コミックマヴォVol.5

« スピード社の水着は心配だ | トップページ | 個人・ブログ・組織 »

2008/06/09

マンガ界崩壊を止めるためには(1)

マンガ家・雷句誠氏が6日に小学館を提訴してから3日が経過しました。その間、この問題はネット中を駆け回り、今さら何かを書こうにもすっかり出遅れた感じになってしまいました。もちろん俺も何か書こうとは思っていたのですが、この件に関しては、現時点では雷句氏側の見解(訴状と陳述書)しか公になっていないので、なんとも言えなかったというのが正直なところです。

http://88552772.at.webry.info/200806/article_2.html
↑雷句誠の今日このごろ。「(株)小学館を提訴」

新聞報道を読んでも、雷句誠氏が小学館に原稿を紛失されて損害賠償を提訴したという事実関係以外は、まだ何も書かれていません。小学館としては「訴状が届いていないのでコメントできない」の一点張りで、問題が公になったのは金曜日でしたから、訴状が届かないのは仕方がないです。それで、明けて月曜夕方になるまで様子を見ておりましたが、まだ見解は報道されていないようです。これから出るとしても、おそらくは「現在係争中なのでコメントは差し控えます」というコメント以外は出しようがないと思われます。

裁判に関して、特にこうしたプライベートでの(※) 当事者間の感情のもつれを含んだ問題に関して、第三者の俺が事実関係がよくわからない状態でコメントを書くことには問題があると思います。それでこの原稿紛失問題に関しては、裁判の推移を見守るしかない、というのが俺の立場です。小学館の公式見解は、放っておいてもじきに法廷で出るはずで、それを見てコメントがあれば、書くことにしたいと思います。

※一応仕事上の人間関係の話なので、「プライベートでの」という言い方は誤解されそうな表現でした。ここは「当事者間の」という表現に訂正します。

ただし現段階ではっきりとわかることがあります。それは、雷句誠氏の、版元サイドに対する不信感の強さです。雷句氏の陳述書を読む限り、この問題はたんなる「原稿紛失」問題にとどまらないことは明らかです。原稿紛失を理由に提訴に踏み切ったことは、「陳述書」を公開するためのきっかけに過ぎなかったのではないかとすら俺には思えます。公開された陳情書には、過去、雷句氏を担当した編集者への不満が実名で書かれており、雷句氏の積もり積もった怒りの深さが伺いしれます。

しかしながら、陳述書から伺えることは、何度も言いますがあくまでも雷句氏側の一方的見解であります。名指しで非難された編集者にも、おそらく反論やいいたいことがあるはずですが、彼らはサラリーマンですから、ことが法廷の場に及んだ場合、会社を前面に出して対応する以外はありません(マスコミやネットで反論や個人的見解を述べることは、会社の弁護士が固く禁じているはずです)。逆にいえば雷句氏は、「会社の中の個人」の実名を出して非難することで溜飲を下げたということもできます。フリーは、一般に立場が弱いものですが、それは組織から仕事をもらって生活しているからです。いったんその組織と「縁を切ってもいい」と決意さえすれば、もはや彼を止める人は誰もいません。こうなると、「個人」としてのサラリーマンは黙るしかありません。名指しで非難された編集者氏の意見は、たぶん公には今後も出ないか、出たとしても何年も経ってからになるでしょう。

そういうわけで、現時点でのこの問題に対して、俺は裁判そのものとは異なる切り口で書いてみたいと思います。

まず今回の問題でネットを見て回っていたところ、作家が版元や編集者に対して「告発」するサイトがいくつか存在することに気がつきました(コメント掲示板で読者が教えてくれたものもあります)。その中で特に気になったのが、『バクネヤング』等の個性的な作品で90年代に人気を博していた松永豊和氏の自伝的小説『邪宗まんが道』と、人気少女マンガ家・新條まゆ氏のブログ「まゆたんブログ・思うこと」です。新條さんのエントリは今回の雷句誠氏の出来事を受けて書かれたものです。

http://book.geocities.jp/monene39/novelmangamiti.html
↑松永豊和「邪宗まんが道」

http://blog.mayutan.com/archives/51397618.html
↑新條まゆブログ「思うこと」

松永氏の『邪宗まんが道』は、主人公が「松永」である以外はすべて仮名になっていますが、登場人物はほぼ実在の人物です。俺は松永氏と面識はないんですが、仕事をしていた時期と会社(小学館)が重なるためか、この小説に出てくる編集者の半分は俺の知り合いです。それで内容が内容(編集者に対する恨み節)であるため、読んでいて俺のことでもないのに脂汗が出てきました。松永氏は文章もうまく「読ませる」技術があるだけに、個人的にも知っている編集者に罵詈雑言が浴びせられ、「作家の敵」として描写されていることにやや辟易したことは事実です。この中に書かれていることは「もっともだ」と思うことも多々ありますが、「それは松永氏の考えすぎではないか」と思うこともあり、頭の中に実在の編集者の顔が錯綜して、これほど複雑な読後感を抱いた小説はありません。

しかし400字詰め原稿用紙換算で500枚を越える長編を、最後まで一気に読み進めてしまったことは事実です。これは松永氏の「小説家」としての力量がかなりのものだということを示していると思います。『邪宗まんが道』は、俺は小説として傑作だと思いました。しかし、関係者にはほぼ「あいつか」と特定される形で書かれた人たちには同情しないでもありません。ネットに一度掲載されたものは、たとえ削除されたとしてもデータとして半永久的に残るからです。

新條まゆさんのブログは、過激な表現こそありませんが、自分の経験(版元とのトラブル)から雷句氏の提訴を擁護する内容です。あくまで冷静に書かれているだけに、俺には説得力がありました。

しかし、作家と版元のトラブルは、それこそ原稿紛失も含めて今に始まったことではなく、社員編集者と作家の感情的確執も、大昔からありました。原稿紛失で思い出すのは、唐沢なをき氏や須藤真澄氏がやはり原稿紛失した出版社を提訴した事件ですが、いずれも扶桑社や学習研究社 ふゅーじょんぷろだくとといった、マンガ出版社としては傍流の版元でした。(※)小学館のようなマンガ界の中心に君臨する大手版元をマンガ家が訴えたというのは、俺の知る限り初めてであります。

※須藤真澄さんが訴えたのは原稿紛失ではなく作者に原稿を返却しなかったふゅーじょんぷろだくとでした。学研のは岸香里さんの『天使のたまご』原稿紛失事件でした。知人から指摘がありましたので、訂正いたします。

もちろん小学館や講談社のような大手版元でも、作家と編集がケンカになったとか、原稿をなくしたといったトラブルは、過去にはたくさんあったわけです。まったく表沙汰になっていないのですが、作品名を出せば誰もが「え?」と驚く作品の原稿がまるまる一冊分印刷所で盗難にあい、解決するまで連載は一時中断、作者サイドと版元が水面下で補償をめぐって熾烈な交渉の末、連載再開されたケースも知っています。この件は裁判にならず、なぜか2ちゃんの噂にすらなりませんでした。この作品の場合、製版は済んでいたので単行本は無事に出すことができたこともあります。

要するに、俺の知る範囲でも、雷句誠氏レベルの「作家と編集のトラブル」は昔から日常茶飯事であったと思うわけです。それでもこれまで表沙汰にならなかったのはなぜか、それがここに来て作家の側からの「告発」がはじまったのはどうしてか、ということを俺は考えたいと思うわけです。

なぜ表沙汰にも裁判にもならなかったのかといえば、やはり日本の出版界の慣例による「美徳」、つまり作家と版元相互の信頼に基づく関係というものがベースにあって、これが訴訟沙汰を回避する強力な歯止めとして機能していたことがあげられます。これは言葉を換えれば、日本の出版社の感覚は江戸時代や明治時代で止まっていて、すこぶる前近代的な感覚で運営されているということであります。一例をあげれば、仕事を頼んでも金の話をしたがらないとか、出版契約書はなぜか本が出てから交わすようなことですね。これについては、俺も「出版界は変な業界」「共犯者としての編集者」というエントリで書いたことがあります。

http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2005/03/post_1.html
↑たけくまメモ「出版界は変な業界」

http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2005/03/post_2.html
↑たけくまメモ「共犯者としての編集者」

それで、この「版元と作家の信頼関係」が、現在、音を立てて崩れ去ろうとしているのだと、俺は思います。雷句氏の裁判は、そのひとつの現れではないかと俺には見えます。昔であれば、出版社側の誠意ある対応によって収拾がついていた問題が、それだけではどうにもならなくなってきているのです。

特にマンガ出版は、多少の停滞期は何度かあったものの、基本的には戦後右肩上がりに成長を続けてきた産業であります。80年代からバブル期にかけては、日本の出版総売上げの3割を占めるまでになり、出版産業は事実上、マンガによって利益が支えられる構造になっています。ところがバブル経済の崩壊で、90年代後半は目に見えて本や雑誌が売れなくなってきました。そこにブックオフやマンガ喫茶の出現によって、マンガ版元は大打撃を受けたのですが、それでも業態としてなんとか保っていた秘密は、

過去25年間、マンガ原稿料の相場を据え置いていたから。

というのが、俺が2004年に上梓した『マンガ原稿料はなぜ安いのか?』(イーストプレス)における主張です。俺の知る限り、80年代初頭のマンガ原稿料の相場も、2000年代に入ってからの相場もまったく変わっていません。正確に言うなら、新人から中堅、ベテランになるにつれて基本的な稿料は上がるのですが、その下限と上限がここ四半世紀ほとんど変化していないのです。つまり、俺がこの業界で仕事をし始めた25年前、新人マンガ家の原稿料はだいたいページ6千円から8千円が相場でした。これがヒット作を描くと1万数千円になり、ベテランとなると2万から3万、5万超えると特別の巨匠クラスだと言われていたのです。

ところがこの相場は、21世紀になった今でも変わっていません。あのマンガが売れに売れていたバブル期の真っ最中も、原稿料は新人で6~8千円、中堅で1万数千、2万以上はベテラン・巨匠クラスだったのです。

俺は、昔はこれが不思議でならなかったのですが、バブルが崩壊していよいよマンガが売れなくなってきた今になって、ああ、今のマンガ界がなんとか保っているのは、バブルの時にも原稿料を上げなかったからだ、ということに思い至りました。ことの是非はともかくとして、事実として、原稿料を据え置いたことでマンガ界が救われた面は、あると思うのです。もちろんそれだけではないでしょうが、俺がこれを本に書いてから、誰からも一度も反論らしい反論を頂いてないので、たぶんそれほど間違ってはいないのだろうと思っています。

今回の雷句氏のブログに載っていた原稿料の額を見て、あれほど有名な作家の原稿料がこの程度なのか、と驚いた人が多いみたいですが、俺は長年この問題を考えてきた経験から、雷句氏の原稿料は相場から見て決して高くはないが、特に安くもないという印象を持ちました。雷句氏も、会社が呈示した賠償額への不満は書かれていましたが、原稿料自体を安すぎるとは書かれてないと思います。

俺から見ても、今年に入ってからのマンガ出版の崩壊ぶりには、目を覆うほどのものがあります。俺は、マンガ雑誌の数が今の半分になり、定価が今の倍になるまでこの状態は続くのではないかと思っています。

今すぐにも、なにがしかの構造改革を行わなくては、マンガ界はおろか、出版界そのものも崩壊するのではないかと俺は思います。俺がこれから書きたいアイデアは、雷句氏や松永氏、新條氏が提起されている問題への解答でもあるのですが、すでに思わぬ長文になってしまいました。いささか疲れましたので、この続きは、明日以降に書きます。 (つづく)

◎このエントリにコメント→★
◎掲示板トップへ→★

|

« スピード社の水着は心配だ | トップページ | 個人・ブログ・組織 »

アニメ・コミック」カテゴリの記事

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/70029/41461059

この記事へのトラックバック一覧です: マンガ界崩壊を止めるためには(1):

» 2008/06/10今日のニュース系。 [ごみおきば]
公共放送もTDLも! Twitterが提供する新ビジネスモデル - 日経トレン... [続きを読む]

受信: 2008/06/09 21:13

» 今後の漫画界予想 [島国大和のド畜生]
 マンガ界崩壊を止めるためには(1)(たけくまメモさん)というエントリを読みました。 俺から見ても、今年に入ってからのマンガ出版の崩... [続きを読む]

受信: 2008/06/09 22:54

» 契約書の印鑑の種類 [vivi]
契約書に押す印鑑の種類、契約書への押印の方法、契約書の訂正印、訂正の方法などのビジネスマナーを身につけましょう [続きを読む]

受信: 2008/06/09 23:28

» 日本のコンテンツよ、永遠なれ [nananagaの日記]
漫画、アニメ、ゲーム。 この3つの新し目な日本文化は、今や危機に瀕しているそうだ。 マンガ界崩壊を止めるためには(1) ゲーム業界は小学館の週刊少年サンデーより酷い状況と現状を訴える 単純な話、日本の消費者には時間がない。総パイは限られている。 なのに良コン... [続きを読む]

受信: 2008/06/10 01:33

» 080609メモ [gekka blog]
No.2616 Asahiる - コピペ運動会 (cache) asahi.co... [続きを読む]

受信: 2008/06/10 02:16

» [事件]漫画家の雷句誠先生が小学館を訴えた! [yakubaの日記]
http://88552772.at.webry.info/200806/article_2.html 平成20年6月6日午後1時 提訴 平成20年(ワ)15321号 東京地方裁判所民事第7部担当 受付年月日 平成20年6月6日 こんばんは、雷句誠です。 もうニュースなどを見て、知った方もいると思います。 上... [続きを読む]

受信: 2008/06/10 19:04

» 雷句誠氏の陳述書 [青いblog]
先日、「金色のガッシュ!!」作者の雷句誠氏が原稿紛失の件で小学館を訴えましたが たけくまさんのブログ経由でご本人のブログと陳述書を読ませていただきま [続きを読む]

受信: 2008/06/10 23:21

» 絶望した!計算され尽くしたキラーパスに絶望した! [ampersand]
ネットで波紋が広がっている最近のニュース。 (株)小学館を提訴。 雷句誠の今日こ... [続きを読む]

受信: 2008/06/11 00:32

» 雷句誠氏による小学館提訴問題に関する感想 [extra innings]
(株)小学館を提訴。 - 雷句誠の今日このごろ。 反響など・・・ - 雷句誠の今日このごろ。 更にいろいろな反響。 - 雷句誠の今日このごろ。 まゆたんブログ - 思うこと。 まんが界崩壊を止めるためには(1) - たけくまメモ まず本筋とは関係のないことから一言いうと、小学... [続きを読む]

受信: 2008/06/11 12:43

» 新條まゆが久米田先生に絶望パス! [アニゲ めもんが φ(=ω=.)]
■まゆたんブログ:その後 ブログはファンのための情報やファンサービスの場にしたいと思っております。 こ [続きを読む]

受信: 2008/06/11 21:47

» 【雑感】とりとめもなく [NORIのブログ]
はてなのトップページで見つけて↓ まゆたんブログ:思うこと。 上記ブログで書かれている事実関係についてどうこう書くつもりはなくって、たぶん日常よくある光景として捉えたときに、とりとめもなく考え付いた事をば。 ※このブログの本来の趣旨は編集者・出版社と漫画家と... [続きを読む]

受信: 2008/06/11 23:25

» 新條まゆ [さやの日記]
[マンガ] マンガ家からも雷句誠への まゆたんブログ:思うこと。新條まゆが雷句誠... [続きを読む]

受信: 2008/06/12 15:44

» 読むと! 元気がなくなる! 少年サン [ヘボログ]
 読むと! 元気がなくなる! 少年サンデー!   ああもう今人気爆発ゴローな話題の、雷句誠訴訟の話ですが、ええ。  基本的あらましは、以下の雷句誠ご本人のブログから。  勿論、読むと、元気がなくなります! (株)小学館を提訴。 http://88552772.at.webry.info/200806/article_2.html    まぁこの内容をつらっと読んで、「雷句もけっこうたいがいなアレなんちゃうのん?」 という意見もあるだろうし、そこは否定しない。  というか敢えて言うけど、... [続きを読む]

受信: 2008/06/13 04:32

» すぅぱぁ漫画家大戦A [むぅにぃの駄文戯れ言]
あ~やっぱ小学館対応間違ってるよな。自分が働いていたところと揉めた事のある経験から言ってマズイところを指摘しておくか。 [続きを読む]

受信: 2008/06/13 12:49

» 漫画をフリーペーパーでという提案 [浦島雑誌]
現在の大手出版社などからなる漫画界は崩壊してもかまわないが、 でも漫画が読めなくなっては困るから、 その前に代替構造がほしい。 フリーペーパーはいかがでしょうという提案。とはいえ 「常設小屋」 は全て…... [続きを読む]

受信: 2008/06/13 17:32

» [雑記]たけくまメモで挙げられているクエスチョン [Fly me to the Me]
たけくまメモ : マンガ界崩壊を止めるためには(1) 今すぐにも、なにがしかの構造改革を行わなくては、 マンガ界はおろか、出版界そのものも崩壊するのではないかと 俺は思います。 ・具体的に、どのような構造改革がなされなければいけないのか? これは、出版社、作家、... [続きを読む]

受信: 2008/06/13 21:16

» 上兵は謀を伐つ。 [Aut viam inveniam aut faciam!]
一、「金色のガッシュ!!」原作者がお怒りです!! 二、作家の氷室冴子さん死去 [続きを読む]

受信: 2008/06/15 10:10

» 今月のBUBKAは読みどころたっぷり [古泉智浩の『オレは童貞じゃねえ!!』]
 松永豊和さんのインタビューが掲載されいているというので、久しぶりにBUBKAを [続きを読む]

受信: 2008/07/04 02:07

« スピード社の水着は心配だ | トップページ | 個人・ブログ・組織 »