に接してみれば、別に政治的プロパガンダでも戦争映画でもなかった。それは人間映画であった。カメラは、ほぼ最初から最後まで昭和天皇のプライヴェートに密着し、皇居内に設けられた防空壕内部での「退屈な私生活」や、御前会議で大臣たちが醜く責任をなすりあうさま、マッカーサーとのやりとり、そして「人間宣言」を発するまでの経緯を、「淡々と」描いている。

この淡々とした「退屈さ」が凄まじい。皇居の外では、連日の空爆で無数の市民が家を焼かれ命を落としているのだが、そこは映画で直接には描かれない。御前会議においても、昭和天皇はただ明治天皇の和歌を詠んでそれとなく終戦の意志を匂わせるに過ぎず、あとはひたすら皇居の研究所で生物標本の観察に励んでいる。

しかし、その「退屈」のひとつひとつが、恐るべき緊張感を孕んでいるのだ。映画で描かれる昭和天皇は、軍閥たちのバカな操り人形ではない。むしろ、有り余る知性と教養の持ち主として描かれるのだが、彼は日本を救うことができない。皇居の外で何が起きているのか、彼は十分によく認識している。だが周囲をとりまく暴力的なまでの「退屈」が、彼を結果として「無能の淵」に追いやってしまう。

彼はかつて「神」であった。それはキリスト教的な全知全能の神ではなく、すべてを知っているが、なにもできない「神」である。映画は、ひらすらそのことの悲喜劇性を描いている。ここでのソクーロフ監督の視点は、驚くぐらい天皇に「同情的」だが、「無力の神の悲喜劇」を描くことに躊躇はない。

約2時間、俺は、ここまで「画面から目を逸らすことのできない退屈さ」を味わったことはない。ちょっと希有な映画体験だった。

また、この映画はリアリズムでもない。その意味では、同じ「実話」に材を採った『ユナイテッド93』とは対極に位置する映画といっていい。むしろ『太陽』は、あくまで実話に基づくフィクションとして、つまり「ウソ」を描きながら「真実」に迫ろうとする種類の映画であるといえる。

全編がセピア調の色彩で、すべての画面に薄靄(うすもや)がかかっており、まるで夢の中であるかのようにおぼろげな映像。空襲も、ただ天皇が見る悪夢として描かれる。この悪夢のシーン(CGで描かれる)は短いが、強烈な印象を残す。B29が巨大な魚となって、無数の小魚を落として東京が猛火に包まれるのだ。まったくの偶然だとは思うが、宮崎駿の『ハウルの動く城』に出てくる戦争の場面に酷似しているのが面白かった。あっちは魚ではなく鳥だったが。

イッセー尾形の昭和天皇は見事だ。円熟期にさしかかった役者の最高の演技がここにはある。口をモグモグさせる独特の癖や、「あ、そう」という有名な言葉まで完璧に演じきっているが、パロディではなく本物の昭和天皇に見える。おそらくベストの配役だろう。俺は以前、昭和天皇をもし映像化するなら、誰がいいかと考えたことがある。そのときは、坂東玉三郎なんかどうかと思ったが、ちと二枚目過ぎた。イッセー尾形を見つけたソクーロフ監督の慧眼には脱帽するしかない。たとえば玉三郎だったら、「自分の口臭を気にする昭和天皇」など、とても演じることはできなかっただろう。

昭和天皇が、自分の意志を通す場面はわずかしかない。印象に残るのは、GHQのカメラマンに自分の撮影を許可する場面だ。天皇がチャップリンに似ているので、アメリカ人たちは「ヘイ、チャーリー」と言ってポーズを要求する。天皇は、かすかに笑い、カメラ目線で薔薇の花に唇を近づける。

また最後に、天皇自ら「人間宣言」を決意する場面がある。月明かりに照らされた暗い自室で、彼はたった一人でそれを決断し、そして、心の底から嬉しそうに笑う。その後、人間宣言をレコードに吹き込むのだが、その場面は映画には描かれない。天皇は、それが戦後日本にとってよかれと思い、同時に自らの前半生を呪縛し続けていた「現人神」の運命から逃れるためにそれを行ったのである。もしかすると、昭和天皇にとって、生涯最大の決断だったかもしれない。

しかし映画は、「人間としての天皇」が下したこの決断が、ある残酷な結末をもたらすところで終わる。その結末が本当にあったことなのかは知らない(少なくとも俺は初耳だった)。しかしこれが監督のフィクションであったとしても、この映画にとってはまったく見事な終幕だったと思う。

見終わって、ロシア人名のエンドロールが出たとき、これが日本人の手によってではなく、外国人によって作られた映画だということを改めて思い知った。全編、ほとんど日本語で、日本人俳優を使って作られたこの映画は、しかしまったくのロシア映画なのである。なぜ、同じテーマが日本で作り得ないのか、残念な気がしたが、そこで冒頭に書いた「タブー」の定義を思い出した次第である。

外国人が天皇を描いた映画なら公開できるくらいには、天皇に対するタブー意識は薄れてきたといえる。しかし日本人が、日本という共同体の内側で同じものを撮ろうとしても、現時点では困難だろう。世代が完全に入れ替わり、人々の認識が「歴史」のそれに完全に切り替わるまで、あと半世紀くらいはかかるかもしれない。それまで、われわれが見ることのできる天皇の映像が、「皇室アルバム」の範囲を出ることは、おそらくないだろう。

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| コメント(26)

“ソクーロフの『太陽』” への26件のフィードバック

  1. くまおん より:

    つい先日、太陽を見ました。昭和天皇のことは全く知らなかったので癖がどうとかは分かりませんでしたが単純に上手い映画だと思いました。チョコレートのところは劇場で笑いが起こりました。

  2. MT より:

    イッセー尾形の演技は、あまり似すぎていると不敬になるので(笑)、あえて抑えているのがえらいというのが宮台真司の評価でしたね。

  3. 明彦 より:

    初めてお邪魔します。「サルまん」は実は今回初めてちゃんと買ったのですが、
    様々なことを予言した「奇書」だったのだなあと、熟読しながら痛感しています。
    『太陽』評、竹熊さんならではのユニークさですね。
    一つだけ気になったのは、御前会議で「醜く責任をなすりあう」のは
    阿南惟幾(六平直政)と米内光政(西沢利明)でしたから、
    「大臣」または「閣僚」と書かれるべきだと思うのですが・・・・・・。
    これまで一番そっくりと言われた昭和天皇役者と言えば、
    玉三郎よりだいぶ格下の歌舞伎の女形・市村萬次郎でしたね。
    (映画『大日本帝国』他テレビドラマ数本)

  4. たけくま より:

    ↑そうですね。「大臣たち」と直しておきましょう。

  5. でかいの より:

    この映画は、時代考証的な正確さはあえて捨てているように思えますね。昭和天皇以外の人物は固有名詞も出ないし似せようともしてません。昭和天皇が書く家族への手紙は現代仮名遣いだし。
    それから特撮的観点でいうと、大手門前のミニチュアセットで御用車が走るシーンや、上空から見た皇居のマット絵(エンディング)が素晴らしいと思います。
    日本での公開はできたのですが、国内法人の制作への資本参加ができなかった点でまだタブーは健在だと思います。もし投資してれば結構なリターンがあったはずなので、次回はあるいはタブーが破られるかもしれませんね。次回があればですが。

  6. 吐露 より:

    なんかいつものたけくまさんの文章とは違いますね。よっぽど『太陽』が凄かったということなのでしょうか。

  7. Aa より:

    いくらファンタジーとはいえ
    阿南(あなみ)と米内(よない)が同列というのは
    ちょっぴりひっかかりますね。
    人間宣言は、東京裁判への証人喚問回避のための先手だったというのが
    現在の定説ですし。

  8. 太陽

     ワーナーマイカルシネマズ板橋10番スクリーンにて、SRD鑑賞。イッセー尾形が昭和天皇を演じ、終戦前後の等身大の天皇の姿を、ロシア人監督、アレクサンドル・ソクー…

  9. GU より:

    細かいつっこみですが
    「板」東ではなく「坂」東玉三郎です~
    「天守物語」の中で姫役の他に舌長姥という妖怪役もやってるので、「口臭いヒロヒト」役もOKだと思いますが
    マッカーサーと並んだ写真のあの哀しい情けなさは出ないかも
    天皇が見るアルバムの写真、本物をそのまま使ってたのでびっくりしました。宮内庁的にはタブーではないんですね。

  10. 米内家の地元、上米内に住んでおります。
    草むした道端にひっそりと米内家の墓が。
    女好きは反面教師でございます。

  11. たけくま より:

    ↑GUさん
    直しておきました。

  12. noname より:

    >すべてを知っているが、なにもできない「神」である。
    パトレイバー2のセリフ思い出した…。
    「いながらにしてその目で見、その手で触れることのできぬあらゆる現実を知る。何一つしない神様だ。」

  13. たにしんいち より:

    あれれこれロシア映画だったんですか邦画だと思ってた知らなかった 
    今度のお誕生騒ぎで乙武さんのブログが炎上した事件(こーゆうことやるやつクソですね)もそーですが右にしても左にしても何かウェット(抽象的な言い回しでスミマセン)になってしまう客観的に語ることが出来ないというか 
    日韓中の関係もそんなとこがある気します
    関係ないですけどタモリ、昔も今もあんま好きじゃないんですが、昭和天皇のモノマネというのは見てみたかったなあ タモリも背格好とか昭和天皇的な雰囲気出せる人だ

  14. Aa より:

    そろそろKN氏が登場の予感

  15. 九郎政宗 より:

    なんでも大塚康生氏は
    昭和天皇の真似が爆裂にうまいので
    「いつか右翼に刺されるだろう」と
    宮崎駿がどこかに書いてました。
    うろおぼえ失敬。

  16. たにしんいち より:

    今で言うとコージー富田とか昭和天皇のマネうまそうだ

  17. 「太陽」シネパトスで記録樹立

    アレクサンドル・ソクーロフ作品「太陽」、銀座シネパトス1・2で8月5日より公開

  18. 禿頭 より:

    すごい面白かったですが、舞子アナの記事を読んだ後だったんで、
    マッカーサーとのちぐはぐなやりとりでちょっと思い出して笑ってしまいました。

  19. 匿名 より:

    「太陽」は、
    ホントたけくまさんのおっしゃるとおり
    退屈なのに、ちゃんと面白い映画でした。
    このエントリ読んでなかったら見逃していたかもです。
    桃井かおりもよかったです。

  20. 映画「太陽」見た

    公式サイト
    あらすじ
    1945年8月。その時、彼は庭師のように質素な身なりをしていた。その人の名前は、昭和天皇ヒロヒト。宮殿はすでに焼け落ち、天皇は、地下の待避壕か、唯一被災を免れた石造りの生物研究所で暮らして…

  21. 歩行と記憶 より:

    [cinema]ソクーロフ

     ソクーロフの映画『太陽』をやっと見ました。映画を見る前に、本を読んだり、色々な人のレビューを拝見したり、禁じ手のあまりにも情報を仕入れすぎて、まっさらな気持ちで見ることが困難だと思ったのですが、思い描いていた予想を遙かに越える映像の官能さにまず驚きまし…

  22. 君はソクーロフの太陽を見たか

    先週末、吉祥寺で友達と映画を観た。僕が誘ったのだ。アレクサンドル・ソクーロフ「太陽」http://www.taiyo-movie.com/テーマは「人間」昭和天皇の終戦にまつわる苦悩。それをイッセー尾形、佐野史郎、桃井かおりらが演じる…

  23. 独断的映画感想文:太陽

    日記:2006年10月某日 銀座シネパトスで映画「太陽」を見る. 2005年.監督:アレクサンドル・ソクーロフ. イッセー尾形,桃井かおり,ロバート・ドーソン,佐野史郎. 天皇裕仁の,敗戦直前から人間…

  24. いぎ より:

     見ているあいだ「霧に包まれた昭和天皇」みたいだな、と思っていたが、パンフレットを見るとノルシュテインが2度続けて撮影現場を訪れたとのこと。ソクーロフ>ノルシュテイン>押井守(天使のたまご)>宮崎駿 という連想はありかもしれない、と思います。
     実際、ずっと「これはロシア映画だなあ」と思っていました。あのような幻想性、象徴性はロシア映画でないとできないのではないでしょうか。
     マッカーサーの副官は、小林信彦の「発語訓練」みたい。

  25. [映画]太陽

    太陽 The Sun 銀座まで足をのばして、見てきました。間延びした場面のない、あっという間の二時間でした。 悔しいことに、僕はこの映画を史実に基づいて判断できるほどの知識を持ち合わせていません。ですが、おそらくほとんどがフィクションであり、ありえない物語なので…

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